その先へ 1
夜が明けて朝がやってきて、昨夜のことが夢ではないかと頬をつねったエリザの下に、侍女がぞろぞろやって来ると、どういうわけか色とりどりの花を次々と運び込んだ。退院するのはまだ先なのに、なぜだと不思議がるエリザに、婚約祝いですと老齢の女官が告げた。
「婚約って……」
「昨夜プロポーズされたのでしょう?」
「王宮内はルカ・ホーキンス卿とエリザ・ハーディス子爵令嬢が婚約したともっぱらの噂ですからね!」
ねえ〜と侍女達はニヤついた顔を見合わせて騒いでいる。エリザはどうして知ってるのかと驚愕した。
「どうしてって……国一番の魔術師の管轄内でプロポーズしてたら、そりゃあっという間に広まりますよ!」
「伝書鳩がそこら中に放し飼いにされているんですからねぇ……」
まさか、とエリザは診察のために入室してきたマーチンを見やった。マーチンはにやりと微笑んだ。
「幸せは皆で共有しないといけないからね。そしてめでたい時は花で飾らないと」
と、いたずらっぽくマーチンがウィンクした。どうやらここの侍女達が噂好きなのは、マーチンの影響が大きかったようだ。エリザは恥ずかしさと呆れとで、何も言えなかった。
「なぜルカ様から結婚の申し入れがあったことを黙っていたのですか?」
朝食をとりにきたデヴィッドが姿を現すなり追求すると、デヴィッドは困ったように笑った。
「本人が直接プロポーズしたいと言うからね。エリザもきっと了承すると分っていたから、黙っていたんだよ」
「な、なぜ……分かったのです?」
「娘のことなんだから、見てれば分かるよ」
デヴィッドは運ばれてきた朝食を食べながら、何気なく言った。
「それからこれはあちらの提案なんだが、エリザはきっと私と離れたくないだろうからと、婿養子を希望している。実は先日ホーキンス伯爵夫妻とグリメット伯爵と夕食をご一緒してね。私さえよければハーディス家に入れてやってほしいとお願いされた」
エリザは仰天してスプーンを取り落とした。
「ちょ、ちょっと!私の知らないところで何を……?!」
「ルカ君は次男だし、ホーキンス家は長男が継ぐことになっている。グリメット伯爵も、エリザがルカ君と結婚してくれるならばと了承してくれた。なんでもグリメット伯爵とは会ったことがあるそうだね。しっかりしたお嬢さんだと褒められたよ。エリザにならば安心して孫を託せるとまで言ってくれた。あちらのご両親もエリザを歓迎すると喜んでいてね。うちが借金まみれだったことも知った上で了承してくれて、本当に頭が上がらないよ」
エリザの知らぬところで縁談はすでにまとまっていたようだった。おまけにデヴィッドはいつの間にかルカ君とまで呼んでいる。ルカがここまで手を回していたとは思ってもみなかったと驚いていると、デヴィッドはすまないと一言謝った。
「私もエリザと離れるのは寂しくてね。ついついルカ君の提案に乗ってしまったんだが、エリザの気持ちを置いてけぼりにしてしまったな……」
「結果的には私も同じ気持ちでしたから、構わないのです……。それにしても、ハーディス家に婿養子に入ってくれるなんて、ルカ様には感謝しないといけませんね」
「ああ。でも、さすがにあのおんぼろアパートメントに三人で暮らせないだろう?それに三人共宮仕えだし、王宮から通いやすい新しい住まいを探さないといけないね」
確かにあの陰気な雰囲気のアパートメントにルカは似合わないし、部屋数も足りない。
「まあまだ婚約だって正式に交わしていないんだ。今後のことは二人でゆっくりと決めていくといいよ」
「そうですね……」
「でも本当によかった。エリザ、おめでとう」
改めてデヴィッドに言われると、なんだか照れくさくてエリザは黙って頷いた。
