羨望と自覚 1
国王主催の夜会当日。
エリザは夜会会場の片隅で、会場入りをはじめた貴族達の案内をしていた。
夜会が開かれる会場は、中庭に面した蘭玉の大広間である。王族主催の盛大な夜会は大抵この大広間が使われ、壇上には王族専用のボックス席がある。
他にもダンスが出来る大ホールやカードやボードゲームの出来る小広間、食事がとれたり、疲れた時に休憩が出来るスペース等が大ホールを囲むように併設されており、中庭が覗けるバルコニーもある。
会場のそこここに生花や美術品が飾られ、天井は魔法によって夜空に満天の星が浮かんでいるように見える。
大ホールには楽団が控えており、会場のあちこちには使用人と護衛騎士が等間隔に控えていた。
エリザはあまりに規模が大きい夜会を目にして、少しばかり緊張していた。侍女の頃は基本的に裏方業務ばかりしてきたので、こういった華やかなところに来ると気後れしてしまうのだ。女官の制服を着ているから浮くことはないが、それでも自分は場違いだと思った。
とはいえ、今回の夜会ではアーサー自ら任務を言い渡されているので、場違いだからといってさっさと帰るわけにもいかない。
エリザは周囲に気を配り、なんとか会場に溶け込もうと努めながら、招待客の案内を続けていた。それが終わると、ファンファーレが鳴り響き、楽団が演奏をはじめる。いよいよ王族の登場である。
国王夫妻が会場入りすると、アーサーとシャーリーが次いで入場した。会場が声援と拍手に包まれる。
国王は白の正装姿で、隣に並ぶキャロラインは、胸元が大きく開いた濃紺のドレスを着ていた。
髪は夜会巻きにまとめて、濃紺のヘッドドレスを付けている。指にはサファイアの指輪。ネックレスとイヤリングも揃いのものだ。シルバーの靴はヒールのかかと側に細かなサファイアが散りばめられている。
品よくまとめてあり、何よりキャロラインによく合うドレスだった。侍女達がキャロラインと一緒に選んだのだろう。王妃然としたキャロラインにホッとして、今度はアーサーを見やった。
アーサーもまた白の正装姿であったが、カフスはエリザが選んだものだ。ユーリが、たまには若い女性に選んでもらえばいいと言って、アーサーに内緒で選ばせてもらったのだ。
アーサーと同じ色の目のカフスはさ程目立たないが、アーサーが手を振ると、照明が反射してキラリと輝いた。
見えにくいところにこそお洒落をしないと。マチルダの口癖を思い出したエリザは、アーサーによく似合っていると満足すると、今度は隣に並ぶシャーリーに目を留めた。
シャーリーは、パステルブルーのドレスを着ていた。ボリュームのあるスカートにはレースがふんだんに使われて、胸元と腰に大きなリボンが付いている。髪は白いリボンと一緒に編み込まれていて、全体的に少女趣味だ。
シャーリーは今年十三歳になるが、背が高く細くてすらりとしているために大人っぽい印象だ。
目元が涼やかで鼻が高く、唇は薄い。顎の線も細くて、可愛らしいというよりも綺麗な顔立ちをしている。
対して、シャーリーのドレスは幼いデザインだ。
背の高いシャーリーならば、スカートは膨らんでいないストンとしたもの、例えばエンパイアドレスやアイラインドレス等にして、色はもっと濃い色のほうが似合うのではと思った。
もちろん、シャーリーは美少女なので、今のドレスも似合わないというわけではない。
しかし一体誰が見繕ったのだろう。ドレスにうるさいエリザは少し気になった。
そんなことを考えている内に、夜会ははじまっていた。招待客達は給仕係からグラスを受け取り、料理を取りに行ったり挨拶を交わしたりと、それぞれ楽しんでいる。
ふとアーサーを見やると、アーサーはジロリとエリザを見返した。それで本来の仕事を思い出したエリザは、アーサーの後方でウィンクしているアーノルドを無視して、とっととティント伯爵令嬢を探すことにした。
とはいえ人が多いので、とりあえず若者が集まっているところへ向かう。人並みをくぐり抜け、お手洗いの場所を聞かれたり、飲み物を取ってくるように言われたりと時間をとられながらも、会場の端で同年代の若い令嬢数人と会話に花を咲かせているティント伯爵令嬢を見つけた。
