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築いていける



 毒を盛られたエリザは、嘔吐、けいれん、呼吸困難に陥って、一時は生死の境をさまよったが、医者と魔術師の治療によってなんとか一命を取り留めた。毒だと気づいてすぐに吐き出したことで、摂取量が少なかったことが幸いしたようだ。


 とはいえ、それからしばらくの間、エリザは混濁した意識の中で毒の作用に苦しめられた。目眩、嘔吐、手足の痺れが完全に抜けるまで五日かかり、その間きちんと意識を保って人と会話することは不可能だった。


 面会謝絶でアーサーやルカ達とも会えず、どれだけの時間が経ったのか分からない中で、唯一デヴィッドだけが毎日エリザに会いに来ていた。

 しかし、デヴィッドともほとんど会話は出来ず、泣きそうな顔でエリザの顔を覗き込をでくるばかり。エリザはその顔を見る度に、デヴィッドを残して死ねないと強く思った。



 そして一週間後。

 レースのカーテン越しに入ってくる日差しの眩しさで目を開けたエリザは、すっきりとした気分で室内を見渡した。この一週間、自分の置かれた状況を把握することはほとんど不可能だったが、今は頭が冴えている。

 ようやく冷静になって周囲を観察してみると、エリザは豪華な装飾の施された寝台に寝かされていた。ピカピカに磨き上げられた高価そうな家具が置かれ、部屋のあちこちには美術品や生花が飾られている。


 ここが王宮の上級客室であると見当をつけてから、だるい身体を起こそうとして力が入らずに諦めた。そこへ、人の気配を感じて顔を上げた。


「やあ。起きたかい」


 視界に飛び込んできたのは、真っ白な長髪を後ろに一つに結んだ中年の男性だった。目鼻立ちがはっきりとした整った顔をしている。優しげに微笑んだ男は、君の担当医だと自己紹介をした。


「マーチン・ヴァロワだ。医者であり魔術師であり発明家でもある」


 エリザは驚きのあまりぽかんと口を開けた。

 マーチンといえば国一番の魔術師だ。今便利な生活があるのは、全てマーチンの発明と魔術のおかげなのだ。数々の勲章を授与し、平民出身であるにも関わらず伯爵位を得た天才。そんなマーチンがなぜここに?


「ど、どうして……」


「アーサー殿下から君を助けてほしいと要請があってね。……私が開発した毒を中和する魔道具を使って解毒したんだ。現在君の身体からは完全に毒が抜けた状態だが、しばらくの間副作用で目眩や頭痛があるだろう。私の精製した薬を一ヶ月間は飲み続けてくれ。ああ……今起こしてあげよう」


 マーチンはエリザの上体を起こすのを手伝うと、薬を持ってこようと言って背を向けた。そこを呼び止めた。


「……あの、私が倒れた後どうなったのでしょうか?」


 毒に苦しみながらも、ずっと気になっていたことを聞くと、マーチンは一瞬考え込むように黙り込んだ。エリザが懇願するように教えてくださいと頼むと、マーチンは頭をかいた。


「そうだな。君の関係者は平常心を保てなくて、うまく説明出来ないかもしれないから、先に私から話しておこうか。結論から言うと、犯人は捕まったよ」


 マーチンは寝台横に椅子を引っ張ってきて座ると、言葉を選びながら語りはじめた。


 毒はあの場に運ばれてきた桃色のスープ皿に入っていた。桃色のスープ皿は女性用にと用意されたもので、男性陣には藍色のスープ皿だった。

 真に狙われたのはマリア嬢だった。エリザは巻き込まれた形となったわけだが、犯人はエリザが毒見をしていると知らなかったため、エリザのみが倒れるという想定外の結果となった。


 では、どのようにして毒を混入したのか。

 本来王族の出席する食事会には、毒が混入したらすぐに色が変わる王族専用の魔道具が使用されている。ちなみにこれもマーチンが発明したのだが、あの日は精巧に作られたイミテーションにすり替えられていたという。

