中間市 -14:07-
「……なに?」
―ウ、ア……―
化け物は立ちくらみを起こしたように頭を振りながらも辺りを見回し、そしてこちらを遠巻きに見つめている武蔵と湊の姿を見つける。
―ム、サシ……ミナト、モ……―
「………」
「おい、英人! どうしたんだ!?」
化け物の呟きの聞こえていない武蔵が、化け物をじっと見つめている英人に向かって叫ぶ。
化け物の前でじっとしている英人は一見すれば無防備にしか見えない。いかに彼の着ている装甲服が規格外であっても、先手を打てる化け物のほうが圧倒的に有利のはずなのだから。
だが、英人は化け物を観察し続ける。先の鉄鋼弾が脳を削ったおかげで、自我を取り戻したようなのだ。
―ウ、ア……オレ、ハ……? ウ、ウゥ……―
「………」
めりめりと嫌な音を立てながら傷が塞がっていく頭に痛みを覚えているのか、化け物は頭を抱えて膝を突く。英人は苦しそうにうめく化け物を冷静に観察する。
こいつが人間としての自我を取り戻したと言うのであれば、無理に敵対する必要はないかもしれない。説得し、この場を通してくれれば問題ないのだから。
だが、委員長のような例もある。自我を取り戻したからと言って、こちらに敵対しないとは限らない。
彼から発せられるノイズは、先ほどまでの荒々しさがすっかりそぎ落とされている。少なくとも今は攻撃の意思がまったくないのは分かった。とはいえ、それも参考程度の話だろう。意思疎通のできる化け物など今までいなかった。ノイズの傾向も、せいぜいが敵意があるかないか程度の違いしか英人にはわからない。
英人は少し考え、まずは相手が誰なのか聞いてみることにした。
「……おい、お前」
―ウ、ア……ナ、ナンダ……?―
「お前、名前は? だいぶ様変わりしてるせいで、ちっとも分からないんだが」
―オ、オレ? オレ、ハ……オレハ、クロサワ、ダ―
化け物が黒沢と名乗ったのを聞き、英人は少しの間目を伏せた。
……これで、武蔵たちを除けば見知った連中がほとんど化け物と化してしまったということになる。
(クラスのほかの連中も逃げていったはずだけど……絶望的か)
今この中間市を覆う隔離防壁とやらを乗り越える手段を、ただの学生であるほかの者たちが持ち合わせているとは思えない。
ディスクの説明を考えるに、恐らく隔離防壁には出入り口のようなものは存在しないだろうし、上っていくような取っ掛かりも存在しないだろう。
恐らく、英人が学校の外に放り出されるのと同時に逃げ出していった級友たちも、どこかで死んだか、化け物になったかの二択だろう。
(……もう、なんもいえねぇな。ここまで来ると)
強い諦観と共に英人は瞑目を終え、化け物……クロサワへの質問を続けることとした。
「クロサワ……お前、何でこんなところにいるんだ? 外に逃げるんじゃなかったのか?」
―ウ……ニゲ、ル……?―
まだ頭が痛むのか、クロサワは傷を負った部分を押さえながら、英人の質問に答える。
―オレハ、ニゲテ……デモ、タシカ……ニゲラレ、ナクテ……? ダカラ、オレハ……チカ、ニ? ニゲタ……?―
「……要領を得ないな」
頭を吹き飛ばした時に言語中枢も吹っ飛んだのか、途切れ途切れのクロサワの話は断片的過ぎて英人には理解しかねた。
まあ、恐らく外に向かって逃げたはいいが隔離防壁にぶち当たって逆走。そこから研究施設の中にどうにかして侵入したのだろうが。
―ソレデ、ソレデ……―
「それで、どうしたんだ?」
―ソレデ……アイツ、ニアッテ……―
それまでぼんやりとしていたクロサワの眼差しに、急激に力が戻り始めた。
―アイツニ、デアッテ、ソレデクワレテ……クワレタカトオモッタラ、コノスガタニ……!―
「……物騒な話だな。誰だそいつ」
―ワカラナイ……ナマエハ、キイテナイ―
クロサワはゆるゆると首を振り、それから英人を見下ろした
―ケド、アイツ、オマエヲシッテルミタイダゾ?―
「なに?」
―オレガ、ココニ、キタノハソノセイダ。アイツハ、オマエガシヌノヲノゾンデイル―
「……俺の知ってる奴に、人体改造が出来るような変態はいないぞ。なにかの間違いじゃないのか?」
まあ、最近知り合ったディスクは改造人間くらい作れそうだが、喰われたと言った以上彼ではあるまい。
となれば、残る候補はただ一人。
(もう一人の適合者……か。だが、何故そいつが俺を狙う?)
