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困惑 1



 久しぶりの休日。チャーリー帽子店の作業場にて、エリザは作ってきた飾りをカカに見てもらっていた。


「こんなにたくさん作ってくれたの?ありがとうエリザ。でも仕事が変わって大変でしょう?無理しなくていいのよ」


「大丈夫です。仕事の合間に作ってますから。それにいい気分転換にもなるので」


 実際に、縫い物をしている時はルカのことや借金のことは考えずにいられるので、無理をしているという意識はまったくなかった。


「でも以前よりも休みは少ないんでしょ?」


 カカの言うとおり、エリザは現在十日に一度しか休暇がない。以前は五日に一度はあったので、半分に減ってしまったことになる。

 それは人員不足が原因で、出勤した分の給金はきちんと払ってもらえるので特に不満はないが、帽子店に来れる日は減ってしまった。


 店番は出来なくても、出来上がった飾りを持っていきたいところだが、王宮から店まで往復するには時間がかかる。休憩中に抜け出すのも難しいため、必然的に帽子店の仕事は減らしてもらっている状態だった。


「確かに急ぎのものは作れませんね」


「それなら、期日のないものにすればいいよ。エリザが飾りのデザインを考えて作ったものを持ってくるっていうのはどうだい?オーダーではなくて店売りのものを作ればいい」


 店のほうからチャーリーがやって来て言った。カカが、それはいいわねと手を叩いた。


「エリザもデザインからやってみたらいいのよ!よく考えてみたら、一から考えて作ったことってないでしょ?いい機会だから、やってみるといいわ!生地はこちらで指定して、エリザが作った飾りを見て、そこから私が帽子のデザインを考えるから!」


 いいアイディアだわ!とカカは嬉しそうだ。エリザも自分でデザイン出来ることにワクワクしてきた。


「そうと決まれば、早速生地選びをはじめましょう!秋の新作として売り出すのよ!」


 カカもエリザも張り切って生地を引っ張り出すと、二人でああでもないこうでもないと意見を交わした。



 昼時になって客足が途絶えたところで、仕入れに行っていたクロエが帰ってきたので、昼食にしようとチャーリーがクリームソースのパスタを作ってくれた。

 店の奥でテーブルを囲んでパスタを食べながら、クロエがそれにしてもと口を開いた。


「女官になれてよかったわよね。エリザが泣いて駆け込んで来た時はどうしようかと思ったけど、結果的に昇進出来てよかったわ」


「あら。私としてはうちの専属になってくれてもよかったのよ?」


「そうは言うけど、王宮勤めのほうが給金はいいだろうし、それにエリザは子爵令嬢なんだから」


 エリザは自分が子爵令嬢だということを忘れがちである。借金を抱えてからというもの、貴族としての矜持もほとんど持ち合わせていないので、もうほぼ平民といってもいい気がした。


「今はアーサー王子の女官なんでしょ?仕事は大変じゃない?」


「確かに大変なこともありますけど、職場の皆さんが親切に教えてくれるので」


「それならよかったわ。でも、嫌になったらうちに来てくれていいんだからね」


「はい。ありがとうございます」


 エリザは心から感謝した。皆から勇気をもらった気がして、エリザはお針子の仕事も手を抜かずに一生懸命やろうと決めた。




 帽子店での仕事を終えたエリザが帰宅すると、玄関にはデヴィッドの靴があった。まだ夕方だというのに今日は帰宅するのが早いと思っていると、シビルがやって来た。


「おかえりなさいお嬢様。旦那様はすでにお待ちですよ」


「お父様、今日は早いのね」


「本日は給金明細が出たようですからね。なんだか難しい顔をしてお嬢様をお待ちですよ」


「難しい顔?」


 エリザはここ最近は新しい仕事のことやルカのことで頭がいっぱいで、給金の計算をすることを忘れていたため、今日が給金日だということも失念していた。

 こんなことは未だかつてなかった。エリザは自分のことながらショックを受けた。


 ここ最近の自分は我ながらおかしかった。立て続けに様々なことがあったのは事実だが、エリザはとにかくお金を稼がなければいけないのだ。恋に浮かれたり沈んだりしている場合ではない。

