第百九十話
動け!
火竜の蒼い息吹が俺の身体を焼いた。
左肩から右の脇腹にかけて一直線に切り裂くようにして身体を焼いた。
ぐふっ!
これはヤバい。
鱗を剥いで斬り裂いた心臓から血を噴き出しながら落ちていく火竜の後を追ってオレも一緒に地に落ちて行く。
ドンッ!
火竜が落ちるとその体が潰れて周囲に大きなクレーターができた。
続いてオレもそのクレーターの中に落ちて行く。
動け!
下から風が吹きオレの身体を持ち上げる。
風の隼のヴェネットだ。
更に風が巻き起こってオレの身体を浮かす。
マントが広がりゆっくりと地面に降り立った。
ダメだ。
立っていられない。
広がったマントに向かって倒れ込む。
バサッ。
クレーターの中、火竜の死体の横に並んで寝転がる。
意識はハッキリしてる。
右手は動く。
左手は動かない。
両足は感覚が無い。
魔水薬を。
確か赤色の魔水薬だ。
早く飲まないと。
腰鞄から魔水薬を取り出して、瓶の口を噛み砕いて呷る。
魔水薬が口の中に入った瞬間、身体中が熱くなり火に焼かれた胸元に激痛が走る。
グワアァァァッ!
獣のような咆哮が喉から溢れる。
激痛は全身に広がっていく。
もう一本。
もう一本、魔水薬を。
治癒の痛みか、怪我の痛みか分からないが、更にもう一本魔水薬を呷る。
グウゥゥアァァァ!
身体が焼ける。
目の前が真っ赤になるような血の流れを感じる。
身体全体が脈打っているようだ。
ドクン、ドクンと脈打つ度に身体中の筋肉と骨が痛い。
がはっ!
一度大きく息を吐いて新鮮な空気を取り込むと少しマシになった。
右手は動く。
左手も動かせそうだ。
両足も感覚が戻った。
もう一度大きく深呼吸して、状況を確認する。
仰向けの身体を何とか起こして胡座の体勢に持っていくと、隣で潰れている火竜がハッキリと見える。
再生能力を持つ火竜も心臓を抉れば死ぬらしい。
自らの息吹で壊滅させた要塞の中で月明かりに照らされている。
要塞を見てみると尖塔が一本しか無い。
他の二本の尖塔は吹き飛んだようだ。
建物は一つも残ってないし、完全に廃墟になってしまった。
妖精人が何をしようとしてたのか、残存物が一切ない。
とてもじゃないが調査しても何も分かりそうに無い。
……火竜と要塞がこんな風になるような戦闘をして、生き延びたのだからこれ以上を望んでもどうしようもないのかも知れないが、残念だ。
……僕は何のためにここに来たんだったか?
丸い月を見ながら、しばらく虚無感に囚われたけど、火竜を倒したのだから充分過ぎる成果だ。
改めて両手を握り締め動くことを確認すると、腰鞄から四種類の魔水薬を取り出す。
全て冥界の塔で拾った、ラベルの綺麗な上級品。
身体は治ったと思うけど、この際だから全ての魔水薬を試し飲みする。
まずは黄色。
確か解毒だったか。
鮮やかな黄色の瓶を持ち、コルクの栓を抜いて一気に呷る。
先ほどの激痛を思い出し身構えたけれど、少し酸味のある味は爽やかでフルーツの搾り汁のようだ。
続いて赤色。
さっきは口の中も含めて全身が焼けるように熱くなったので、匂いを嗅いで用心する。
……この魔水薬は甘ったるい花のような匂いがする。
さっきもこんな風だったのだろうか?