エリザはそっと近づくと、飲み物のおかわりが必要ないか尋ねた。
「いえ。大丈夫ですわ。もう少ししたらダンスもはじまりますし」
丁寧に断ったのは、ティント伯爵令嬢のマリア。齢十七歳。焦げ茶色の髪を内巻きのボブ風にして、ぱっちりとした緑の目をした、優しげな顔立ちをした娘だ。
「何かありましたらいつでも声をかけてくださいませ」
「ありがとう」
にこりと笑うマリアからそっと離れると、エリザは死角となる柱の影に立って会話に耳を向けることにした。
「セレナ様はもう婚約者が決まったのよね。羨ましいわ。私はお父様がもたもたしているから、まだまだ先になると思うわ」
「あら、それなら私も同じよ」
「マリア様ならばいい縁談の話が舞い込んで来てるのではありませんか?」
「それが、西州内で婚姻を結べばいいか東州に目を向けるか悩んでいるみたいなの。あの調子じゃ、私は行き遅れてしまうかも」
マリアがおどけたように言うと、わっと笑い声が上がる。
「マリア様ならば大丈夫ですわよ」
「そうですわ。きっといい縁談がきますわ!」
令嬢達はその後もきゃっきゃと婚約話に花を咲かせていたが、いつしか各領地の話題へと切り替わっていった。
「今年は西州のぶどうは不作でしたわよね。梅雨が長かったせいで、半分以上腐ってしまって……うちのお父様も頭を悩ませていましたわ」
「雨が長かったせいで、夏に水不足にはならずにすみそうですし、水かさが増したことによって魚が大漁に採れたりと、利もあったのですけどね。西州で目玉のぶどうが採れないのは痛いですわね」
「他の何かで補填しないとなりませんわね。幸い麦に影響はなさそうですし、北州のように観光に力を入れようと、街道の整備も進んでいるおかげで、観光客は増加傾向にありますけど」
どうやら集まっていたのは西州に領地を持つ貴族令嬢達のようで、十代にしては難しい話題を続けている。中でもマリアは自分なりの考えを持っているようで、他の令嬢達よりも頭一つ分抜けて頭がよく回るようだった。
その上、ルカが言っていたように、西州の令嬢達は親共々結束力が強いようだ。自分達の領地に関する情報を分け合い助け合っているのが、会話を耳にしてよく分かった。
マリア・ティント伯爵令嬢。今まで見てきた十代の令嬢の中では、一番安心してアーサーに薦められる令嬢だと結論づけて、エリザはその場を離れた。
エリザがアーサーのところに戻ってくると、アーノルドがエリザに気づいてやって来た。そっと隣に並んだアーノルドにどこへ行っていたのか聞かれて、ちょっとと言葉を濁す。
「アーサー殿下は大丈夫でしたか?」
「問題ないよ。殿下は警戒心が強いから、警護するのが楽だからね」
アーサーはたくさんの招待客に笑顔を向けて、何やら会話に花を咲かせている。ように見えるが、目の奥は警戒心でギラついている。相変わらずだなとエリザは内心で苦笑した。
「それにしてもエリザ。少し痩せたか?」
「……そうですか?」
「食事はきちんととったほうがいい」
とってますよと言いつつも、エリザの声は小さかった。アーノルドの言うとおり、最近夕食をあまり食べていなかった。昼食は皆で食べるからきちんととるのだが、夜になると食欲がわかないのだ。
「それならいいが、あまり無理をしないこと。あ、もうそろそろダンスがはじまるみたいだ」
楽団達の前に司会者が現れて、ダンスのはじまりを告げた。するとホールにわらわらと人が集まり出した。
アーサーも誰かと踊るのだろうと思っていたが、エリザのほうへやって来ると、足が痛いから休むと言い出した。仕方がないので、エリザはアーノルドと共に壇上にある王族専用の席へ向かった。
アーサーは笑顔を引き剥がすと、ホールを見下ろしてため息混じりに言った。
「あそこにいたらダンスに誘ってほしい令嬢達が群がってくるからな。ここにいれば誰も上がってこれないだろ」
「その言い方はちょっと……」
「殿下。可愛らしいご令嬢達を虫のように言うのはどうかと思いますが」
「うるさいアーノルド。お前は誰も上がって来れないように見張ってろ」
はっ、と言って敬礼したアーノルドは、背筋をぴんと伸ばして階下へと目を向けている。外見は立派で見目麗しい騎士である。実際にホールからは、アーノルドを見上げて黄色い声を上げている令嬢や貴婦人達の姿が見えた。
