フライングワーム
幾分か進んだところで、ジェイルと並んで先頭を歩いていたクリが、低くうなり声を上げた。谷の奥をじっと見ている。そこはマーセナリー、エイロンを除く全員が身構える。シャイディーも腰を落とし、谷の奥を注視している。
「上だ!」
リンが叫んだ。
薄暗い谷に、濃い影が差す。羽のばたつく音が、だんだんと大きくなる。
長い胴体がうにょにょうと動いている。目はなく、大きな口が顔の8割を締めている。黒々とした歯と紫色の歯茎が気持ち悪い。あれは
「フライングワーム!」
ジェイルは剣を構えて言った。
クリは変わらず、ずっと谷奥のほうに顔を向けている。フライングワームとは別の脅威がそこにあるのか、それとも敵の位置を間違えたことを認めたくないのか。フライングワームに後ずさりしながら、クリの顔を覗き込む。
飽きれた犬だ。
リンも同じことを考えていたようで、クリの顔を覗き込んで
「この馬鹿イヌ!」
ととぼけた顔のクリにデコピンした。
アホ面のクリはさっとワームの方を向き、後ずさりしながら、うなり声をあげる。
「んなことしてる暇はねえぜ」
シャイディを後ろへ引かせながら、ジェイルが言った。
フライングアームが、地面へと降り立つ。谷に鳴き声が響き渡ると、その大きな口から粘膜を吐き出した。
ジェイルが盾を構える。ん、これはゲームでよくあったパターン。
『ミラーバッセージ』
とジェイルの盾に杖を向け、呪文を唱えた。盾に薄い光が帯びる。
粘膜は盾とぶつかると、フライングワームのへと跳ね返っていく。自分の粘膜が顔に当たると、ワームは悲鳴を上げ、所構わずその胴体を暴れさせる。
「なんだ?体から蒸気が」
リンが言った。
状態異常か?いや、フライングワームの粘膜にそんな効果はなかったはずだが。しかしワームが帯びているあの薄茶色い蒸気は一体なんだ。
ワームはおとなしくなったかと思うと、その大きな口の口角をにやりと上げた。よだれが端から垂れる。今度は胴体を強くばたつかせ、こちらへと向かってくる。
その振動で地面が揺れる。おかまいなしに、ジェイルは果敢にも切り掛かる。リンはワイヤーでワームの横へと移動すると、ナイフで羽を斬りつける。俺は、シールド魔法を唱え、シャイディーとエイロンを守る。
「はあああああ!」
ケイさんがかけ声とともに掌底を打った。ワームが悲鳴を上げる。
ワームの胴体の一部がへこんでいる。
ワームは飛ぼうと羽をばたつかせるが、左翼から爆発音がなると、再び地面に落ちた。あれはリンの手投げ爆弾だ。ひるむワーム、その首と思われる部分にジェイルが切り掛かる。
『エンハンス、ブレイド』
杖をジェイルの剣に向け、俺は唱えた。
ジェイルの剣が薄く光る。
「うおおおおおお」
ジェイルの剣がワームに突き刺さる。
悲鳴とともに、ワームが消えた。
「いっちょ上がり!」
ジェイルは剣を鞘に納めた。
「れぼーあっぷ、れぼーあっぷ、れぼーあっぷ」
エイロンの方から、ジャパニーズイングリッシュが聞こえる。
「どこだ!?おれから音が」
パニクるエイロンに、「お前のウォッチからじゃないか?」とリンが言った。れぼーあっぷ、れぼーあっぷ、と音はいまだに止まらない。
「ウォッチ?ウォッチてどうやってだすんだっけ?」
「手首をにぎるんだよ」
リンに言われ、エイロンが左手首を握った。
「なんもでてこねえじゃねえか!」
「馬鹿か!?明らかに右手首から音がでてるだろ!てかあんた左利き?!」
「俺は右利きだぞ、リン!」
「なんで右手に巻いてんだよ!」
リンは語気を荒げる。
「時計なんてどっちでもいいだろ!」
エイロンの語気も荒ぶる。
