第二百五十一話
帰らずの谷から離れると空を飛んで砦跡まで戻った。
帰らずの谷の近くの森の中を走ってたら見たこともない鮮やかな緑色をした鹿がいたので気になったけど、藍旋風鼬のような格の高い魔物だったら嫌なので距離を取って素通りした。
キリンのような大きさだったので、もし凶暴だったら洒落にならない。
帰らずの谷と呼ばれるのも、迷宮主のような魔物がゴロゴロといるからかも知れない。
砦跡の近くではこんな魔物は見かけなかったので、植生と言うか生態系が違うのだろう。
二日連続で樹上でのハンモック泊をして、黒霧山の調査を終えることにした。
……頼まれていた魔水薬の素材は見つからなかったけど、素材のために帰らずの谷を彷徨く気にはならないので、このままニーグルセントを目指す。
レドリオンからかなり北上しているので、このまま東に向かえばニーグルセントに辿り着くだろう。
二日か三日歩けば街道に出るだろうし、北進公路の要所だからすぐに分かるはず。
ただ、ニーグルセントから黒霧山に入る冒険者もいるから、飛んでるところや蒼光銀は見せない方がいい。
……始めての街で余計なトラブルは避けたい。
そうなると魔法鞄も隠しておくべきか。
竜鱗両手剣も目立ち過ぎるし、久しぶりにタングステン合金の剣とコバルト合金の剣を使うのが無難だ。
重くて熱に強いタングステン合金の剣をメインにして、軽くて強度のあるコバルト合金をサブにする。
ここしばらく竜鱗両手剣を使っていたので、ある程度重さのある剣の方が使いやすい。
当面の目標として素材採取しながら東にあるニーグルセントに向かうにはそれが丁度いい。
勘を取り戻すためにタングステン合金の剣を振り回しながら、陽が昇った東に向かって歩き始める。
歩き始めたは良いけど、案外遠い。
今日で三日目。
他の冒険者に見られるのを警戒して歩いて移動してるけど、誰とも会わない。
誰も来ないような領域みたいで薬師のワンシーが言ってた硝子石榴の果実と網笹を大量に採取した。
全然手つかずの状態で僕でも見つけられたのだから、長期間、誰も来てないと分かる。
ひょっとして高価な素材が色々あるのかも知れないので、茸や木の実の類は二、三十個は摘み取って魔法鞄に放り込んである。
……迷宮で魔物を沢山倒して来たけど、素材採取は全然経験が無いので何が素材になるのか分からない。
もっと碧玉の森のディキシュー姉妹に教えてもらうべきだった。
なので、運任せの素材採取になっている。
魔法鞄を隠しているので、狩りは控えめでたまに一匹でいる槍氈鹿や縞赤猪を狩る程度で済ませた。
流石にそろそろ冒険者に会ってもおかしく無いはずなんだけど、と不安になっていると進行方向で声がした。
「牙鼠山猫がいる。
ここで狩っても帰りが大変だから、回避しよう」
かなり近い。
全然気づかなかったから腕の立つ冒険者だ。
その場で立ち尽くして音に神経を集中すると、小さな足音がこちらに近づいて来る。
「そこに誰かいますか?」
姿が見えないけど、こちらから声をかけると慌てて返事があった。
「! 誰だ?」
先ほどと同じ声。
少し高い声で恐らく女性。
斥候役だろうか。
後ろにいるパーティメンバーとは少し離れているのだろう。まだ気配が分からない。
「レドリオンの冒険者です。
戦闘の意思はありません」
一応、所属を伝えて様子を伺う。
かなりニーグルセント寄りの黒霧山だから、向こうはニーグルセントに所属してるだろう。
顔を知らないからといって攻撃されては堪らないので、あらかじめレドリオンの所属であることを明らかにした。
「レドリオン?
では、レドリオンのギルドマスターの名前を言ってみろ?」
ギルドマスターの名前?
誰だったか?
「ギルドマスターはギャレット」
「ほぅ。では窓口担当者は?」
「リナが担当してくれている」
「そこを動くなよ。
って、……」
横の茂みから顔を出したのは翠のマントを来た細身の猫人。
服装はグリーン系統で統一してあるけど、白地の毛並みに赤い縞模様の耳がピンと立ってる。
目の大きな美人が両手に細刃の短剣を持って腰を低くして茂みから現れた。
僕の声を手がかりにして慎重に位置を把握し、回り込んで顔を出したのだろうけど、僕を見て目を見開き、周囲を確認して唖然とする。
僕は相手を刺激しないようにボーっと待機だ。
「どうしたの?
何かあった?」
更に木の茂みの向こうから焦った女性の声がする。
「いや、大丈夫。
ちょっと想定外だっただけ」
想定外って。
確かに僕は子供だけど、目の前では言わないでしょ。
それでも些細なことなのでスルーして向こうのパーティが揃うのを待つと、程なくして正面から同じような翠のマントをした冒険者が二人現れた。
一人は短弓を握った美人。
もう一人は木の杖を持った美人。
って、美人だけ?
同じ顔だから美人三姉妹か。
三人とも碧のマントに白い顔で耳に入ってる縞々の筋の色が少し違うだけだ。
双剣使いの斥候役が赤い耳。
短弓を持った猫人が桃耳。
杖を持った魔術師が橙耳。
「えっと一人だけ?」
桃耳の弓士が聞いてきた。
「はい。見ての通りです」
「一人でこんな森の奥までやって来たの?」
「はい」
「あ〜、確かに」
桃耳の弓士が双剣使いに向かって頷く。
橙耳の魔術師は弓士の後ろから覗き込むようにして僕を見て言った。
「これはまた、凄い新人が現れたね」




