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中間市 -14:22-

「……彼は残るか」


 切れた通信機を見下ろしながら、ディスクは一人、呟く。

 淡々と目の前で起きた事象を観察してきたその瞳が、ゆらりと揺れる。


「……自我の残った変異者も少なくなかった。そして、適合者たる彼女も人としての性を失ったわけではなかった。だが、皆最後にはその人間性を失い、化け物と化していた」


 人の姿を失った変異者たちは、皆その姿に引きずられるように意識もまた変わって言った。

 鳥人間(ガーゴイル)甲殻巨人(サイクロプス)黒肌叫女(バンシー)も。それ以外の数多の変異者たちも。

 初めは自意識を持っていても、やがてそれらを全て失っていった。

 人の意識……いわゆる人間性というものは、やはり人の形にこそ宿るのかもしれないとその時は結論付けられた。

 そして、適合者として生まれ変わった彼女もまた、今は人にあらざる姿でもって、人に仇を為すものとなった。

 彼女の場合、初めのうちは人であったはずだ。だが、度重なる実験が間違いなく彼女の人間性を削っていった。

 彼女に関して言うならば、人でなくなったというのは正しくなかろう。こちらが人として扱わなかったが故に、彼女は人であることを辞めたのだ。


「人が人である証とはなんだろうな? それは人の形をしていることか? はたまた、人としての意識を保っていることなのか?」


 メイン原子炉の制御ルームからこれから侵入しようとする原子炉を確認しながら、ぶつぶつとディスクは呟く。

 ……そこには数多くの変異者たちがうろついており、厳重な警備を敷かれていた。

 これらの死角を放ったのは間違いなく彼女だろう。原子炉七基の自爆を行なうためには、このメイン原子炉に近づく必要がある。死にたくなければ、ここを死守するのは当然だろう。

 ディスクは内部に潜んでいる変異者たちの殲滅のために、自立型の小型兵器を遠隔操作する。


「我々の諸行を知れば、人は我々を人でなしと叫ぶだろうし、実際その通りだろう。人の形を成していても、我々の為してきたことは人間の所業とは到底言えまい」


 変異者たちの殲滅を眺めながら、ディスクは呟き続ける。


「ならば化け物が人の意識を持っていたとして、それは人間と呼べるのか? 人の形を成さぬ化け物がいて、それが人の意識を抱いていたとすれば……それは人なのだろうか」


 数十年前に諦めた命題について呟きながら、ディスクは口元にかすかな笑みを浮かべる。

 何をもって人を人と呼ぶべきか。忘れることの出来ないディスクが“組織”に所属する前より抱いていた疑問であった。

 医者として過ごしてきた時間では答えを得られず、“組織”に所属するようになったばかりの頃は答えを得るべく奮闘したものだが、理解できたのはこの世の中には人でなしが多いということだけだった。

 自分自身もそんな人でなしの一人であることを自覚した時、ディスクは胸に抱いた疑問の答えを探すことをやめ、ただ黙々と事象の記録に努めることにした。

 もっと言うならば、現代のはるか先を行く技術力を持つ“組織”でさえディスクの抱いた疑問に対する明確な答えを持ち合わせていなかったことも大きい。ディスクの頭脳など、“組織”のレベルで言えば末端もいいところだった。そんな“組織”でさえ持たぬ答えを、一人で延々考えたところで時間の無駄だと感じてしまったのだ。

 だが、かつて捨てたはずの問答を、この今際の際とも言えるような状況で繰り返しているのは、やはりもう一人の適合者の存在が大きい。


「彼はまだ、人間であった。己を化け物と自称こそすれ、理不尽に怒り、友人を救うべく行動しようと奮闘する彼には人間性が溢れていた」


 櫛灘英人。その名を知らぬディスクであったが、それでも彼に強い興味を引かれていた。

 彼が適合者の一人であるというのもあるが、それは主な理由ではない。

 そんな身の上であり、己を化け物と自称するような状況になりながらも、彼のメンタリティはまだ人のそれであった。

 ……中間市の状況は、自室にいる間に概ね掴んでいた。街の各所に点在するカメラによって映し出された映像は、地獄と呼ぶにふさわしい情景だった。

 血と臓物で道は濡れ、多くの変異者たちが我も我もとそれらを求めた。

 生き残った者たちはそれぞれに脱出を試みたり、救援を待つべく立て篭もったりと懸命に戦った。だがそのすべてはあえなく散っていった。変異者たちは生きている者たちを探し出し、襲い、喰らい貪った。

 そして、ウィルスに感染した者たちは、輩を求めるように街を徘徊し始めた。己の体がどうなっていても構わぬと言うように。

 そんな状況で適合者と化した彼はどのように生き延びたのか? ディスクにそれを推し量ることは出来ない。

 適合者などと大層な名で呼ばれるが、その実無敵と言うわけではない。あくまで生き延びるために己の肉体を適応させうるのが彼らの真骨頂であり、それらは生きる力ではあっても戦う力ではないはずだ。

 それを己の意思で恣意的にコントロールできるようになって初めて……今中間市を襲っている彼女のような武力的な脅威となりうる。

 そして恐らく……すでに彼もそれだけの領域に至っているはずだ。

 ディスクは彼と出会うことになった変異者駐留施設の惨状を思い出す。

 砕け散り、散乱した部屋の中……ではなく、壁や天井と言った部分。何か大きな爪のようなもので抉った形跡の残っていたそこは……ディスクが記憶する限り破片が残っていたようには思えなかった。

