面倒な男 2
エリザが一人で第三騎士団長のロージーに警備資料を渡しに六華殿へと赴いた帰り道。運のないことに、訓練所の前でアーノルドに捕まってしまった。
アーノルドとは、一週間前に勝手に友人にされて以来会っていなかったのだが、相変わらずアーノルドはエリザが忙しいと言っても聞く耳を持たずに後をついてくる。鬱陶しいことないが、アーノルドが気にした様子はない。
「ねえエリザ。団長に聞いたのだけど、君は以前は王妃殿下の侍女だったんだって?」
「それが何か?」
「君が衣装を選んでいたと聞いたのだけど」
「そうですが」
「今の王妃の噂を知らないのかい?」
「噂?」
思わずエリザが足を止めると、アーノルドはにこりと微笑んだ。
「ようやく私の顔を見てくれたね。どうだい?一週間ぶりの私は。美しさに磨きがかかっているだろう?」
「さあ。私には何も変わっていないように見えますが」
「相変わらず君はつれないね……」
「それよりも先程の話を」
「そうそう。最近の王妃殿下はセンスがなくなった、という噂だよ」
「それはどういう……?」
センスがなくなった?
エリザが首を傾げていると、アーノルドが前髪をかきあげて言った。
「以前アーサー殿下の護衛で夕食に追従した時に、王妃殿下を見たのだけどね。以前とは随分趣きを変えた衣装を着ておいでだったよ。あれは私の趣味ではないな。以前のような派手すぎないほうがよかったのだけど」
「どういった衣装を着ておいでだったのです?」
「そうだねぇ……。ま、自分の目で確かめたほうがいいよ。私の口からはなんとも。君がアーサー殿下の女官になって、衣装を選ぶ侍女が代わって趣味もガラリと変わってしまったのかもしれないが、誰かが進言してさしあげたほうがいいと、私は思うよ」
それを聞いて、エリザは尚更どんな格好をしているのか気になって仕方がなくなった。しかし、あんなことがあったのだから王妃に会いに行くのも気まずい。
ここは、毎日夕食を共にしているアーサーに聞くのが一番だと思い、アーノルドと別れたエリザは、執務室へと急いで戻った。そして資料を渡すついでに、アーサーに尋ねた。
「母上の衣装?ああ……ここ最近急に雰囲気が変わったな。そういえば以前はエリザが衣装選びを担当していたのだな」
「それで、その……どういった衣装を着ておいでなのですか?」
「どう、と言われてもな。どうした?そんなにも気になるのか?」
「ええ。王妃殿下には王妃らしい、素敵なドレスを着ていただきたいのです。貴族の女性にとって、ドレスはとても重要なもので、騎士にとっての鎧のようなものです。ましてや王妃殿下というお立場の方が、他者から笑われたり嘲られたりするようなドレスを着ていてはならないのです」
エリザがあまりにも真剣に訴えるものだから、アーサーは考える素振りをしてから首をひねった。
「男の私にはうまく説明出来ない。以前のほうがよかったとしか言いようがないな」
そうですよねと俯いたエリザに、オーガスタが声をかけた。
「明日のお茶の時間に王妃殿下に呼ばれていたでしょう?その場にエリザを連れて行ったらどうですか?」
「私は構わないが、それだとエリザのほうが気まずいのではないか?」
確かにアーサーの言うとおりだったが、エリザはそれ以上に王妃殿下の衣装のほうが気になったので、同行させてもらうことにした。
「ところで、どんなお茶会なのですか?」
「父上が母上ともう少し話し合ったほうがいいと言ってな……。私はそんな場は必要ないと言ったのだが……」
アーサーはばつが悪そうに眉を寄せた。ルカがすかさず言う。
「あれこれ話し合って仲良くしろという陛下の気づかいだろ」
「それが無用な気づかいだと言うのだ」
「シャーリー王女殿下は王妃殿下と仲良くしているのに、なぜアーサーはそれが出来ないんだろうな」
「異性だからよ。女は結託したら強いしねぇ」
「うるさい!いいから仕事をしろ!」
アーサーが一喝したことで、エリザはそそくさと自分の机へと戻った。そして持ってきた資料をルカへと手渡すと、自分の仕事へと戻った。
翌日、エリザはアーサーとオーガスタ、ユーリと共にキャロラインの指定したサロンへと出向いた。
エリザ達がサロンへと入ると、すでにそこにはキャロラインの姿があった。背後にはルイーザの姿もある。ルイーザはエリザを見つけるなり、目配せしてこっそりと微笑んだ。それにエリザも笑みで応えた。