「それでエリザ。収穫はあったのか?」
ふいにアーサーに話しかけられて、エリザはアーサーの傍に寄った。
「はい。頭の回転が早く、自領や周辺の領地のことも考えて気を配れる、とても聡明な方とお見受け致しました」
「そうか……。オーガスタは他を調べていることだし、詳しい話はまた今度にしよう。だが、いざ彼女を選ぶとなると、貴族間のパワーバランスが大きく変動するかもしれないな」
「誰と結婚しても、変動すると思います」
「……何?」
「あ、いえ。出過ぎたことを」
エリザはつい本音を漏らしてしまって慌てたが、アーサーはくすりと笑って手を振った。
「いや、まあ確かにその通りだ。このまま足踏みしていても仕方がないんだがな……」
アーサーが深いため息を吐き出した。義理の母親とは歩み寄りをはじめたものの、まだまだ悩みの多い難しい年頃のようだ。
「十六歳の誕生日には、婚約者を決めないとな」
アーサーがぽつりと零した時、楽団の演奏がはじまった。いつの間にかホールに集まった男女が、一斉に踊り出す。
エリザもそちらに目を向けると、ホールの端で目を留めた。
黒い正装姿に髪を後ろに撫でつけて、ぴんと背筋を伸ばして踊るのは、ルカだった。一緒になって踊るのは、淡い黄色いのドレスに身を包んだエレノアだった。
エレノアは、髪は垂らしたまま耳元にガーベラの花飾りをつけている。ドレスの胸元とスカートの裾には細かなガーベラの刺繍が入っていて、エレノアが踊る度に、スカートの裾がふわふわと揺れている。
華やかで可憐なエレノアと、洗練されたルカが踊る様は、優雅で美しかった。
エリザの胸がずきりと傷んだ。咄嗟に胸に手を当てて、深呼吸する。落ち着けと言い聞かせながらも、食い入るように踊る二人を見ていると、それに気づいたアーサーが言った。
「エレノアがデビューした頃から、ああしてルカがエスコートしてはファーストダンスを踊っているんだ。ダンスの練習もルカが小さい頃から付き合ってやっていたらしい」
「エスコートはグリメット伯爵から頼まれたと伺いましたが……」
「そうだな。グリメット伯爵はルカを気に入っていて、幼い頃からエレノアと結婚して婿養子にならないかと言っていたそうだ。二人共未だに婚約者が決まっていないが、エレノアが成人するまでには、二人が婚約してもおかしくないな」
それを聞いて、エリザは言葉を失う程驚いた。いや、それは驚きというよりも失望だった。
決してエリザは、ルカに何かを期待していたわけではない。エリザにとってルカはよき上司で、エリザを窮地から救ってくれた恩人でもあり、嘘をついた共犯者でもあった。
けれど、一緒にいるうちにいつしかルカに気持ちが傾いていき、気づけば目で追って、ルカのことを考えていた。一緒にいると頼もしくて、楽しくて、胸が踊った。
そしてエレノアが現れてからは、胸がざわめいて苦しい気持ちになり、今は心臓が脈を打つ度に痛みが走っている。
「そうですか……。とても、お似合いですものね……」
消え入りそうな声で呟いて、エリザは笑いあって踊る二人を見つめて、ぎゅっと拳を握りしめた。
リスターのことを思い出す。
リスターと共に過ごした日々は、短くも楽しいばかりだった。出逢いから別れまで、リスターもエリザも笑ってばかりいた。
今までエリザは、リスターに抱いたのが恋心なのか分からないでいた。しかし、今なら分かる。あれは恋ではなかった。
恋とは、嫉妬と羨望と失望に満ちている。好きになろうとして相手を好きになるものではない。気づかぬ間に、叶わないと分かっていながら好きになってしまう。恋とは苦しいものだった。
エリザは、ルカへ恋をしてしまったことを自覚すると同時に、初めて誰かを羨ましいと思った。
エレノアのように、自分も伯爵令嬢としてあの場にいられたなら、ルカと踊れていたのだろうか。
もしもまだマチルダが生きていて、ノースグリンの伯爵令嬢でいられたなら、ルカに縁談を申し込めただろうか。
そんな、出来もしない想像をして、エリザは落ち込んだ。
それは、決して叶うことのない夢だった。




