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出発



 アーサーが帰ってから、エリザは戻って来たデヴィッドと、夕食という名の病人食を共にしていた。デヴィッドはチャップマン財務大臣の下から帰る途中で、オーガスタとルカに会ったことを教えてくれた。


 二人共エリザが回復していることを知って心底安堵した様子で、すぐにでも会いに行きたいと言っていたそうだが、現在事件の裏取りに追われていて、きちんとした時間が取れないことを謝っていたという。


 エリザは二人に会いたかった。会って直接大丈夫だと伝えたかったのだが、ただでさえ迷惑をかけているので、これ以上彼らの負担になるようなことは言えない。


「落ち着いたら見舞いに来てくれるよ」


 エリザが寂しそうに見えたのだろう。デヴィッドにそう慰められて、エリザははいと微笑んだ。


 デヴィッドが帰ってから、エリザは女官に手伝ってもらって湯浴みを済ませた。一週間風呂に入っていなかったので、久しぶりの風呂は人生で一番気持ちがよくてスッキリとした気分になった。風呂を上がって客室へと戻ってくると、マーチン付きの侍女数人が待ち構えていた。


「先程ホーキンス秘書官から届いたものです」


 一人の侍女が差し出した手紙を、エリザは飛びつかんばかりに引っ掴むと、周囲の目も忘れてその場で手紙を開けた。


 容態が落ち着いたと聞いて心底安心した。

 すぐにでも顔を見に行きたいが、今はまだ行けないから、ゆっくり療養して身体の回復に努めてほしい。

 エリザのことだからこちらのことを心配していると思うが、こちらは大丈夫。

 今は自分のことだけを考えて、たくさん食べて眠ること。


 簡潔にまとめられた手紙は、ルカらしくてなんだか胸が熱くなり泣きたくなった。

 ぎゅっと手紙を抱きしめると、いつの間にか侍女と女官に囲まれていてはっと我に返った。皆興味津々といったように瞳を輝かせている。


「恋人からの手紙なんでしょ?」


「いいわよねぇ〜!」


「私も恋文のやり取りをしてみたいですわ!」


「心配して魔法で手紙飛ばしてくださるなんて、羨ましいですわ……!」


 と、皆うっとりとしている。どうやらばっちり手紙を覗かれていたらしい。

 顔を真っ赤にしたエリザは、盛大に慌てた。恋人ではないと全力で否定したが、それが更に彼女らの好奇心に火をつけてしまったらしい。

 片思いなのか、どこを好きになったのか、相手はどう思っているのか、結局就寝するまで質問攻めにあってしまったのだった。マーチン付きの使用人は好奇心旺盛で困ってしまう。病み上がりのエリザはへろへろになった。



 ようやく一人になって寝台に潜り込むと、まだ体力が戻っていないせいで、どっと疲労が押し寄せてきた。

 力の抜けた身体を寝台に投げ出して、深呼吸しながら真っ暗な客室の天井を見上げた。考えるのは、ルカのことだ。

 事件のせいですっかり忘れていたが、エレノアとの婚姻はどうなっているのだろう。こんな事件が起きたのだから、きっと保留になっているに違いないが、ケント侯爵がきちんと裁かれて、事件が片付いたその時は……。


 ゆっくりと目を閉じた。

 早くルカに会いたいと強く思った。会って、元気な顔を見せて安心させたい。そして……いや、それ以上は何も望まない。また以前のように一緒に働きたい。それだけでいい。そうよねエリザ、と自分に言い聞かせた。



