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1.ミュリエル・エヴァンス

ミュリエル・エヴァンスという彼女の話

オルトン・ブラウニングという彼は、私には過ぎたる婚約者だ。


ミュリエル・エヴァンスと名付けられた彼女は常日頃からそう思っている。

異国の血を引くという父親譲りの鮮やかな赤毛を持つ彼は冗談のように美しく、貴公子として完璧だった。補足するなら貴公子として完成される前から見目麗しい少年だった。ミュリエルはそれを知っている。

彼との婚約が成ったのは、生まれて間もない頃だった。

そう聞かされて育ったし、そういうものだと認識している。

生まれて間もなく流行り病で両親を喪ったミュリエルは、乳離れもしていない赤子の時分からブラウニング家に引き取られて育った。跡継ぎである同い年のオルトン・ブラウニングの婚約者として。そのための教育は受けてきたし、ブラウニング家の当主夫妻も婚約者であるオルトン本人もそれが当然と受け止めている。


『君はオルトンの婚約者としてゆくゆくはこの“ブラウニング”を背負うことになるだろう―――――それが約束だったのでね。私は、これを違えない』


ブラウニング家のご当主である公爵閣下は口癖のようにそう繰り返していた。忙しい人だったので交流こそあまりなかったが、未だミュリエルは感謝の念に絶えない。公爵家に輿入れする者として覚えねばならない事柄は数多く存在したけれど、それ以外では何不自由ない生活を保障してくれた人だった。父を亡くしたミュリエルに、“父”を教えてくれた人だった。


『義理の娘になる友人の子が、嫁入り前から我がブラウニングに花嫁修業に来ているようなものですよ。何の問題もありません』


姑である公爵夫人はミュリエルに対してそのように告げ、本当の娘のように接してくれた。どうせいずれ息子の嫁として義理の娘になるのだし、それが早まっただけのこと。物心ついた時分からずっとそう振る舞ってくれたから、寂しいと感じたことはなかった。教育熱心でたまに恐ろしいと怯えてしまった日もあったけれど、とても温かな人だった。母を知らないミュリエルを、“母”として導いてくれた人だった。


そんな優しい養父母であった彼らが事故でこの世を去った時、彼らの実子だったオルトンはちっとも涙を見せなかった。


『ああ、ミュリエル。とうとう一人だけになってしまったよ』


泣きもせず、喚きもせず、ただ亡羊と笑った彼に、ずっと寄り添って生きていこう―――――養父母が眠る墓石の前で、ミュリエルは決意を新たにした。それが自分の務めであり、彼らがずっと口にしていた“約束”に報いる唯一無二の方法であると。


けれど、オルトン・ブラウニングはやはり、私には過ぎた婚約者である。


公爵家を継いでから精力的に活動する彼を陰日向に支える日々の中、ミュリエルは己の出来の悪さと不甲斐のなさに自嘲した。彼女が現在住み暮らしているのはブラウニング家の本邸で、将来はここの女主人になるのだと子供の頃から言われて育った勝手知ったる実家である。尚、生家のエヴァンス辺境伯家は既に空き家になっていて、エヴァンスが保有していた土地はブラウニング預かりとなっていた。これはエヴァンスの血を引く後継が輿入れの際に戻される。そういう決まりになっている。


だから―――――ミュリエルの()()()()が嫁ぐ時に持って行く筈だった。


妹。

そう。彼女の話をしよう。今だからこそ、しなければならない。


ミュリエルには出来の良い双子の妹が居て、彼女はその名をハリエットという。


茶髪に琥珀の瞳というありふれた色味を持って生まれたミュリエルの双子の妹は、珍しいピンクブロンドに緑を帯びた暗い黄色の目をしていた。派手な色味に美しい顔をした花のように可憐な娘。それが妹のハリエット。姉とは似ても似つかない整った顔立ちの二卵性の妹。オルトンと並んだ姿はミュリエルよりもずっと絵になるのに、『ブラウニング家の婚約者にはミュリエルを』と定められていたせいで最後まで選ばれなかった彼女。


『まあ、いやだわ。お姉様は本当に鈍臭くていらっしゃる』


そんな野暮ったいところが公爵様たちの同情を誘うのかしら?

そんな一人では碌に何も出来ないところがオルトン様のお心をくすぐるのかしら?

