クリーンヒット 1
ニーナが休みの日、エリザが午前の仕事を終えて使用人食堂へ赴くと、待っていたかのように侍女が一人、エリザの下へやって来た。
「エリザさん。少しご相談があるのですが、よろしいですか?」
「ええ。ここでは話せないこと?」
「はい」
「それなら昼食は裏庭に持っていって、そこで食べながら話しましょうか」
エリザの提案にはいっと元気に返事をしたのは、ルイーザ。侍女歴二年の艶やかな黒髪の、若くて可愛い女の子だ。
ルイーザは裏庭のベンチに座るなり、エリザに手紙を差し出した。それは薄桃色の鈴蘭の模様が入った便箋だった。宛名には、アーノルド様と小さな可愛らしい文字で書いてある。
「お願いしたいことがあって……その」
「これを渡してきてほしいとか?恋文かしら」
「えっ!なんで分かるんですか?実はそうなんです!」
いや、見りゃ分かる。
エリザが手紙を返すと、ルイーザはもじもじしながら言った。
「その、第三騎士団のアーノルド様に……」
「アーノルド……確かアーサー殿下の護衛の?」
「はいッ!先日夜会でお会いして一目惚れしてしまって!自分で渡すのは恥ずかしくて。エリザ様なら頼めば渡してくれるんじゃないかと思って!」
「でも、そういったものは自分で渡したほうがいいと思うわ。万が一私が間違って別の方に手紙を渡してしまったり、紛失したりしても責任は取れないもの」
エリザが言うと、ルイーザはしゅんと悲しげに眉を下げてしまった。捨てられた子犬のようなルイーザに、エリザはぐっと唇を噛みしめる。
エリザは金にはがめついが、女子供老人には弱い。頼まれたら断れない性格だった。
「それじゃあ……一緒についていくのならいいわよ」
ついついそんなことを口にしてしまったものだから、ルイーザは本当ですか?!と飛び上がって喜ぶと、エリザの手を握って何度もお礼を繰り返した。
「あの、きちんとお礼はしますから!」
「いえ。仕事じゃないんだからそのくらいいいのよ。それよりも、休憩中に行くなら今しかないわよ」
「あ、はいッ!」
ルイーザは慌てて昼食のハムロールを食べると、口をもごもごさせながら立ち上がった。
エリザは気乗りしないながらも、歩き出したルイーザを追いかけた。
エリザとルイーザがやってきたのは、騎士団の詰所がある六華殿だ。六華殿には訓練所や騎士団寮、食堂が併設されている。
六華殿に侍女が来ることはほとんどない。出入りする女性といえば、掃除洗濯担当のメイドか女官で、六華殿に侍女はいない。
そのため、エリザとルイーザが六華殿に足を踏み入れただけで、周囲の騎士の視線が嫌というほど集まっていた。
やっぱりついてくるんじゃなかったと後悔しながらも、アーノルドを探して歩く。
アーノルドは第三騎士団に所属している騎士だそうで、第三騎士団の訓練所を覗くことにした。
訓練所には北と南に門があり、周りには柵が設けられている。中に外部の人間が入らないようになっているが、柵の外から見学出来るようになっていた。
エリザとルイーザは外から訓練所の中を覗き見た。
しかし、昼休憩の時間なので騎士はちらほらしか見えない。アーノルドの姿もないようで、訓練所の門の脇で二人で顔を突き合わせて食堂まで行こうか迷っていると、ルイーザがあっと声を上げた。
「ああ、アーノルド様ッ!」
ルイーザは突然駆け出すと、門を潜って訓練所の中へと入ってしまった。エリザは完全に存在を忘れられて、駆けていくルイーザの背中を見送るしかない。
ルイーザが駆け寄ったのは、北の門から現れた長身で、派手なオレンジ色の髪の騎士だった。長い髪を束ねることなく背中に流し、ルイーザが寄ってくると愛想のいい笑顔を振りまく。
髪をかきあげてかっこつけている様を見て、エリザはキザな男だと白い目を向けた。
しばしエリザが黙って様子を見ていると、ルイーザは震える手でアーノルドに手紙をつき出した。アーノルドはにこやかに微笑むと、手紙を受け取って、騎士の仲間達に見えるようにひらりと手紙を掲げた。
ピューピューと指笛を吹いてからかう者、顔をしかめる者等様々だったが、ルイーザ本人は頬を赤く染めて手を握り込んで感激しているようだ。
