その先へ 2
エリザが無事に退院して自室へと戻ってくると、様々な人から退院祝の品々が届けられた。
王妃付き侍女一同からは焼き菓子。ウィリアムやゴードンをはじめとする執事達や第三騎士団からは花、メイドや庭師からは果物、アーサー付きの使用人からは手作りの刺繍入りエプロンやハンカチ、鞄やポーチ、そしてアーサーとマリア、国王夫妻からは国内どこでも使える旅行券などなど……。
それらは退院祝というよりも婚約祝のようだった。
エリザが退院して寮までの道を歩けば、すれ違う人々から婚約おめでとうと笑顔で祝福された。どうやらマーチン付きの女官達が言うように、王宮内にエリザとルカが婚約した噂は広まっているようだった。
お祝いの品々を片付けていると、仕事を終えたルカが夕食をとろうと誘ってきたので、寮の食堂へ降りてきた。そこへ、アーノルドが花束を抱えてやって来た。そして、なぜかそのまま三人で夕食をとることとなったのだった。
「一時はどうなることかと思ったが、愛する人と結ばれて本当によかったね。私のおみやげのブレスレットが効果を発揮したに違いないね!」
「確かにこのブレスレットのおかげかもしれません」
「だろう?」
エリザがブレスレットを付けた手首を上げると、アーノルドも同様に手首を上げて見せた。それを、向かいの席で忌々しそうに見据えるルカが、苛ついたように言った。
「なんでアーノルドも一緒に夕飯を食べてるんだよ。ここは使用人寮だ。騎士は六華殿へ戻れ」
「エリザの退院祝と婚約祝に花束を持ってきたついでだね」
「それからそのブレスレット、いい加減外してくれないか?」
「これはお守りのようなものなんだよ」
「だからって、他の男と揃いのブレスレットを付けてるのを見て、俺が喜ぶとでも思ってるのか?」
「他の男って……私達は親友なんだ。君、そんな小さなことをネチネチと言ってると嫌われるよ?男はもっと寛大でいないと!」
「うるさい!お前に言われたくない!大体男女の間に友情が成立するのか?」
「私とエリザは性別を超えた親友だからね」
「お前の言葉は一々芝居がかってて胡散臭いんだよ」
「中々に酷い言い草だな。エリザに負けず劣らないよ、君の口の悪さは」
二人の相性がここまで悪いとは思ってもみなかったエリザは、内心でため息を一つ吐き出して、今後この二人を食事の席で一緒にしないようにしようと決めた。
「まあまあ……落ち着いてください。ブレスレットは外しますから。その代わりに化粧ポーチにつけておくことにします。ルカ様、これで譲歩してください」
「仕方ないな……」
まるで拗ねた子供のように唇を尖らせたルカに、思わず笑ってしまった。アーノルドが肩を竦めた。
「ああ……これ以上君達を見てると胸焼けをおこしそうだ。私はそろそろお暇することにしよう」
「さっさと帰れ」
「ルカ様……。アーノルド様、お花をありがとうございました」
「どういたしまして。エリザが幸せそうで何よりだよ。また何かあればいつでも相談に乗るからね」
ひらりと身を翻して、アーノルドは颯爽と食堂を出て行った。その背中を、ルカが睨めつけていた。
「自分のことしか興味がない奴だと思ってたんだがな」
「自己愛が激しいのは変わってないと思いますよ」
「随分と気に入られたな……」
「あら。ヤキモチですか?」
「……悪いか?」
「いえ。嬉しいです」
ふんと鼻を鳴らしたルカは、やけ食いでもするように大きな口を開けてケーキをパクリと頬張った。エリザはくすりと笑った。
「なあ……エリザ。結婚式は春にしようかと思ってるんだが」
唐突なルカの発言に、エリザはびっくりして仰け反った。
「け、結婚式……挙げるつもりなんですか?」
「なっ……!しないつもりだったのか?」
「私は結婚式を挙げたことがありますので。それに、婚約もまだだし、うちはお金がありませんし……」
「お金は俺の貯蓄があるからいいとして、婚約なんてしたも同然だろ。エリザは俺と式を挙げたくないのか?前の婚約者とは挙げたのに……。もしかして、前の婚約者を忘れたくないから俺とは式を挙げたくないのか?まだ愛してるのか?忘れられないのか?」