少なくとも、英人側に狙われるようなことをした記憶はない。
そもそももう一人適合者がいるなんてことは、先ほどのレール移動の際に武蔵たちから初めて聞いたくらいだ。自分のような埒外な化け物がもう一匹いるなどと、想像もしていなかった。
……あるいはそれが理由かもしれないと英人は思い至った。
(俺が奴を想像していなかったように、奴にとっても俺が想像の外にいる存在だとすれば……そして何らかの手段で俺が奴と同じ存在だと知りえたのだとしたら……?)
そんなことが可能なのかどうかはともかく、それが出来たとしたら。
向こうも何らかの形でアクションは起こすかもしれない。英人が、向こうを確実に殺そうと考えているように。
そしてちょうど向こうの側にいたクロサワに自我が戻っている。試しに彼に聞いてみても罰は当たらないだろう。
「……そいつがなんなのかは置いとこう。そいつは何の目的で、俺を狙うんだ?」
―クワシクハワカラナイ。ダガ、スクナクトモアクイガアルワケジャ……―
クロサワが自身の知りえる情報を英人に伝えようとした、その時だった。
「英人!! なにしてんだよ!!」
英人がいつまで経ってもクロサワから離れようとしないのに業を煮やした武蔵が駆け寄る、彼の肩に手をかける。
「いつまでボーっとしてんだよ! そいつが攻撃してこないなら、今のうちだろう!?」
「ああ、いや……ちょっと待ってくれ」
クロサワに片手を振ってそう告げながら、武蔵のほうに向き直り英人は彼にも同じことを告げる。
「武蔵もだ。ちょうどいい感じに話が出来そうだから、もう少し――」
「化け物となにを話すってんだよ!? そんな夢みたいなことはいいから、さっさと脱出して生き延びないと……!!」
―……バケモノ? ダッシュツ?―
不意に、クロサワから放たれるノイズの感覚が変わった。
先ほどまでの穏やかな感じとも違う。初めに出会った獣のような荒々しさとも違う。
―ドウイウイミダ……ソレニ、ニゲル、ダト……?―
それは、炎の嵐のようなノイズだった。
「な、なんだよ!? こいつ、急に……!?」
「おい、待て。落ち着けクロサワ」
英人は当然、彼の後ろに立っていた武蔵にもそれがはっきりと伝わったようだった。
―オレガ、コンナスガタニスキデナッタトデモイウノカヨ……シカモ、ニゲル? オマエラ、サンニンダケデカ……?―
メラメラと、クロサワの背後に赫怒が燃え上がっているのが見える。
知らなかったとはいえ……武蔵は、見事にクロサワの逆鱗を踏み砕いてしまったのだ。
―オレガ、オレガバケモノニナッタカラ!! オマエラハオレヲミステテノウノウトイキルノカ!? ソレトモ、エイトヲステニイッタノガリユウカ!? アノトキ、ソレイガイノセンタクシナンカアッタノカ!!―
「なんだよこいつ!? まるで、俺たちのこと知ってるみたいに……!!」
「まるでも何も、こいつは――」
―オレガ、オレガァァァァァァ!!!―
クロサワは拳を振り上げ、武蔵に向かって突き入れる。
英人は間に割って入り、斜めに振り下ろされたその拳を真っ向から受け止める。
凄まじい衝撃と音。英人の背中から発せられるそれを正面から受け止めてしまった武蔵はそのまま無様に吹っ飛んでいった。
「うわぁぁぁ!?」
「武蔵ッ!」
―ジャマスルナ、エイトォォォォ!!!―
拳を受け止めた英人に、クロサワはもう一撃見舞おうとする。
だが、さすがに二発は受け止められない。英人は素早く肩の爆弾を取り外し、クロサワの拳の軌道上に放り上げた。
