崩れ落ちる 2
エリザは王妃教育へ王宮へとやって来たマリアを出迎えると、マリア専属となった護衛を紹介して顔合わせを済ませた。
「本日の昼食会楽しみにしておりますね」
「はい。こちらこそ楽しみにしております。ではいってらっしゃいませ」
マリアを護衛に任せて見送ったエリザは、足早に執務室へと戻った。昼食会はいつもよりも三十分長くなると予想されることから、午前の間に通常業務を出来るだけ終わらせてしまいたい。
ルカから渡された手紙の整理をして、なんとか返事を書き終えると正午を迎えた。
いつもよりも少し早めに仕事を切り上げた一同は、小食堂へと急ぐ。中でも、心なしかアーサーの足取りは軽い。
「そんなにもマリア様とのお食事が楽しみなのかしらね」
「そりゃそうだろ。愛しの婚約者なんだから」
「あっついわね〜!」
軽口を叩く側近を無視して、アーサーは小食堂へとさっさと入って行った。エリザはオーガスタと顔を見合わせてくすくすと笑った。
マリアはまだ来ていなかったが、室内はいつもと違って可愛らしい生花があちこちに飾られてあった。これはエリザが女官達と決めてメイドに飾り付けを頼んでいたものだった。
「あら花がいっぱいで可愛らしいわね」
「いつも通りといいましても、このくらいはしておこうと思いまして」
そうかと言ったアーサーは満足気だ。一同はいつもの席に着いた。エリザはいつもはアーサーの向かい側に座っていたのだが、今日はマリアに譲ることにして、隣の席へ座った。しばらくするとマリアがやって来た。
「お待たせ致しました」
「私達も今来たところなんです。さあおかけになってください」
アーサーが椅子を引いてマリアを座らせると、側近達も席に着いた。すでに一同は挨拶を済ませているので、食事が運ばれてくるまでの間、マリアの近況についてルカが話しはじめた。
「あと一ヶ月しましたら、王妃殿下自ら王妃教育を施してくださると聞きましたよ」
「そうなんですの。とても緊張しますわ」
「それから来週末にシャーリー殿下が一緒にお茶をどうかとおっしゃっておりましたが、いかがなさいますか?」
「まあ!是非ご一緒させてくださいませ!楽しみですわ!」
朗らかに笑うマリアがいるだけで、場の雰囲気がいつもよりも華やかでほんわかとした空気に包まれている。アーサーも満面の笑顔で、エリザも自然と笑顔になった。
「シャーリー殿下はまだ縁談の話はございませんの?」
「候補は何人か。選定されるのは当分先だと思う」
「そういえば側近の皆様も独身ですわよね?」
「そういえば一人も結婚してなかったわね。私も当分先かしら」
「そんな格好してたら一生婚期を逃しそうだな」
「あらルカに言われたくないわよ」
「ルカ様に縁談の話はございますの?」
何気なく聞いたマリアの質問に、ルカはまだですと短く首を左右に振った。ルカの顔から表情が抜け落ちて、その場がしんと静まる。マリアが空気を読んで、話題を変えようとエリザに目を留めた。
「エリザ様は確かご婚約されていたのですよね」
「ええ。婚約して式は挙げましたが、彼は戦地に行ったきり帰らぬ人となりました」
またもや暗い返事が返ってきて、マリアの顔が引きつった。
「私ったら、辛いことを聞いてしまいました。申しわけありません……」
マリアはしゅんと眉を下げた。エリザはしまったと思い、努めて明るい声を出した。
「とはいっても、元々戦地に行くことが決まった後での縁談でしたので、私は全て了承していたことなんです。それに、今でも婚約したことは一度も後悔したことはありません。結婚式を挙げられたことは、私の一生の思い出です」
「そうなんですね。……婚約者はどんな方でしたの?」
「私のことを心から気遣ってくれるとても優しい方でした。一緒にいる時間は短かったですけど、昔からの馴染みのように安心出来て、この人が婚約者でよかったと思いました。ウェディングドレスを着て綺麗だと言ってくれた時は浮かれてしまいましたわ。それもいい思い出です」
「幸せなご婚約だったのですね?」
「ええ。とても……とても幸せでした」
エリザは噛みしめるように言って微笑んだ。マリアはほっとしたように笑みを返した。
「結婚って、いいものなんですね」
「はい。とてもいいものだと思いますよ」
エリザは結局結婚出来なかったけれど、マリアとアーサーならば大丈夫だろう。お互いを支え合ういい夫婦になりそうだ。
ふと視線を感じて横を向くと、ルカが何か言いたげに見ていた。どうしたのか聞こうとしたところで、食事が運ばれてきて、ルカの視線が逸れた。
「まあ美味しそう!」