彼らが付き合うかどうかはエリザには関係のないことだったが、休憩時間ももう少しで終わることだし、そろそろルイーザを連れて帰らなければいけない。
ぽーっとしているルイーザの回収に乗り出したエリザは、開け放たれたままの門から訓練所へと踏み込むと、真っ直ぐルイーザの下へと歩いて行き、彼女の腕を掴んだ。
未だに頬を赤らめたままのルイーザに、手紙は渡したのだからそろそろ行こうと声をかけると、アーノルドが空いているほうのエリザの手を取った。
「君も私に恋文を持ってきたのかい?」
「いえ。違います」
即答したエリザに、アーノルドは想像していた答えと違ったのだろう。面食らった顔をして手を離した。エリザはその隙にルイーザを引っ張ると、速やかに撤退をはじめた。
「ちょっと待ちたまえ!」
なぜか背後からアーノルドが追いすがる。ルイーザが歩を止めてしまったので、エリザは仕方なく足を止めて振り返った。
追いついたアーノルドが、ルイーザではなくなぜかエリザに対峙する。
「君も私に会いに来たのだろう?」
「いえ。だから違います。私はただの付き添いです」
「……そうか。しかし、今から訓練があるんだ。よかったら二人共私の剣の腕がどれ程のものか見ていかないか?きっと夢中になる」
「お誘いありがとうございます。しかし私達は仕事がございますので、これにて失礼致します」
そそくさと背中を向けるエリザに、アーノルドはまたしても追いすがる。
「ならばまた時間がある時にどうだね?」
ルイーザは嬉しそうにこくこくと頷いているが、エリザは聞こえなかったふりをして歩き出した。
女が全員自分に気があると思ってるのかと、内心でエリザは舌打ちした。ルイーザは、見てくれはいいが自己愛の強そうなこの男のどこがいいのだろう。そこまで考えて、エリザは訓練所の門を潜った。
「ところで君の名前は?」
なんとまだついてきていた。エリザがギョッとして振り返ると、ルイーザが嬉々として名前を告げている。内心げんなりして、エリザはそっとその場を離れようとした。
もうルイーザを置いて自分だけ帰ろう。このまま置き去りにしてやるとまで考えていると、危ないッ!と怒声にも似た声が響いた。
「アーノルド!なぜお前ばかりモテるんだぁ!?」
驚いて振り返ったのがいけなかった。
振り向き様エリザの視界に飛び込んできたのは、怒りの表情を浮かべて棍棒を振り上げる若い騎士。それを避けようと、華麗にステップを踏むように後退したアーノルド。驚愕に目を見開くルイーザ。
騎士が棍棒を振り下ろした瞬間、手から棍棒が離れて、なんとエリザの方へとまっすぐ飛んできた。
なぜ?!
全てがスローモーションのように見えた。エリザは避ける間もなく、棍棒は額にクリーンヒットした。
そしてエリザは真後ろに倒れて、そのまま気を失った。
エリザが目を覚ますと、なぜかルカがエリザを抱えているところだった。
目を覚ましたエリザに気づいたルカは、おおと小さく言いつつも、歩を止めない。どこかに運ばれている最中のようだと気づいて口を開こうとすると、額に痛みが走った。
「あ、痛ッ……」
エリザが額に手を当てると、そこは腫れ上がっていた。
こんなところにたんこぶが出来るだなんて、恥ずかしい。前髪で隠れるかもしれないが、結構な腫れ具合だから、包帯を巻かないといけないかもしれない。目立ちたくないのに。
痛みと恥ずかしさで呻くと、ルカはふむと顎を引いた。
「額に棍棒が直撃したんだよ。たまたまエリザの背後に俺が通りかかってな」
「たまたま?」
「アーサーの警護担当の第三騎士団に書類を渡しにきたんだ。そしたら、エリザが後ろ向きに倒れてきたんだよ。で、頭を打ったから心配だってんで、その場に居合わせた俺が医務室に運んでいる途中だ」
なるほど事情は分かった。エリザが意識を失ってからさほど時間は経っていないようだ。
「あの、ルイーザは?」
「同僚の侍女なら、女官長に報せに行ってもらった。それから、棍棒を振り回した騎士と襲われそうになった騎士は、第三騎士団長に連れていかれた。襲った方は半分本気で半分は冗談だったそうだ。侍女の前で恥をかかせてやろうと思ったらしい。ま、今頃こってりしぼられている頃だろう。後で謝罪に来るんじゃないか?」
