中間市 -14:34-
細く長い通路を行く湊と武蔵。
武蔵が手にしたタブレットによれば、もうすぐ脱出用の列車が存在する区画に到達するはずだ。
目前に迫る生還の希望を前にしながらも、武蔵の顔は暗く、その足取りは重い。
「……武蔵君」
彼を先に歩かせ、その背中を追いかける湊は、不安そうに彼の背中に問いかける。
「大丈夫? ……って聞くのもおかしいかな?」
「いや………」
湊の疑問に対し、武蔵は気のない返事を返すだけだ。
先ほどの英人の行動。それ以来ずっとこの調子だった。
顔から生気は抜け、肩に背負ったマシンガンも異様に重そうに見える。
英人と再び別れてしまったのが、よほど堪えているらしい。
確かに今生の別れともなれば、それだけ気落ちするのも湊にも理解できる気はする。
だが、今の武蔵の気持ちは湊には理解できないでいた。
湊が落ち込む前に、武蔵が酷く落ち込んでしまったというのもありそうだが、だとしてもこの落ち込み方は異常だろう。
まるで英人に裏切られてしまったかのようだ。実際、裏切るような形での別離ではあったが……あれとて英人に悪意があったわけではないだろう。
英人は英人なりに考えを持ち、それを実行に移しただけだ。彼は自分たちに生きて欲しいと願ったし、自分のようなバケモノが生きていてはいけないとも考えたのだろう。
……湊とて、英人のそんな思考が許容できるわけではない。だがその一方……どこか自分とは程遠い部分が冷めた思考で“やっぱり”と呟いているのも聞こえる。
やっぱり、英人はこの道を選んでしまった。彼ならきっとこうなるだろう。湊は、そんな自分の冷めた部分を否定したかった。
だが、彼女ができたのはそれだけだった。自分を否定できても、英人の考えを変えることはできなかった。
「……私も、英人君を助けたかったよ」
湊がポツリと言葉を零す。我慢できずに毀れた雫のような言葉は、静かな通路の中に少し大きめに響いた。
「英人君を、助けたかったよ。バケモノなんかじゃない、英人君は英人君なんだって、そういってあげたかったよ。……でも、届かなかったよ。もう、私たちの言葉なんか、届かなかったんだよ」
武蔵に向けられた、慰めのような言葉。それは湊自身にも向けられているようであったが、それでも彼女は言葉を連ねる。
「英人君は、決めちゃってたんだよ。自分は、こうするって。それを、私たちは―――」
「違う……違うんだ、湊……」
だが、そんな湊の言葉を遮って武蔵は口を開いた。
「そうじゃない……そうじゃないんだよ……」
「違う……? 一体、何が?」
武蔵が口を開いたことに驚き、そしてその言葉の内容にも驚く湊。
違う。一体何が違うのだろうか?
湊は武蔵の次の言葉を待つ。彼が何を言いたいのか、はっきりと見えてこない。
一体何が、彼の心をこれほど陰鬱に落とし込んでいると言うのか。
「違う……俺は、別に……英人を、助けたかったわけじゃない……」
「助けたかったわけじゃ……?」
発言の意味がよく理解できない。助けたかったわけではない?
それはつまり、英人を見捨てるつもりがあったとでも言うのだろうか。仮にも、英人の親友の一人でありながら、初めから英人の生存を諦めていたとでも言うのだろうか?
