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痛み 2



 その日なんとか仕事を終えたエリザは、ルカとオーガスタと寮へと帰ると、食事をとって風呂を済ませ、早々にベッドに潜り込んだ。しかし、中々眠りにつくことが出来ない。


 考えるのはルカとエレノアの結婚のこと。

 ルカはあれから黙々と仕事をこなすと、口数少ないまま自室へと戻っていった。オーガスタから、祖父には頭が上がらないみたいねと聞いて、二人が結婚することはほとんど決定したようなものだと思った。


 しかし、ルカはあまり結婚に乗り気でないように思う。それがただ単に結婚そのものに興味がないからなのか、相手がエレノアだからなのか、アルフレッドに言われたからなのか、もっと他に理由があるのかはエリザには分からない。

 それでも、エリザはルカが結婚してしまうと思うと、苦しくてどうしようもなかった。


 眠れぬままベッドの中で寝返りを打っていたが、目が冴えてしまって眠れそうもないので、諦めたエリザは縫い物を少しだけ進めたが、それも集中出来なくて止めてしまった。


 カーテンを開けて外を伺えば、夜空に丸い満月が浮かんでいる。どうりで明るいわけだ。エリザは思い立って上着を着ると、寮の前庭へと降りて行った。



 外は少し肌寒かった。満月の明かりを頼りに庭に出て、一人で空を見上げる。薄い雲をまとった満月が、真っ暗な夜空にぽっかりと浮かんでいた。

 澄んだ空気を吸い込んで、幻想的な満月をただひたすらに眺めていると、その時だけは悩みを忘れることが出来た。

 しばらくそうしていると、寒くなってきた。ぶるりと身震いをして、上着を両手でかきあわせた時だった。


「綺麗だな……」


 ボソリと男の声がして、エリザははっとして振り返った。そこには、ルカが立っていた。寝間着の上から上着を着込んで、手には男物のストールを持っている。


「ルカ様……」


「部屋から見えたんだ。いくら月が綺麗だからって、夜分遅くに一人で出歩くのは危ないだろ」


 寒いし風邪も引くと言って、ルカはエリザの肩にストールを巻きつけた。ストールからはルカの匂いがした。


「そういうルカ様も。風邪を引きますよ」


「俺は大丈夫だよ。厚手の上着を着てきたから」


 エリザは月明かりに照らされたルカの横顔を仰ぎ見た。ルカは眠たげな目を真っ直ぐに月へ向けていた。

 ルカも眠れずに月を眺めていたのだろうか。ルカの顔を見ているだけで、胸が苦しくなった。

 せっかく忘れていられたのにと再び月を見上げると、ふいにルカが口を開いた。


「エリザ。そのブレスレットはアーノルドからもらったのか?」


 え、と隣を見やると、いつから見ていたのかルカと視線がかち合った。


「はい。西州へ行ったお土産にといただきました」


「今日、訓練所でアーノルドが手を振ってたろ。その時同じものをあいつもしてたから……そうかなと思ったんだが……その」


 と、ルカは躊躇うように視線を落とす。視線の先にはブレスレットがあって、エリザは手首を胸の辺りまで持ち上げた。すると、ルカの手が伸びてきて、ブレスレットごと手首を掴んだ。


「ルカ様……?あの……」


 意図が分からずに困惑するエリザとは反対に、ルカは怖いくらい真剣な顔をしていた。


「付き合ってるのか?……アーノルドと。少し前まではあんなにも嫌がってただろ。面倒だと言って」


「あの頃は。というか今も面倒ですが……。アーノルド様と私は……その、ゆ、友人になったのです」


 恥ずかしいけれど、なんとか言ったエリザに、ルカは眉根を寄せた。


「友人?本当に?」


「はい。アーノルド様には、助けられることが何度かありまして、その度に元気づけてもらって……。そうしてるうちに友人になりました」


「友人……そうか……」


 ルカはほっとしたような納得していないような、複雑な顔で何度か頷いたが、はっとしてエリザを睨めつけた。


「だけどあいつは女たらしだぞ。友人だと言ってエリザに近づいたんじゃないか?」


「いえ。私のことは女として見ていないと思います。痩せてて女らしくないと言っておりましたし、私が意見をはっきり言うのが珍しくて、貴重な意見を聞きたいとかで友人になったのです……」


