ジェイルとエイロン
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光がまぶたを刺激する。
目を開く。
見慣れない天井。どこだここは。そうだ、カレーを作ってたんだ。火は、どうなってる。こげてないか。
ベッドから上半身をおこし、辺りを見渡す。
茶色いボックス、茶色い棚。地味な部屋にあってひと際浮いている黄色いソファー。妙に見覚えがある。あれはたしか、最初の頃に色でもつけてみようとーーー
ここは、俺の部屋だ!いや、俺の部屋と言うか、ジョブレスマンの部屋だ!ベッドから飛び出し、部屋の隅にある洗面台に向かい、姿を確認する。ごつごつとした手、盛り上がった胸筋、だらしないお腹周り、面白がって作ったはげ頭、今では現実にも禿げてきているが。ごわりとしたわしっぱな、シミだらけの頬、図体に似合わないおちょぼ口、目と眉だけはきりっとしていて、ああ、なんて違和感のある顔だろう、ジョブレスマン!俺は、ジョブレスマンになったんだ!
「ひゃあっほおおおおいい」
パンツ一丁ではしゃぐ。飛び跳ねる。体が軽い。力が溢れる。現実じゃないみたいだ。いや、現実ではないのだけれども!いやいや、現実なのかもしれない!
ハンガーにかかった『妖術師の装束』を纏う。くすんだ黄色に染められた、浴衣のような服である。赤い帯がエキセントリックで、その帯に用途のわからない小さなとっくりがついており、なんかかっこいい。2ヶ月前に行われた水滸伝記念週間ガチャで当たった装備だ。水滸伝記念週間など誰に需要があるのか、そもそもゲームの西洋感とは合っていないのだが、やはり水滸伝シリーズの装備を着ているプレイヤーはいない。しかし、あの公孫勝が着ていた装束と説明書きがあれば、ほしい人は絶対欲しいであろう。かくいう私もその一人である!
そして、ベッド脇に無造作に置かれた『狂言師の杖』を手に持つ。最近作ったロッドである。伝説の狂言師 I Mが使っていたとされるこの武器は、ロッドには珍しく、近接にも対応できる。先端が少し斜めになっており、チョップのようにロッドを振ることで攻撃することができる。
装備を着込むと、さらにテンションが上がってくる。いいねえ、やっほーい!現実とおさらばだ!
さて、『マーセナリー』のなかにきたのはいいが、どうしたものか。とりあえず気になるのはボックスである。道具類はどうなっているのか。ベッドの脇にある茶色いボックスを開けてみる。が、なにも入っていない。道具はなし?アイテムバックはどうだせばいいんだ。お金はーーー机の上に小袋が一つ。開けてみると、コインがじゃらじゃらと入っている。しかしゲーム内の俺はもっと金持ちだったはずだが。
部屋を物色するが、ほかに有用なものはない。そういえば、替えの衣服はないが、かゆくなったりしないのだろうか。
ぐーっとお腹がなる。
わからないことだらけだが、食欲はあるらしい。とりあえず部屋を出なければ。
わくわくと、不安と。ドアノブを回す。
ドアを開ける。瞬間、景色と音が消え、ぶわりと世界全体が浮いたような感覚に陥る。いや、実際に足が浮いている。ワープ?よくわからないが、再び地に足がつくと、音が戻ってくる。見覚えのない、無機質な廊下。アパートのように、部屋がいくつも並んでいる。階段を降りていくと、ようやく見慣れた景色があった。木造の建物、カウンターの中には、ひげ面の宿屋、ルフドルがなにやら帳簿を眺めながら、甲冑を纏った騎士と話している。騎士は、ゲーム内npcではない。マーセナリー、つまりプレイヤーだ。彼だけではない。ちらほらと、マーセナリーたちがいるのである。俺と同じ状況か?それとも、テレビ越しに普通にゲームをしているのか。話しかけるのがためらわれる。とりあえず、どうしよう。飯屋に行ってみるか。いや、腹も減ったが、先にクランの部屋を覗いてみるか。とにかく誰かしっている人はいないか。とりあえずnpcにでも話しかければいいのだが、なんとなく怖い。ここにきてもコミュニケーションに悩むとは。いや、その前に、ちょっと散策してみるか。