「今まで苦労ばかりさせてきたが、これからはめいいっぱい幸せになりなさい。天国のマチルダやリスター君も、きっとそう望んでいるからね」
そんなことを言われたら泣きそうになってしまう。エリザはぐっと堪えると、はいと小さく返事をしてデヴィッドに微笑んだ。
昼食を終えて帽子の花飾りを作っていると、ルカが薄紅色の薔薇を携えて見舞いにやって来た。花で埋め尽くされた部屋を見てルカは驚いていたが、エリザに薔薇を手渡すと、そのままそっと抱き寄せて、体調は大丈夫かと気遣ってくれた。
「大丈夫ですよ。もうすぐ退院出来そうです」
「それならよかった。……ところで、今日は客を連れて来たんだ」
ルカが扉の方へと振り返ると、遠慮がちにエレノアが顔を出した。
「エレノア様」
「エリザ様。大変な目にあいましたね。心配しておりましたが、元気そうで何よりです」
パタパタと早足で駆け寄ってきたエレノアは、ルカを押し退けてエリザの手をとった。
「毒で倒れたと聞いた時は驚きましたが……またこうしてお話出来て本当によかったですわ!」
「本当ですわね。私も嬉しいです」
「おい……エレノア」
「あらルカいたの?」
「一緒に来ただろ」
「あなたがあんまりにも浮かれてるから、腹が立っちゃったのよね」
「お前な……」
「そんなことよりも、話をしに来たのでしょ?とりあえず座りましょう」
テーブルに移動して侍女にお茶をいれてもらうと、エレノアが口を開いた。
「今日来たのは、エリザ様のことだから、きっと私とルカに縁談があったことを気にしてるんじゃないかと思ったからなんです。そこで、エリザ様にはきちんと私達のことを、いえ、私のことを話しておこうと思って……」
エレノアは小さく息を吸い込むと、決意を固めたように言った。
「お祖父様が縁談を進めたかったのは、私がグリメット家の一人娘で家を継ぐことが出来ないので、ルカに婿養子になってもらいたかったからです。ですが、それだけの理由ならば相手はルカでなくとも誰でもいいですよね?それなのにお祖父様がルカにこだわっていたのは、私に原因があるのです」
「エレノア様に原因が?」
首を傾げるエリザに、エレノアは固く頷いた。
「これだけは分かってほしいのですが、私達はお互いを好いたことは一度もございません。縁談の話が上がったのは、私が男性を好きになれないせいなのです。ルカだけではありません。私は男性を好きになったことはございません。……恐らくこの先もないでしょう」
「それは、つまり……」
「私は男性を恋愛対象として見たことはありません。貴族の娘ですから、いずれは結婚しなければならないと覚悟しているつもりでしたし、試しに男性とお付き合いしてみようとしたこともありますが、手を繋いだだけでもうダメでした。つまり……私の恋愛対象は、女性なのです」
エレノアは真剣な眼差しで告げた。このことを話すのにどれだけの勇気がいっただろうと思うと、エリザはたまらない気持ちになった。
「そんなエレノアを知っていたからこそ、祖父はエレノアと俺を結婚させようとしたんだ。エレノアの事情は俺も知っていたし、愛がなくても俺とならやっていけると考えたからだろう」
「それも祖父の優しさだってことは分かっているんです。でも、例え幼い頃から知っているルカが相手だとしても、いざ結婚しろと言われたら、嫌だと……そう思ってしまったんです。貴族令嬢として失格ですよね……。でも、ある日祖父が言ったんです」
エレノアは小さく微笑んで、エリザを見やった。
「とあるご令嬢が、一人で生きていくには厳しいけれど、やって出来ないことはない。毎日を一生懸命生きていこうと思うと、話していたと。……私、それを聞いた時にピンときたのです。きっとエリザ様が祖父に言ったんだと。そして、何よりその言葉を聞いて、私はすごく励まされました」
