一身上の都合
夕飯をすませ、ぼちぼち寝ようかというとき、シャルがお気に入りの本を持ってやってきた。
「おとーさん、ご本を読んで」
ずいっと差し出してくる本は、もう何十回も読んで聞かせた冒険譚だった。
勇者が各地を旅して仲間や困りごとを解決していき、悪の根源である魔王を倒すお話だ。
正直、気が乗らない。
とはいえ、これしか本がないので、今夜も読んであげることにしよう。
「よし、じゃあ、ベッドに入ろうか」
「はーい」
よいせ、と抱っこすると、シャルが俺の首にきゅっとしがみつく。
「何回も読んでるけど、飽きない? つまらなくない? むしろ、もうつまらないでしょ?」
ぷるぷる、とシャルは首を振る。
「これ、すきっ」
そっかー。お父さんはこれ嫌いだナー。
魔王的なラスボスのポジション、バハムートなんだもの。
なんなら、俺が書き換えて別の物語を聞かせてやろうかと思うほどに、納得いかなかった。
シャルが好きな本だから目をつむってやっているが、書いたやつが目の前に現れたら塵にしていると思う。
ベッドにシャルを連れていき、今夜も宿敵バハムートを倒す勇者の冒険譚を語って聞かせる。
「こうして、バハムートさんは宿敵の勇者とその一行を返り討ちにしましたとさ。めでたしめでたし」
「パパ、最後ちがう!」
「パパじゃなくてお父さん!」
「悪いバハムートをやっつけるの! なんでやられちゃうの!」
「お父さんの一身上の都合だよ!」
「なに、イッシンジョーのツゴーって」
「いいかい、シャル。それは、困ったときに使う魔法の呪文だよ」
「イッシンジョーのツゴーが?」
「そう。今度から、フランさんちから別の本借りてこようか? 新しいお話、聞きたいでしょ?」
ぶんぶん、とシャルは首を振った。
「いーい。これがいい」
案外、頑固なところがあるらしい。
はあ、と俺はため息をついて、折れることにした。
思えば、これがバハムート的教育最大の失策だったといえるだろう。
俺は夜ごと、せがまれるがまま、シャルに冒険譚を聞かせた。ノーアレンジのやつな。アレンジすると怒るから。
こうして、シャルは無事七歳の誕生日を迎えた。
正確な日付はわからないから、俺が拾った日を誕生日ということにしている。
近所のコレットが作ってくれたケーキを食べながら、シャルは決意を口にした。
「わたし、冒険者になるっ」
「冒険者に?」
うんうん、とシャルは何度もうなずいた。
言い出したら聞かない頑固ちゃんだからなぁ……。
しかし、冒険者は命を落とすこともある仕事だ。むしろ、冒険稼業だけで稼げている者がどれほどいるのか……。
冒険者ってのは、俺に挑んでは塵になって消えるムシケラみたいなやつらのことでもある。
そんなものになりたいだなんて、心配だ。
お父さん、超心配。
とはいえ、バハムート的教育じゃあ、いろんなことをさせてあげるという方針だ。
可愛い子には旅をさせよ、という。
シャルは目に入れても口に入れても痛くないほどに可愛い。
顔立ちだって、他の同年代の子供に比べればズバ抜けてウチの子が可愛い。
無敵。最強。天下一。
冒険だってさせてあげたいんだが、どうしたもんか。
……こういうとき保護者が一緒なら――というか俺がそばで見守ってやれば、万が一は起こらないだろう。
「よしわかった。お父さんも一緒に冒険者になる!」
「わぁーい! パパもいっしょーっ」
だきっ、と俺にしがみついてくるシャルの頭を撫でる。
「パパじゃなくてお父さんでしょ」
「おとーさん」
「うん?」
「わたし、冒険者になって、バハムートをやっつけたいのっ」
しゅしゅ、しゅ、とちっちゃな拳でシャルはパンチを繰り出す。
「……」
悲しい……。
お父さん、超悲しい……。
「そ。そっか」
「うん。だから、わたし、がんばる!」
その夢は、応援できないなぁー。
まあ、俺が知らないだけで他にもバハムートがいるのかもしれない。
もし見つけたらそいつを生贄にして、シャルに倒されてもらおう。
よし、これで完璧。
「シャル。冒険者になるには、試験をパスする必要があるらしいぞ。性別年齢、人種は問わないから、受けることはできると思う」
小難しい単語にシャルが首をかしげる。そうか、わかんないか。
「ええっとな、誰でも冒険者の試験は受けられますよってことだ。でも、それに合格しないとなれないんだよ」
「なる。冒険者! 絶対!」
……そんなにお父さん(バハムート)を倒す意思は固いのか。
いいだろう。万一のときは、この父の屍を超えていくがいい……!