宿屋の扉のそばで、女アーチャーとすれ違う。背にかけている武器が気になり、ちらりと後ろをむく。あれは、『游子弓』水滸伝シリーズの武器である。すぐさま前を向き直し、宿屋の扉を開く。背後から、なんとなく視線を感じた。ただの自意識過剰だろうか。いや、たぶん、そのアーチャーからだ。彼女の意図はわからない。俺の水滸伝シリーズの衣装に反応したのか?振り返って声をかけようか。悩んでいる間もなく、惰性のままに宿屋を出た。
朝日が薄く街を覆っている。
都市『ブレーメン』を二つに割るように、ウェルズ川が流れている。川の東には宿屋や酒場が並んでおり、テール橋を渡った川の西側には、市場、雑貨屋、武器屋などの商店がならんでいる。宿屋を出て、川の上流、北へ向かって進むと、小高い丘があらわれ、その上には立派な神殿がある。さらに背後には悠然と山々がならぶ。川の下流は南西に伸び、その幅を少しずつ広め、ついには海へとつながる。『ブレーメン』は、背後を山、一方を海に囲まれた、天然の城塞都市だ。
石造りの堤防にのってみる。川よりも随分高い位置にある。治水の賜物だろうか。まあゲームなんだけど。それにしても、現実と変わらない。煉瓦造りの建物を眺めながら、石畳を歩く。街娘のシャルロットが、花に水をやっている。たしか、クエストで、なにかの花をシャルロットに届ける、というものがあった。ということは、俺の納品した花に水をやっているのだろうか。むふふふ。
時折プレイヤーとすれ違うが、さっきの女アーチャーから感じたような視線はない。神殿に向かって歩く。神殿のある小高い岡の麓は広場、通称アゴラ、になっており、ここにクエストボードやパーティミッションを斡旋してくれる仲介人がいる。はずなのだが、仲介人がいない。朝だからか。でもまあ、街自体の作りはここまでゲームと全く同じである。いや、なんだあれ。神殿の両隣に、見慣れぬ建物がある。やはりゲームとは少し違う部分があるのか。
とりあえず、クランルームを覗いてみるか。
クランルームのある川の西側に向かうため、テール橋を渡る。テール橋の真ん中は、丸い小さな広場になっている。いつもは、ログインボーナス係のイザという娘が立っているのだが、今はいない。昼間には露天が出ていたりもするのだが、早朝のためか出ていない。その代わりに、フードを目深に被った、小柄な男が橋の真ん中に立っている。なにか、つぼのような物を持っている。ふわっと浮き出たような、違和感がある。プレイヤーなのか?それにしても変なアバターにしたな。俺も人のこと言えないが。
橋を渡り、開店準備に忙しい路上市場をあるく。魚や野菜、肉が広げられているが、匂いは現実世界と同じである。大きなテントの下に、肉売り場がある。丸太をまな板に、腕の太い快活そうなおばさんが鳥肉を切り分けている。ここは一段と臭い。市場を過ぎると、雑貨屋、武器屋が並ぶ。そこも過ぎると、途端に閑静になる。美しい西洋の家々に異国情緒?異世界情緒?を感じながら、さらに進んでいく。一番端にある家の扉を開く。瞬間、音が消える。浮いたような感覚。これは、自室を出たときのような。
音が戻る。見覚えのある、俺らが作ったクランルーム。そこに、
「ジョブレス!お前も入ってたか!」
見覚えのある顔が。といっても、いつも画面越しであったが。
「藤家!」
黒いマントに、紺色のアーマー。長剣を腰に差し、シルバーの盾を背中にかけている。優男風な顔立ちで、青い瞳が美しい。
「リアル名はよせよ、ジョブ」
「えっと」
「ジェイル。”極東の聖騎士”ジェイルだよ」
極東なら和名にしてアジア顔にすればいいのに、とは思うが。それにしても、藤家はもとがイケメンなので、ジェイルになっても意外と違和感がない。いや、まああるけども。
「ジョブレス、お前めっちゃブサいな」