「左利きは右手に巻いた方が巻きやすいんだよ、ば〜か」
「なんでわかんだよ?俺は右利きだけど右に巻いたぞ」
「私が左利きだからわかんだよ!てかあんた時計巻いた時巻きずらかっただろ!」
「覚えてねえよ!ああ、時計でたでた、ははは、で、なんだこの音、止まらんぞ」
音もうるさいし、二人もうるさい。
「側面のボタンを押してみて、エイロンくん」
ケイさんが優しく言うと「はあ」とエイロンがウォッチのボタンを押す。すると、音が止まった。
「レベル上がってるじゃん」
ジェイルは、エイロンのウォッチを覗き込み、言った。
レベル45、と表記されている。たしかマーセナリー登録時点ではエイロンのレベルは38だったので、一気に7上がったことになる。
「あんたさっきの戦闘でなんかしてたっけ?」
リンが目を細める。
「クリが吠えてただろう!」
クリも、「ワン!」とリンに向かって鳴いた。
鳴き声が、谷に反響する。
光が薄い。さっさと歩を進めよう。
あくびが出る。眠気が少し襲う。
「ジョブレスくん、これ、飲んどく?」
隣を歩いていたケイさんが、巾着から小さな瓶をだした。
「なんですか、それ?」
「MP回復ドリンクよ」
瓶のラベルに、大きく『MM打破』と書かれている。
ありがとうございます、と瓶を受け取り、一口飲む。苦くてえぐみが強い。卒論に追われていたあの日々を思い出す。ん?てことは、MP消費は眠気に繋がるのか。
「ああ、めちゃくちゃ効きますねこれ」
「たまたまもらって、そのままもってたのよ。まあ私は使わないんだけど」
「そういえば、ケイさんのジョブって」
「ああ、武闘家ね。特殊ジョブで、こっち来てから転職したのよ。もともとファイターだったんだけど、レベル据え置きで転職できるっていうんでね」
「武闘家?そんなんあるんっすね」
ジェイルが訊ねた。
「武闘家に転職するには、特殊クエスト受けないといけないんだけどね」
「なんでまた武闘家に?」
小麻草に足を取られないよう足下に注意しながら、俺はケイさんに訊ねた。
「ずっと空手をしててね、でもほら、仕事もあって道場もいけないじゃない?本当は顧問になりたかったんだけど、空手部なんてないし、なぜか初赴任の学校でそこそこ強いバスケ部の副顧問割り当てられて、まあ生徒はかわいいんだけど。わたしなりに色々バスケのこと調べてやったんだけど、未経験の副顧問ってやっぱり限界あるじゃない?そんなこんなしてるうちに異動になって。そしたら次の学校でソフト部の監督だって。今度は真逆の弱小チームよ。でも生徒にやる気だけはあってね。そりゃそこは応えてあげないとね?素人なりに私も頑張って、県大ベスト8までいったのよ?万年地区大会一回戦負けだったのが。すごくない?まあ頑張ったのは生徒だけど。でも現実は無情で、その翌年に新入部員0で廃部よ。そんなことしてるうちに気づいたら周りは結婚してるし、あれ?なんの質問だったっけ?」
色々溜まっているものがあるんだろう。大人って大変。てか教師だったんだな。教師ってゲームするんだな。
ジェイルがなにやら質問し、再びケイさんが話しだす。
「あるわよ〜クラス編制でしょ?このことこのこくっつけとけ、とか。だいたい不自然にずっとクラス一緒の組み合わせなかった?世話好きの女の子にこの男の子あてとけ、みたいなね。新任のとこにはまじめな生徒固めたり、その逆もしかりね。ああ、ダメね、こんなことばらしちゃ、はあ〜だめ、リアルの話をしだすと止まらなくなっちゃう。それに、リアルの話は御法度だったわね」
ちょっと興味のある話題だったが、自制したケイさんがそれ以上業界の裏話をすることはなかった。




