第三十二話
猫人の自治領バスティタで第三の都市、レドリオン。
双子迷宮があると言う話を聞いて僕はメイクーン領を出発した。
レドリオンはレドリオン公爵が治める獣人口五十万人の大都市。メイクーン子爵領の獣人口が一万人なので実に五十倍の違いがある。
一クラス四十人の高校から一学年二千人の大学に入学したときのような違いなので、ドキドキワクワクしながら馬を走らせる。
今回の同行者は無し。
というか、ほぼ隠れて逃げ出すようにして出発して来た。
と言うのも今回の視察に三人の姉が全員、僕の保護者として付いて来ようとしたからだ。
メイクーン領の迷宮を警戒しなくてはならないし、いざというときに戦力を残す必要もある。
だから剣を使えるサラティ姉さんと魔法を使えるシルヴィア姉さんに父さんたちと一緒にメイクーン領を守ってもらうように頼み、スファルル姉さんと視察に行こうとした。
しかし、それではスファルル姉さんとの二人旅になってしまう、とサラティ姉さんとシルヴィア姉さんが言い出し、それなら私が行くと言って聞かなかった。
姉弟で二人旅も何もないけれど、片道一週間、往復と視察で一ヶ月の旅と聞いて、二人の姉さんが執拗に迫ったので、父さんに伝えてこっそりと出発した。
一人旅なので、荷物とか宿とかも全然気にする必要がなく、実はかなり快適だ。
メイクーン領はセルリアンス共和国の西の端にある。
メイクーン領から西大公都バスティタまでは馬車で東に進んで一週間。更に西大公都バスティタから北に三日上ると公都レドリオンに着く。
今回は馬で一人旅なので、宿のことは無視してほぼ直線で東北東に進んでいる。
迷宮とは違い、街が近づくと長閑な風景が広がるし、途中にある森もメイクーンの西の森とは違い探せば馬車道が見つかるような平和な道だ。
収納庫の中に色々と入れて何かあっても対応できるようにしてるけど、ちゃんとリュックに旅道具を入れて一人旅っぽくしてる。
服装はちょっと簡素な普通の服。薄緑のシャツに茶色いパンツを合わせてる。
過ごしやすい気候なので、野営をしても上からマントを一枚羽織れば問題ない。
武器は自作の日本刀に専用の鞘を作ってもらって提げている。
収納庫の機能がある蒼光銀の腕環は身に着けているけど、蒼光銀の長剣や銀糸のマントはしまってある。
……子供が豪奢なものを身に着けていてもトラブルしか呼ばないから。
メイクーン領を出てから五日、今日にはレドリオンに到着するだろうと思いながら馬を走らせている。
馬は走り続けることが出来ないので休憩頻度は多くなるけど、走るときと休むときのメリハリをつけた方が全体では長い距離を進める。
休憩のときは銀の黄金虫に水を出してもらうので水場に合わせて休憩とかも考えずに進む。
休憩中は手頃な石を拾い、磨いて短剣を作るか銀の黄金虫に作ってもらった槍や剣を精錬して遊んでる。
投げて使うこともできるし、メイクーン領に帰れば領軍の武器としても使える。実用を兼ねた魔法訓練だ。
お昼はどうしようかと考えながら周囲を警戒してると獣の気配を感じた。
森の中なので薪もすぐに用意できる。
パンにも飽きたところだしワイルドにいくことに決めた。
捌くのが大変だから兎程度の小動物がいいと思ってだけど見つけたのは猪だった。ちょっと予想外だけど、気を取り直して猪モードに切り替える。
両手には収納庫から石造りの短剣を取り出して狙いを構える。
正面からは仕留めにくいので、風向きを気にしながら猪の側面に回ると首と前足の付け根を狙って投げる。
右手の短剣は狙いに違わず首元に深く刺さり、左手の短剣は少し逸れて後ろ足の付け根に刺さった。
猪が走り出そうと暴れるけど、もんどりうって転げ回っている。
素早く近づくと石で作った鉈で首を打ち落とした。
倒した猪は体格が一際大きくていいサイズだ。
大き過ぎる獲物だけど、枝葉を掻き集めて火を焚きながら昼食の準備をしていく。
色々と悩んだけど後ろ足の腿肉を火で炙って食べることに決めると、必要な分量だけ切り取り火にかけた。
残りはどうしようか、収納庫に保管するとどうなるんだろう? と考えながら猪肉の火炙りを口にする。
のんびりと食事を済ませていると、森の中をこちらに向かって進んで来る音が聞こえた。
馬? 馬車か?