藤家こと、優男風イケメンジェイルが、容姿とはかけ離れた毒を吐いた。
「うるさいよ。てかすげえ冷静だな」
ゲーム内に入っているのに、藤家はすぐに順応しているように見える。
「こんな体験できるなんてなかなかないぜ?結婚前だしな、ちょっと遊びたかったんだよ」
昔からポジティブなやつだったが、なかなかメンタルがタフである。
「藤、ええっと、ジェイル?なんかはずいな」
「なーに恥ずかしがってんだよそんな図体して。ジェイルだよ、ジェイル」
「ジェイル、ほかには誰かにあってないのか?」
「あってないな。ジョブは?」
首を振ると、ジェイルはうーむとうなる。
ジェイルのお腹が鳴る。
「とりあえず、飯行くか」
まるでラーメンを食いにいくかのごとく、ジェイルが言った。まあ、慎重になりすぎてもよくない。腹が減っては戦はできぬし、妙にポジティブなジェイルに付いていくほかない。
クランルームを出る。朝日が眩しい。先ほどよりも、人通りが増えている。クランルームに向かっている『マーセナリー』がちらほらいる。俺たちと同じ状況かな、などとジェイルと話しながら、テール橋の真ん中までやってきた。さっき通ったときはいなかった、ログインボーナス係のイザが、絨毯の上に小物を並べて座っている。いつもはなにも広げず、ただ直立しているだけなのだが。先ほどいた、フードを眼深に被った小男はもういない。
「とりあえずログボ受け取ろうぜ」
ジェイルが、臆することなくイザの方へ向かう。
「お、おい、藤家」
「ジェイルだ」
「す、すまんジェイル」
照れる。
「なんだよ」
「いや、大丈夫かなって思って」
「お前も心配性だな。ゲームのキャラとちょっと話すくらい大丈夫だって。はーいイザさん!」
ジェイルが陽気にイザに話しかける。イザは、「はい!」と明るく返事をする。
「ログインボーナスもらいにきたよ!」
「は?」
口をぽかんと開けるイザ。
「へ?いや、あの、ログインボーナス」
「ろぐいんぼーなす?」
「オー、ソーリーソーリー、ログインボーナスプリーズ」
めげないジェイル。ここは英語圏なのか。
「あ、あの、ろぐいんぼうなすはよくわかりませんが、こちらのアクセサリーでしたら、売っていますけど」
イザのことばに、今度はジェイルが口をぽかんと開ける。イザも、ジェイルの反応に困っている。なんだか気まずそうである。
「あの、えっと、これ、いくらでしょうか?」
俺はミサンガのようなものを指して言った。
「10コインになります」
部屋から持って来ていた小袋を出す。銅貨、銀貨、金貨があり、銅貨に1と書かれている。
イザに、銅貨を10枚渡す。
「ありがとうございます!手作りなんです!」
「はあ」
イザから商品を受け取る。
ミサンガというより、なにかの切れ端のような。
「うおおおおおおあああなんでだああああ」
橋の向こうから、大きな声が近づいてくる。
黒いハットにモノクルを掛け、豊かな髭を蓄えた小柄なじいさんが、眼をむき出しにして走ってくる。古い書物を小脇に抱えて。どうにも見覚えがある。
俺たちには気づかないほど狂乱しながら、そのままの勢いで、橋の欄干に乗っかる。見た目に反して身軽である。
「くそおおおおお、もどれえええええええ」
じいさんが川へ飛び込もうとしたそのとき、
「堂ちゃん!」
「エイロン!」
と俺とジェイルは同時に呼び止めた。それぞれ違う名前で。
「へ?」
とぼけた声で振り返る、堂ちゃん、もといエイロン。
「お前らあああ、おったのねえええ。どうやってかえるのおおおお」
上品な格好のじいさんが、あらゆる穴から水を垂れ流し、近づいてくる。周りのプレイヤーもイザも、まじまじとこちらを見ている。
とにかくこの場を離れよう。ジェイルとアイコンタクトをとる。モノクル老人を二人で小脇に抱え、そそくさとその場を去る。
橋を渡り一息ついたとき、三人同時に、お腹が鳴る。
「ま、とりあえず、飯食いながら次の行動考えようぜ」
ジェイルは、能天気に言った。