「お待たせ致しました。母上」
「アーサー。忙しいのにわざわざ来てくれてありがとう」
アーサーがテーブルへと向かう背中越しに、エリザは扉の前でこっそりと様子を伺った。そして、キャロラインの格好を見るなり、目を瞠った。
キャロラインは淡い黄色を基調とした、桃色や紫色の小花が散りばめられたドレスを着ていた。靴は薄桃色。編み込まれた髪には、小ぶりの花が散りばめられている。首には花をモチーフにしたネックレスを下げていた。
アーノルドが言っていた意味が分かった。キャロラインのドレスやネックレスは、どう見ても若い女性が着るもので、四十代のキャロラインが着るデザインではない。色味もデビューしたての令嬢が着るようなパステルカラーだ。
キャロラインは美しい。しかし、美しいからといって若い女性のドレスが似合うというわけではない。
王妃という立場上、着るものは注視される。かつて何度もキャロラインが流行を生み出し、憧れの対象として見られてきたのだ。
そのキャロラインが、若作りもいいところ。若い令嬢達の流行にのるようなドレスを着るだなんて。
エリザは呆然とした。なぜこんなドレスを?誰が用意したのだろう。
「母上……今日はまた、シャーリーが着るようなドレスを着ているのですね」
エリザの心を読んだようにアーサーが言うと、キャロラインは頬を赤らめて頷いた。
「ジェーンが選んでくれたのだけど、ちょっと若すぎるかしらね」
それでエリザは合点がいった。ジェーンもまたキャロラインに負けず劣らず美しく、常に若い女性が着るようなドレスを身にまとっていた。流行に敏感で、どんなドレスも着こなしてみせる。
しかし、キャロラインにもそれを押し付けるのは、違うのではないか。キャロラインは王妃なのだから、王妃に相応しいドレスを着るべきだ。
「皆が似合うと言うから、ついつい嬉しくなって着ちゃったのだけど」
「そうですか。しかし、母上は王妃なのです。今のような可愛らしい装いよりも、王妃然とした大人の女性らしい綺麗なドレスのほうが私は好きです」
アーサーがはっきりと言ったものだから、エリザは驚いた。母親に面と向かって何も言えないものだとばかり思っていたのだが、今日はどうやら違うらしい。
昨日は気づかいなど必要ないと言っていたが、アーサーなりに王妃に歩み寄ろうとしているのかもしれない。
「そうよね。年相応じゃなかったわよね。恥ずかしいわ……。以前はエリザが用意してくれたものを着ていたでしょう?エリザがあなたの使用人になってからは、皆衣装選びに四苦八苦していたようなの。それを見兼ねたジェーンが選ぶようになったのだけど」
「女官長は確かに見た目がお若いですが、自分が似合うからといって母上に同じ趣味のドレスを着せるのは違うのでは?」
またもやエリザの心の声を代弁したアーサーは、ちらりとエリザを見やった。
「ちなみに、本日はエリザを連れてまいりましたよ」
「まあ!エリザ!女官の制服を着ていたから誰だか分からなかったわ!」
ぱっと顔を明るくしたキャロラインが、エリザに傍に来るように手招きした。エリザは王妃の下まで来ると、丁寧にお辞儀して挨拶をした。
「お久しぶりでございます」
「エリザには恥ずかしい姿を見せてしまったわね。皆私に本音を話してくれないから、思いきり若作りしちゃったわよ」
「いえ。私が急に辞めてしまったものだから、皆様に迷惑をかけてしまったようです」
「そうさせたのは私のせいでもあるから。改めて、あなた達には申し訳ないことをしたわ。アーサーのためにと考えすぎて突っ走ってしまって、本当に反省しているの。あの時はジェーンに助言されて、いい提案だと思っていたんだけど、間違いだったわ。二人には迷惑をかけてしまったわね。本当にごめんなさい」
がっくりと肩を落としたキャロラインに、エリザはお気になさらないでくださいと声をかけたが、アーサーは眉を寄せた。
「母上は、随分と女官長を頼りにされていますね」
「ええ。昔から助けられてばかりだもの」
「しかし、もう少し母上は人の意見に流されずに、ご自分の意志をしっかり持ったほうがいいと思います。前回の件も、今回のドレスの件もそうです」