 けれど翌日、アーノルドやオーガスタ、アーサー付きの使用人達が見舞いに来る中で、ルカだけは顔を見せなかった。

 それから一週間、王妃付き使用人から庭師、王妃のキャロラインまで見舞いに来てくれたというのに、ルカだけは姿を現さないままだった。

 唯一毎晩同じ時間に手紙が届けられたが、どれもきちんと食べて寝ろ、無理をせずにリハビリをするように、後遺症はないか、などといった内容のものだった。



「その……ルカ様はどうしていますか?余程お忙しいのでしょうか?」


 その日は、マリアとオーガスタにアーサーが見舞いに来てくれていて、四人で客室のテーブルを囲んでお茶を飲んでいたのだが、エリザの質問に三人は顔を見合わせた。

 オーガスタが、そうねえ……と視線を明後日の方向へと向けて呟いた。


「ちょっと今は外せない用事があってね……」


「事件の裏は取れたし、後は裁判を待つだけなんだが、ルカは私用で実家に帰っているんだ」


 それを聞いて、脳裏にエレノアとアルフレッドの顔が浮かんだ。二人の婚姻が進んでいるのかもしれないと思い至って返事も忘れた。


「殿下……」


 マリアが嗜めるように言うと、アーサーは慌てた様子で付け加えた。


「……とにかくルカは私用で忙しいんだ。もう少し待ってやってくれ。ゴタゴタが片付いたら必ず会いに来るだろうから」


 はいと小さく返事をして、エリザはなんとも言えない困った表情を浮かべた三人を見比べた。

 エリザに言えないようなこととは、やはりエレノアとの結婚についてだろうか。ルカがどんな決断をするにせよ、応援したいと思った。

 だから、エリザはもちろんですと笑顔を浮かべた。それなのに、なぜだか三人は困ったようにまた顔を見合わせたのだった。



 その日の夜、デヴィッドと夕食をとっていると、ふいにデヴィッドが口を開いた。


「なあエリザ……その……」


 なんだか言いにくそうにモゴモゴしている。口の中に食べ物が入ったまま喋っているのかと思ったが、ただ言葉を濁しているだけのようだった。


「どうしましたか?なにか言いたいことでもあるのですか?」


「その、だな……。エリザは以前結婚をするつもりはないと言っていたが、今もそれは変わらないだろうか?」


「ええ……。それが何か?」


「もしも私が縁談を持ってきたらどうする?」


「以前も話しましたが、私を嫁にもらってくれるような方はおりません。……もしかして、後妻にと望む高齢の方から打診でもありましたか?」


 尋ねると、デヴィッドは後妻だなんてまさか!と鼻息を荒くした。


「大切な娘を後妻になどやるつもりはない!」


「それじゃあ何なのですか……?」


 いやあ……とデヴィッドはまたもや言葉を濁した。怪訝そうな顔で見るエリザに、デヴィッドは咳払いをした。


「もしも縁談の話が出たとしても、私はエリザの気持ちを一番に尊重したいと思っている。それだけは覚えておいてくれ」


「分かりました……」


 なんだかよく分からないが、もしかしたら誰かから縁談の話が来たのかもしれない。デヴィッドは複雑な表情でエリザをしばし見つめると、重いため息を吐き出して部屋を後にした。


 翌日から、デヴィッドは朝しかやって来なくなった。仕事を再開したからと言っていたが、去り際にエリザを見る目はなんだか困ったような寂しそうなもので、理由を聞いても答えない。ただ、エリザの幸せが一番だからと言うだけだった。エリザは首を傾げるしかなかった。



 そうこうしているうちに、エリザは回復していった。

 入院して三週間が経過したある昼下がり。唐突に客室にジェーンがやって来た。


 驚いたことに、ジェーンは今までとは違ってシックで落ち着いた格好をしていた。それだけではなく、長く艷やかだった髪も肩につくくらいまで切ってさっぱりとしていた。

 あまりの変貌ぶりに、一瞬誰だか分からなかったくらいだが、当の本人は平然とエリザに挨拶を交わすと、見舞いの果物をテーブルに置いて席に座った。


「エリザ、大変な目にあったわね。でも元気そうでよかったわ」


「女官長も大変でしたね。でもご無事で何よりです」


「そうね……。今回は本当にアーサー殿下に助けられたわ……。それでようやく私も目が覚めたの。変な意地を張っていたこと、反省したわ……」


 ジェーンは神妙な顔付きに変わると、おもむろに立ち上がった。エリザは驚いて目を見張った。


「思えば、殿下の相手をしろと強要したこと、あなたにきちんと謝罪していなかったわね。……私はあの時、王妃殿下のためと言いながら、あなたの気持ちを考えることはなく、有無を言わせずにあんな命令を下した。女官長という立場にいながら部下を蔑ろにした。上に立つ者としてやってはいけないことをしたわ……」


