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アーサーの側近 2

 


 仕事を終えて窓から外を覗くと、夜空には星が瞬いていた。王妃付き侍女だった頃ならば、とっくに夕食を済ませて風呂に入っている時間だ。


 疲れたエリザは、オーガスタやルカと共に東棟の使用人寮へと帰ってくるなり、夕食も取らずに大浴場へと向かった。大浴場には誰もいなかった。

 エリザはこれ幸いと広い浴槽に一人浸かった。すると一気に疲れが押し寄せてきて、エリザは長いため息を吐いた。


 ここでやっていけるだろうか。毎日あんな激務が続けば、帽子店のお針子を続けられないかもしれない。女官になって給金は多少は増えるかもしれないが、今は給金の計算をするような余裕はない。初仕事を終えて、覚えることが多くて頭はパンクしそうだった。


「もっと側近を増やしてよ……」


 思わず呟いたが、アーサーのあの様子では無理のように思う。エリザが暗殺者ではないかという疑いもいつ晴れるのか分かったものではないし、信用されるのにどのくらいの時間がかかるだろう。一生信用されなかったりして。主人に信用されていない使用人。なんて情けないのだろう。



 風呂を上がると、一階の小食堂からルカとオーガスタが顔を出した。二人共風呂を済ませた後のようで、私服に着替えていた。


「エリザ。夕食を取ってから寝ろ」


「ええ……でもあまり食欲がなくて」


「そんなこと言ってるから、細いんだ。エリザとハーディス子爵はもっと食べるべきだ」


「そう言われましても……」


「ほら来い」


 問答無用でルカの隣に座らされると、エリザの前に牛肉のワイン煮込みとリゾットが運ばれてきた。他にも魚貝のマリネやピクルスなどがテーブルに並べられていく。

 現金なことに、エリザは夕食を前にしてお腹が空いて食欲が湧いてきた。


「食べないとこの先やっていけないぞ。アーサーは人遣いは荒いし、仕事量は減るどころか増える一方だし」


「そうよ。エリザが仕事に慣れてきたらもう少し楽になるだろうけど、日々しっかり健康管理をして栄養をたくさんとらないとだめよ」


 それもそうだなと思い直して、フォークとナイフを手にした。牛肉の赤ワイン煮込みを口にすると、家庭的な味付けに、肉は歯応えがあって美味しかった。他の料理もどれも美味しい。使用人食堂の料理人の腕がいいのだろう。オーガスタに聞くと、六十歳目前の下級使用人が作っているらしい。

 黙々と食べていると、向かい側に座るルカが聞いた。


「初日はどうだった?」


「大変な仕事でした。本当にお二人だけで仕事されているのですか?」


「いや。文官見習いがたまに来てくれて手伝ってくれるんだが、見習いだからあちこち研修にいかなければならなくてな。研修が終わったらアーサーの下に配属が決定しているんだが、まだ少し先の話だ」


「それまでは今の状態が続くのですか?」


「そうだな。前々から文官を入れるように進言しているが、アーサーは聞く耳を持たない。だから、今回エリザを強引に引き入れたんだ」


「ですが、私は暗殺者だと疑われておりますよ」


「本当に疑っていたら側近に置かないわよ。アーサー殿下はああいう性格だから、今更あの態度を覆せないだけなの。多感な時期だからね。だから、あまり気にせず普通に接してちょうだい」


 オーガスタに言われて、エリザは少しホッとした。アーサーとギクシャクしたまま仕事をするのはエリザも辛い。せっかく女官になれたのだから、主人ともよい関係を築いていきたいと思った。


「それにしても、なぜアーサー殿下はあそこまで暗殺を気にするのでしょうか。王太子だからというのは分かるのですが、反応が過剰といいますか……」


 エリザの疑問に、オーガスタとルカは顔を見合わせた。そして、食堂に誰もいないことをいいことに、小声で話しはじめた。


「アーサーは昔信頼していた侍女に毒を盛られたことがあるんだよ」


「殿下が十歳の時だったわね。仕えて三年目の行儀見習いに来ていた侍女で。姉弟のように親しくしていた相手だったから、尚更ショックが大きくて。それから疑心暗鬼になってしまったのよ」


 エリザは言葉を失った。十歳の子供に毒を盛るだなんて。


「その方はどうして暗殺など……?」


「父親は反王室派で、父親の命令に逆らえなかったようだ。アーサーの紅茶の中に毒を入れて、アーサーが倒れたのを確認して自分も毒を煽って死んでしまった。父親は捕まって、毒殺を企んだ一派は一掃されたよ」