 すり替えたのは料理人の一人。毒を入れたのは厨房付きのメイドで、毒見役が毒見を済ませた後で混入したという。彼らの実家は貧乏子爵家で多額の借金があり、二人は金で買われていた。


 エリザはそれを聞いて胸が痛んだ。喉から手が出る程お金がほしくて、アーサーの相手を引き受けた自分を思い出したからだ。だからといって、お金のため家のためにと、暗殺に加担するなんてもっての他ではあるし、憤りは感じる。しかし、彼らがそこまで追い詰められていたのかと思うと、なんとも言えない複雑な心境だった。


 そして肝心の首謀者はというと、当初はジェーンが疑われた。キャロラインを巡ってアーサーとぎすぎすした関係に陥っているのは、王宮内では周知の事実だったからだ。

 しかし、これを真っ向からアーサー自身が否定すると、自ら調査に乗り出して、側近達や騎士団の協力を得てジェーンの無実を証明した。


 真の首謀者は、アーサー殿下とマリア嬢の婚約をなくそうとした、中央貴族ケント侯爵の仕業だった。

 ケント侯爵の令嬢は、かつてはアーサーの婚約者候補にあがっていた、エリザが頭が悪いと評したご令嬢の父親である。彼はマリアとアーサーの婚約が整った当初、一番にこの婚約を支持していたはずだった。

 しかし、実際は娘を王妃にしようという企みが外れて憤っていたのだろう。マリアを亡きものにして後釜に娘を据えようとして、今回の事件を起こしたのだ。


 真相を聞いてみれば、とても単純で分かりやすい動機だった。あの令嬢は頭が悪そうだと思ったが、親も同じだったようだ。


 エリザは真相を聞かされて、がっくりして息を吐いた。自分が寝こんでいる間に事件は解決されていたことに、安堵すると同時に拍子抜けした。あっけないものである。


「ケント侯爵は現在は拘束されており、後に裁判で裁かれることになるだろう」


「そうですか……。あの……マリア様は大丈夫でしょうか?ご自身が狙われたと知ってショックを受けているのではありませんか?それからアーサー殿下も。以前は侍女に毒を盛られた身ですから、きっと深く傷付いているはずです。それに、側近の皆さんも……」


「そうだね。まずマリア嬢は当初はひどく動揺しながらも君のことを心配していたが、今は落ち着いているそうだ。現在王宮への出入りはやめて、王都のタウンハウスにいる。護衛をつけているし、両親がついているから大丈夫でしょう。それからアーサー殿下だが、彼も当初は取り乱していたが、犯人を捕えるために指揮をとってからはしっかりしていたよ」


 それを聞いて少しほっとしたエリザは、デヴィッドについて聞いた。


「あの、父は?」


「今呼ぼう。正直、殿下やマリア嬢よりも、ハーディス子爵のほうが心配だね。君がこんなことになってからというもの、ほとんど食事が喉を通らないようだし、王宮に泊まり込んでいるが眠れていないだろう。君のほうから安心させて、きちんと食事と睡眠をとるように言ってあげてくれ」


「分かりました」


「あともう一人心配な人物がいるが……まあそれは追々……」


 口の中で何やらもごもごと呟いて、マーチンが部屋を出ていった。

 その数刻後、デヴィッドが慌てた様子でやって来ると、意識を保って座っているエリザを見るなり、顔を歪ませその場に泣き崩れた。

 エリザはなんとか立ち上がると、床に座り込んだデヴィッドの背中をさすった。


「お父様、もう大丈夫ですよ」


「エリザ……!マチルダにお前まで失くしたら、私は生きていられない!」


 嗚咽混じりにデヴィッドは言うと、そのまま床に伏せて泣きじゃくった。デヴィッドが落ち着くまで、エリザは何度も大丈夫だと言い聞かせなければいけなかった。



 一時間後なんとかデヴィッドをなだめ終えると、二人は運ばれてきた昼食を一緒に食べた。エリザもデヴィッドも消化のいい病人食をゆっくりと時間をかけて食べた。

 エリザはもちろんだが、デヴィッドもまだ食欲がわかないようで二人揃って半分以上残してしまったが、胃はまだ食べ物を受け付けないので、少しずつ量を増やしていくしかない。