 何かでそこをえぐったのは間違いないはずだが……肝心の抉った破片がどこにも見当たらなかったのだ。

 まるでどこかに消え去ってしまったかのように、部屋の一部分だけが忽然と消えてしまったことになる。

 そして、あの部屋で蹲っていた彼はあの時武器らしいものを持っておらず、さりとて怪我らしいものをしていたわけでもなかった。

 ならば推論するに状況は十分。あの惨状をもたらしたのが彼ならば、抉った破片をどこかにやったのもまた彼のはずだ。


「……それだけの力を発現させながらも、彼はまだ人のままだ」


 ディスクはかすかな憧憬を込めて呟く。

 たいていの人間は、大きな力を得た瞬間から堕落を始める。

 それは権力であり、腕力であり、経済力であり。

 例外は多かれど、さりとてたいていの人間が同じように堕ちてゆく。

 だが、英人はまだ力に溺れた様子はなかった。己を化け物と称す辺り、恐らく嫌悪さえしているのだろう。

 その身が人でないと自覚し、相応の力に目覚め。

 それでもなお、彼はただの子供だった。中間市の最後を前に、友人たちとどうやってその状況を切り抜けるのかを話し合う彼の姿はただの高校生であり……どこにでもいる普通の子供のようだった。


「嗚呼、彼は……いつまでそうなのだろうか? あるいは、いつ堕ちるのだろうか……?」


 彼が彼であり続けられるのはいつまでなのか? ディスクの胸のうちに沸き上がった疑問はそれであった。

 彼はもうすぐ死ぬだろう。ディスクが起動する、原子炉七基の自爆に巻き込まれて。

 そうして死ぬ寸前まで、彼は人のままなのか? あるいは、死の直前に恐怖し、生にしがみ付く哀れな化け物のようにもがくのか?

 もしくは、とうの昔に彼は人ではないのか? 彗星のように現れたたった一人の適合者が、ディスクの心を掴んで離さなかった。


「嗚呼、知りたい……。彼の事象を余さずこの脳髄に刻みたい……!」


 若き頃に抱いた疑問の答え。その一端となりうるかもしれない彼の存在にディスクは脳髄を焦がされる。

 もはやその事象を記録することを許されぬ時間であるのは理解している。早く手を打たねば、適合者たる彼女が何をしでかすかわかったものではないのだ。


「嗚呼、知りたい、知りたい知りたい知りたい……!!」


 わかっていてももはや知りえぬ。

 ただの記録媒体(ディスク)から一人の研究者に戻ってしまった彼は、壊れたように呟く。

 もう、そうして口に出すことでしか。己の気を紛らわすことが出来ないのだから。






_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/






「………―――?」


 少女は目を覚ます。

 何か、歪なノイズを感じたのだ。

 ゆらりと上体を起こし、ゆっくりと周囲のノイズを観察した。

 彼女のノイズ感知距離は、もはや中間市の至る所となっている。

 例え自分がいる場所が中間市の西端にほど近い場所であろうとも、その全てを見通せるほどに彼女が放てるノイズ感知距離は遠い。

 そんな少女の手の中に、一つのノイズを感じ取った。


「―――!?」


 それは、他の者たちと比べて異質なノイズ。荒々しく刺々しく、触れるもの全てを傷つけるようなそんなノイズ。

 そのノイズの持ち主は、こちらに……明確に彼女に向かって敵意を放ちながら、確実にこちらに向かって来ているのがわかった。

 少女は、クロサワが出て行った出入り口の方を見る。


「―――よお」


 そこに現れたのは、装甲服を身にまとった男……櫛灘英人であった。

 だらりと両手を下ろし、その手にライフルを握り締めた英人は、薄ら寒い笑みを浮かべながら聳え立つ山のような彼女を……適合者の少女の姿を見上げる。


「ずいぶん歩いたぜ……途中の連中も鬱陶しかった」

「―――」


 彼女は英人を見下ろし、睨み付ける。

 英人はそんな彼女の姿を見て、笑みを深めた。


「ふん……ずいぶん扇情的じゃないか。まさか何も身に着けてないとはな」

「―――!!」


 英人の言葉に、少女は思わず自分の体を隠すように抱きしめる。

 例えこんな身に落ちたとはいえ、己が女であると言う意識はある。それを英人に指摘され、ようやく彼が男であることを認識できた。

 恥らうかのような目の前の化け物の行動に、英人は軽く肩をすくめた。


「好きでそうなったのかと思ったが、恥じらいがあるとはな」


 それから笑みを深め……いや。


「―――だが殺す。決して逃さない」


 裂けるほどに口を広げ、己の牙を見せ付ける。

 飢えた獣のように荒々しく息を吐き、目の前の適合者の少女に殺意をぶつける。


「ここで死ぬ……お前も、俺も。この世に、こんな化け物の痕跡を残して置けるものかぁぁ!!!」

「―――-!!」


 英人の咆哮を聞き、少女は目を見開き、素早く戦闘体勢をとる。

 無数の触手が蠢き、英人をぐずぐずに解かそうと殺到する。


「オオオオォォォォォォ!!!」


 英人は咆哮を上げながら、己に向かって迫る触手群に突撃してゆく。




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