なんとなくしんみりとしていた空気が、豪勢な昼食がテーブルに並べられていくうちに、明るい雰囲気に戻っていった。
「昼間から気合が入ってるな」
「今日はマリア様がご一緒ですからね」
と、ユーリがにこりと微笑むと、料理の説明をはじめる。全ての説明が終わると、いつものようにエリザが一番にフォークとナイフを手に取った。
マリアはアーサーが手を出さないのを見て、毒見だと悟ったのだろう。行儀よく待っている。
エリザは前菜から順番に一口ずつ食べていった。その間、話題はウェディングドレスへと移った。オーガスタがどんなドレスを着たいかマリアに尋ねると、マリアは悩みながら言った。
「まだ何も考えておりませんけど、エリザ様はドレス選びがお上手ですから、ウェディングドレスの時も是非相談させてくださいませ」
「責任重大ですが、私でよければ」
「エリザ様がいるならば心強いですわ!」
はしゃぐマリアをアーサーは愛しそうに眺めている。オーガスタはにやにやとその様子を眺めていた。先程からルカは口数がぐっと減ってしまっていたが、自身の結婚について考えているのかもしれない。
あれからエレノアとの婚約話はどう進んでいるかは分からないが、仕事を休ませてほしいとか実家に帰るといった話はまだ出ていないことから、保留になっているのかもしれない。
そしてエレノアは、ルカのことをどう考えているのだろうか。結婚を受け入れるのだろうか。それが二人にとってよい結婚になり、幸せになれるのだろうか。
エリザはそっとフォークを置くと、ポタージュスープへと手を伸ばした。スプーンを手に取って、スープに浸す。じゃがいものスープ、ビシソワーズだ。とろりとしたスープを少量すくい取って口に運んだ。
口に入れて舌に乗せた瞬間、ピリリとした辛味を感じた。隠し味かと思ったが、こくりと喉に流し込んだ瞬間、強烈な違和感を感じた。鼻から抜けていく香りはスープではない酸味にも近い異臭。異物が混入していると気づいた時には遅かった。
エリザはスプーンを取り落とすと、膝の上に敷いていたナプキンで口元を覆って、口の中の物を吐き出した。それでも、すでに少量飲み込んでしまっている。
水の入ったグラスに手を伸ばした瞬間、口の中がどくどくと脈打った。次いで胃の中の物がせり上がってくる感覚。
吐く。吐かなければいけない。ぐぅっと吐き出した瞬間に、目眩がして机の上に倒れ込んだ。ガシャンと食器が落ちる音が響いた。
「エリザッ……?!」
「どうした!!」
喉が熱い。全身の毛穴が開き脂汗が滲み出る。呼吸がしにくい。ナプキンを離してうっすらとまぶたを開くと、吐瀉物に血が混じっていた。
どうして?
すでに毒見は済ませてあるはず。それに、この食器は王族専用のもので魔法がかけられてあるから、毒が混入していれば色が変わって分かるようになっているはずだ。
誰かが取り替えたのか?どうやって?誰を狙って?
アーサーかマリアか、それともここにいる全員か?
「ど、毒が……!」
「エリザ!吐き出せ!」
ルカの必死の声が響く。マリアが小さな悲鳴を上げた。医者を呼べとアーサーが叫んでいる。オーガスタが走っていく音。使用人達や護衛が異常事態を察知して、部屋になだれ込んできた。和やかな昼食会は一瞬にして騒然となった。
エリザはルカに抱き抱えられると、床に下ろされた。横向きにされて背中を叩かれ、吐く。水で口の中を注いでは吐くを繰り返したが、一度胃に収まった毒は即効性のものだったようで、胃の中で暴れ回っている。
胃が焼けるように熱い。やがて手足まで痺れてきて、感覚が麻痺してきた。浅い呼吸しか出来ずに、頭がくらくらする。
何度も吐いていると医者が到着したが、すでに気を失いかけていた。
その時、エリザの脳裏に様々なことが浮かんでは消えた。
毒見係でもしているのかと尋ねたジェーン。
女官長の周りによくない輩が寄ってくる可能性があるから、気をつけろと言ったアーノルド。
侍女に毒を盛られて以来信用できないと悩むアーサー。
過保護なまでに心配してくれるルカ。
困ったことになった。エリザがこのまま死んでしまったら、たくさんの人が傷つく。特にアーサーは、二度も毒を盛られたのだ。立ち直れずに、引きずることは確実だ。それだけはだめだと強く思ったが、意志の力だけではどうにもならない。
薄れゆく意識の中で、エリザはマチルダの声を思い出した。
「エリザ!こっちに来てはダメ!」
せっかく夢の中で忠告してくれたというのに、今更思い出しても遅いと思ったところで、全身から力が抜けた。
意識を手放す瞬間、エリザはルカの悲鳴を聞いた気がした。