子供らしい驕慢さでころころと無邪気に転がった、妹の罵倒を思い出す。かつて事ある毎に何かと突っ掛って来たミュリエルの片割れはきっと、たった数分先に生まれてきただけで自分よりも格段に劣る双子の姉に憧れのオルトンを独占されているのが気にくわなかったに違いない。婚約者の妹だから義理の妹としては愛されても、ハリエットが求めた愛のかたちはそんなミュリエルの()()()ではなかった。


『馬ッ鹿みたい! 親同士の決めた約束でアンタじゃなくちゃ駄目なんて! 公爵夫妻が居なくなってやっと邪魔な人は消えたと思ったのに! オルトン様までなんでなのよ、なんで私じゃいけないのよ、なんで『ミュリエル』じゃなきゃいけないのよ!!! どうして『ハリエット』じゃ“ブラウニング”にしてもらえないの!? どうしてこの私が選ばれないの!?!? 私の方がすごいのに! 私の方が可愛いのに! ダンスだってマナーだってお勉強だってお喋りだって、私の方が出来るのに! 私の方が相応しいのにどうして誰も分かってくれないの、どうしてどうしてアンタばっかりなの!!!!! いつもいつもお姉様ばっかり、いつもいつも呪われたみたいにミュリエルミュリエルミュリエルミュリエル!!!! どうして公爵様も奥様もオルトン様も皆して『ミュリエル』ばっかり特別で、『ハリエット』は選んでもらえないのよ!!!!!』


面と向かってぶちまけられた、血を吐くような叫びを覚えている。

それは先代公爵夫妻の葬儀が終わった一年後、正式に公爵家を継いだオルトンがようやく落ち着いた頃合いで―――――ミュリエルと彼の結婚が、正式に決まった記念日だった。

直談判して拒絶されたのだろう。彼女自身がそう言っていた。他ならぬ双子の姉ミュリエルのせいで最後まで選んでもらえなかったハリエットは自暴自棄になって荒れに荒れ―――――翌日、自室で死んでいた。


公爵邸の美しい庭、その片隅に立つ真新しい墓石を前にして、刻銘された『ハリエット・エヴァンス』の名を指先でなぞりながら、歌う抑揚でミュリエルはぼやく。


「ねぇ、ハリエット。貴女、どうしてこんなことになってしまったの?」


寝間着のまま、ワインと一緒に毒を煽って一人彼女は事切れていた。

嫌われていたことは知っていたし憎悪も当然と受け止めていたが、妹が姉に向けていた感情はもっとどす黒く根深いものであったらしい。


「貴女ならきっともっと上手くやったのでしょうね。私より優秀だったもの。知ってるわ。誰よりもね。だってお姉ちゃんなんですもの。きっと今も嗤っているわね―――――救いようもなく鈍臭くて、やっぱり愚かな姉だって」


ミュリエル・エヴァンスの独白は、墓石だけが聞いている。対抗心を燃え滾らせて挑みかかって来た妹は、ハリエット・エヴァンスはもう居ない。大嫌いだと正面切って憎しみを叩き付けて来た彼女はミュリエルを置いて死んでしまった。


死ぬほど悔しかったのか―――――()()()()()()()()()()()()


自嘲の笑みを刷いた表情で、ミュリエルは静かに振り向いた。妹が眠る墓を背に、ゆったりとした足取りでこちらへと歩み寄るオルトンを迎える。ハリエットの自死により結婚の儀は一年延びて、二人が夫婦の契りを結ぶのはいよいよ明日に迫っていた。


「ハリエットに結婚の報告かい? ミュリエル」

「いいえ、オルトン。この子は私が嫌いだったもの。そんな報告は要らないって言うわ」


否定して。ミュリエルは自嘲めいた表情を消して、穏やかに口元を綻ばせた。家族として過ごした親愛をのせて、恋人として過ごした愛情を込めて、ことりと首を傾げながら。


「妹だもの。よく知っているわ―――――ハリエットが、あの外面がよくて生意気でいつも自信たっぷりで鬱陶しいくらいに張り合ってきた私の可愛い妹が、自分から死ぬ筈なんかないって私はとてもよく知ってるの」


自殺なんかするくらいならきっと、あれは公爵家を飛び出していた。

自分を見ないオルトンなんか捨てて、目障りな姉のミュリエルなんか捨てて、持って生まれた優れた容姿と甘え上手な性質を活かして成り上がる道を選んだだろう。


「ハリエットが自ら毒を煽ったですって? そんなわけがないじゃない」


ミュリエルは静かに墓石を指して、夫となる人に問い掛けた。


「ねぇ、未来の旦那様―――――私のオルトン・ブラウニング。どうして選んであげなかったの?」


どうしてハリエットを殺したの?


ミュリエルには過ぎた婚約者は。

今や公爵閣下と呼ばれる美しいオルトン・ブラウニングは。

不自然に穏やかな顔で、どこか満たされたように答えた。

さながら慶事を祝うような、謳うような声だった。


「それはね、未来のブラウニング夫人―――――彼女自身が選んだからさ」


秘密の話をしてあげよう。

次回、お前は誰だ、という妹が出張る。

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