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金勘定する侍女 2



 エリザの父デヴィッド・ハーディスは、かつては伯爵位を持っていた。

 

 かつての領地北州にあるノースグリンは、半分以上は牧草地であり、放牧が盛んな所だった。夏は涼しくて冬は寒く、自然豊かで、麦を作り羊を飼うのどかな農村地帯でありながら、観光地としても人気だった。


 しかし、ある時ハーディス家は借金を作ってしまい、最終的には伯爵位を返上することになった。

 デヴィッドは元々伯爵位の他に子爵位も賜っており、現在は宮廷貴族として財務大臣の下で働いている。


 そういう事情があり、ハーディス親子は借金返済のために、身を粉にして働いている。

 だからエリザは、一にもニにも金のことばかり考えている。頭には金のことしかないと言っても過言ではない。



 エリザは仕事の合間を縫って、茶葉の伝票リストを作成した。それを午前の内にさっさと女官へ渡してしまうと、夕方と言っていたにも関わらずその場でチップをくれた。


 もちろん誰にも見られないように給湯室でやり取りしている。女官は助かったと礼を言い、エリザもこちらこそ助かると思いながら別れた。



 それからエリザとニーナは使用人食堂で簡単なブランチを済ませた後、城下の扇子工房へと向かった。


 王室御用達の扇子工房は、王宮から徒歩二十分程のところにある。代々王侯貴族が利用している老舗だ。


 小さな門扉を潜り、花壇が両脇に並ぶ玄関までの小道を歩く。後ろを歩くニーナは、物珍しそうにキョロキョロと辺りを見渡していた。


「こちらの工房は初めてかしら?」


「はい。扇子はいつもは商会から買っていましたので。エリザ様は何度かこちらに?」


「そうね。侍女になってから年に一度は必ず来るわね」


「エリザ様が侍女になってから何年経つのですか?」


「ニーナと同じで学園を卒業して行儀見習いとして入ったから……今年で八年目になるわね」


 自分で言って驚いた。八年も侍女をしていたなんて。これはそろそろお役御免になる可能性大だ。その時に向けて、今から次の仕事の目処をつけておかなければいけない。


「八年も!すごいですわ!」


 ニーナは憧れの目でエリザを見ているが、そんな大したものではない。

 行儀見習いが入ると仕事を教えてあげてと教育係を押しつけられ、嫌な仕事もほいほい請け負ってくれる、ただの使い勝手のいい裏方侍女だ。とはさすがに言えなくて、エリザは誤魔化すように笑って、玄関の引き戸に手をかけた。


 玄関を入るとすぐにカウンターがあり、奥の扉から白髪の老人が顔を出した。老人はエリザを見るなり笑顔になった。


「いらっしゃい。エリザ嬢が取りに来ると思ってましたよ」


「ご無沙汰しております。モーリスさん」


 小柄で枯れ木みたいに細い手をした老人の名は、モーリス。扇子一筋でやって来た腕利きの職人である。


 モーリスは部屋の壁を取り囲むように並んだ棚から木箱を取り出すと、カウンターに置いた。


「一度中身を改めてもらいましょうか」


 モーリスがのんびりとした口調で言って、木箱を開けて扇子を広げてみせると、ニーナが感銘の声を漏らした。


 クリーム色のシルク地に、額縁にはレースを組み合わせた半透明の扇子には、色とりどりの蝶が描かれている。扇の骨には螺鈿細工が施され、角度を変えると虹色に変わって見えた。表と裏でデザインが異なる部分があり、かなり凝っている。


「なんて美しい扇子!お一人で製作したのですか?」


「私はデザインと絵の担当をしておりましてね。職人を何人か抱えております。私一人では出来ません」


「モーリスさんの工房は国一番ですわ」


 照れながらモーリスは扇子を木箱へとしまうと、丁寧に布で包んだ。それから伝票を書くためにペンを取ると、軽い調子でエリザに話しかける。


「エリザ嬢がデビューする時にうちで扇子を作らせてもらったんですが、シルクと白鳥の羽根を組み合わせた扇子は、エリザ嬢にピッタリで似合っていましたよ」


「まあ。そうでしたの?」


「ええ……。とっても素敵な扇子でしたわ」


 それはハーディス家がまだ借金をこさえていない伯爵家時代の話である。思えばあの頃は幸せだったと思い出に浸りかけたところで、モーリスが言った。


「あの扇子は今でも使ってますか?」


 エリザはギクリとしたが、平静を装った。


「二十四歳にもなった私にはあの頃の初々しさはありませんから、持てなくて。それにもったいなくて使えませんわ」


「そんなことはありません。今でもよく似合うと思いますよ。次の夜会の時に是非持っていってください」


 エリザはうふふと照れたように笑って誤魔化した。

 まさかとっくの昔に売り払ったとは口が裂けても言えない。何も知らないモーリスの笑顔に罪悪感が募った。


 エリザには夜会に出る金銭的な余裕は欠片もない。そんな事情を知らないモーリスに、お金がないから無理ですとも言えないので、ニーナもここで作ってもらうといいわと言って、なんとか話題を変えて乗り切った。