いきなり話が飛躍して、エリザは驚いた。しかも、ルカの機嫌が、アーノルドがいた時とは比べ物にならない程悪くなっている。眉間のしわが未だかつて見たことがないくらい深く刻まれているのを見て、ぞっとして叫んだ。
「そんなことあるわけないじゃないですか!」
「じゃあなんでだよ……?」
「私はもう二十四歳ですし……ウェディングドレスを着る勇気はありません」
「俺はもうすぐ二十六歳だぞ」
「男性と女性は歳のとり方が少し違うんです。それに、それに……なんだか恥ずかしいし……」
「あのなあ……。俺はまだ結婚式を挙げたことがないんだ。親族や友人に晴れ姿を見せてやりたいと思うし、皆から祝福されたい。それに何より……俺がエリザのウェディングドレス姿を見たいんだよ」
テーブルの上に乗せた手が伸びてきて、エリザの手を掴んだ。手の甲を片手で撫でられて、エリザは恥ずかしくて俯いた。
「な?結婚式、しよう」
「……はい」
なんてチョロいんだ自分は。エリザはルカのお願いにあっさり陥落した。顔を上げると、ルカが心底嬉しそうに微笑んでいた。
翌日、デヴィッドと自宅へと帰ったエリザは、自室の荷物の整理をしていた。引越し先はまだ見つかっていなかったが、今から荷物の整理をして、いらない物は少しずつ処分しようということになったのだ。
エリザが着古した服をまとめていると、デヴィッドがやって来た。
「エリザ。ルカ君から聞いたんだが、結婚式は春頃を予定してるんだって?」
「日にちはまだ決めておりませんが……そのくらいかと」
「そうかい。エリザのことだから、結婚式はしないと言い出すかと思ったが、よかった」
実は言い出していたのだが、ルカにお願いされて了承したとは言えなかった。
「エリザ。頼みがあるんだが、これを……」
デヴィッドはエリザに一枚の封筒を渡した。受け取ったそれは、日に焼けて色が薄くなっていた。
「開けてみて」
言われて中身を取り出すと、一枚のデザイン画が出てきた。それはウェディングドレスのデザイン画だった。
肩から背中が大きく開いた、全体にレースを使ったエンパイヤドレスで、床に広がった裾は綺麗な円を描いている。
軽やかで大人っぽさと華やかさを兼ね備えた品のあるドレスに合わせて、芍薬のようなたくさんのひだがあるヘッドドレスも描かれていた。
「素敵なドレス……。これは?」
「生前マチルダがデザインしたものなんだよ」
「お母様が?」
エリザが驚きで目を見開くと、デヴィッドはにこりと微笑んだ。
「そう。まだ元気だった頃にエリザが嫁ぐ時は自分がデザインしたドレスを着せたいと常々言っていてね。リスター君との結婚式は急に行われて、時間もお金もなかったから既製品を着るしかなかったが」
デヴィッドはエリザの頭をそっと撫でた。
「愛する人と一生に一度挙げる式なんだから、今度こそマチルダのドレスを作ろう」
エリザはデザイン画に視線を落とした。マチルダがデザインしたウェディングドレスは、日が経ってところどころ薄茶けていたが、それでもエリザの目には輝いて見えた。このドレスを着たい。マチルダの想いがたくさん詰まったこのドレスを。
「作っても……いいのですか?お金は……」
「エリザ。お金の心配はもうしなくていいんだよ。今月からチャップマン財務大臣の第一秘書官になることが決まったんだ。給金も増えるし、冬にはボーナスも出る。何よりルカ君がエリザに着てほしいと言ってるんだ」
「……また私に黙ってお二人で決めたのですか?」
責めるようにジロリと見やると、デヴィッドはまごついた。
「いやあ……私もルカ君もエリザを喜ばせたくてね」
頰をかくデヴィッドを、エリザは泣き出しそうな顔で見つめると、そっとデザイン画を抱きしめて頭を下げた。
「……お父様。ありがとうございます」
「うん」
「それからこのヘッドドレスは、チャーリー帽子店に頼んでもいいですか?」
「もちろんだよ」
エリザは元気よく頷くと、デザイン画をそっと撫でた。
天国にいるマチルダにも、花嫁姿を見てもらいたい。そして、誰よりも素敵な結婚式を挙げようと決めた。