他人事に言うルカは、なんだか可笑しそうに微笑む。エリザはげんなりしてため息を吐いた。
「謝罪なんていりません。面倒なので謝罪するなら手紙だけでいいです。嫉妬で襲うなんてどうかと思うし、アーノルド様は苦手なタイプだし。極力関わりたくないです」
「それは俺も同感だな。特にアーノルドは自分にしか興味のない男だ」
本当にその通りだ。アーノルドと関わるとろくなことがなさそうだ。ルイーザにアーノルドは止めておけと言いたいくらいだが、恋に浮かれたルイーザは聞く耳を持たないかもしれないし、余計なお世話というものだ。
ふんと息を吐き出したところで、エリザはふと思い出した。
「あの、それで医務室に向かっているんですよね?」
「ああ」
「診察するんですよね?」
「打ちどころが悪いといけないからな。きちんと診てもらえ」
それを聞いたエリザの顔が青ざめた。
「ち、治療費を払わないといけません、よね……?」
「そりゃそうだろ」
エリザはそれこそ頭を叩かれたような衝撃を受けた。これまでエリザは体調を崩したことはほとんどない。働き詰めで休みがなくても、怪我も病気もせずにやってきた。
それなのに、こんなトラブルに巻き込まれて治療費が発生するとは!
しかも、場合によっては仕事を休めと言われるかもしれない。エリザは日給制のため、一日でも休めば給料が減ってしまう。死活問題である。
「困ります……!!」
「俺に言われてもな」
「私、思ったよりも大丈夫そうです。下ろしてください!仕事に戻ります!」
ルカの手から逃れようと胸板を押してみたが、膝裏と背中に回された腕はビクともしない。しかも、胸板は厚い。秘書のくせに鍛えるなよと、エリザはジタバタしたが、もちろん無駄な抵抗に終わった。
「おい。危ないだろ。暴れるな。今大丈夫でも後から症状が出ることもある。きちんと診てもらえって」
「私は頑丈に出来ていますから、大丈夫です」
「こんなヒョロヒョロのくせによく言うな。大体、今日昼飯食べたのか?軽すぎるんだよ」
「た、食べましたよ!失礼な人ですね!」
ふんと鼻息荒く言った直後、鈍い痛みがきて顔をしかめた。
「諦めて医師に診てもらえ。治療費は怪我を負わせた第三騎士団の奴らに請求書を回すように手配しておくから。分かったな?」
それを聞いたエリザははいと即答した。自分で払わなくていいなら診察は受けよう。
苦笑したルカから視線を外すように、エリザは目を閉じた。痛みが強くなってきたからだった。手を当てるとずきりと鋭い痛みが走る。
ああ、休めと言われたらどうしよう。
「ま、一応検査はしましたし、大丈夫でしょう」
医務室に運び込まれたエリザは、一通りの検査を終えると、医師にあっけらかんとした口調で言われて、安堵のため息を吐き出した。
エリザはたんこぶに薬を塗り込んでもらい、ガーゼと包帯を巻いてもらった。見た目はまるで重症患者のようだが、痛みは収まってきて大分楽になっていた。
「でも万が一ってこともありますから、一週間後にもう一度来てくださいね。あ、あとホーキンス卿から治療費は第三騎士団に請求するように聞いておりますので、そちらも安心なさってくださいね」
「ありがとうございます!」
「ついでに、ホーキンス卿が怪我を負わせた二人の騎士に、手紙のみの謝罪を要求しておいたと、伝言も預かっておりますよ」
ああよかったとエリザが心から言うと、医師は笑った。
「ホーキンス卿はああ見えて面倒見のいい方ですから、その場に居合わせてくれて助かりましたね」
確かにその通りだと思った。
エリザは医務室を出て廊下を歩きながら、ルカの逞しい胸板を思い出してしまい、顔を赤くした。思えばデヴィッド以外にあんな風に抱えられたことはなかった。
あの時は冷静でなかったから気が回らなかったが、俗にいうお姫様だっこをされたのだ。
エリザは急に恥ずかしくなって、頭を抱えて呻いた。すると通りがかったメイドに頭が痛いのかと気遣われてしまい、慌てて否定せねばならなかった。
それにしても次の週末、まともにルカの顔を見ることが出来ないかもしれない。
「困った……」




