第百八十八話
「ふぅ、やっと抜けたか?」
食人棘蔦が見えなくなったのでネグロスに声をかけると、ネグロスも笑って答える。
「しんどかったな。
食人棘蔦があんなに生い茂るなんて見たこと無い」
「まぁ、水でも飲んでちょっと休憩しよう。
活性水」
夜道で神経使ったので活性水が美味しい。
その辺の倒木に腰かけてしばらく状況を確認する。
「北東のつもりが、北に向かって進んでるよな」
「多分そうだ。
ちょっと星を見てくるから待っててくれ」
ネグロスに道筋を聞くと、彼も北に向かってると思ってたようだ。
確認するためにスルスルと横の木を登って行くと、木の葉の向こうに姿が消える。
「結構、北に来てるな」
「やっぱり……」
ネグロスが木から飛び降りて、確認した結果を伝えてくれる。
「でも、ユンヴィアの巨木も見えたから大丈夫だ。
今ならまだ帰れるぜ」
「ふふっ。それなら先に進んでも問題ないな」
「ま、そういうことだ」
お互いに食人棘蔦エリアを抜けて活性水で疲れも回復した。
少し余裕が戻ってきて笑みが溢れる。
「シルバーはどれぐらい奥に行ったかな?」
ネグロスが聞いてくる。
ハクはどこまで行ったか?
「火竜の巣ってことだよな?」
「そう……だな。
火竜の巣かぁ。
そう考えるともっと奥だな」
「昇竜のレンヤさんたちが縞赤猪とか赤岩犀を狩ったって言ってたし。
少なくともこの辺よりは奥だろうな」
暗闇の中で森の先を見ても、何も見えない。
ただ、暗い森が続いてる。
「ここから先も危険がたくさんってことだな」
「あぁ、まだ戦闘らしいことはしてないけど、この先は避けられないかもな」
「ふっ。俺たちだってほぼBランクだからな。
赤岩犀ぐらいは倒せるさ」
「まぁ無理はせずに行くぞ。
何てたって知らない森だからな」
「そうだな、さっきみたいなヘマはしない」
「その意気だ。
それじゃ、行くか」
「おうっ」
ネグロスが威勢よく立ち上がると軽くストレッチする。
私も立ち上がり活性水を木に押しつけて目印を作る。
木がグングンと育ち巨木になったのを確認して、二人して走り出した。
体力とか色々考えると歩いて進むべきかも知れないけど、それだといつまで経ってもハクに追いつけない。
アイツは既にもっともっと奥に行っている。
食人棘蔦エリアを抜けた後は、普通の森と似た様子だ。
夜だから静かなのか、いつもこうなのかは分からないけど獣や魔物の気配が薄い。
……自然と気が抜ける。
……森が広過ぎる。
走っても走っても暗闇で同じような景色が続く。
突然、右から何かが飛んで来た。
「伏せてっ!」
ネグロスに向かって声をかけると二人して木の隙間にダイブして、木陰に身を隠す。
「何だ?」
ネグロスの声が少し離れたところから聞こえる。
「何かいた。
影隼みたいなヤツだ」
「よく気づいたな」
「後ろから来たんだ」
「なるほど、それなら仕方ないか……」
立て続けに魔物に気づけなかったことでネグロスが悔しがってる。
「夜中にアレはキツいな……」
冥界の塔で戦った影隼を思い起こすと憂鬱になる。
あのときは迷宮の明かりがあって、建物があって飛んで来る方向も限られていた。
今は辺り一面が月明かりも届かない闇で、四方八方が森。
どんな鳥がどこから来るか分からない。
「夜中に襲ってくる鳥か……。
夜行性となると梟か百舌あたりか」
「梟だな。
百舌のような小さな鳥じゃなかった」
ネグロスの問いに答えて魔物に当たりをつける。
梟なら滑るようにして静かに飛ぶから、音じゃなく目で見つける必要がある。
目で捉えられる長い直線。
あの木と木の間が狙い目か。
三ヶ所ほど予測して待つ。
「来た」
ネグロスの方に来たようだ。
背後からネグロスの声がする。
振り返ると、ネグロスが踏み込んで突っ込んで行った。
「だぁっ!」