火から離れ馬に荷物を積み、いつでも乗れるように準備する。
音のした方を見ていると、ゆっくりと幌馬車が現れた。
二頭立ての馬車で御者台には二人の男。
少し距離を取った位置で馬車を停めると若い男がこちらに歩いて来る。
「こんにちわ。ちょっと良いですか?」
ニコニコと笑いながら近づいて来る。狸の獣人。
目の周りの黒い毛と鼻先が艶々だ。
服装もどことなく綺麗。馬車に乗っていることから考えても裕福な家なんだろう。
垂れ目で愛想がいいが、念のため警戒を続ける。
「そこで止まって下さい。
どのようなご用件ですか?」
「あ、いや、失礼しました。
いい匂いがしたので何を食べておられるのかと思って……」
僕の硬い言葉に狸がモジモジしながらこちらを窺っている。
「あ、食事の匂いを気にして?」
「はい。ここからレドリオンまではまだ少しかかるので私たちも食事をどうしようかと考えていたら、良い匂いがしたので、つい。
びっくりされたかも知れません。すみません」
「あ、いえ。大丈夫です。
一人旅なので警戒し過ぎていたのかも知れません」
「私はヘンリー・モンテリ。馬車にいるのはアーノルド。
レドリオンで商家を営んでいます。
もし良ければ馬車にも食べ物があります。ご一緒にいかがですか?」
僕は既に食事を終えているけれど、ヘンリーの話が気になって猪肉をご馳走することにした。
「いいですよ。
僕の名前はシルバーです。
食べ切れないのでどうしようかと困っていたところです」
この旅の途中から考えていた偽名を初めて告げた。
一人旅で色々と絡まれるのも嫌なので予め考えていた対策の一つだ。
「食べ切れない?」
馬を引いて焚き火のところまで戻るとヘンリーが唖然として口を開けている。
「先ほど仕留めたのですがお腹一杯なのでどうしようかと思っていたところです」
「これは、……豪勢な昼食ですね。
偶然通りかかった私たちは幸運です」
「どうぞ好きなだけ食べて下さい。
その代わりレドリオンの街について教えて頂けると助かります」
「それは、ありがとうございます。
レドリオンの街について、と言うとシルバーさんはこれから向かわれるのですか?」
ヘンリーはこちらの会話に応えているけど、視線は猪に釘付けだ。これで商人って大丈夫か?
「そうです。双子迷宮があると聞いたので……」
「レドリオンへは迷宮には挑むためですか?」
「いえ、様子見です」
軽く答えるとヘンリーは僕を見た。
「この猪肉は美味しそうだ。
もし良ければ残りの身を全て買い取らせて頂けないですか?
うちの馬車にはまだ余裕がありますし、私たちが少し頂いても沢山余りそうです。今日中にはレドリオンに着きますし、いかがですか?」
商売になると思って猪を見てたのか。
商魂逞しい狸だ。
「あぁ、いいですよ。
幾らにしますか?」
「そうですね。金貨二枚でいかがでしょう」
「分かりました。金貨二枚で」
「ちなみにこれはシルバーさんが一人で仕留めたんですか?」
「え? そうですよ。
他に誰もいないじゃないですか」
「いえ、多分首元の一撃で仕留められたんだと思いますが、傷が少ないのでどうやって仕留められたのかと思って」
「それはコツがあるんですよ」
「……よく考えると、私は普通に声をかけちゃいけない人に声かけたのかも知れないですね」
「どうしたんですか? 急にしおらしくなって」
「だって、レドリオンに向かう人ってことは、大半が冒険者で一部が夢見る商人ぐらいですよ。
冒険者でも普通の冒険者はレドリオンに近づいて来て、こんなところでわざわざ狩りなんかしません。
獲物を運ぶのも面倒だし、目的地の手前とはいえこの距離で狩りなんかしません。
何なら火を焚いた食事もしないです。私もこんなところで火を起こして食事するのは初めてですよ。軽く済ませて道を急ぎます。
つまりは、これぐらいの猪が簡単に狩れる冒険者で、たまたまここで大きな猪を仕留めたので食事してただけってことです。
……どうですか?」
「まぁ前半はよく分からないけど、後半はその通りですね。
馬の休憩とついでに食事をと思って猪を狩りました」
「でしょう。
これだけの大物を一撃で倒すような冒険者はもの凄く少ないですよ。
考えれば分かったはずなのに……」
何かよくわからないけど、その後ヘンリーはやたらと丁寧に話してくれるようになった。




