第五話
昨夜は眠れなかった。
蒼光銀の短剣を仕舞おうとして、そのまま纏まらない想いがグルグルと螺旋を描いたからだ。
フォルス兄さんとリック兄さんが亡くなった。
教会で見た顔は青白いままで笑ってくれなかった。
フォルス兄さんと十三歳、リック兄さんとは十一歳違いでなかなか話す機会はなかったけど、毎日朝昼晩と一緒に食事をしたし、たまに水影流剣術を見せてくれて足捌きを教えてくれた。
フォルス兄さんは、花が綺麗だったから、と言って屋敷の花畑をメチャメチャに散らした僕に対して、我儘もいいけど人の嫌がることはしちゃダメだ。と言って腕を強く握りしめてきたこととか、もう一回やって、と投げ飛ばされるのが楽しくて何度も何度も背中に飛び乗った思い出が次から次へと溢れてきた。
リック兄さんは僕の肉とか僕の果物をすぐに取っていこうとするので、警戒しながら食べなきゃならなかった。
リック兄さんの方がたくさん食べてるのに、何で人の物を欲しがるのか分からなかったけど、残すと勿体ないだろ、と返されては、これから食べるところだったのに、とやり合ってばかりだった。
そして、こんな風に言葉で整理できるのは人間だった猫宮士郎の記憶のせいか?
ハク・メイクーンと猫宮士郎で言うと、猫宮士郎の思考回路の方が上位に立っている。
色々な単語、言語や知識はハクと志郎の二人分が共存している。
ただそれを整理したり並べ替えるのは志郎の思考で行っているように思う。
少なくとも八歳の僕が理路整然と迷宮のことを父さんに説明できたとは思えない。
そんな不思議ともう一つの不思議。
猫宮士郎の記憶が知識、知能の不思議だとすると、もう一つは身体能力。
どうして急に長剣を振り回し、更には魔物を倒せるようになったのか?
猫宮志郎の記憶を得た直後に身体が熱くなって、力が湧き出てきた。
記憶を得て力がついたのか? それとも別の理由があるのか?
分からないことが頭から離れずに眠れなかった。
朝が来ていつもと同じ時間に食堂に入ると、既に姉さんたちが座っている。
「おはようございます。ちゃんと眠れた?」
サラティ姉さんが充血した目で聞いてきた。
多分眠れなかったんだろう。
「あまり眠れませんでした。
色々なことが整理できなくて……」
「そうよね。私も眠れなかったし……。
でも、ハクは昨日かなり無理をしたはずだから休まないと駄目よ」
力なく言ったサラティ姉さんは自分にも言い聞かせているようだ。
「それもだけど、あの短剣と長剣は?」
スファルル姉さんが顔色を伺って心配しつつも聞いてきた。興味津々だ。
昨日は長剣の方が気になってるようだったけど、魔導具を調べてるスファルル姉さんからすると蒼光銀なんて聞いたことはあっても見たことないから、気になって仕方ないはず。
「もちろん持ってきました。
どうぞご覧下さい」
サラティ姉さん、シルヴィア姉さん、スファルル姉さんの順で並んで座ってるテーブルに置くと、まずは顔を寄せながらも触ろうとせずに観察してる。
「触っても?」
「どうぞ、大丈夫ですよ」
サラティ姉さんの問いに軽く返すとサラティ姉さんが手を伸ばす。スファルル姉さんも触りたそうだけど、サラティ姉さんを立てたみたいだ。
短剣を手に取って丁寧に鞘から抜いた。
剣を扱い慣れているのが所作から分かる。
「綺麗な刃だ。艶やかというのか、鉄剣の冴えた感じとは違うな」
「姉さん、私も触らせてっ」
スファルル姉さんが我慢できなくなってシルヴィア姉さんの前に身を乗り出してにじり寄ってる。
圧に押されてサラティ姉さんが短剣を渡そうとするけど、今度はスファルル姉さんが短剣をどう持とうかと躊躇っている。