二刀をクロスさせて梟の首をハサミで斬るようにして斬り上げると、梟の首が飛んだ。
気合で斬ったような一撃。
梟の首がこちらに飛んで来たので、拾い上げると首の周りに特徴的な黒い飾り羽根がある。
髭梟。
知能が高くて人間味のある外見からついた名前だけど、残虐で凶暴な魔物だ。
「この辺りで十五階層ぐらいの難易度ってことか」
ネグロスが死体を確認してから戻って来る。
動きや体格を考えると強さは影隼と似たようなものだし、そうすると周辺にいる獣や魔物も同じようなレベルだろう。
案外、危険度をイメージしやすい表現だ。
「それぐらいが妥当かもな。
迷宮よりもこちらの方が難易度が高いような気がするけど、魔物の危険度は似たようなレベルだ」
「確かに迷宮よりはキツいな。
森が広大過ぎるのと、方角の判断が難しいから」
「私たちの場合は水があるし荷物が無くても何とかなるが、なかなかこの森には入れないな……」
「俺の足でも森を抜けるのにどれぐらい時間がかかるか分からない。
厄介な森だと思うよ」
二人で溜め息を吐きながら走り出すと、離れた木の横に赤い瞳が見える。
「おわっ!」
「何だ?」
「左手の木の上、何か大型の獣がいる」
木の上、三メートルぐらいの高さに大型の猫のような獣が寝そべってこちらを見ている。
私が指差した方向をネグロスが確認すると、少し腰を落として警戒する。
「牙鼠山猫だな。
それもかなり大きい。
できれば戦わずに進みたい」
「そんなに危険なのか?」
「大丈夫だと思うけど、時間と体力を使う。
襲ってこないのにわざわざ倒す必要もないだろ」
「そうだな。
それよりも奥へ進んだ方がいい」
「なら決まりだ。
右に迂回して進むぞ」
二人して武器を構えたまま腰を落としていつでも反応できるようにしながら、右手に進み距離を取る。
今まで気づかなかっただけであちこちに獣が隠れているのかも知れない。
そう思うと少し怖くなる。
他の獣人と合わずにドンドンと奥に進むことが不安になる。
碧玉の森のときは森の怖さを知らなかった。銀角犀の強さすら知らずにいた。
その後一角獣などの強い魔物を見たけど、ハクやセラドブランたちが倒した。
……私は見てただけだ。
ここまでは問題無く進んで来れた。
でも、今、一角獣が出たらどうする?
急にこの森が怖くなった。
勝てないとか、殺される、と言った怖さじゃない。
帰れないんじゃないか。
そんな漠然とした不安が込み上げてくる。
でも、ハクはもっと先にいる。
弱気な自分を叱咤し、足を踏み出してネグロスの背中を追う。
「ネグロスは森や山が怖くないか?」
「そりゃ怖いさ。
昔は迷子になって助けを待って朝までジッとしてたこともある」
「助けが来て良かったな」
「そうだな。
無茶もしたけど、帰るだけなら何とかなるさ」
「そうか……。
そうだな。帰るなら何とかなるか……」
「方角さえ分かれば後は体力の問題だ。
夜はジッとして、昼間に太陽の方向に進めば帰れるはずだ」
「そうだな……」
「どうしたんだ、急に?」
「いや、ちょっと不安になったんだ」
「……。
そういや、狩りの経験も全然無かったんだよな。
俺なんかは山の怖さを知る前に山に入り浸ってたから」
「そんなものか……」
「そうだな。
今は怖いと思うこともあるよ」
「バレットは何が怖いんだ?」
「そのときによるけど、やっぱ強い魔物だな」
「そうか、私は帰れるかどうか、漠然と不安を感じた」
「そうか〜。
俺は逃げれば何とかなると思ってるからな。
オレやシルバーはもっと小さい頃から森や山に入ってるし、方向感覚は鍛えられてると思う」
「私はまだまだだな」
「そりゃそうだろ。
経験が少な過ぎる。そんな簡単に何でもできるようにならないよ」
「それもそうだな」
牙鼠山猫から離れた私たちは再び夜の森の中を走り始めた。




