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羨望と自覚 3



 昼食を終えたエリザは、一人六華殿へ来ていた。

 昨夜の夜会は無事に終わったが、次は秋の園遊会が控えている。早速次回の園遊会に向けての資料を持っていくと、ロージーは忙しそうにしていて、大量の資料に囲まれて机に向かっていた。

 どうやら昨夜の警備の反省点をまとめているらしい。事務仕事が苦手なロージーは、心底まいった風に頭をかいた。


「うちも事務仕事をしてくれる補佐を頼もうかな……。エリザ嬢。うちに異動しないかい?」


 とロージーは冗談を言った。エリザは苦笑しながら資料の説明をすると、新たに資料を受け取った。それから軽い打ち合わせを済ませると、去り際にロージーがエリザを呼び止めた。


「さっきの話だが、君ならいつでも歓迎するよ。ルカが嫌になったらうちにおいで」


 ひらりと手をふられて、エリザは笑って返した。



 六華殿を出て訓練所前の廊下を歩きながら、エリザは先程の会話を思い出していた。

 ロージーは冗談で言ったのだろうが、このままルカの補佐を続けていて辛くなったら、異動願いを出してもいいかもしれないと頭の片隅で考えた。


 例えば、ルカがエレノアと婚約したら、エリザはルカの傍にいることに耐えられないかもしれない。その時は、本当にロージーの補佐になってしまおうか。


 エリザは逃げ道がほしかった。初めての恋は失恋が決定している。いざルカを目の前にすれば、恋心がバレないように隠すのに必死で、この気持ちをどこにしまえばいいのか分からない。いっそのことどこかに閉じ込めて、二度と出てこないようにしたかった。


「それが出来たら……」


 はあと大きなため息を吐き出した時、背後から足音が聞こえてきた。


「エリザ!」


 聞き覚えのある声は、アーノルドのものだ。

 またかと思いつつ振り返った時、エリザの足が何かを踏みつけた。それがタオルだと気づいた時には遅かった。ずるりと足をとられたエリザはバランスを崩すと、訓練所前の花壇のほうへと前のめりに倒れ込んだ。


 花壇に咲いていた姫ヒマワリが、エリザに押しつぶされてひしゃげた。そしてエリザ本人は、手にしていた資料を守ろうとして肘と膝から倒れ込み、制服を思い切り汚していた。ついでに頬も擦ってしまい土がこべりついた。

 しかも、昨夜雨が降ったせいで、花壇の土はぬかるんでいたため、エリザは悲惨な状況に陥っていた。不幸中の幸いで、資料は無事だった。


「大丈夫か?!エリザ!」


「大丈夫……ではありません……」


 アーノルドがエリザの両脇に手を差し入れて起こしてくれた。その場に座り込んだエリザは、肘と膝がヒリヒリと痛んで顔をしかめた。制服はドロドロだった。


 ツイてない……。何やってるんだか。

 思わずエリザは、アーノルドのせいにしてしまいたくなって、アーノルドを睨みつけた。


「私が呼び止めたせいだな。悪かったよ。まさか転ぶとは思わなかったんだ」


 素直にアーノルドが謝るものだから、エリザはアーノルドのせいにしようとした自分を恥じた。


「いえ、私が鈍臭いだけですから……」


「ひどい格好だ。とにかく着替えて怪我の手当をしよう」


「寮へ戻ります」


 エリザがなんとか立ち上がると、アーノルドが支えながら言った。


「そのドロドロの格好で東の寮まで行っていたら、廊下が汚れてしまうよ。私の部屋の浴室で泥を落としていけばいい」


 確かに廊下は汚れてしまうが、部屋に行くのはさすがに躊躇していると、アーノルドはエリザの肩に手を回して支えながら歩き出した。歩くと少し膝がピリピリと傷んだ。擦りむいたのかもしれない。


「騎士団の寮はここからなら外を通って行けるんだ。私の部屋は一階の角部屋だから、庭から入ればどこも汚さないで済む」


「でも、着替えがありません」


「メイドのお仕着せならある」


「……なぜ?」


「一年前に恋人が置いていったままでね」


「それ、返したほうがいいですよ」


「とっくに彼女は辞めたよ」


 無言でアーノルドを責めるように睨みつけると、アーノルドは手を上げた。


「別の男とデキて出て行ったのさ。今頃田舎で子育てでもしてるよ」


 今度は同情の目でアーノルドを見上げると、彼は無言で首を振った。




 結局、エリザはアーノルドの部屋の浴室を借りることにした。制服を脱いで軽く手足と顔の泥を落とすと、案の定膝と肘は擦りむいていたが、大したことはなさそうなので、そのままアーノルドが用意したメイドのお仕着せへと着替えた。


 浴室を出ると、アーノルドは自室のベッドに腰掛けて待っていた。


「お仕着せもよく似合うね」


「そうでしょうか……。それよりも、ありがとうございました」


「いいんだよ。ああ、化粧を直していくかい?元恋人達が置いていったものがある」


「いえ。結構です。あと、それ処分したほうがいいですよ。今の恋人が怒りますよ」


「今は特定の恋人はいないんだ」


 エリザにはどうでもいい情報だったので、そうですかと冷たく言い放った。


「それよりも、頬に薬を塗ったほうがいい。擦り傷になっている。ちょっと待ってくれ」


 アーノルドはタンスの中を漁り出す。エリザは待っている間、部屋の中を見渡した。

 意外にも、アーノルドの部屋は殺風景で、最低限の家具しかなかった。生活感に乏しいのは騎士だからか、男だからか。男性の部屋に入るのが初めてのエリザには分からなくて、珍しかった。


