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羨望と自覚 2



 夜会の翌日。深夜に雨が降ったせいか、朝から湿気を孕んだ空気は重く、肌にまとわりつくようで暑苦しかった。


 エリザはいつも通りの時間に起きると、汗を拭いてから着替えて、帽子の飾りを作った。

 明日は朝からチャーリー帽子店へ納品へ行く。どうにか頼まれていた飾りは全て仕上げることが出来たので、ほっとして食堂へと降りた。

 それから食堂でパンを一枚食べると、早々に執務室へと向かったのだが、その足取りは重かった。


 昨夜からずっと、ルカとエレノアが楽しげに踊る姿が頭から離れないのだ。エリザは自分の気持ちに気づいてしまったことに後悔していた。

 何も気づかずにいたら、いつも通りにルカと過ごせたのに。でも、あんな二人を見てしまったら気づかずにはいられなかった。今でも胸は鈍く痛んでいるのだ。


 どうしたものかと、大きなため息を吐き出した時だった。


「朝からため息だなんて。どうしたんだい?エリザ」


 アーノルドがいつの間にかエリザの隣に並んで歩いていた。エリザがいえ……と気の抜けた返事をすると、心配そうにエリザの顔を覗きこんできた。


「思えば昨日も元気がなかったね。疲れが溜まってるのかい?」


「そうかもしれません」


「今朝はきちんと朝食を食べたのかい?」


「はい食べましたよ」


「休める時はきちんと休まないとだめだよ」


「大丈夫です。折を見て休んでいますから」


 と、エリザはにべもない。アーノルドは眉を下げて困った顔をしていたが、ふと思いついて制服のポケットをまさぐると、中から飴玉を取り出してエリザに差し出した。


「これを舐めると元気になれるよ」


「えっ?!変な薬ではありませんよね?」


 疑わしい目でアーノルドを見やれば、アーノルドは慌てて言った。


「まさか!ただの飴玉だよ。それにしても、私はそんなに信用ならないかい?」


「そういうわけでは……ある、かもしれません」


「本当に……君は相変わらずひどいな。それはね、今城下で人気の菓子店のものさ。チョコレート味だそうだ」


 エリザはチョコレートが好きで、ついつい手が伸びた。飴玉を受け取ったエリザを見て満足したアーノルドは、エリザの頭をぽんと叩くと、元気を出してと言いおいて去って行った。

 エリザはなんとなくアーノルドの背中を見送ってから、もらった飴玉をポケットの中へとしまった。


 アーノルドは鬱陶しい男だが、やはり悪い男ではない。むしろ、結構いいやつなのかもしれない。




 エリザが執務室へとやって来ると、いつも朝早くから掃除をしてくれている通いのメイドがいた。一緒になって掃除をしてから、メイドが持ってきてくれた花を花瓶に活ける。掃除が終わって出て行ったメイドを見届けてから、机に向かった。


「朝から暑いな」


 資料の整理に没頭していると、いつの間にかルカが執務室へと入ってきていた。ルカはどことなく疲れた様子で、前髪が変な方向にはねている。


 ルカの姿を見るなり、エリザの心臓はどくどくと鼓動を鳴らして、顔はかっと赤くなった。それと同時に、胸に鈍い痛みが走る。

 好きだと自覚してしまったため、どんな顔をしてルカと話したらいいのか分からなくて、エリザは俯いて挨拶をした。


「どうした?顔が赤いぞ。熱でもあるのか?」


 ルカは無遠慮にエリザの顔を覗きこむと、そっと額に触れてきた。驚いて固まるエリザに、ルカは熱はないなといって手を離すと、隣の席へと腰掛けた。


 エリザはルカの手の温度が額に張りついたまま離れなくて、しばらくぼうっとしてしまった。

 しかし寝癖が気になるので、ルカの横顔をそっと覗き見ると、遠慮がちに言った。


「寝癖がついてますよ」


「あ?ああ……どうでもいいが」


 ルカは前髪を乱暴に撫でつけると、机に向かってしまう。まだ寝癖は直っていなかった。エリザはどぎまぎしながら櫛を取り出すと、ルカに差し出した。


「どこだ?直してくれ」

 