舐めるように飲んでみても、痺れや痛みは無い。
薄い花の蜜を舐めているようだ。
体の治癒が痛かっただけで魔水薬自体はこんな味なんだろう。
それが分かって安心した。
引き続き緑と青の魔水薬も飲んでみたが、ほぼ無味無臭だ。
微かに塩っぱいと感じた程度で、飲みやすい。
……これで体調は大丈夫だ。
念のために四種の魔水薬を飲んだので、何かあっても治っているだろう。
自分の身体が治っていることを確認してから再度周囲を見渡すと、あちこちに槍が沢山落ちている。
どこかでみたような槍だと思ったら、僕が魔法で作った槍だ。
千槍射襲で火竜に打ちつけた槍だ。
折れたり曲がったもの、穂先が腐食したものが無数にある。
面倒だけど回収した方がいいか。
少し悩んだけど傷んだ槍を拾い始めると、隣に黒い影ができて槍が吸い込まれた。
……影水のノワルーナが手伝ってくれるらしい。
ものすごい勢いであちこちに転がっている槍が影に落ちる。
それを呆気に取られて眺めていると、今度は目の前に影ができてそこから次々と吐き出されてくる。
途中で、輝きが違うと思ったら蒼光銀の長剣が混ざっていた。
火竜に刺さって抜けなくなった剣と、倒した後で落としてしまった剣だ。
とりあえず蒼光銀の長剣を提げ、傷の無い槍と傷のある槍を選別して腰鞄に仕舞う。
この槍も磨き直せば使い道があるだろう。
そして改めて火竜を見る。
体長は五十メートルほど、今は右手を下にした状態で倒れてる。
背中の翼は付け根から折れて変な方向に向き、周りには血と鱗が飛び散っているが、あの高さから落ちたにしては綺麗な死体だ。
証拠として持ち帰るのは勿論だけど、加工素材としてもかなり優秀なはずだ。
鱗一枚残さないように回収しよう。
……血にも効能があるはずだが、どう回収したらいいか?
あ、単純に鉄瓶でいいか。
どうせなら薄く、腐食に強い不銹鋼瓶を作ろう。
魔法で手頃なサイズの瓶を作ると血溜まりから血を掬いとる。
腰鞄の中で血が流れるのか、と余計なことを考えながら採取していく。
体が大きいので、血溜まりから回収するだけで二十本もの量になった。
……様子見に来た黒霧山で手に入れたのが火竜一体と妖精人が一人。
色々と惜しいけど、偶然見つけた火竜を尾行けて倒せたのだから、大金星と言っていいだろう。
他のものは竜の息吹で全て吹き飛んでしまった。
元々廃墟だったけど、今は完全に廃墟だ。
ここでしばらく休み、夜が明けたらネグロスとクロムウェルの二人と別れたクレーターに戻ろう。
住処まで追跡し三日ほど行動範囲を確認しようと思っていたけど一晩で解決したから、二人も大人しく待っててくれるに違いない。
こんな森ではぐれたら再会は難しい。
戻るのは少しでも早い方がいい。
クレーターからは北に飛んで、東に追って来た。
陽が登ったら太陽を背にして進み、山から平野に降りれば帰れるはずだ。
いざとなったら風の隼の精霊、ヴェネットに案内してもらえばいい。
風の精霊には森の案内ぐらい簡単だろう。
そんな風に計画してると陽が差して来た。
昨日この森に入ったばかりとは思えないぐらい濃い夜だった。
陽の光に照らされて明るくなった要塞を再度、確認して回る。
こんな森の奥によくこんな要塞を築いたもんだ。
完全に廃墟になっているので、いつ頃作られて、いつまで使われたのか分からないが、凄い規模だ。
目的は森の開拓か、竜のような強力な魔物の防衛なんだろうけど、これだけの要塞を築き維持した軍事力は凄い。
一応、火竜の痕跡、妖精人の痕跡、そして僕の痕跡が残ってないことを確認してから上空に飛び立つ。
上空から見るとハッキリ分かる。
ここから先、要塞を境に一気に山として傾斜がキツくなる。
要塞がある位置が森の一番奥で、山の入口だ。ここから北には険しい山が連なっている。
南に視線をやるとずっと森が続いている。
場所によっては山の影に入り、湿地帯のようになっている。
まさしく迷いの森。
ここからは分からないけど、どこかに帰らずの谷もあるだろう。
こんなところまで火竜の討伐に遠征できる冒険者、兵士が何人もいるとは思えない。
それほどまでに延々と森が続いている。
……火竜を倒せて良かった。
では、二人が待ちきれなくなって森に入る前に帰るとしよう。
マントを広げ空を滑るように飛び始めた。