 働いて借金を返す。そのことを決して忘れてはいけないと、自分を諌めた。


 居間へ行くと、デヴィッドが腕を組んで天井を睨んでいた。いつになく険しい顔をしているので、エリザは怪訝な顔をした。何があったのだろう。

 不安に思いながらデヴィッドの前に腰掛けると、デヴィッドがエリザに気づいて、小さな声でおかえりと言った。


「どうしたんですか?」


「エリザ。今朝方給金明細が届いた。エリザの分も私のところに届いている」


 エリザの給金はデヴィッドに管理してもらっているので、明細と給金はデヴィッドの下に届くようになっている。それは侍女の頃から変わっていない。


「そうですね。それで、どうでしたか?まさか給金が減ってたんですか?女官になりたてで試用期間扱いになったのかしら?」


「違う。とにかく見てみなさい」


 デヴィッドが机の上に明細を出した。エリザはそれを手に取って眺めた。

 出勤日数、残業手当、迷惑料と項目を目で追っていき、最後の総給金額を見て手が震えた。思わず明細を落としてしまって、エリザは震える声で呟いた。


「な、な、何これ、何かの間違いでは……?」


「私も確認したが、それで間違いないそうだ」


「でも……!」


 アーサーとキャロラインの親子喧嘩に巻き込まれた迷惑料、朝から晩まで働き詰めの日々の残業代、おまけに休日は月に三度だけ。

 出勤日は侍女の頃よりも圧倒的に多くて、女官の基本給は侍女よりも高額だ。それらを合計すると、今まで見たことがないような金額がそこに記載されていた。


 ……恐れ多い!

 エリザはガタガタ震えた。


「エリザ。落ち着きなさい。それはエリザの明細で、これが私の明細だ」


 ひらりと手渡されたデヴィッドの明細には、成功報酬なる項目が追記されていた。そこに記載された金額を見て、エリザはまたもや手が震えた。


「こ、これは何ですか?!」


「先月大きな仕事を任されてね。その仕事がうまくいったので、チャップマン財務大臣がボーナスをやろうとおっしゃっていたんだが……私は冗談だと思っていたんだ。しかし、冗談じゃなかったようだ」


「冗談みたいな金額ですわ。お父様、間違いでは?」


「確認したら、間違いなかったよ……」


 エリザもデヴィッドも黙り込んだ。

 もしかして、もしかしなくても、これだけ今月の給金が入れば生活費を抜きにしても、すぐ借金が返済出来るのではないか?


