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面倒な男 1



 エリザがアーサーの側近補佐の仕事に就いてから十日が過ぎた。


 日が暮れて辺りが薄暗くなりはじめた頃、執事が夕食を告げにアーサーを迎えに来た。アーサーはまだ仕事が残っているので席を離れたくなさそうだったが、王族で揃って夕食をとることが決められているため、渋々出ていった。


 執務室にはオーガスタとルカとエリザの三人が取り残された。机の上にはやりかけの仕事がたんまり積まれている。これを週末までに全て片付けないといけないと思うと、ため息しか出ない。


 エリザは少しずつ仕事を覚えはじめていたが、まだ慣れないために手紙を書くのも資料を作るのも一々時間がかかってしまう。

 その上連日遅くまで仕事をしているせいで、疲れが溜まって仕事が捗らなくなっていた。


 そんなエリザに気づいたルカが、隣から声をかけてきた。


「エリザ、切りのいいところで先に帰っていいぞ。今朝も早かったんだろ?たまにはゆっくりしろよ」


「ですが……」


「このまま仕事をしても明日に響くだけだ。見直しはしておくから、後は任せて先に帰れ」


「……そうですか。では、お先に失礼します」


 ルカの気づかいが嬉しい以上に申し訳なくて、エリザは自分の力不足を痛感しながら、執務室を後にした。


 肩を落として夕焼け色に染まった廊下を一人歩く。

 毎日金勘定をしていた頃が懐かしいと思った。異動してからまったく借金について考える暇もなかった。


 初めてする仕事だから、即戦力になれるだなんて思ってなかったが、せめて皆の仕事がスムーズにいくようにサポート出来たらいいのにと思う。しかし、今のエリザは与えられた仕事で手一杯だった。

 それどころか、分からないところがあればルカに聞かなければいけないために、一々ルカの手を止めてしまう。ルカの足を引っ張っていないだろうかと思うと、申し訳なくて仕方がなかった。


 侍女の頃は皆から頼りにされていたのに、今のエリザは無力である。とはいえ、ルカやオーガスタは助かると言ってくれるし、以前と比べて仕事がしやすいとアーサーも褒めてくれるようになった。まだ、あの疑り深い目で見られてはいるから、心から信用されているとは言えないが。


 せっかく女官になれたのだから、早く一人前になって以前のように頼りにされたい。そうなるには、もっと頑張らないといけない。

 そうと決めたら、明日はもっと早く出勤しよう。エリザがしゃんと背筋を伸ばした時だった。


「エリザ!」


 呼ばれて振り返った先には、若いメイドの肩を抱いて歩み寄ってくるアーノルドの姿があった。

 エリザは内心でげえっと顔をしかめた。まさかこんな所で遭遇するとは思っていなかった。ツイてないなとげんなりしていると、アーノルドは満面の笑みでエリザの前までやって来た。完全に逃げるタイミングを失っていた。


「ようやく会えたね。この間訓練所の前を歩いていたろ?声をかけたんだけど、私の声が聞こえなかったかな?」


「はい。全然まったく聞こえませんでした」


 エリザがきっぱりと答えると、アーノルドはなるほどと頷いて、一緒にいたメイドに先に行くように言った。メイドはちらりとエリザを見やると、分かったわと愛想よく去っていった。しかしエリザを見る目は鋭かった。

 取り残されたエリザは、やはり誰にでも手を出す男だと眉をひそめた。


「この間怪我をさせたことをきちんと謝らせてくれないかな。君を守れなかったこと、本当に悪かったよ」


「いえ。その件はもう気にしておりませんので。謝罪も受けましたし、気にしないでください」


「私が気にするんだよ。お詫びに食事に連れて行くよ。城下に最近出来た料理店が人気でね。そこを予約しよう。いつ空いてる?」


 こ、この人何で勝手に話を進めてるの?!

 気にするなって言ったのは聞こえてなかったの?!


「あの、本当に結構です。お気遣いは無用です。それに、私は多忙で時間も取れませんので。お詫びならば慰謝料もいただきましたから。それで終わりにしてください」


「それでは私の気がすまないんだよ」


 そっちの気なんて知るかとエリザは内心で悪態をついたが、アーノルドはエリザの気持ちなど知る由もなくどんどん話を進める。


「夕食が無理ならば、仕事が終わってからバーに行こうか。お酒だけでも飲みに行こう」


「申し訳ありませんが、私お酒は苦手ですから。本当に結構です」


 これで話は終わりだと言わんばかりに背を向けて歩き出すと、案の定アーノルドが追いかけてきた。


「では、昼食を一緒にどうだい?」


「昼食は決められた時間に、決められた場所で取らなければならないと決まっておりますから」


「それなら……」


 と、アーノルドは突然エリザの手首を掴んだ。強制的に引き止められたエリザが振り向くと、目前にアーノルドの顔が迫っていた。


「今夜、私の部屋に来ないかい?」


「先程の方が待っているのでは?」


「彼女とはいつでも会えるからね。君とは今夜だけだ」


 エリザは無言でアーノルドを見上げた。

 この男は何を言っているのか。自分が一番好きで他者に興味がないとルカが言っていたはずだが、その上ここまで女たらしだとは。女ならば誰でもいいのか?