「失礼な奴だな……」


 ルカはむっと顔をしかめたが、自分だって初対面の時に痩せてて好みじゃないと言ったことをすっかり忘れているようだ。


「まあとにかく、友人なんだな」


「ええ」


 ルカはそれを聞いてようやくエリザの手を離した。なんだか名残惜しいようなほっとしたような。

 複雑な気持ちを抱えて、行き場を失った手でストールを巻きつけるように腕を組んだ。

 暖かい。ルカの優しさを感じて、また少し胸が痛んだ。


「でも、アーノルド様の前向きなところは見習わないといけないと思うんです」


 ふっと微笑んだエリザを、ルカはじっと見下ろした。


「ルカ様は……」


 結婚するのかと聞こうとして、聞けずに口を噤んだ。そうだと答えが返ってくるのが怖くて、俯いた。


「どうした?」


 ルカが心配そうに顔を覗き込んできた。

 聞くのが怖いと思いながらも、知りたくてたまらない。聞けば傷つくと分かっている。それでも聞かずにはいられない。

 ぎゅっとストールを握りしめると、意を決して口を開いた。


「ルカ様はエレノア様と結婚されるのですか?」


 聞いた瞬間に後悔した。でももう遅い。

 ルカは小さく息を吐くと、ふいと視線を外した。


「あれは祖父が勝手に言ってるだけなんだよ。他の家族は本人の意思を尊重したいと言ってくれているし、何より俺もエレノアの意思を無視して結婚しようだなんて思ってない」


「エレノア様は結婚する気はないのでしょうか?」


「どうかな……。少なくともエレノアが嫌だと言うならば、この結婚は絶対にありえない」


「それじゃあ……エレノア様が了承したら、ルカ様は結婚するのですか?」


 しないと言ってくれたら。エリザは祈るような気持ちで聞いた。けれど、そんな答えが返ってくるはずもなく、ルカは短く頷いた。


「そう……なるな」


「……ルカ様は、それでいいのですか?」


「貴族の結婚なんてそんなものだろ」


「でも、エレノア様の気持ちを尊重されようとしていますよね?もしも、エレノア様に他に結婚したいという方が出来たら……」


 ルカは首を横に振った。


「それはない」


「それは、エレノア様がルカ様を好いているから……?」


「そうじゃない……。俺とエレノアが好きあってるとかそういったことはない。それはこの先もありえない」


 断言したルカは額に手を当てると、深いため息を吐き出した。眉間にしわを寄せて、苦しげに目を閉じるルカの顔を見ているだけで、エリザまで辛くなった。ルカにはそんな顔をしてもらいたくなかった。


「ルカ様は……幸せな結婚をしたいとは思わないのですか?」


「幸せな結婚……?」


 エリザはそこでようやく分かった気がした。

 かつて、リスターは言った。本当に愛する人を見つけて幸せになってほしいと。その気持ちが、今ならよく分かる。


「……私は、心から好きになった人には、幸せになってもらいたいと思っています。例え相手が自分でなくとも、真に愛する人と結婚して幸せになってほしい。投げやりになったり、結婚なんてそんなものだからと諦めてほしくありません」


 話しているうちに胸の痛みも、迷いや悲しみもどこかに消えていた。

 好きだと気づいた時から、失恋することは分かっていたし、想いを告げてルカを困らせたくなかった。同僚としての今の関係が壊れるのが怖かったからだ。

 でも、それはただ自分の気持ちから逃げていただけだ。臆病だから、弱虫だから、傷つきたくなかっただけ。


 それでも、ルカはエリザを強いと言ってくれた。強くありたいと思う。いつだって自分の気持ちから目を逸らさずに、胸を張っていたい。


 ルカが好きだ。手を伸ばして今すぐ捕まえて、自分のものにしたいくらいに。でも、それ以上にルカにはいつも笑っていてほしい。本当に愛する人の隣で、ずっと。それはエリザでなくていいから。

 ようやく、そう思うことが出来た。


 だから、とエリザは真っ向からルカを見据えた。


「ルカ様には、誰よりも幸せになってほしいんです。心から愛する人を見つけて、その人と幸せになってください。貴族だからといって、自分をないがしろにしないでください」


 それが、今のエリザに出来る精一杯の告白だった。

 ルカは何も言わなかった。目を大きくしてエリザを見返すと、曖昧に頷いた。


 それだけでエリザは充分だった。きっとルカに自分の気持ちは伝わったはずだ。言えてよかった。

 自分の気持ちに区切りをつけることが出来たエリザは、少しだけふっきれて胸のつかえが取れた気がした。


 エリザは小さく微笑んで、月を見上げた。いつだったか二人で見上げた半月とは、比べ物にならない輝きを放っていた。


「さ、寒くなってきました。そろそろ戻りましょう」


「ああ……」



 明日になれば、きっと何事もなかったかのように一日がはじまるだろう。だけど大丈夫。きっと明日も笑っておはようを言える。


「おやすみなさい」


「おやすみ」


 エリザはストールを返すと、ルカと別れて自室のベッドに潜り込んだ。そして、ルカが幸せになれるようにと、ブレスレットに願いを込めて眠りについた。




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