第百四十四話
階層主の鰐鬼を倒して出てきた宝箱が二つ。
小さな宝箱と大きな宝箱。
……程良い魔晶石は手に入らないようだ。
少し気落ちしながら宝箱を開けていく。
まずは小さな宝箱。
宝箱を開けると中には金色の金属製の酒杯があった。
細長い胴にやや太めの脚、浅く広い台がついたワイングラス型だ。
表面には唐草? 紋様がほられている。
酒杯?
聖餐?
聖杯?
ただの酒杯と言うことはないだろう。
これまで水を生み出す神授工芸品が続いたし、この酒杯は水もしくは酒を生み出すと思う。
それならこの神授工芸品は金の聖杯と呼ぶべきか。
予想は予想で、どんな水が湧き出るか分からないので仮称でしかないが、せめて名前を区別しておかないと腰鞄の中で埋もれてしまう。
名前の無い神授工芸品は余程珍しい外観をしてないと記憶に残らない。
今回の金の聖杯はかなり重要な神授工芸品だと思うので、機能が分からなくてもしっかりと記憶しておかないとマズい。
その内、神授工芸品を保管できる倉庫が欲しいな。
レドリオン公爵領の商人ヘンリーがいれば神授工芸品の機能と単価を教えてくれるけど、そもそも手に入れた神授工芸品を一覧にしないと何を手に入れたか分からなくなる。
名前や機能が分からないから外観で判断するしか無い。
二十階層に出した魔動馬車みたいに外観は小さなスペースだけど中は広くて沢山整列できる棚がついた書庫みたいな倉庫型神授工芸品。
王家なら持っているかも知れない。
売りに出ないだろうが、売りに出たら途方もない値段になりそうだ。
かなりの需要があると思う。
金の聖杯は隠しておきたいので腰鞄ではなく収納庫に仕舞い、大きな宝箱に手を伸ばす。
大きさと貴重さに関係はないけど、大きい宝箱の方がテンションが上がる。
宝箱を開けると中には緑色の魔晶石が入っている。
大きさは蓮の水盤に嵌っていたものより一回り大きい。
……小さくても困るけど、大きくても使えるかどうか分からないところが微妙だ。
まぁ、嵌ることを期待して持って行こう。
宝箱を二つ開けて前を見ると黒い扉。
真っ黒な石の扉にはこれまでの階層と同じように蜷局を巻いて宙に浮かぶ龍が描かれている。
……次は龍か。
まだまだ迷宮が続く可能性もあるけど、それは低いだろう。
ここは迷宮が延々と続き、魔物が際限なく襲ってくるような仕様ではない。
水を司る水神が棲む聖域だ。
できれば戦いたくない。
しかし、会ってみないと相手の出方が分からない。
好戦的な相手で無いことを祈りながら石の扉を押した。
扉の先にある階段を下ると通路があり、その先に広間が見える。
広間に入ると階層主のいた広間と同じレイアウト。
中央に大きな楕円形の泉があって、周りに幅の狭い陸地が残っている。
三十一階層でこのレイアウトってことは迷宮主がいる。
鰐鬼を倒して迷宮主との連戦だ。
薄明るい迷宮の中央にある真っ暗な泉。
虹蛇と蛇鬼は泉の中央から現れた。鰐鬼だけはいきなり泉から出てきたけど、やはり中央は要注意だ。
泉の縁を時計回りに歩きながら観察する。
迷宮主が空から来るとは考えにくいので、水面によく見て波紋の一つでもないかと探す。
……。
……。
……。
静かだ。
……。
……。
……。
来た!
泉の水面に波紋が浮かぶ。
泉の中央だ。
最初は小さく一つだけだった波紋が、少しずつ増えてくる。
小さな波紋は次第に波が高くなってきた。
「……」
何か唸るような音も聞こえてくる。
「……」
しかし何も見えない。出て来ない。
「……」
唸り声だけが続く。
どう言うことだ?