息子に説教されたキャロラインは、そうねと肩を縮こませた。エリザはヒヤヒヤしてきた。この流れでまたもや親子の溝が開いてしまったらどうしよう。
しかしエリザの心配をよそに、アーサーはしょげる母親にアドバイスを送った。
「これからは、母上が着るものを決めてはいかがでしょう?」
「私が?」
「そうです。侍女が選んだドレスの中から、母上が一番いいと思ったものを選ぶのです。侍女や女官に任せっきりにするのではなく、靴やアクセサリーも一緒になって選んでみてはどうですか」
「それは……いい提案ね!それじゃあ、私が選んだドレスが似合っているかどうか、アーサーが夕食の時に意見を聞かせてくれる?」
「はい。私でよければ」
驚いたことに、アーサーはにこりとキャロラインに微笑んでみせた。これには、アーサーの使用人一同が驚きを隠せずにぽかんとした表情になった。オーガスタに至っては、ひえっと声まで出した。それを、アーサーがジロリと睨みつけた。
「それなら私、早速夕食には侍女達と選んだドレスを着ていくわね!ルイーザ。手伝ってくれる?」
「もちろんです」
キャロラインに笑顔が戻ってきた。エリザは安堵すると、この先は親子水入らずで話をしようという流れになり、使用人一同はサロン横の控室へと移動した。
控室に入るなりルイーザがやって来ると、エリザに小声で訴えた。
「エリザ様がいなくなって、本当に大変だったんですから。仕事に関してはもちろん。皆今までエリザ様に任せていた仕事をやらなきゃいけなくなって、てんやわんや。まあ、今まで人任せにしていたツケが一気に回ってきただけなんですけどね」
「それで、どうして女官長が衣装を決めることになったの?」
「それが、王妃殿下はああ言ってましたけど、私達もエリザ様に習って一生懸命ドレスを決めていたんです。自分で言うのもなんですけど、皆おしゃれだしセンスがいいから結構楽しんでいたんですけど、謹慎がとけて出勤した女官長が、ドレスが地味だと言い出して……。それでいつの間にか女官長が決めることになって、あんな若者のドレスを引っ張り出してくるようになったんですよ」
口を尖らせたルイーザの顔は険しい。ジェーンへの不満が滲み出ていた。
「アーサー殿下が諌めてくれなかったら、まだあんなドレスを着続けていたのかもしれません。女官長には誰も逆らえませんからね。……こんな所で言うのもなんですが、エリザ様が去ってから、女官長は侍女からよく思われていません。はっきり言って、評判は悪いです」
よくも悪くも、ジェーンは出世意欲が強い。そのために、キャロラインにうまく取り入って、他者を押し退けて出世街道を駆け上がってきた。だからこそ同僚には厳しい。
エリザに圧力をかけたように、他の侍女にも圧力をかけているのかもしれない。そう思うと、残してきた同僚達が心配になった。
「でも、王妃殿下が女官長から自立してくれたなら、少し状況が変わっていくかもしれません。それに期待します」
そうだといいと、エリザは頷いた。
茶会が無事に終了して執務室へと帰る道中、エリザはアーサーに礼を言った。
「先程はありがとうございました」
「何がだ?」
「アーサー殿下は、私の心の声を代弁してくださいました」
「ドレスの件か」
「はい」
「大したことではない。前からよくないなと思っていたんだ。エリザに伽をさせようと言い出したのも、あんな若作りを勧めたのも女官長だ。母上は昔から女官長に依存気味で、言われたらそのまま鵜呑みにして突っ走るんだ。根が素直だからな。だから、少しずつ変わってくれたらと思っただけだ」
前を歩いていたアーサーが歩を止めると、エリザのほうへと振り返る。その顔は不思議そうだった。
「それにしても、なぜエリザが礼を言うんだ?」
「私は元王妃付きの侍女ですし、侍女が言いたくても言えなかったことを、アーサー殿下がおっしゃってくれたのです。侍女達は皆感謝していると思います。ありがとうございました」
にこりと微笑むと、アーサーはぷいとそっぽを向いて、別にと呟いた。それを見たユーリとオーガスタが顔を見合わせて破顔した。エリザもなんだか可笑しくなって、三人でこっそりと笑いあっていると、アーサーがそれに気づいて顔を赤くした。
「おい、笑うな!」
ムキになって怒るアーサーがなんだか可愛くて、エリザはくすくすと声を殺して笑った。




