鳴り響く
春の日差しが降り注ぐ。どこまでも続く雲一つない真っ青な空に、庭には咲き乱れる色とりどりの花々。
結婚式日和とはまさに今日のこと。まるでお天気の神様が、エリザとルカの結婚を祝福しているようだ。
エリザはウェディングドレスに袖を通した瞬間、緊張で身を固くした。ギシギシと音がしそうなぎこちない動きでドレスを着るエリザを見て、身支度の手伝いに着ていたルイーザとニーナはぎょっとした。
「エリザ様……もっとリラックスしてくださいませ」
「緊張しすぎですよ!」
「だって、このドレスは……」
マチルダがデザインした大切な大切なドレスなのだ。そう思っただけで、身体が強張ってしまう。もたもたしていると、見兼ねたニーナとルイーザが、ドレスを着るのを手伝ってくれた。二人のおかげで、なんとかドレスに袖を通すことが出来た。
エリザを座らせたニーナは、あれよあれよという間にヘッドドレスやイヤリング、ネックレスを付けていく。エリザは手際のよさに感心した。
「さあエリザ様!鏡の前に立ってください!」
ニーナに急かされてエリザは姿見の前に引っ張り出された。しかし、鏡を見るのが怖かった。すでに試着をしたことはあるけれど、本番当日に実は似合っていなかったなんてことになっていたらどうしよう……。そんな不安が過ぎって、ぎゅっと目を閉じた。
「ちょっと!目を開けないと分からないじゃないですか!」
「エリザ様ったら!」
「いや!見たくないのよ!」
「何を言ってるんですか?!」
いや!だめ!目を開けて!という三人のやり取りがあまりにもうるさかったのだろう。控室の扉がノックされたが、誰も出ないし応答さえしないので、焦れたように扉が開け放たれてそこからルカが入って来た。
「何を騒いでるんだ?!」
振り返ってうっすらと目を開ければ、白を基調としたタキシードを着たルカが立っていた。胸には芍薬の花飾りを付けていて、髪の毛はきりっとまとめられている。いつも以上にかっこいい姿に、エリザはぽうっと見惚れてしまった。
一方ルカも、駄々をこねていたエリザのウェディングドレス姿を目の当たりにして、口を開けて棒立ちになっている。
「エリザ……綺麗だよ」
「ルカ様も……素敵です」
互いに見惚れ合う二人に、ニーナは顔を赤らめて、ルイーザは呆れたように二人を見比べると言った。
「エリザ様がせっかくドレスを着たのに、鏡で確認しようとしないんです。ルカ様、後はよろしくお願いしますね。私達もお化粧直しをしないといけませんので」
「それじゃあ……」
気を利かせたのか呆れたのか、そのどちらもか。二人はいそいそと控室を出て行った。
「どうしたエリザ?なぜ鏡を見ないんだ?」
眉をひそめて歩み寄ってきたルカが肩に触れて、額に口付けた。エリザは鏡から顔を背けるようにそっぽを向いた。
「だって……似合ってなかったらどうしますか……?お母様がデザインしたドレスなのに……」
「よく似合ってるよ。世界一綺麗だ」
頬にちょんと口付けて、ルカが耳元で囁いた。顔を赤くしたエリザは、ルカにそっと押されるようにして鏡の前に立った。そして、俯いていた顔を恐る恐る上げた。
鏡の中に立つ自分と目があった時、一瞬エリザはマチルダがそこに立っているのだと錯覚した。そう思う程、よく似ていたのだ。こんな風に思ったのは初めてで、エリザは自分でも驚いた。
そして、普段の地味な姿からは想像もつかない程、華やかに着飾られたウェディングドレス姿は、自分で言うのもなんだが似合っていた。エリザの目にじんわりと涙が滲んだ。
「な?綺麗だろ?よく似合ってるよ」
真っ白な総レースのドレスは、王妃付き侍女の頃から取引をしていたお店にお願いした。八年間仕事のやり取りをしたお針子が、一生懸命縫ってくれたものだ。
そして、ヘッドドレスはもちろんチャーリー帽子店で作ってもらった。昨年の冬から一人前の帽子職人となったクロエが主体となって、丹精込めて作ってくれた。
真っ白なハイヒールの靴はチャーリーが紹介してくれた靴職人が。イヤリング、ネックレスは馴染みの宝石商から買って、モーリスの工房ではウェディングドレスに合わせて扇子も作ってもらった。
デヴィッドやルカ、ホーキンス夫妻の好意に甘えてここまでしてもらって、こんなに素敵な衣装を揃えてもらえた。
感謝してもしきれない。エリザは涙を堪えきれずに、思わずしゃがみこんだ。