 ルカがエリザのほうに向き直ると、そっと目を閉じた。

 長いまつ毛。嫌味なほど綺麗な顔。黒い艷やかな髪。好きだと気づいてしまえば、ルカの全てがかっこよくて愛しく思えて困った。


 エリザは心臓の音がルカに聞こえやしないかと、ヒヤヒヤしながらそっとルカの前髪を梳かした。ぴょんとはねた前髪を内側から丁寧に梳かしてやると、寝癖は収まった。


「直りましたよ」


「悪いな。ありがとう」


「いえ。昨夜は遅かったでしょうに、早いですね。ご自宅から出勤されたのですか?」


「ああ。実家にいると両親がうるさいから、早起きして抜け出してきたんだ。仕事も山積みだしな。エリザだって昨夜は最後までいたんだろ?きちんと寝たのか?」


「はい。ぐっすりと眠りました」


 嘘だった。昨夜は布団に入ってからも、ルカとエレノアのことを考えていたら中々眠れなかった。それでも毎朝起きている時間に目が覚めて、案外と身体は元気だから安心した。


「それならいいが、きちんと食べてるのか?なんだか少し痩せたんじゃないか?」


「そうでしょうか?」


 アーノルドにも言われたが、エリザに痩せた自覚はなかった。ただ暑さのせいもあってか、相変わらず食欲はあまりなかった。食べなければいけないとは思うが、胃が受けつけないからどうしようもなかった。


「健康管理には気をつけろよ。倒れたら元も子もないぞ」


 相変わらず食事のこととなると、ルカはやや過保護である。

 しれっとはいと答えて、エリザは机へと向かった。ルカはしばらくエリザを眺めていたが、やがて仕事をはじめた。


 エリザは今まで通りにルカと接しようと決めていたが、やはり本人を目の前にしたら、緊張や恥ずかしさ、愛しさと叶わない恋への虚しさ等がないまぜになって、複雑な心境に陥っていた。


 それでも、この先ずっと同僚として一緒に仕事をしていかなければならない。ルカと並んで仕事が出来ることは幸せだったが、辛くもあった。

 しかし仕事だ。給金をもらうためだと割り切るしかない。エリザは自分を励ましながら、仕事に集中しようと努めた。



 それからオーガスタが出勤し、帝王学の授業を終えてアーサーがやって来ると、すぐに昼食になった。

 小食堂へと移動して昼食をとりながら、エリザは昨夜ティント伯爵令嬢について見聞きしてきたことを報告した。次いで、オーガスタが他の令嬢の報告をはじめた。


「東のバルマー伯爵令嬢は、近々婚約発表をするそうよ。お相手は第二騎士団副団長ですって」


「なんだ。そうなのか。知らなかったな……」


「身分違いの恋というやつでね。ギリギリまで黙っていたそうよ。ロマンチックな話よねぇ!」


 オーガスタは手を組んでうっとりとしている。白けたルカが、催促するように言った。


「それで、他はどうだったんだ?」


「他のご令嬢達も、着々と縁談の話がきてるみたいね。まだ本決まりじゃないけど。婚約者のいない伯爵令嬢はティント伯爵令嬢くらいね。ティント辺境伯は娘を溺愛していて、嫁ぎ先は慎重に選んでいるみたいなのよ」


 父親に溺愛されていると聞いて、アーサーはわずかに顔をしかめた。


「あ、それから例の最有力候補だったご令嬢三人だけど、エリザの言うとおりあれはダメね。親が偉大だと子はひねくれちゃうのかしらね。あの三人はやめたほうがよさそうよ。わがまま、頭でっかち、バカといった具合だから、王妃教育に耐えられないと思うわよ」


 なんともひどい言い草だったが、確かにとエリザは頷いてしまった。


「そうか……」


 エリザとオーガスタの報告を聞いたアーサーは、難しい顔をして考えこんでいる。食事もあまり進んでいないようで、エリザは心配になった。


「殿下、そう焦らずにもう少し陛下や王妃殿下と相談しながら決めていきませんか?」


「そうは言ってもな。そうこうしてる間に婚約されたらかなわない。あまり時間もないんだ」


「それはそうですが、思いつめるのはよくありませんよ。一度ご相談してみませんか?何事も性急すぎるのはよくありません」


 エリザが言うと、アーサーは沈黙した。


「陛下と王妃殿下はアーサー殿下の気持ちを尊重して、婚約者の選定をアーサー殿下主導にしてくださったのですよね?」


「そういうことになるな」


「しかし、本来は政略結婚というのは親が決めるものです。貴族や王族に生まれた子に決定権はほとんどありません。それなのに、王妃殿下はアーサー殿下に恋愛結婚をしてほしいと願っていました。王妃殿下はアーサー殿下にも、自分達のように幸せな結婚をしてもらいたいのです」


「……側室の子でも?」


 試すようにアーサーが尋ねた。エリザは真正面からアーサーを見返すと、しっかりと頷いた。


「もちろんです。これは押しつけではありません。親の願いなんだと思います。ですから、一緒に決めていければいいと、私は思います」


 余計なお世話だとは思いますがとエリザが頭を下げると、アーサーは俯いた。切り分けたまま手をつけていない鹿肉のステーキを見下ろして、アーサーはぽつりと言った。


「そうだな……それじゃあ今夜の夕食の時に相談してみよう」


 アーサーが小さく言って、食事を再開した。

 エリザは元気よくはいと答えて、小さく微笑んだ。


 

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