 どうしたものかと、エリザは言葉を探した。この男の勘違いをどうやったら正せるのか考えを巡らせていると、アーノルドの顔がぐっと寄せられた。

 こいつ……遠回しに言っても分からないのならば、ストレートに言ってやろうじゃないか。


「アーノルド様。女が皆あなたを好きだと思ったら大間違いですよ」


 間近にあるアーノルドの目が驚きに見開かれた。


「私はあなたよりももっと素敵な男性を何人も知っております。そちらの方々は、女性の話を聞かずに強引に食事に誘ったり、ましてや部屋に招き入れるような野蛮な方ではございません。騎士ならば、もっと紳士になっていただきたいものです」


 アーノルドはぽかんと口を開けた。今までこんなことを言われたことがなかったのだろう。

 エリザは構わずに続ける。


「それから、呼び捨てで名前を呼ばないでください。あなたと私はまったくの他人なのですから。では私はこれで失礼します」


 エリザは冷え切った笑みを向けると、アーノルドの手を振り払って歩き出した。今度はアーノルドは追いかけて来なかった。廊下に立ち尽くしたまま、完全に固まってしまったようだ。


 アーノルドのプライドをへし折った自覚はある。しかし、フォローをするつもりはない。全て事実だからだ。


 アーノルドはエリザの好みではない。

 アーノルドのような派手なオレンジ色の髪よりも、ルカのような真っ黒で艷やかな髪のほうが好きだし、アーノルドのよく通る大きな声よりも、ルカの落ち着いた低い声のほうが好きだし、話を聞かないアーノルドよりも、分からないことを何度聞いても、きちんと話を聞いて教えてくれるルカのほうが好きだ。


 とにかく全てにおいてアーノルドよりもルカのほうが……って何を考えているのだ。これではまるでルカのことが好きだと言っているようなものだ。

 エリザは途端に恥ずかしくなって、一人で顔を赤くした。


 ルカのことは女官にしてくれた恩人で、同僚として上司として尊敬しているだけだ。だから、好きになるだなんておこがましい。


「何を考えてるんだか……」


 エリザはルカのことを考えるのを止めると、久しぶりに借金返済プランについて考えながら寮へと戻った。




 翌朝。

 エリザがいつものように早く執務室へ向かっていると、回廊の柱に背を預けているオレンジ色の髪をした男が目に留まった。アーノルドだった。なぜ朝っぱらからここにいるんだよ。


「やあ。朝早いね」


「おはようございます。アーノルド様こそ……」


「君を待っていたんだよ」


 だろうな。何しに来たんだこの男。

 エリザが警戒していると、アーノルドが歩み寄って来るなり言った。


「君に言われたことを昨夜ずっと考えていたんだ。私は今まで私が一番だと思っていたが、君に言われて気づいたよ。そう思わない女性も一人だけいる、とね」


「……はあ」


「人には好みがあるからね。とはいえ、あんな風に言われたのは初めてだった。衝撃だったよ。そこで私は決めたんだ」


「……何をですか」


「君に私が一番素敵だと言わせることが出来るように、努力することをだ」


「……はあ?」


「人は努力すればしただけ結果が出ると私は思っている。だから、私は一番になるために努力を怠らない。君に一番素敵だと言わせるまでね。それで提案があるんだ……」


 この男の思考回路がよく分からない。エリザは何を言ってるのか分からなくなって口を閉ざした。耳も塞いでしまいたい。

 アーノルドはよく分からない彼なりの考えを説明していたが、エリザは話半分に聞いて相槌を打った。朝からこんな話を聞きたくて早起きしたわけではない。仕事が山積みなのに。


 大体アーノルドも、こんなことを言うためにこんな朝早い時間から待っていたのか?

 これもアーノルドの言う努力というやつなのだろうか。まったくもって理解不能である。


「……そういうわけで、君は私に好意を示さない珍しい女性だ。貴重な意見も聞けるから、私と友人になってほしいんだ」


「はあ…………はっ?!友人?!」


 話半分に聞いていたせいか、なぜそんな結論に至ったのか分からず、突然の友人宣言にエリザは驚いた。


「そうだ。男女の間には友情は成立しないと言うけれど、君とならば友人としてうまくやっていけると思うんだ」


「私はそうは思えませんが……」


「そうかい?君はなんていうか、女性らしさに欠如……いやきっちりしているというか、きっとしっかり者なんだろうね。男の気配が皆無というか……いや、これはいい意味でだよ?」


「……私に女性としての魅力がないと仰りたいのでしょう。事実ですからお気になさらず」


 どいつもこいつも、私に対して失礼だと思わないのか。どうせ胸はないし色気もありませんよ。大体昨夜は部屋に誘ったくせに、どの口が言ってるんだか。


「気を悪くしないでくれよ。そんな君も素敵だと言いたかったんだ。あー……それでだね、私と君はよき友人になれると思うんだよ」


 いや、だからなぜその結論に至るんだ?!

 どう断ろうかと悩んでいると、アーノルドはエリザの手をとって、勝手に握手を交わした。


「そういうわけで、私と君は今から親友だ。これから私の成長を間近で見ていておくれ!」


「ちょっと!私は一言も友人になるだなんて……」


「それじゃあ、訓練があるから私はこれで!また会いにくるよ!」


「ちょっとお待ちください!私は友人にはなりませんよ……!」


「ハハッ!照れなくていいんだよ!」


 照れてない!エリザが否定する前に、アーノルドは颯爽とその場を立ち去ってしまった。逃げるが勝ち。今回はエリザの完全な敗北であった。


「なんで話を聞いてくれないのよ!ああもう!面倒くさいことになった!」


 エリザは絶叫したい衝動に駆られたが、今は何より仕事が待っている。むしゃくしゃしながら、足早に執務室へと向かった。



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