王子のお茶会 2
お茶会当日。
エリザはいつもとは違い、その日はニーナに髪を結ってもらっていた。練習がてらやらせてほしいと言うので頼んでみると、ニーナは意外にも手先が器用で、きれいに髪を編み込んでまとめてくれた。その上、ニーナがお気に入りだという桔梗の形をした髪留めまで貸してくれた。
エリザよりもなぜかニーナのほうが張り切っていて、化粧までさせてくれというのをなんとか断ると、エリザは大急ぎで部屋を後にした。
そして現在エリザは、お茶会の会場である獅子の庭園にて、キャロラインの三歩後ろに控えて周囲に気を配っていた。
獅子の庭園は王宮の前庭を抜けた先にある。庭の入口には二頭の獅子の銅像があり、丸く刈られた低木が並び、その先にチェス盤のように刈られた芝生が広がっている。
お茶会はその芝生の上で盛大に行われていた。ビュッフェ方式で茶菓子が並び、紅茶やジュースに、大人達には軽いお酒も用意してある。各テーブルには生花が飾られて、たくさんの出席者で賑わっていた。
アーサー主催のお茶会というだけあって、出席者は高位貴族ばかり。大半がアーサーと同年代の子息令嬢とその親達である。
アーサーの婚約者を選定するお茶会だからか、出席している令嬢達の気合の入りようは凄まじかった。
一見、令嬢達は華やかできれいな衣装を身にまとい、可愛らしい振る舞いをしている。
しかしエリザは、虎視眈々とアーサーと接触を図り、お近づきになって婚約者候補になるという、令嬢達の意気込みをひしひしと感じた。女に囲まれて働いているせいか、そういったことには敏感で、このなんとも言えない空気にエリザは内心辟易していた。
エリザはアーサーに同情した。これは大変なプレッシャーだ。こんな状況に放り込まれたら、エリザだったら逃げ出してしまうかもしれない。
「アーサー殿下、素敵ですわね」
そんなエリザの隣で、ヒソヒソとルイーザが言った。その目はうっとりとアーサーを見つめている。
「中性的なお顔にすらりとした体躯。さらさらの金髪に濃紺の瞳……正当な王子様ですわ」
「あなた、あの騎士の方はよろしいの?」
エリザは自己愛の強そうな騎士の名前をど忘れした。慰謝料と謝罪文をもらった時点で、すでにどうでもいい存在になっていたからだ。
ルイーザが、ああと軽い調子で言った。
「アーノルド様のことはもちろんお慕いしております。でもアーサー殿下は特別です。観賞用ですわ」
「か、観賞用……」
「見ているだけで目の保養になりますもの。手は届かなくとも、心に潤いを与えてくれる特別な存在ですわ」
ルイーザが面食いだということが発覚して、エリザは呆れつつもはあと答えた。
「それにしても、アーサー殿下はにこにこしていらっしゃるけど楽しそうではありませんわね」
「……分かるの?」
「アーサー殿下は女性が苦手なんでしょうか?」
さすが面食いなだけあってよく見ている。エリザが感心していると、キャロラインが手にしたグラスが空になったのに気づいて、エリザはグラスを受け取りに行った。
「あらありがとう。エリザ、同じものを持って来てくれる?」
「かしこまりました」
ルイーザに後は任せて、エリザはその場を離れた。
給仕係のメイドのところまで行くと、今切らしたところだというので、エリザは庭園の隅でメイドを待つことにした。
待っている間、それとなくアーサーの様子を伺うと、庭園の中心でたくさんの令嬢達に囲まれていた。にこにこと笑って何かを話しているようだが、ルイーザの言うとおり表面上の笑顔を張り付けているように見える。
今のところ気に入った令嬢はいないのかもしれない。どこかにいい令嬢がいないものか。辺りを見渡していると、一人の衛兵と目があった。
彫りの深い顔に中々の男前。それは、いつも東の寝室の廊下に佇む衛兵だった。
エリザは、衛兵がキャロラインに寝室から話し声が聞こえると告げ口をしていたことを思い出して、思わずムッとして衛兵を睨みつけた。衛兵はエリザのそんな意図に気づいたのか、へこりと頭を下げると歩み寄ってきた。
