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残ったもの 2



 今朝からずっとエリザは資料が山積みになった机に向かっていた。昨日休んだ分の仕事がたんまり溜まっていたせいもあるが、今日からしばらくはいつもの手紙の代筆に加えて、アーサーの婚約を報せる手紙も書かなければいけない。

 恐らく今日はずっと手紙を書き続けることになる。まだ午前中だというのにすでに手が痛くなってきた。


 手を休めるために便箋を取りに書棚を開けると、いつもの淡い色味の便箋がごっそりなくなっていた。


「ああ……悪いなエリザ。その便箋は昨日使ってしまったんだ。急ぎのものが何件かあってな」


「そうでしたか……」


 高位貴族に宛てた手紙は便箋選びにも気を使う。相手がセンスある貴婦人だから、淡い色味に季節の花々の絵柄が入った便箋がよかったのだが、この手紙は今日中に出さなければいけない。

 どうしたものかと考えて、ふとウィリアムの顔が浮かんだ。国王夫妻が使用している便箋を少し分けてもらおう。思い立ったらすぐに行動と、エリザはウィリアムの下を訪ねた。




 久しぶりに見たウィリアムは、なんだか少し痩せて疲れているように見えたが、エリザが声をかけると明るい表情になった。エリザが便箋が欲しいことを告げると、快く了承して、キャロラインの執務室横にある、文具や書類を保管してある資料室まで同行してくれることになった。


 廊下を歩きながらウィリアムが気遣うように言った。


「エリザ。少し痩せましたか?」


「少しだけ。そういうウィリアム様も痩せましたね」


「少しだけ」


 二人は顔を見合わせて笑い合った。


「仕事が忙しいのですか?」


「それもあります。エリザが抜けた穴は大きかった。新しい侍女を三名雇いましたが、まだ教えている段階でてんてこまいです」


「申し訳ありません。私のせいで……」


「エリザのせいではないのだから、謝ることはありません。それだけエリザが一人で三人分くらい働いていたということです。それに、他にも理由があるんです……」


「理由とは?」


 ウィリアムは歩を止めると、辺りに誰もいないことを確認してから小声で言った。


「女官長です。最近浮き沈みが激しくて、使用人にあたる日が増えてきて……。侍女や女官から相談が相次いでいるんですよ」


 エリザの脳裏に、ルイーザが評判が悪いと愚痴をこぼしていたことが思い出された。


「王妃殿下が女官長を頼りにすることがなくなってきたのが原因だと思います。ドレスは侍女達と選ぶようになり、茶会や夜会の相談も女官長だけでなく、側近や女官達からも意見を聞くようになって、王妃殿下は変わられましたから」


 以前のキャロラインとジェーンは、共依存といってもいいくらい親密な関係で、キャロラインは何かあれば全てジェーンと相談して決めていた。その関係が崩れてきているのは、アーサーがキャロラインを諭したことからはじまったのかもしれない。


「女官長はご自分の立場が危ういと感じられているようです」


 エリザはため息を隠せなかった。

 元々ジェーンは、物腰は柔らかく見えても野心家である。伯爵令嬢から今の地位に登りつめたのも、キャロラインにうまく取り入ってきたからだ。そのキャロラインが自立してしまえば、ジェーンが不安になってあたり散らすのも無理はないのかもしれない。ただし、あたられるほうは堪ったものではない。

 ジェーンの評判は未だかつてない程悪くなっているのかもしれない。


「そうでしたか……。ウィリアム様は大丈夫ですか?辛くあたられていませんか?」


「私は大丈夫です。ただ、侍女達が心配ですね。それに、女官長本人もこのままではよくないでしょう」


「そうですか……。心配ですね」


 エリザが難しい顔をして黙り込むと、ウィリアムが行きましょうとエリザを促した。


「それにしてもエリザもなんだか元気がありませんね。何かあったのですか?」


 ウィリアムが顔を覗き込んできて、エリザは慌てた。


「私も少し仕事が立て込んでいて。疲れているだけです」


「異動したばかりですからね。そろそろ慣れてきた頃とはいえ気を張っているのかもしれませんね。無理はしていませんか?」


「はい」


 なんとかうまく誤魔化せたとほっとしていると、いつの間にか資料室の前に到着していた。


「送ってくださってありがとうございました。ここで大丈夫です。便箋は新しいのが入荷しましたらお届けします」


「そんなことをしなくても王室兼用だから大丈夫ですよ。それよりもエリザ。無理をして身体を壊さないように気をつけてくださいね」


「私はこう見えて病気ひとつしたことがないんですよ」


 一笑に付したエリザの両肩に、ウィリアムの手がぽんと乗せられた。ウィリアムは真剣な眼差しで言った。


「もしも……エリザが今の職場が辛いというならば、戻ってきてくれるように私が上に掛け合いますよ」


「そんな!アーサー殿下や側近の皆さんにはよくしてもらっていますので、本当に大丈夫ですから」


 エリザが小さく微笑むと、ウィリアムはようやく頷いて手を離した。


「エリザ。何かあればいつでも相談してくださいね」


「ありがとうございます」


 エリザが頭を下げると、ウィリアムは困ったように笑った。エリザが決して相談してこないと分かっているようだった。それでもこうして心配して声をかけてくれる優しさに、胸が温かくなった。