「……」
泉の中央から漣が生まれて、ヴヴヴヴと唸ってるような音だけが聞こえて、いつまで経っても何も現れない。
「……」
警戒しながら泉に近づくと、泉の水に手を伸ばす。
そっと右手を泉の中に入れるとひんやりとした水と微かな波を感じる。
「……」
急に襲われることは無さそうだ。
手首まで水に浸けた状態で魔力を流してみる。
!
漣が止まった。
警戒を続けながら魔力を遠くまで流すようにイメージすると、再び波紋が浮かび始めた。
泉の中に何かいるのは確かなようだけど、狙いが分からない。
「……」
泉の中に入るか?
音の正体を確かめるために岸に膝をつき、そっと顔を泉に近づけて頭を水の中に突っ込んだ。
水の中から泉の奥を眺めると、唸り声が多少はっきりと聞こえるようになった。
「……帰れ。
出て行け。
ここは聖なる泉だ」
聞き取りにくいけど拒絶の意思だけは明確に分かる。
一度、顔を上げて大きく息を吸うともう一度頭を泉に突っ込む。
「……ここから去れ。
お前のいる場所ではない」
「戦いに来たつもりはありません。
ここに来た冒険者を探しています」
ボゴボゴと息を吐きながら用件を告げると相手の言葉が止まった。
しばらく返事を待ったけど、返事がないので再度息継ぎをして話しかける。
「半年ほど前にここに来た冒険者がいないか調べています。かなりの腕前のはずです」
水の中で話すのは結構難しくて、一文ずつしか話せない。
しかも、話した後で返事を待たなくてはならない。
……返事がないので再び息継ぎをする。
「ここ最近、半年ほどで訪れた冒険者が分かれば、すぐに帰ります」
……相変わらず返事は無い。
じっくりと待ってみたけど返事は無い。
顔を上げると呼吸を整える。
半年前に冒険者が来てると思ったけど、外れたか?
そうだとすると、どうするか?
その場合、水不足はこの迷宮とは関係ないってことになるのか?
「……」
一人で思考の渦にハマりそうになったところで、波紋が浮かんだ。
くっ、聞き損ねた。
慌てて頭を泉に突っ込む。
「……いない。
だから帰れ」
いない?
息を継いで顔を突っ込むと泉の中で叫ぶ。
「どう言うことだ?
もう一度聞かせてくれ」
「ここ数十年でここまで来た冒険者はいない。
だから帰れ」
「ここまで来た冒険者はいない?
二十階層まで来た冒険者がいるはずだ」
「他の階層は知らぬ。
さっさと帰れ」
「それは本当か?」
「本当だ。
ここに冒険者が来たのは百年振りだ」
ぶはっ!
ちょっと無理をした。
慌てて息を継いで、再び話しかける。
「百年振り?
蛇鬼の神授工芸品、蓮の水盤は最近壊れたんじゃないのか?」
「知らぬ。
最近、迷宮内の地脈が乱れたようだがその理由までは知らぬ」
「地脈が乱れた?」
「あぁ、魔力の流れが崩れた」
「それはどう言うことだ?」
「言葉の通りだ」
「くっ、では最近とはいつのことだ?」
「知らぬ。
悠久の時から見れば数年など一瞬のことだ。
最近とは、つい先日のことだ」
くっ、コイツとは話が噛み合わない。
説明する気がないし、時間感覚が違うようだ。
どれぐらい前のことかも特定できない。
最近はこの階層まで冒険者が来ていない。
しかし最近地脈か乱れるようなことがあった。
でも、他の階層のことは知らない。
陸上で息を整えると再び顔を泉の水に浸ける。
「この迷宮は水を生むというのは本当か?」
「当たり前だ。
我が水を司っている。
我には役目がある。
分かったら邪魔をせずにさっさと帰れ」
おっ、そこは合ってるのか。
もう少し聞けるか?