 エリザはフォークとナイフを置くと、沈黙した。

 だから侍女を置かないのか。だからエリザを警戒しているのか。理解して、悲しくなった。一人の侍女のせいで他の者も信用出来なくなって、一番辛いのはアーサーだ。


「まあ、そんなことがあったから、アーサーがあんな風になってしまったんだ。だからエリザも少し大目に見てやってくれないか」


「はい。分かりました」


「これから慣れるまで大変だと思うけど、よろしくね」


「こちらこそよろしくお願いします」


 改めて二人に頭を下げると、二人共笑ってくれた。



 その後自室へと戻ったエリザは、着替えを済ませてベッドへ潜り込んだ。


 エリザに与えられた部屋は六畳間の個室だった。女官になると皆個室に住まうことになる。中はトイレや洗面台に小さな浴室もあって、エリザにはもったいないくらいいい部屋だった。


 まさか王妃とアーサーのごたごたに巻き込まれて女官になれるだなんて思ってもみなかったが、せっかくの機会だ。女官になったからにはしっかり励もうと決めて、エリザは眠りについた。




 翌朝、エリザはいつもの癖で朝早く目が覚めた。侍女の頃とは違って出勤まではまだまだ時間はあるので、それまでに帽子店で頼まれた花飾りを作ることにした。


 それが終わると、濃紺の制服に着替えた。女官の制服は、侍女の制服とは変わって色味は地味だが、ブラウスや胸元のリボンに細いベルト、長いスカート等は高級感があって、エリザはこちらの制服のほうがずっと好きだ。


 少しうきうきした気分になったエリザは、早めに食堂で朝食を済ませると、中庭へと向かった。

 すると、そこには親しい庭師の姿があって、エリザが異動して女官になったことを報告すると、庭師はエリザに採れたての芍薬をくれた。

 それは、初夏の庭に咲いていた豪華な淡い桃色の芍薬だ。お祝いだと言ってくれた庭師に礼を言うと、エリザは執務室へと向かった。


 執務室にはまだ誰もいなかった。まだ始業時間まで一時間以上ある。今頃アーサーは朝食を食べている頃だろう。


 エリザは隣の給湯室に控えていたメイドに花瓶を用意してもらうと、早速活けて執務室の出窓に飾った。それだけで執務室が華やいだ気がして満足したエリザは、今度は執務室の片づけをはじめた。


 忙しいせいか、執務室は資料は乱雑になっていて、そこここに書物や手紙が積み上げられており、綺麗とは言えなかった。メイドも部屋の掃除はするが、下手に資料に触れないので、いつまでもその状態のまま片づかないのだ。

 仕事を遅くさせている要因はここにもあると思ったエリザは、まずは本棚の書物を種類別に分けて、戸棚の資料も分かりやすいように区分してラベルを付けていった。


 それが終わると、インク等の文具や用紙、便箋等も分かりやすい場所にしまった。すると、それだけでごちゃごちゃしていた棚や机回りが綺麗になった。


 エリザが片づけを終わらせると、文官がアーサー宛の手紙や招待状を持ってきた。エリザはそれを受け取ると、早速仕事をはじめることにした。


 手紙の仕分けを終えたところで、執務室にアーサーとルカが入ってきた。簡単な挨拶を済ませると、二人は執務室を見渡して目を丸くした。


「なんだかすっかり綺麗になったな……花まで飾ってある」


「本棚も、資料棚も……これはエリザがしたのか?」


「はい。早起きしてしまったので、少し整理整頓させていただきました。何か不便や不都合な点があればおっしゃってください」


「いや、資料も見やすく分けられているし、これはいい!」


 ルカが弾んだ声を出すと、アーサーも珍しく素直にそうだなと頷いた。


「これは助かる。見違えた」


 アーサーのその一言が嬉しくて、エリザは笑顔が溢れた。


「ありがとうございます」


 アーサーは咳払いをすると、心なしか頬を赤らめて言った。


「いや、こちらこそ礼を言う。ありがとう」


 まさかこんなにも早くアーサーから礼を言ってくれるとは思ってもみなかったエリザは、驚きながらも嬉しくて恥ずかしくなった。


 よし。今日も仕事をがんばろう。エリザは一気にやる気が出てきて、仕事を再開した。



 その日も忙しかったが、前日と違ったのはオーガスタが不在だったことと、昼食をきちんと正午に食べることが出来たことだ。

 アーサーは昨日ユーリに言われて考えを改めたようで、これからは昼食は正午に必ず取ると宣言した。これに一番安堵したのはルカだった。



 昼食を済ませたエリザとルカは、執務室へと戻って書類を取ると、第三騎士団に警備の件で用事があるために、六華殿へと向かった。


 第三騎士団といえば、以前エリザがルイーザについていって酷い目にあったことが記憶に新しいが、今回用事があるのは第三騎士団長のロージーである。


 第三騎士団はアーサーの警備を担当しているため、必然的に仕事のやり取りが多い。今後資料を届けたり警備について六華殿を訪れることも多くなるだろうと言われて、エリザは参ったなと思う。


