神竜バハムート
とある山奥の洞穴に、幻想種と名高いドラゴン、バハムートが暮らしていた。
魔獣、魔物、その他生物の頂点に君臨すると云われる竜種。その中でも際立って強いのが≪神竜バハムート≫。
「グルゥゥゥゥォオオオオアアアアア!!」
ひと鳴きすれば地が揺れ、翼をはためかせれば雲が割れる。
目的は様々だったが、人間の冒険者たちは、彼を探すことに躍起になった。
――神話の生物バハムートは、存在するのではないか。
そんなふうにロマンを追い求める者もいれば、ウロコや牙や爪、それら希少な素材を手に入れるため探す者も数多くいた。
彼は、彼以外のバハムートを知らない。
「い、いたぞ――――!」
「し、神話通りだ……! これが、バハムート!」
「こいつを倒せば、億万長者だ!!」
名のある精鋭冒険者パーティが、殺気立つ。
神々しささえ漂わせる白銀のウロコに、赤い瞳。大木を容易く噛み切る顎と牙。鼻から息を吹きかけるだけで、人間は尻もちをつき、地面に転がった。
「い、行くぞ!!」
「「「「ウオオオオオオ!」」」」
フッとバハムートが息を吹きかけると、吐息は魔法の弾丸となり冒険者たちへと飛んでいく。
彼にとってはただの弾丸程度だが、人間にとっては己の体以上の巨弾である。
「ぬぉおおおおお!? こ、こ、これが、あのドラゴンブレスか!!」
「防御魔法展開! 急げ!」
「わかってる! 防御魔法、エリアフォース!」
強固な魔法を展開。その内側で冒険者たちがホッとした。
その瞬間。
防御魔法ごと吐息の弾丸が呑み込む。
魔法を突き破れるかどうか、そんなことは些末な問題に過ぎず、巨大な炸裂音と同時に冒険者たちが吹き飛んだ。
指先ひとつ動かすこともなく、バハムートは静かになった巣で、また目をつむって眠る。
(あーあ、つまんねえ)
……バハムートは、生物最強の地位に飽きていた。
◆◆◆
「暇……」
くわぁ、と俺はあくびをひとつする。
巣の洞穴は快適で、湧き水で喉をうるおせるし、暑さも寒さもこれといって苦じゃなかった。
食い物は、ときどき巣を出て果実のなった樹を丸ごといただくこともあれば、ほんの少し翼をはためかせ、数百キロ先の地域まで飛んで何かしら食料を調達していた。
とくに困ることもなかった。
まあ、主な食い物といえば、この巣に入り込んで、愚かにも攻撃をしかけてくる魔物や魔獣、魔族だった。
俺、好き嫌いしないタイプだし。
なんでもドンドン来いって感じだったんだが。
……最近、誰も来ない……。
最近つっても数十年単位。
たぶん、俺がやってきたやつらを返り討ちにして食っちまったからだろう。
あの洞穴、なんかヤベエ奴がいるから近寄るのはやめよう。中に入った奴らが帰ってこない。そんなふうにどうやら思われているらしかった。
暇どころか、誰も構ってくれないし、挑んでもこない。
ちょっと前までは気合の入った冒険者たちは、命を賭して俺に挑んでは塵になったっていうのに、最近の奴らときたら……。
「うおおおおおお!? どどどどどど、ドラゴン!?」
冒険者三人組が俺の巣に迷い込んでしまったらしい。
――――――――――
種族:竜種 ≪神竜≫バハムート(光)
Lv:347
スキル
アイアンクロウ(竜爪での物理攻撃スキル)
原初竜炎(ドラゴンブレスの上位互換。バハムート固有スキル)
変身(魔力を消費し姿を変えられるスキル)
銀閃尾(尻尾を使った物理攻撃スキル。攻撃速度は世界最速)
――――――――――
ニンゲンのレベル上限は99って話だし、俺に挑むだけ無駄ってもんだ。
でも、久しぶりの来客に、俺もちょっと嬉しくなった。
戦うか? それともなんかのお願い事か?
干ばつをどうにかしてくれ、とか。飢饉をなんとかしてくれ、とか。
たまにいんだよ、そういう無茶ぶりしてくる奴。
「すっげーー……。オレ、はじめて見たわ……」
「なんて神々しいお姿だ……」
「これバハムートって種類じゃねえの?」
「うっわぁ。それっぽい。オレ生きててよかった」
なあ。と三人は顔を見合わせてうなずいた。
はぁぁぁ……。と、俺を物珍しそうに見上げて見惚れていると、三人はぱちんと手を合わせ、目をつむった。
……拝むな!
俺、そういうアレじゃねえから。
人間が腑抜けたのか何なのか、冒険者でもこのありさまで、最早戦うっていう選択肢は存在しないらしい。
くるり、と背をむけた彼らは、「オレ、田舎帰ってこのこと自慢しよう」「マジ一生の思い出できたわ」「あんなの見れるなんて、もうオレ冒険者やめていいわ」などと言い合い、遠足気分で帰っていった。
なかなかどうして、俺の暇をつぶしてくれる何かは現れないらしい。
あーあ、暇だ。最近は戦うことすらしないし、戦う前にそもそもむこうに戦意がないから、戦う気にもならないんだよな……。
やれやれ、と俺はまた伏せて目をつむった。
しばらくそうしていると、どこかから、何かの鳴き声が聞こえてきた。
片目だけ、ぱちっと開けて付近の様子をうかがう。
巣の中に何かがやってきたわけじゃないらしい。
じゃあ、どこだ? うるさくて眠れねえ。
原因を探るべく、俺は洞穴を出口のほうへと歩いていく。
「フギャァアアア、アンギャァアア」
やかましい鳴き声に俺は眉をひそめる。
ぬっと洞穴から頭を出して周囲を探ると、それはすぐに見つかった。
産着に身を包んだ小さな小さな人間の赤ちゃんがいた。
「ガアアアウ」
と、吠えてみたものの赤ん坊は泣き止まない。
俺の爪は鋭く、赤ん坊の顔よりも太い。触れれば、そのまま潰しちまいそうだ。泣き止まそうにも、このままじゃあやすこともできねえ。
仕方なく、俺は人間に姿を変えることにした。
少々魔力を消費し変身。年齢は三〇半ばくらいの男になった。
「これなら触れても大丈夫だろう」
泣き止ませたあと、適当な村まで届ければ何とかしてくれるはずだ。
「フギャアアン、オンギャアア」
「わかった、わかった。待て待て。今あやしてやる」
よいしょ、と俺は赤ん坊を抱き上げる。
「フギャアア、フギャ……」
泣きまくった濡れた瞳が、俺をまっすぐじいっと見つめてきた。
「お。泣き止んだ」
「きゃっきゃ、あうあ、あう……」
よしよし、と揺らしてやると、きゃっきゃ、と赤ん坊は喜んだ。
「だぁ」
ちっちゃな手が、きゅ、と俺の指先を握った。
な、なんだ、この生物……。
はじめて芽生えた、不思議な感情だった。
なぜか俺は、この子を守ってあげなければならないと思った。
「だあだ、だあ、きゃきゃ」
両手を一生懸命あれこれ動かして、何かしようとしている。
……可愛い。
なるほど……。この他者を愛しく思う感情を愛情と呼ぶのか。
「そうなれば、俺がおまえを立派に育ててやろう。心配するな。俺は世界最強の神竜、バハムート。バハムート的教育を施し、愛情を注いで、おまえを一人前にしてみせる」
――こうしてバハムートは最強をやめて、パパになった。