この田舎町にも冒険者ギルドはある。
試験の内容を尋ねるため冒険者ギルドを訪れ、俺は受付嬢のお姉さんに声をかけた。
「あのー、ウチの天使が――間違えた。ウチの子が冒険者になりたいみたいなんですけど、試験ってこっちで受けられるんですか?」
「ああ、試験でしたら会場になる町がいくつかあって、最寄だと東にあるレパントの町が一番近いですよ」
レパント……。元の姿になればひとっ飛びだ。じゃなくて。馬で半日もかからない町だ。
「ありがとうございます。試験内容ってわかりますか?」
「魔力測定と実技、それに、簡単な計算と読み書きの筆記試験が数年前から加わりました」
むむ。お勉強をせにゃならんのか。
俺はお礼を言ってギルドをあとにする。
家に帰ると、
「おかえりなさーい」
とてとて、と走ってきたシャルを俺は抱きしめる。
「うん、ただいま」
あー。幸せ……。癒される。
「おとーさん、どこいってたの?」
「冒険者ギルドにちょっとな」
それに反応したシャルが、目をキラッッキラに輝かせた。
「どうして? どうしてギルドにいってたの? どうして?」
「冒険者試験の確認にな。まだ日は高い。さっそく特訓するぞ、シャル」
「わぁーい! とっくん、とっくん!」
ぐりぐりぐり、と俺の胸に頭を押しつけるシャル。
俺とシャルは外に出て、さっそく特訓を開始する。
魔力測定ってのはその名の通り、対象の魔力を計測して評価するものだ。実技は、武器でも魔法でも何でもいいから、試験官に実力を見せる。
筆記は、簡単な読み書き計算で、三つの総合評価で可否が決まるそうだ。
「そうだ。特訓の前に、シャルはどんな冒険者になりたい?」
「バハムートをやっつける冒険者!!」
ノータイムで力強く言われると、悲しさより虚しさが勝るな……。
「剣士とか魔法使いとか拳闘士とか色々勇者の仲間にいたでしょ?」
むむぅ? とシャルは思い出すように宙を見つめる。
「えっとね、えっとね。ズバンってやって、ザシュン、ってやる、ええっと」
「剣士かな」
「まほうつかい!」
その擬音でその答えは、お父さん予想できなかったなー。
俺にむけて、シャルは両手をかざす。
うん? どうしたどうした? 魔法でも撃つのかな?
んんんんんんんん、と顔を赤くして、魔力を使おうと頑張っている。
「イッシンジョーのツゴー!」
それ、魔法の呪文じゃないからね。
そのときだった。
小さな魔力の弾がふわふわ、とシャルの手から放たれた。
「お、おおおおおお……」
しゃぼん玉みたいに風でゆらゆら揺れて廃屋になっているボロ小屋のほうへ飛んでいく。
どこまで持つんだろう、と俺は弾の行方を見守る。
可愛い娘の放った可愛い魔力の弾は――。
ズガァン!
凄まじい音を轟かせて、直撃した小屋の屋根を吹っ飛ばした。
い、イッシンジョーのツゴーすげええええええええええええ!
い、威力だけは可愛くねええええ!
神童がおる。ここに、神童がおる……!
「おとーさん、なんかでたー!」
「一身上の都合が出たね」
なでなで、と我が子を目いっぱい可愛がる。
「シャルすごいなー!」
「おとーさんも、おとーさんもっ」
見たい見たい、と俺の服を引っ張るシャル。
この姿で魔法を使ったことはないが、まあいい。お父さんの威厳に懸けて、ちょっとやってみよう。
小さく息を吸い込む。
たまった空気に、魔力を溶け込ませるイメージ。
フッと吹き出す瞬間、ちょっとばかし力を入れた。
カッ。
俺の周囲を黒銀の光が照らす。同時に口から黒い魔弾を放った。
ズガァアアアアアン!
シャルが壊した小屋に直撃し、激しい爆音と爆風が吹き荒れた。
砂煙がなくなると、小屋はもう存在しておらず更地になっていた。
ぱぁぁぁぁあ、とシャルが顔を輝かせた。
「おとーさん、すごぉおおおおおおおおいっ!」
「ふふん。だろ?」
「おうち壊す屋さんになれるよっ」
なんだろうそれ。
キラキラの尊敬の眼差しを俺にむけているシャル。
俺はぐっと拳を握った。
「そうだなっ!! なれるかもな!!」
疑問をねじ伏せ力強く返答しておいた。
こうして、シャルはバハムート的教育を施したおかげで、冒険者(というか魔法使い)としての能力がどんどん強くなっていった。