 ありがたくて、申し訳なくて、これだけ心配してくれる人がいるというのに、それでも胸に空いた穴は塞がらない。エリザは虚無感を必死に隠しながら、資料室へと足を踏み入れた。


 そして、書棚の中に並ぶ色とりどりの便箋の中から、萩の花の絵が入った淡い黄色のものと、黄花コスモスの柄の入った白い便箋を選んだ。どちらも上質な紙を使用しており、貴婦人受けしそうだ。

 これにしようと便箋を取り出して時計を見た。すでに十一時を回っていた。他にも仕事は山積みだ。急いで帰って手紙を書かないと時間がない。


 書棚をしめて歩き出そうとした時だった。資料室のドアが開かれて、そこからジェーンが入って来た。噂をすればなんとやら。

 ジェーンはエリザの姿を認めるなり、にこやかな笑顔を浮かべた。エリザは驚いて思わず後退しそうになったが、ぐっと堪えて頭を下げた。


「お久しぶりでございます。女官長」


「エリザ。本当に久しぶりね。さっきここに入って行くのが見えたから来てみたのよ」


 頭を上げたエリザに綺麗な微笑みを向けたまま、ジェーンは髪をかきあげた。エリザは女官長の姿を見て、内心驚きを隠せなかった。


 ジェーンは髪を結っていなかった。豊かな黒髪を背中に流したまま。化粧はいつもの明るく若々しいものではなくなっていた。

 はっきりと引かれた黒のアイラインに、ブラウンのアイシャドーに赤い口紅。

 ドレスは胸元の開いた灰がかった赤。靴は黒のヒール

に、ネックレスとイヤリングは大粒のブラックパール。


 今までの若々しいジェーンと打って変わって年相応だが、まるで夜会に出るような派手で妖艶な格好をしている。王宮内で仕事中に着るようなドレスではなかった。


「それにしてもエリザ……なんだかやつれたわね。アーサー殿下の下で働いていて、大変なのかしら?もしかして、殿下にいびられているのではなくて?」


 探るような視線に、エリザは慌てて首を振った。


「いえ。そんなことはありません。忙しいだけで、アーサー殿下をはじめ、側近の方々にもよくしていただいております」


「そう?エリザのことだから、皆からいいように使われているのではない?」


 気づかっているように見せかけて、柔らかな棘で刺されているような気分になって、エリザはいいえと首を振った。

 ジェーンはどこか不満げにそう?と首を傾げ、それから思いついたように口角を上げた。意地悪な笑顔だった。


「言いにくいことがあるなら、私が相談に乗るわよ。そうだわ。今日のお昼は一緒に取らない?愚痴ぐらい聞くわよ」


「ありがとうございます。ですが、お昼はアーサー殿下や側近の方々と一緒に取ると決まっておりますから」


「まあ……。もしかしてエリザ、毒見役でもしてるっていうの?」


「……そういうわけではありません。本来の毒見はきちんとおりますし。私は……」


「やだわ。冗談よ。でも、その様子じゃ図星みたいね」


「ただ、私が一番に食事に手を付けると提案しただけなんです」


 言った後で後悔した。ただ否定すればよかったのだが、アーサーを悪く言われている気がして反論するような形になってしまった。ジェーンは顔をしかめた。


「……アーサー殿下ったら、本当に疑り深いのね。侍女に毒を盛られたことがあるからって……」


 どうやらジェーンは、茶会で言い争いになってからアーサーをよく思っていないようだった。これはジェーンに餌を与えたことにはならないか。エリザはヒヤヒヤしてきた。


「ねえエリザ。アーサー殿下が嫌になったら、戻って来てくれて構わないのよ?」


 いつの間にかエリザの前までやってきたジェーンが、そっとエリザの手を取って微笑んだ。柔らかくてすべすべだが、冷たい手だった。

 ジェーンの微笑んだその目の奥に、言いようのない陰りを見た気がして、エリザはゾッとした。


 異動することになったそもそもの原因を作ったのはジェーンだというのに、戻ってきていいだなんてどうして言えるのか。ウィリアムとは打って変わって労りも気づかいもない言葉に、エリザはぐっと拳を握りしめた。


「お気づかいありがとうございます。ですが、私は大丈夫です。アーサー殿下には本当によくしてくださっていますから」


「そう……?それならいいんだけど」


 ぱっと手を離してエリザに背を向けたジェーンは、途端に興味を失ったようだった。そのままドアノブに手をかけると、思い出したように振り返った。


「確かにエリザが女官になれたのは、ある意味アーサー殿下のおかげですものね。王妃殿下の侍女のままだったら出世出来なかったろうし、よかったわね」


 一転して突き放したような言い草にエリザが絶句していると、ジェーンはさっさと部屋を後にした。バタンと大きな扉の音が響き渡った。


 取り残されたエリザは、しばらくその場に佇んで呆然として扉を見つめていた。

 

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