 今後あまりアーノルドや棍棒を当てた騎士とは関わりたくなかったのだが、聞けばアーノルドはそこそこ腕の立つ騎士らしい。その上なぜかアーサーの信用も得ているそうで、アーサーの警備として配置されることもあるだろう。


「あの男は自己愛が強い分、他者から懐柔されたり惑わされることがなくてな。それに文句なしで剣の腕はいい。そこをアーサーも買っているようだ」


「そうですか……」


「まあ、変な奴だが仕事以外で関わることはないんだ。割り切っていけよ」


 エリザは、はいと小さく答えた。




「これはこれは、エリザ嬢。先日は本当に申し訳なかった。その後、額はどうですか?」


 ロージーはエリザを見るなり、部屋に招き入れてソファに座らせると、気づかうように尋ねた。


「もうすっかり大丈夫です」


「それはよかった。若い娘さんに本当に悪いことをしました。うちの連中にも散々言って聞かせましたので」


「こちらこそ慰謝料まで払っていただいて申し訳ありません」


「とんでもない」


 ロージーが手を振ると、ルカは資料を机に広げながら言った。


「さ、その話はそのくらいにして、今度の夜会の警備について話してもよろしいですか」


「そうだな」


 その後夜会の行われる会場の図面を開いて、おおよその警備人数を決めると、ルカとエリザは執務室を後にした。


 帰り際訓練所の横の廊下を歩いていると、騎士達が剣を振っているのが見えた。二人一組になって、剣をぶつけ合っている。

 その中で、派手な容姿をしたアーノルドを見つけるのは容易くて、エリザは思わず目で追った。どうやら本当にアーノルドは強いようで、一振りで相手を倒してしまった。


「アーノルド様は確かにお強いようですね」


「言ったとおりだろ」


 そんな会話をしていると、こちらに気づいたアーノルドが、エリザに向かって手を振ってきた。


「げっ!」


 思わずはしたない声を上げたエリザは、ルカの背後に隠れるようにして回る。それでも、アーノルドはエリザに向かって手を振り続けていた。


「あれはエリザと知ってやってるな」


「なぜ……?!」


「さあな。俺にはよく分からん」


「エリザー!」


 と、なぜかアーノルドはエリザの名を口にしている。どこで名前を知られたんだ?!エリザは驚愕した。


「この間はすまなかったー!今度お詫びに食事に連れて行くよー!」


「おい。食事に誘われてるぞ」


「し、知りません!」


「エリザー!」


 なぜ呼び捨て?!おまけに、アーノルドは投げキッスまでしている。エリザはそれを振り払うように、慌ててルカを引っ張ってその場から立ち去った。


「それにしても、あいつが他者に興味を抱くなんて珍しいな」


「あの人、絶対に女は皆自分に気があるんだと思ってるんです!だから、興味を示さない私が珍しいだけですよ!女の人皆にああいうことをしてるんですよ!」


「そうかもしれないが……」


「それにしても面倒です。仕事であっても極力関わりたくありません!」


「そうは言ってもな。軽くあしらえよ」


 エリザは今まで男性から言い寄られたことは皆無である。モテたことがないので、男のあしらい方も知らない。いい歳して恥ずかしいが、いかんせんモテないので仕方がない。


 エリザはハッとした。そうだ。ルイーザがいた。ルイーザはアーノルドと付き合っているかもしれない。だとしたら、恋人からエリザに関わるなと言ってもらえば面倒ごとは減るはずだ。


 エリザはルカに頼み込んで少し時間をもらうと、大急ぎでルイーザを訪ねた。衣装室で点数確認をしているルイーザを捕まえたエリザは、アーノルドと付き合っているのか詰め寄った。


「ああ……アーノルド様とは特に何もありませんよ。顔だけ眺めたら満足したんですよね。今は文官の男前を狙ってるところなんです!」


「えっ……ええ?」


 エリザはそれ以上何も言えなかった。アーノルドもアーノルドだが、ルイーザもルイーザだ。

 エリザは急に馬鹿らしくなって、諦めて執務室へと戻った。とにかく仕事をしよう。あんな男のことを考えるだけ無駄だ。


 その日も、エリザは夜更けまでしっかり仕事をした。




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