第百四十七話
「どうするつもりだ?」
「簡単な話だ。二択で選ばせてやる」
押し倒して首を押さえた体勢で蛟龍に告げる。
視界の先には迷宮核が見え、迷宮主を押さえ込んだ。
圧倒的に有利な状態だからできる選択。
「隷属か、死か。好きな方を選べ」
「くっ、どう言うことだ?」
「言った通りだ。
隷属するなら今まで通りここで生きられる。
拒否するなら死んでもらう」
「はっ、我には生も死も関係無い」
蛟龍が強がりを言う。
確かに蛟龍には生も死も関係無いかも知れない。しかし迷宮核を失ったらどうなるか。
「そうか、それなら言い換えてやろう。
隷属するなら迷宮は残る。
拒否するなら迷宮は破壊する」
「くっ、貴様、何を言っている」
蛟龍が目に見えて狼狽する。
先ほどまでの強情さが消えて、焦りが見える。
それは魔力強化して押さえつけている手を通してダイレクトに伝わってくる。
「大したことじゃ無い。
この迷宮を残したければオレに従えってだけだ。
オレに従えば、悪いようにはしない。
この迷宮を守ってやる」
「卑怯者め!」
地面に押さえつけた蛟龍が身を捩って暴れ出したが、力任せに一発殴り大人しくさせる。
「こっちにも都合があるからな。
お人好しじゃいられないんだ」
「貴様が言ったことを守るとは限らない……」
「そうだ。
お前はオレに従うしか無いからな。
対等じゃ無いんだよ」
「貴様〜!」
再び蛟龍が暴れ出した。
オレは意図的に力を緩めて蛟龍を解放する。
「はっ、油断したな」
オレの手から逃れた蛟龍が距離を取って言う。
「強制的に契約したら可哀想だと思ってな。
改めて言うぞ。
オレに従えばこの迷宮は残してやる。
従わないならかかって来い。
魔導書」
左手の剣を仕舞い神授工芸品の魔導書を取り出した。
「魔導書……。
本当に契約するつもりか?」
突然オレの手に現れた魔導書を見て蛟龍は目を見開き呟いた。
「さぁ、選べ。
自分で決めていいぞ」
「ふざけるなっ!
貴様の狙いは何だ?」
「麓の街の水不足を解決したいだけだ。
強力するなら助けてやる。
拒むなら別の方法を考える」
「水不足?
そう言えば何か言っていたな。
どうしてこの迷宮が関係する?」
「ここの迷宮主は水を司っているんだろ。
水不足が起きれば関係してると考えるのが普通じゃないか?」
「この迷宮は水を生む迷宮だ。
水が不足するとしたら獣人たちの問題だ」
「獣人の問題にこの迷宮の力を使おうとしたヤツを探してる」
「どう言うことだ?」
「この迷宮の力を弱くしようと企んだヤツがいるはずなんだ」
「何?!
そんなふざけた奴は我が許さん」
「あぁ、まだこの階層までは来てないようだが、また来るはずだ」
「はははっ。それなら貴様の出番は無い。
我が成敗してくれる」
「そう言って負けたら困るからな。
勝手に戦わないように契約してもらう」
「何っ?」
「そして侵入者が現れたときのために連絡係も用意してもらう」
「何故だ?」
「一つはお前が弱いから。
勝手に戦って、負けた上に迷宮核を壊されるぐらいなら、オレが使い道を考える。
もう一つはいつ来るか分からない侵入者のためにこんなところで待ち構えるつもりはないから。
だから連絡係が必要になる。
色々とやることがあるんだ。
オレに従うなら契約するし、従わないならサッサと潰して別の手を考える」
そう言い切ると傷だらけの蛟龍を見た。
まだ悩んでるようだが、ヤツには選択肢が無い。
魔導書を前に出して決断を待つ。
「本当に迷宮核を守ってくれるんだな?」
「あぁ、当然だ。
この迷宮には価値がある」
「分かった。
我はお主に従おう」
蛟龍がゆっくりと宙を飛んで向かって来る。
改めて手元の魔導書を見るとパラパラとページが捲れて空白ページが開く。
「オレに従え、蛟龍」
「……承知した。そなたの力になり仕えよう」
空白ページに黒い線で蜷局を巻く龍が浮かび上がり、更に龍を取り巻く波線が描かれる。
その周囲に読めない紋様が円を描くように連なり白地を埋めていく。
幾何学模様のような紋様は三重の円を描いて止まると、紋様はフワッと光り滲んで消えた。
……消えた?
薄っすらと微かに見える紋様の跡だけだと失敗したのかと心配になるけど、神授工芸品だし大丈夫だろう。
「これからお前はアートルだ」
安直だが、黒を意味する言葉なら覚えやすい。
「ふむ。なかなかいい響きだ。
良かろう。我はアートル。
お主の名は何という?」
「オレはハク・メイクーン。
覚えておけ。それから脚の速い精霊がいたら連れて来てくれ。
そいつを連絡係として連れて行く」
「脚の速い精霊か、中々難しい注文だな」
「オレと一緒に行動してもらうつもりだから、その前提で紹介してくれ」
「ふははっ、それならうってつけの精霊がいる」
「じゃあ、そいつを呼んでくれ。
そいつと相性が合えば契約したい」
「ウンブラアクア。ここへ」
蛟龍が闇に向かって声をかけると、何かがやって来る。
……気配は感じるけど姿は見えない。
風の隼のように普段は姿を隠していて、気の向いたときだけ顔を見せるのだろうか?
「ウンブラアクア?」
手を伸ばして蛟龍の言った名を呼んでみる。
途端にスゥーっと掌にヒンヤリとした冷気を感じた。
掌をよく見ると手の影に水が付いている。
ん?
徐々にその水が増えて水滴になり、しばらくするとコップに入れた水のような塊になった。
何だ? これは?
「ウンブラアクア、今風の呼び名だと影水だ」
「影水、だから影水か……。
なるほど珍しい精霊だ。
そしてどこにでもついて来られる」
影水。
これは影であり水である精霊。
そして影でも水でもない精霊。
「どうだ? 気難しい影水だが、興味を持ってるようだぞ」
「そうか? まぁ敵対する気はなさそうだな。
オレと一緒に来い影水。
名前は、そうだな、……ノワルーナ。
ノワルーナ、オレのところへ来い」
古の言葉で新月を表すノワルーナ。
見えない影にもってこいの名前だが、気に入ってくれるか?
魔導書を前に突き出すと、自然と空白ページが開く。
真っ白なページに上の方から墨汁をかけたように黒い染みが広がっていく。
黒い染みは白い文字を浮かび上がらせながら一面を黒く染め上げていき、濃淡で何重もの波紋ができている。
黒い染みがページ全体に広がると、残された白地が眩く輝いて契約が終わった。
連絡係と言いながら、どうやってコミュニケーションを取ったらいいか分からない。……多分、何か特別な反応をして教えてくれるだろう。
どこにでもいるようで、どこにもいない不思議な精霊だ。足元の影かどこかに混ざるようにしてついて来ると思う。
魔導書で契約を済ませると、残された課題は迷宮核だけになった。