泣いたら化粧が落ちてしまう。今からが本番だというのに。たくさんの人が待っているのに、みっともない姿を晒すわけにはいかない。それでも、涙がはらはらと流れ出た。
「エリザ……」
「ごめんなさい……。だって、嬉しくて……母のドレスを着れる日が来るだなんて思ってもみなかったから……」
ルカがそっとエリザの顎をすくい上げて上を向かせると、ポケットから取り出したハンカチで、とんとんと優しく涙を拭った。
「本当は私……おしゃれが大好きだったんです。子供の頃は母とファッションショーをしたり、ドレスのデザインをしたり、とても楽しかった。でも、母が亡くなって、借金が残って、おしゃれなんてする余裕は一つもなくって……。リスター様と結婚式を挙げた時、これが自分を着飾る最後の日だと思いました。……それ以降は何もかも諦めていました。自分を着飾ることを、ドレスを着ることを。……でも、今日この日を迎えることが出来て、本当によかった。ルカ様と結婚出来て、あなたを愛することが出来て、本当に……」
ありがとう、と言おうとしてルカに唇を塞がれた。長くて優しいキスを交わした後、二人は床の上に座り込んだまま微笑み合って、手を取り合った。
「エリザ。二人で幸せになろう。この先ずっと、ずっと一緒だ」
「はい……!」
「さあ、そろそろ時間だ。化粧を直して準備を。皆が待っている」
ルカはエリザを立たせると、ニーナとルイーザを呼んだ。少し落ちてしまった化粧を直してもらうと、先に行って待っていると歩き出したルカの背中を見送って、ブーケを手にした。
「さあ。時間ですよ!」
廊下へ出ると、エリザのために手伝いを申し出てくれた侍女仲間が笑顔で出迎えてくれた。ドレスが汚れないようにと裾を持ち、ベールを下ろしてくれる。皆から応援や祝いの言葉を浴びながら、エリザは真っすぐに式場へと向かった。
式場の前では、正装姿のデヴィッドが待ち構えていた。エリザの姿を見るなり目を見開いて、次いで泣き出しそうに顔を歪めて、最後には何度も頷いて、微笑んだ。
「エリザ……一瞬マチルダかと思ったよ……。とても綺麗だ。おめでとう」
「ありがとう。お父様」
「さあ……行こうか」
「はい!」
笑みを交わして、差し出されたデヴィッドの腕に手を回す。それを合図に式場の扉が押し開かれて、わっと招待客から歓声と拍手が湧き起こった。
王宮に勤める使用人仲間達。ロージーとアーノルド。チャーリー、カカ、クロエ。ジェーンとキャロライン。アーサーとマリア、シャーリー。ユーリとオーガスタに、チャップマン財務大臣。マーチン。ランズダウン一家、シビルに、ホーキンス一家に、エレノアとアルフレッド。
他にもたくさんの関係者が参列してくれていたが、誰もが笑顔で手を叩いて花を撒いていた。
オルガンが鳴り、ゆっくりと歩き出す。花が舞う道を歩いて、おめでとうと言葉が飛び交う。その先に、愛しそうに目を細めるルカがいて、エリザは幸福を噛み締めながらゆっくりとヴァージンロードを歩いた。
ルカの元に辿り着くと、式がはじまった。エリザにとっては二度目の結婚式。慣れたものだと思っていたけれど、緊張で手が震えた。
「ルカ・ハーディス。あなたは健やかなる時も病める時も、富める時も貧しい時も、妻エリザを愛し敬い、変わることなく愛することを神に誓いますか?」
「はい誓います」
真剣な眼差しでルカが宣誓した。
「エリザ・ハーディス。あなたは健やかなる時も病める時も、富める時も貧しい時も、夫ルカを愛し敬い、変わることなく愛することを神に誓いますか?」
神父に問われて、エリザの脳裏に過去の自分が蘇った。
――神様!どうかお願いします!願いを叶えてください!母を助けてください!
過去何度も、母を救ってほしいと神様に訴えて、お願いして、そして叶えられなくて失望した。勝手に期待をして絶望して、神様を責めることしかしてこなかった。リスターとの結婚式でも宣誓はしたけれど、結局誓いは破られた。要求するばかりで、何もしてこなかった。
けれど、今度こそ。神様に胸を張って誓いを立てよう。
「はい。生涯愛しぬくことを誓います」
「では誓いの口づけを」
ルカが肩に触れて、向き合う。ベールを上げて真正面から見たルカは、泣きたくなるくらい幸せそうに微笑んでいた。
「エリザ。愛してる」
そっと囁いて、唇が寄せられる。エリザがそっと目を閉じると、教会の鐘が鳴り響いた。
不運なエリザは迷宮の中は、これにて完結となります。
ここまで読んでくださった全ての皆様に感謝を。
ありがとうございました!