「おつかれさまです」
「……今日は挨拶するんですね」
棘のある声で言うと、衛兵は怯んだように眉を下げた。
「余計なことを話さないようにといつもは言われておりますので」
「それでも寝室の様子は報告するんですね」
「それが私の仕事ですから」
そりゃそうだ。エリザは急に怒っているのがバカらしくなった。
エリザがアーサーの相手をするように言われて寝室へ行くように、この衛兵も仕事で寝室の見張りをしているだけだ。どちらも言われたことをまっとうしているだけ。ただし、エリザは本当のところ全然まっとうしていないが。
ともかく、二人共キャロラインの駒でしかないのだ。こんなことで怒るだけ損だ。
「そうでしたね。失礼しました。それでは私も仕事がありますので」
素早く頭を切り替えたエリザは、さっさとその場を離れて歩き出した。
まだメイドは来ない。日差しに当たって暑くなってきたので低木の影で待っていると、今度は背後から声をかけられた。
「エリザ・ハーディス子爵令嬢ですね?」
「はい」
答えて振り返った先には、アーサーが立っていた。
どうやって令嬢達を撒いてきたのかは分からないが、護衛もつけずに一人きりだ。
「人目のつかない所まで来ていただけますか?」
「はい……」
動揺するエリザを連れて、アーサーは人目を気にしながら足早に低木を越えた獅子の銅像まで歩いて行くと、エリザに振り返った。
「先月からあなたにはご迷惑をおかけして、申し訳ないと思っています」
突然のアーサーの謝罪に驚いたエリザは、ええ、ああ、とんでもないと手を振った。あからさまに動揺するエリザに、アーサーは気づかうように微笑んだ。
「私や母に振り回されて大変だとは思いますが、もうしばらく、母の気が済むまであなたには堪えていただきたいのです」
「そ、それは承知しておりますし、そのつもりです」
「それを聞いて安心しました。私は王子という立場ですから、東の寝室へ行くことは出来ませんが、一応はあなたを信用しております」
アーサーは笑顔を浮かべているものの、目の奥はかなり鋭い。これ絶対に信用されてないなと思いつつも、はいと返事をした。
「そういうわけで、今しばらく代わりにルカを東の寝室へと向かわせますが、ルカはあなたに手を出すような男ではないので、ご安心を」
まあ確かに、あれだけ真っ向から好みでないと言われたのだし、三度も寝台を共にして何もないのだから、この先も何もないだろう。
そう思うと、エリザはなんだか虚しくなった。女として見られていないことに安心すればいいのか、がっかりすればいいのか。どちらにせよ、やはり自分に魅力は欠片も無いのだと再度思い知らされて、エリザは力なくはいと答えた、その時だった。
「やはりそういうことでしたか……」
エリザはその声を聞いて、一瞬で頭が真っ白になった。恐る恐る声のした方へ視線を向けると、先程の衛兵を伴って、ジェーンがこちらに冷ややかな視線を向けていた。
エリザは言葉を発することも出来ずに、その場に棒立ちになった。隣でアーサーは険しい顔でジェーンを睨めつけている。
「疑り深いアーサー殿下が、容易くエリザを受け入れたので、どうもおかしいと思っていたのですよ」
ジェーンはアーサーを見やり、そしてエリザに目を留めた。
「エリザ、あなたは王妃殿下に頼まれたことを一つも実行していなかったのね。それどころか、アーサー殿下に言われるがままに嘘をついていたのね?」
エリザは顔面蒼白で拳を握りしめた。言い訳をしようとして開いた口からは、結局何も出てこなかった。
「エリザ」
追求するようなジェーンの厳しい声に、エリザの肩はビクリと跳ねた。
――バレた。ついにバレてしまった。もうどう足掻いてもだめだ。
握りしめた拳から力が抜けて、目の前が真っ暗になった。
どうする。どうしよう。どうしようもない。
考えがまとまらないまま、エリザは勢いよく頭を下げた。そうすることしか思いつかなかった。
「も、申し開きのしようもございません!王妃殿下の命令に背いたことは事実でございます。いかなる処罰も受けます!」