アルフレッドを門前まで送った時に話したことを言っているのだろう。ということは、アルフレッドはあの後、エレノアに話したのか。
「私はこれまで、男性とは結婚したくないけれど、一人で生きていくことも出来ないと怖気づいておりました。でも、不安や恐怖を抱えていても、前を向いて生きていこうとしている女性はいるんだと、勇気づけられたのです」
そういうわけで、とエレノアは努めて明るい声で言った。
「まだまだ将来は不安でいっぱいですし、グリメット家のためにならないだめな娘かもしれませんが、それでもいいと家族は言ってくれました。この先どうなるかは分かりませんけど、エリザ様を見習って前を向いて歩いていこうと決めました。ですから、エリザ様には感謝申し上げます。私に少しの覚悟と勇気を与えてくれた……エリザ様は私の憧れです!」
エレノアの言葉に、エリザは胸がいっぱいになった。
「エレノア様にそんな風に言っていただける程、私は出来た人間ではありませんが……。エレノア様は勇気ある女性だと思います。それに、エレノア様の周りには心強い方々がたくさんついていらっしゃいます。きっと大丈夫です」
「はい。……私もそう信じております!」
エレノアは朗らかに笑った。太陽のように温かく、からっとしたエレノアらしい明るい笑顔だった。
エレノアが去った後、エリザはルカと二人で庭園を散歩していた。
「それにしても、あのような事情があったとは驚きました。だから、しきりにルカ様はエレノア様をアーサー殿下の婚約者候補にすることを拒んでいたのですね」
「そうだな。アーサーどころか異性を愛せないのに、王妃になんてなれるはずがないからな」
「そうですね……」
「でも、エレノアが前向きになってくれてよかったよ。ああ見えて、少し前までは不安定だったから」
「そうでしたか」
「エリザのおかげだな」
「私は何も……」
「いや、エリザのおかげだよ」
ルカは歩を止めて、そっとエリザの手を取ると指を絡めた。見つめ合って微笑む。甘い雰囲気が流れ出したところで、エリザははっと思い出した。
「そういえば……ルカ様、婿養子の話を父から聞きました。私の知らぬ間に父やそちらのご両親と縁談をまとめていたそうですね?」
ジロリとエリザが睨めつけると、ルカは明後日の方向を見て頰をかいた。
「そりゃあな……エリザの了承を得ても、ハーディス子爵に断られたらたまったものじゃないし、きちんとけじめをつけたかったんだ。それに」
「それに?」
「言ったろ?俺には幸せな結婚をしてほしいって。だから、先に祖父や両親、ハーディス子爵を説得して、皆から祝福されるような結婚になればいいと思ったんだよ。それから……」
「それから?」
「エリザが走って逃げないように、逃げ道を塞いでおかないといけないと思って、外堀をしっかり埋めておいたんだ」
「なっ……?!」
「エリザは逃げ足が早いからな」
冗談っぽく言ってにやりと笑ったルカは、エリザの肩を小突いた。いつぞやの、王宮から帽子店へと逃げ出したことを言っているのだと気づいて、エリザは真っ赤になって怒った。
「そんな昔のことを持ち出して!」
エリザが振り上げた拳を、ルカは軽々と受け止めると、そのまま頬にちょんと軽いキスをした。不意打ちのキスにエリザは固まった。気を良くしたルカは、今度は唇にそっと触れるだけのキスをして、優しく抱きしめた。
エリザはなんだか誤魔化されたようなおちょくられているような気がしたが、結局は大人しくルカの腕に収まった。
「なあエリザ……一緒に幸せになろうな」
「はい……」
幸せで満たされていく。こんな幸福が自分に訪れるだなんて。
きゅっとルカの服を握ると、見下ろしてきたルカに背伸びをして自ら口付けた。そして、驚いた表情をしたルカを見て、満足げに微笑んだ。