 線の細い親子を心配して、マーチンが入院している間は親子共々しっかりサポートすることを約束してくれた。エリザは心底感謝した。


「ところで、アーサー殿下や側近の皆様にはまだ会えないでしょうか?」


「君が意識をきちんと取り戻したことは知らせておいたが、まだ事件の処理や公務があるからね。それらが一段落したらすぐに来るはずさ」


 ただでさえ忙しいのに、事件が起きて激務を通り越して寝る時間もなかったのではないか。アーサーやルカ、オーガスタが心配になったが、彼らは夕方の時間になっても現れることはなかった。余程忙しいのだろう。



 エリザは昼食を終えてから、マーチンの診察を受けた。マーチンが開発したという魔道具を使って検査をしているうちに、夜を迎えた。

 検査を終えて客室へと戻ってくると、デヴィッドはチャップマン財務大臣に経過を知らせるために席を外していた。湯浴みをしようかと世話をしてくれることになったマーチン付きの老齢の女官と相談しているところに、突然アーサーが現れた。


 アーサーは息を切らしてやって来るなり、エリザの顔をまじまじと眺めてから、安堵の息を吐き出してベッドの前にうずくまった。


「殿下……!」


 そのまま顔を伏せていたアーサーは、よかったとポツリと呟いて顔を上げた。その目は涙が滲み、真っ赤になっていた。アーサーは震える手をエリザの骨ばった手に重ねた。


「エリザ悪かった……!こんなことになったのは全て私のせいだ……!」


「違います!」


「いや。私がエリザに毒見をさせていたんだ。エリザがする必要なんてなかったのに、私の疑り深い性格が災いした。私のせいだ……」


「殿下……それでは私が毒見をしなかったら、マリア様が倒れていたのですよ?今回は少量だからよかったものの、マリア様が気づかずに飲み込んでしまったら、取り返しのつかないことになっておりました」


「しかし……」


「私はそうならなくてよかったとほっとしております。殿下は悪くありません」


 アーサーは口を開いたが、結局何も言えずに唇を震わせた。しばしの沈黙の後、アーサーは震える声で吐き出すように言った。


「私は……侍女に裏切られて以来、人を信用できずに疑ってきた。そのせいで今回、本当に信頼出来る者まで失くすところだった……」


 アーサーは頭を振った。


「私は今こそ変わらなければいけないと思う。……私のことを支えてくれる使用人達や婚約者、周囲の者達皆を信じられるように、私のほうから心を開いていかなければいけないと思う」


 そして意を決したように、エリザの名前を呼んだ。


「まだすぐには人を信じることは出来ないかもしれない。私はまだまだ未熟だから。それでも……エリザの力が必要なんだ。だから、これからも私の下で働いてほしい。こんなひどい目に合わせておいて言えたことではないのだが……」


 アーサーの瞳は不安で揺れていた。エリザは緩く首を振った。


「私のほうこそお願いします」


 頭を下げたエリザを見たアーサーの目から、我慢していた涙が零れ落ちた。


「至らないこともたくさんあると思う……それでもいいのか?」


「それは私も同じです。私はまだまだ力不足ではありますが、これからも殿下の下で働かせてくださいませ」


 それを聞いて涙腺が決壊したアーサーは、ボロボロと大粒の涙を流して本格的に泣き出した。


 エリザはジェーンが言った言葉を思い出していた。

 本当に主人の信頼を勝ち取りたいのならば、自身が心底主人を信頼しなければならない。主人が間違えば時として叱咤して道を正し、時には共に悲しみや怒りを共有して慰め、命をかけて主人に仕えなければならない。


 その言葉がじわじわと染み入ってきて、エリザもたまらず涙した。アーサーが変わろうとしているように、エリザもまた変わらなければならない。ジェーンの言葉通り、悲しみや喜びを分かち合いながら、誠心誠意主人に仕える。


 きっと出来る。エリザは確信して、アーサーの背中をそっと撫で続けた。




 

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