 工房を出たエリザは嘘をついたせいか、なんだかどっと疲れてしまった。そんなエリザを見て、ニーナが荷物を持つと言って気遣ってくれるものだから、その純粋な心に少しだけ救われた。



 エリザは王宮へと戻ると、ニーナを休憩に行かせて一人でジェーンの書斎へと向かった。

 ジェーンに伝票と扇子の入った木箱を渡すと、中身を改めたジェーンは満足げに微笑んだ。


「やっぱりモーリスの扇子が一番ね。時間はかかるけどこちらの想像以上のものを作ってくれるんだから。エリザ、扇子を衣装部屋へしまっておいてくれる?」


「かしこまりました」


「それから明日のドレスの受け渡しの時に、一緒に来て欲しいのだけど。恐らく午後からになると思うわ」


「かしこまりました。午後にまた伺います」


「よろしくね」


 では失礼しますと頭を下げると、ジェーンが思い出したように声をかけてきた。


「エリザ。あなた侍女は何年目だったかしら?」


 来た、とエリザは思った。

 一瞬返事をするのを忘れて間が空いたが、八年目ですとなんとか答えた。


「あら。もうそんなにも経つのね。時間が過ぎるのは早いものね。あなた、今年で何歳?」


「二十四歳です……」


 エリザは服の下で冷や汗が出るのを感じた。


「まだまだ若いわね。あなたはよく働いてくれてるから、ついつい甘えてしまうのだけど、許してね」


「とんでもありません」


「そう?それじゃあ明日はよろしくね」


 話はそれで終わりだった。

 エリザは書斎を出ると、喉を鳴らしてつばを飲み込んだ。握り込んだ手がじんわりと汗をかいている。


 今のは解雇予告だろうか。だとしたら早急に手を打たねばならない。エリザは思い立ったらすぐ行動するタイプだ。


 その足で家政婦長のローザの下へ向かうと、適当に仕事の話をした後で、思いきって切り出した。


「私メイドの仕事も出来ますよ!」


「ああ。エリザは働き者ですからね。なんでも出来るでしょう」


「もしも私が侍女をお役御免になりましたら、メイドとして雇っていただけないでしょうか?」


 ローザは目を大きくして、え?と戸惑いを露わにした。


 ローザは五十代のベテランだ。

 幼少の頃から王宮に勤めており、今では王宮内のメイドを統括する立場にある。

 くるくるの赤毛に、顔のあちこちにそばかすが散らばり、大きな口を開けてよく笑う。恰幅がいい肝っ玉母さんといった風貌をしている。


 ローザは女性使用人達から信頼が厚く頼りにされているので、相談を受けることは多いだろうが、まさか管轄外の侍女のエリザからこんな話をされるとは思ってもみなかったのだろう。


「なんだってまあ……そんなこと。エリザなら女官になれるんじゃないのかい?」


「そんなわけがありません。子爵令嬢の私は出世レースにさえ参加出来ません。侍女をクビになったら新たに仕事を探さないといけないのです。だからどうぞその時がきましたら雇ってくださいませんか?」


「と言われてもねえ……」


 ローザは困ったようにポリポリと頬をかいた。


「メイドになるってことは給金も減るけどいいのかい?」


「もちろんです」


「まあ……こちらとしてはエリザが来てくれたらありがたいんだけど、辞め方にもよるね。侍女を雇ってるのは王妃殿下だからね。上手いこと許可を得たらそうしてもらって構わないけど、辞めようによってはこっちでも雇えないわよ」


 年齢の理由で侍女を辞めることになったらメイドになれるが、それ以外、例えば王妃の機嫌を損ねようものならば王宮で雇えないということか。


「是非ともよろしくお願いします」


 丁寧に頭を下げると、ローザは呆れたように大袈裟だねぇと笑ったが、エリザは必死だった。

 いつ解雇されてもいいように、準備はしておかなければいけない。


 エリザはその後、料理長と庭師にも会いに行き、侍女を辞めることになったら雇ってもらえないか聞いて回った。

 誰もがはじめは了承してくれたが、結局王妃の許可があればいいよと締めくくられて終わってしまった。

 エリザはなんともいえない気持ちで仕事へ戻っていった。




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[良い点] ひっち(筆致) [一言] 既に面白いうわ完結してる読み進めねば感想はまた後ほど! 完結乙です!
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