「お父様、残りの返済額は……?」


「計算してみたら、来月には全額返済出来ることになった……」


 またもや沈黙の後、シビルが夕食を持って来た。


「あらやだ。長い借金返済の日々がようやく終わるのですね!来月はお祝いしなければいけませんね!」


 明るい声でシビルが言って、グラタンをテーブルの上に置いた。何も答えないエリザとデヴィッドは、まるでお通夜のように俯いたままだ。


「あの……?新たに借金が出来たわけでもないのに、なぜそんなに暗い顔をしてるんですか?借金がなくなるのは喜ばしいことではありませんか!」


「そう……だな。そうだよな……」


「そう……ですね。とても喜ばしいことですね……」


「そうですよ!これからは節約しなくても普通に暮らしていけるんですよ?」


「そう、だよな……?」


「そう、ですよね……?」


 ははっと二人で乾いた笑い声をあげると、シビルは奇妙なものでも見たように眉根を寄せて、台所へと戻っていった。

 エリザとデヴィッドは二人で顔を見合わせると、神妙な顔つきに戻った。


「……お父様。来月は直接ランズダウン家に返済に伺うのでしょう?」


「ああ。改めて礼を言いにタウンハウスへ行くよ」


「その日は私もご一緒します。リスター様の墓参りにも行きたいですし」


 リスターの墓は、ランズダウンの北州の領地と、王都のタウンハウスに分墓があった。ここしばらく墓参りもしていなかったので、リスターには報告することが山程ある。


「そうだな。それじゃあ明日にでも休みの申請を出しておいてくれ。私も出しておくから」


「分かりました」


 エリザが返事をすると、デヴィッドは気の抜けた顔をしていた。ようやくあの莫大な借金を返す時がきて、エリザもデヴィッドも困惑を隠せなかった。


 母の病を治すために、ありとあらゆるものに縋りついて、騙されて、そうして出来た借金だ。

 十六歳の時にランズダウン家に肩代わりしてもらってから、およそ八年。親子共々、毎日必死で働いて返済してきた。それが、ようやく終わりかけている。


 借金が返済出来ることは、確かに嬉しいことだ。

 けれど、返済したその後は?

 借金がなくなって、それで何が残る?


 エリザは頭を振った。


 ――何も残らない。その結論に辿り着くことが急に怖くなって考えることをやめると、シビルが運んできたスープを受け取って、無心で夕食を食べはじめた。


 デヴィッドもまた、何も言わずに食事を食べ終えると、早々に帰ることにしたエリザを王宮まで送り届けて、難しい顔をしたまま帰っていった。



 エリザはぼんやりとしたまま、東の寮に続く回廊を歩いていた。日が落ちて暗くなった空を窓越しに見上げると、薄雲から半月が顔を覗かせていた。


 なんとなく夜空を見上げてのろのろ歩いていると、エリザと声をかけられて立ち止まった。

 振り返らなくても声で分かる。ルカだ。


「仕事終わりですか?」


「ああ。今日はエリザもいないし仕事が進まなくて、早々に終わりにしたんだ。エリザは家に帰ってたのか?」


「そうです」


「暗い中一人で歩いて帰ってきたのか?」


「いいえ。父に送ってもらいました」


「そうか。それならいい」


 ほっとしたようにルカが言うと、ふと空を見上げた。


「半月か」


「はい」


 それだけ言うと、しばし二人で月を見上げていた。


「どうした?元気ないな」


 唐突にルカが言った。エリザがルカへ向き直ると、ルカは真剣なまなざしでエリザを見下ろしていた。


「……そんなことありませんよ」


「嘘をつくな。分かってるんだからな」


 前にも聞いたセリフだ。エリザは気まずげに擦り傷の残る頬をかいた。


「なぜ……分かるんですか?」


「見りゃ分かる」


「私はそんなに分かりやすいですか?」


「ああ。よくそれで王妃と女官長を騙せたな」


「そう言われましても……」


 エリザが口ごもると、ルカはふっと微笑んだ。その笑顔に思わず見惚れていると、ルカが歩き出した。


「そろそろ行くぞ。食堂行って飯を食え」


 ルカの背を追いかけながら、エリザは慌てた。


「いえ。私は食事は自宅で済ませてきましたので!」


「嘘つけ」


「嘘じゃありませんよ!もう食べられません!」


「だったらデザートでも食べろよ」


「そんな……!」


「いいから、夕食に付き合えよ。今日はオーガスタもいないし、話したいことがあるなら聞くぞ」


 ルカがそんな風に言うものだから、エリザの心臓が飛び跳ねた。

 顔が赤くなっていないだろうか。嬉しい気持ちや愛しい感情が顔に出ていないだろうか。

 エリザは必死で鼓動をなだめながら、なんとか頷いた。


「ありがとうございます……。そう言っていただけるだけで、充分です」


「そうか」


 ぶっきらぼうに見せかけて、面倒見がよくて優しい。エレノアに言われなくても、エリザは知っている。いつだってルカは、エリザを気にかけてくれているから。


 だから、あまりルカの優しさに甘えてはいけない。甘えたら甘えた分だけ、ルカが離れていった時に辛くなる。ここまでだと、エリザはそっと線を引いた。


「でも、夕食には付き合えよ」


 はいと答えたエリザは、ルカと一緒に食堂へ向かった。


 結局エリザはルカに借金返済のことは話さなかったが、ルカと一緒にデザートを食べて雑談をしていたら、不安は頭から消えていた。



 

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