「ちょっと待ってくれ!女官長。あなたに彼女を責める権利はありません」
「彼女は私の部下です。王妃殿下に仕える侍女が主人の命令に背いたのですから、上司である私が責めて何が悪いのですか?」
割って入ったアーサーに怯まずにジェーンが言い返すと、アーサーは険しい表情で見返した。
「ならば、彼女が母の命令に背くように言ったのは私です。私も一緒に責めたらいかがですか?」
「ならば言わせていただきますが、アーサー殿下は王妃殿下のお気持ちを無碍にした自覚はありますか?今回のことを王妃殿下が知ったら、どれほど悲しむかお考えになったことはございますか?」
「それを言うなら、私に彼女を差し出してそれで私が喜ぶとお思いでしたか?そちらこそ私の気持ちを何一つ考えていないではありませんか」
「王妃殿下はアーサー殿下のことを想って……!」
「だから、その気持ちが押しつけだというのです!私のためだと言いながら、彼女を脅して伽をさせるだなんて、どうかしている!母のしたことは間違っています!女官長も、自分の部下にこのようなことをさせて恥ずかしくないのですか?!」
絶句したジェーンは、顔を真っ赤にしてぶるぶると肩を震わせた。
二人のやりとりは、どんどん熱が上がって言い合いに発展している。このままではルカが危惧したように、キャロラインとアーサーの親子関係に亀裂が入ってしまう。
エリザは意を決して頭を上げると、二人の間に飛び出した。
「もうお止めください!今回のことは私が悪いのです!元々私が出来ないと断っておけば、こんなことにはならなかったのです!」
叫んだエリザに、目を見開いた二人の視線が集まる。エリザは震える手を握りしめた。
嘘をついた代償はあまりにも大きかった。こうなることをどこかで予想していたのに、いざそうなると恐ろしくて仕方がない。
それでも、エリザは諦めるしかなかった。
働きなれた職場も、仲良くしてきた同僚も、貴族令嬢という地位も捨てる時が来たのだ。こうなったのは、全部自分の身から出た錆だった。だから、観念しなければならない。
「王妃殿下に嘘をついてお金を受け取り、アーサー殿下からも黙っておくようにとお金を受け取った私が悪いのです……!お金は全額お返し致します。今月の給金もいりませんし、私は今日限りで退職致します。処罰があるのならば甘んじて受け入れます!……ですが、どうか父のデヴィッド・ハーディスだけは今の地位を奪わないでください!」
エリザの必死の懇願に、ジェーンは少し冷静さを取り戻したのか、困ったように息を吐いた。
「エリザ……誰も処罰を与えるだなんて言ってないわ。私はただ事実確認がしたかっただけで、あなたを辞めさせたいわけではないのよ」
「散々責めるようなことを言ったのに?」
「それは……」
ジェーンが口ごもると、今度はアーサーが気づかうように言った。
「君には処罰など与えないから安心してくれ。例え母でもそんなことはさせない。処罰を受けるのは君を脅した母のほうだ」
「アーサー殿下!まだそんなことをおっしゃるのですか?!」
再び口論がはじまりそうになって、エリザがお止めくださいと叫んだところで、その場に慌てた様子でルカとオーガスタに、キャロラインが駆けつけて来た。
「一体何の騒ぎですか?!」
キャロラインがエリザ達を見て困惑している。ルカは険しい顔で顔面蒼白のエリザを見て、何もかも悟ったようだった。
エリザはルカの姿を認めるなり、この場にいることに耐えられなくなった。こんな無様な姿、ルカには見られたくなかった。
今まで動揺して慌てふためいたり、怪我を負ったりと、散々ひどい姿を見られてきたはずなのに。今になってなぜそんなことを思うのか分からないまま、気づけばエリザは後退していた。
「こうなってしまった責任を取って、私は今すぐ辞めます!……失礼します!」
それだけ言うと、エリザは回れ右をして猛然と走り出した。淑女もへったくれもない。
エリザはあっという間に獅子の庭園を駆け抜けると、使用人出入り口へ真っ直ぐ向かった。