 ジェーンはゆっくりと頭を下げた。エリザは驚愕のあまり自分の目を疑った。

 あの山より高いプライドを持ったジェーンが、頭を下げているのだ。信じられなかった。


「エリザ。本当にごめんなさい。私は最低なことをしてしまったわ……。その後、あなたや使用人達に対しての態度も酷いものだった。今では本当に反省してるのよ……」


「頭を上げてくださいませ!」


 エリザが肩を持って頭を上げさせると、ジェーンの目は僅かに潤んでいた。


「エリザ……あなたは言ったわね。自分が間違ったことをした時に正せるのは、自分しかいないと……。私ね、今の女官長という立場を捨てて、一度ただのジェーンに戻ろうと思うの。今回の件で、ようやくそう思えるようになったわ」


「それはつまり、女官長を退くということですか?」


「そうよ……。もうすでに話はしてあるのよ。毒殺犯に疑われるような人間が女官長だなんて、王妃殿下のためにもならないでしょう?」


「そんなことありません……!それに、王妃殿下はきっと反対されるのではありませんか?」


「確かに反対されたわ。昔からの長い付き合いだからね。でもね……私がいないほうが王妃殿下のためになると分かったのよ……。だから、きっぱり辞めることにしたの」


 今更だって言わないでちょうだい、とジェーンは小さく笑った。


「主のためを思うならば、こうするのが一番だとようやく気づいた……。いや、認めることが出来たの。今までの私は、地位や王妃殿下に執着するあまり、本来の目的を見失っていたわ。主のために仕えるという目的をね。……だから、最後にあなたに謝罪と……そして」


 ジェーンはエリザの手をとった。白くてすべすべだった手は、少しかさついていたが、温かかった。エリザはなぜだか酷く動揺してしまった。


「ありがとうを言いたかったの。本来の私を取り戻そうと思えたのは、あなたのおかげでもあるのよ。エリザ……ごめんなさい。そして、ありがとう。こんな私を許してちょうだい……」


 ジェーンは本気だ。本気で王宮から出て行こうとしている。その覚悟を感じ取って、エリザはジェーンの手を握り返した。


「女官長……」


 どんな言葉を返せばいいのか分からずに、エリザは俯いた。涙が零れそうだ。それをなんとか押しとどめた。


 エリザが侍女として働き出した頃から、ジェーンは女官長だった。厳しくも優しく、おしゃれで若々しくて美人でなんでも持っている。侍女達の憧れであり、嫉妬の対象でもあった。


 エリザはジェーンを慕っていたというわけではない。あくまでただの上司と部下でしかなく、プライベートで会ったことや話したことは一度もない。

 それでも、ジェーンから教えられたことは数え切れない程ある。今アーサー殿下の側近補佐として働いていられるのも、ジェーンが侍女として様々なことを教えてくれたおかげでもある。


「なんと言っていいのか……。今まで女官長からはたくさんのことを教わりました。侍女としての仕事だけではなく、忠誠心など欠片もなかった私に、主に仕える心持ちや姿勢を教えてくれたのも女官長です。おかげで今の私があると思っています。……こちらこそ、感謝申し上げます。ありがとうございました」


「エリザ……あなたって、本当にお人好しね……」


 ジェーンの目から一筋の涙が流れた。それでも、ジェーンは笑っていた。どこか吹っ切れたような、爽やかで清々しい笑みだった。


「ありがとう。いずれあなたが女官長になった時は、お祝いに花でも贈るわ」


 冗談を言って固く握っていた手を解くと、ジェーンは涙を拭ってエリザの肩を叩いた。


「応援してるわ。それじゃあね」


 エリザはただ頭を下げた。ジェーンが部屋を去った後も、しばらくそのまま目を閉じていた。



 

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