だがそれは信じ難い話だ。英人が湊たちのことを想って、その身を挺すように、彼も英人のことを想ってその身を挺することに迷いはないだろう。
二人との付き合いが長い湊には、彼の言葉が信じられない。
「どういうこと……? 言ってる意味がわからないよ、武蔵君……」
「……今の英人に、助けなんていらない。そのくらいは俺にだってわかるさ……」
湊の言葉に武蔵はそう返す。
確かに……今の英人には武蔵たちの助けは要らないだろう。
適合者と化した今の彼は、一トンを超える装甲服を着ても動けるほどに強靭だ。
この、どうしようもなくぼろぼろに崩壊してしまった中間市において、彼ほどに頼りになり、そして助けの要らない存在もいないだろう。
ディスクの話を信じるのであれば適合者は、高濃度の放射能でしか確実に殺しえないのだから。
「英人の奴ぁ、強くなった……俺なんか、目じゃないくらいに……」
「それは……それは、英人君だって想像もしなかったはずだよ」
だがその強さは偶然の産物だ。偶然、英人は適合者と呼ばれる存在で、偶然、あのバケモノに腕を噛まれた。
そして偶然、適合者として目覚め、偶然あれだけの力を制御するに至った。
無数の偶然が重なればそれは必然となるなどという言葉を聞いたこともあるが、だとしても偶然は偶然だ。
誰も想像し得なかった。中間市がこうなることも、英人が適合者になることも。
「だから、英人君だって心の中では不安なはずだよ。助けて欲しいって、叫んでるはずだよ、きっと」
きっと、誰よりも不安であったのは英人のはずだ。
突然目覚めたわけのわからぬ力に振り回されたはずだ。バケモノに追い回され、そして何度か殺されもしたかもしれない。そのたびに、彼は適合者の力を持って蘇ったはずだ。心に痛みと恐怖を刻み、繰り返される悪夢を前に涙を流したかもしれない。
「だったら、私たちがそばにいてあげなきゃ。そばにいて、英人君を支えてあげなきゃ」
ならばその心を守るのは、彼を知る自分たちしかいないはずだ。
今も湊の背中で眠る少女、礼奈。幼い頃から英人と親友である武蔵。そして、自分。
三人で英人の心を守るために動くべきだ。そう、湊は主張した。
「……違うんだよ、湊」
だが、武蔵はそんな湊の主張すら否定する
ゆるゆると首を横に振り、武蔵は口を開く。
「英人の奴はいつもどおりだったし、俺だってそうだった……。今更助けるだの助けられるだの、そんなの俺たちには必要ないんだ……」
「え?」
「そういうもんなんだよ、俺たちは……。二人で一人ってほど密接じゃねぇけど、赤の他人だとか抜かせるほどに淡白でもない……。助け合うんじゃない、そういう風になってるんだ俺たちは……」
「えと……?」
男の友情……と言う奴なのだろうか? 湊には理解し得ない世界の話らしかった。
だが、言いたいことはなんとなく伝わる。つまり……わざわざ言葉にする必要はないのだろう。
本来は、武蔵がいて英人がいる。そして英人がいて武蔵がいる。二人は並んでたって、そうして生きてきた。
いうなれば、半身とでも言うべきか? お互いがお互いの半身……そこにあってしかるべきものだったと言うことなのだろうか。
「でも……」
「でも?」
「でも……俺は、最後の最後で……!」
武蔵の瞳から涙がこぼれる。
「英人を、裏切っちまった……!」
「………………え?」
裏切った? 誰が、誰を?
そう問いかける前に、武蔵はさらに言葉を重ねる。
「俺がこんなにも弱いから……! 助けなきゃ、ならないほどによわっちいから……! 俺は英人の隣に立てないから……! だから、裏切っちまったんだよ……! 俺が、英人を……!!」
「い、言ってる意味が……わからない、よ……?」
もはや支離滅裂だ。言葉の意味すら繋がっていない。
一体どのような解釈をすれば、武蔵が英人を裏切ったことになるのだろうか? 英人との別離が、武蔵の精神に偏重をきたしたのだろうか? いや、むしろそうでなければ困る。
発狂と言うしかない発想を、武蔵は口にしているのだ。これを正常と言える根拠を、湊は持ち合わせていなかった。
「英人君の期待を、裏切っちゃったってことなの?」
「違う……英人を、俺が裏切ったんだ……。一度だけじゃなく、二度も……俺は……!!」
「二度……? 一体、いつの話なの……?」
もはや相手をすることすら出来そうにない。話の争点があまりにも違いすぎる。
今の武蔵の精神状態はかなり危険なようだ。これは早急に安全な場所に向かわなければ。
湊はそう決め、武蔵の背中を押して無理やり歩かせる。
「学校でも、俺は……英人を……俺は、俺は……!」
「武蔵君、急いで……! もう、いつこの街が爆発するかわからないから!」
ぐいぐい背中を押してやると、存外素直に足を進めてゆく。
そうして武蔵を押してゆくと、目の前に明かりが見えた。
暗いトンネルの中に輝く一条の光。歩いてきた距離から考えても、出口だろう。
「あ……もしかして!」
喜びの声を上げる湊。
大急ぎでその輝きを潜り抜けると、ぽっかりと広がった空間の中に二人は出ることが出来た。
そう広い場所ではない。地下鉄のプラットホームと言ったところか。
目の前には何本かの線路があり、そのうちの一つにディスクが言っていたであろう、一両編成の脱出用電車が鎮座していた。
「武蔵君! これで……これでようやく脱出できるよ!!」
「俺は……英人を裏切ったまま……! くそぉ……!」
湊の喜びの声を前にしても、武蔵は悔しさにむせび泣くばかりだ。
もはや慰めの言葉もかけず、湊は武蔵を押して電車の中へと入ろうとする。
―グ、ガァァァァアッァァァ!!??―
その時だった。獣のような咆哮と共に、壁の一部を破壊してバケモノが……クロサワが、二人の前に現れたのだ。