危なっかしく感じたサラティ姉さんが鞘に戻して渡そうとする。
「皆さま、アレサンド様がお呼びです。
寝室でお待ちですので、ご用意をお願いします」
父さんは朝食時に僕たちが揃うのを待っておられたのだろう。家令のシャッテが呼びに来た。
「あうぅ……」
スファルル姉さんが残念な声を出してるけど、気づかない振りをしてサラティ姉さんから短剣を受け取り、父さんの寝室に向かった。
寝室にいた父さんは昨日よりも少し顔色が良くなっている。怪我が深刻な状況にならずに済んだようだ。
母さんはかなり精神的に参ってそうなのでそっちの方が心配だ。
「皆、朝からすまないな。
昨日の状況を受けていくつか話しておきたいことがある。
まずは迷宮について四点。
一点目は迷宮は倒すことができる」
母さんを除いて皆が父さんの話しにギョッとして身構えた。聞いたことのない話しで、かなり重要度の高い極秘情報だと感じたのだ。
「迷宮の最奥には迷宮主がいて迷宮核がある。
迷宮において最強の者が迷宮主なのだが、それを倒し迷宮核を破壊すれば迷宮は壊れる。
二点目。倒すことのできる迷宮だが、上手く活用すれば莫大な資源を得ることができる。
迷宮からは魔晶石を採掘することができるし、地脈を通じて神授工芸品が湧き出ることもある。
魔物の素材を得ることもできる。
魔物を倒すことができれば、つまりリスクを封じるだけの軍事力があれば、活用できる資産になる。
三点目。迷宮は成長する。
今は小さな迷宮でも地脈と通じる内に成長する。そもそも力のある地脈の上に迷宮ができると言われている。
どれほどの速さで成長するかは誰も分からん。
成長すればより貴重な神授工芸品が湧き出るし、もっと強力な魔物が蔓延るようになる。
四点目。最後になるが、今回の集団暴走のようなリスクがあっても、蒼光銀のような貴重なアイテムを求めて、この地が争いの場になる。
自らの力で迷宮を管理できればその恩恵を受けるし、自らの力で管理できないのならば早期に壊す必要がある。
迷宮を管理しようとすればその利権を求める者が集まる。またはその利権を無くそうと迷宮を破壊しようとする者が集まる。
力がない場合はこの地が魔物に飲まれる前に、他の貴族に縋ってでも迷宮を破壊してもらわねばならぬ」
父さんはゆっくりと皆の理解を確認しながら一気に話し終えた。
全てが知らない話しだった。
確かに迷宮都市と呼ばれ長い歴史を持っている都市もある。
歴史書では集団暴走に飲まれた都市の伝説もある。
ただ、それが目の前に現れたとき、どう立ち向かえと言うのだろう?
昨日の集団暴走でかなりの被害が出た。フォルス兄さんとリック兄さんが亡くなり、父さんも深傷を負った。
しかも、迷宮は育つと言う。
そして、その迷宮が色んな思惑を集める。
小さな街一つで何をどうしろと言うのか?
「集団暴走が起きたことは早々に周囲の街に伝わるだろう。
周囲の街や都市からは集団暴走の被害を確認し、さらなる被害を食い止めようと兵たちが集まることになる。
ハクよ。
まずは何人かの兵士を連れて迷宮の状態を探るのだ。
今戦えるのはお前しかいない。
兵士長からの話しでも、魔物に対抗できるのはお前しかいない。
明日か明後日には近隣の街から先遣隊が到着する。この街の被害を確認した後は必ず迷宮探索が行われる。
そこで神授工芸品の奪い合いが起きるだろう。
その前に少しだけでも状況を確認してきてもらう。
お前が持ち帰る情報が今後のメイクーン領を左右する。
但し、ハクの身に何かあってはメイクーン家そのものが続かない。無理をせずに必ず戻ってきて欲しい」
父さんは僕の目を見てゆっくりと頭を下げた。