「あったよ。自分ではよく見えないだろう。塗ってあげるから座って」


 ぼんやりしていたエリザは、言われるがままにベッドに腰掛けた。アーノルドが前屈みになって、人差し指で塗り薬をすくって頬に塗る。


 いつものエリザならば、自分でやると抵抗するところだが、連日の疲れやルカのこと、転んで制服をだめにしたことなどで、頭が回らなかった。

 それでも、すぐ傍に綺麗なアーノルドの顔があるものだから、エリザは気恥ずかしくなって目を閉じた。見ないでおけばどうにかなる。


「綺麗な肌に傷が残ったらどうするんだい?」


 大丈夫ですと答えると、アーノルドは苦笑した。


「髪にも泥がついてるよ」


 言われて目を開けると、アーノルドがタオルを手にしてエリザの前髪を拭きだした。

 エリザはなんとなくアーノルドの髪に目を留めた。日に当たった髪は、まるで夕陽のように鮮やかな橙色をしていて綺麗だった。エリザの凡庸な茶髪とは大違いだ。


「アーノルド様はなぜ髪を伸ばしているのですか?」


「美しいからさ」


「確かに綺麗な髪ですが、短いほうがもっとかっこいいと思いますが……」


 例えばルカみたいなと言いかけて、エリザは口を閉じた。また思考がルカへと辿り着いてしまった。考えないようにしていたのに。


 アーノルドがタオルを離した隙に、エリザは立ち上がると頭を下げた。あまりゆっくりしていては、皆が心配する。戻らなければいけない。


「もう大丈夫です。ありがとうございました」


「送ろうか?」


「いえ。大丈夫です。あ、このお仕着せは家政婦長に返しておきますね」


「悪いね!」


 爽やかに笑ったアーノルドは、庭の外に出てエリザに手を振った。エリザは制服と資料を抱えながら、なんとなく頭を下げてその場を立ち去る。寮を出る際に振り返ってみると、まだ手を振っていた。


 本当に女には愛想のいい男である。しかし、その優しさに今日は助けられた。

 エリザはふと思い出すと、女官の制服のポケットから飴玉を取り出して、口へと放り込んだ。


「甘い……」


 口の中に広がったチョコレートの味に、思わずエリザの顔が綻んだ。本当に、少しだけ元気が出た気がした。




 お仕着せのまま執務室へ帰ってきたエリザを見て、一同が目を丸くした。


「どうしたの?」


「おい。頬怪我してるぞ!」 


 ルカが慌てて駆け寄ってきて、エリザの頬を見て目を見開いた。ルカは頬に触れようとして、既のところで手を止めると、心配そうな目でエリザの目を覗き込んできた。エリザは恥ずかしくなってそっと視線を落とした。


「薬を塗ってもらったので大丈夫です。少し転んでしまいまして、泥だらけになったのでメイドのお仕着せをお借りしたんです」


 アーノルドに、とは言わなかった。


「あ、受け取った資料は無事ですよ!」


 綺麗な資料を封筒から抜き出してルカに差し出したが、ルカはそれを取り上げると、乱暴に机に放り投げた。


「そんなものはどうでもいい!他に怪我はしてないか?!」


 ルカに両肩を掴まれて勢いよく聞かれて、エリザは思わず膝を見下ろした。


「膝か?すぐに医務室へ行ってこい。跡が残ったら大変だ」


「そんな大袈裟な。少し擦りむいただけですから」


「ダメだ。今すぐ行け!」


 ルカが怒ったように言うものだから、エリザは半ば追い出されるようにして医務室へと向かった。



 医務室へとやって来ると、以前診てくれた医者がエリザを出迎えてくれた。


「さっき猛スピードで手紙が飛んできたよ。エリザ嬢が怪我をしてるからすぐに手当てをしろとね。ホーキンス卿は君の保護者か何かかな?」


 エリザは恥ずかしくなって頬を染めると、いえと首を振った。


「では恋人かい?よほど君が心配らしい」


「違いますけど、なぜか過保護なんです」


「大切にされてるね」


 くすくすと医者が笑って、治療をはじめた。エリザは恥ずかしいのと同時に、ルカに心配されて嬉しくもあった。


 こんなことで喜んでしまうなんて、どうしたらルカへの気持ちを閉じこめることが出来るのだろう。いくら考えても、答えは見つからないままだ。



 エリザが治療を終えて戻ると、ルカにどんな治療を受けたのかしつこく聞かれた。ただ消毒をしてもらっただけなのに、医者に適切な治療だったか手紙を飛ばそうとしたものだから、慌てて止めた。なんとかルカに納得してもらうと、エリザは着替える時間がもったいなくて、そのままの格好で仕事を再開した。



 その日、ルカは仕事を終えると、寮の食堂へ無理やりエリザを連れて行って、夕食を食べるように命じた。


「これからは仕事の日は一緒に夕食をとることにする。でないと、エリザは食べてないのに食べたと嘘をつくからな」


「そこまでしなくても……食べてますよ」


「嘘をつくな。分かってるんだからな」


 ピシャリと言われて、エリザは小さくなった。


 その後エリザは、必死で夕食を完食した。胃がぱんぱんになって苦しかったが、やはりルカに心配されるのは嬉しくて仕方がなかった。ルカへの気持ちは膨れ上がる一方で、エリザにはどうすることもできなかった。



 

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