ちょうど拳が爆弾に触れた瞬間、紅蓮の炎が破裂した。
―ウガァァァァァ!!??―
「武蔵!!」
「っつぅ……」
クロサワが爆炎に怯んだ隙に、英人は武蔵を助け起こす。
頭でも打ったのか、ふらふらと頭を揺らす武蔵は、クロサワを怯えたような目で見つめた。
「な、なんなんだこいつ……! いきなり、俺に……!」
「落ち着け武蔵。……黒沢だって、いきなり化け物呼ばわりされたんだ。あいこにしておいてやれよ」
「……え? くろ、さわ?」
―エイトォォォォォォ!!!―
拳を焼かれ、今度は英人に向かって怒りを向けるクロサワの姿を見上げ、武蔵は信じられないと言うように首を横に振る。
「嘘だろ……黒沢まで……!」
「まったくだ……さあ、立ってくれ武蔵! ここで、死ぬわけにはいかないだろ!?」
「くそ、くそぉ!!」
英人の言葉に何とか武蔵は立ち上がり、湊の元に向かって駆け出す。
―エイトォォォォォォ!!!―
「来いよ、クロサワァァァァ!!!」
振り下ろされる拳を、英人は強引に打ち払う。
目測を誤ったように、英人の目の前に払われた拳は地面を砕き、大きなクレーターを生み出した。
その拍子にクロサワは体勢を崩し、その隙に英人は一歩飛びのく。
そのまま視線を巡らせ、武蔵たちの姿を探す。
「くそったれ……! 英人! こっちだぁ!!」
「英人君! 急いで!!」
武蔵たちが立っているのは、先ほどクロサワが破壊した場所のすぐ近く。
トンネルのようになっており、その入り口付近は今にも崩れそうであった。
それを確認し、英人は一つ頷いて彼らに向かって駆け出した。
―クソォォォォォ!! マテェェェェェ!!―
それを追うようにクロサワも立ち上がる。
英人はちらりとそれを見て、武蔵たちの方を向いて大きな声で叫ぶ。
「武蔵! 湊! 先に行ってくれ!」
「お、おう!!」
「英人君……! すぐに追って来てね!!」
英人の言葉に武蔵と湊は頷き、トンネルの中へと入ってゆく。後ろを振り返らずに全力で走る二人は、あっという間に見えなくなった。英人を信頼しているのか、はたまたクロサワの姿に恐れたのか。
それを見た英人は一つ頷き、バックパックに吊るされている小型RPGのようなものを手に取り、引き金を引く。
無造作に狙ったにもかかわらず武蔵たちが奥に入っていったトンネルの入り口天井に見事当たったロケットランチャーは轟音と共に、トンネルの入り口を完全に塞いでしまった。
「よし」
満足げに頷いた英人は、手に残ったロケットランチャーの残骸を捨て、クロサワへと向き直る。
こちらに向かって突撃していたクロサワは、突然の英人の行動に驚いたように立ち止まっている。
英人がそんなクロサワに対峙すると同時に、耳元の通信機から武蔵の悲鳴が聞こえてきた。
《英人!? なんだよ、なにが起きたんだよ!?》
「トンネルが崩れた。もう俺は先に進めそうにないな」
《おい、マジかよ!? 待っててくれ、今俺たちが入り口を――!》
「いや、これでいい。そのまま逃げてくれ」
英人の言葉に武蔵は一瞬沈黙し、それから怒りを隠さずに怒鳴った。
《英人!! お前やっぱり!!》
「悪いな、嘘ついて」
《悪いってレベルかよ!! おい、そこ動くなよ!? 今すぐそっちに行って!!》
「来てどうするんだよ。今のクロサワにお前らが勝てるのか?」
《そんなの! やってみなきゃ!!》
「わかるさ。だからやめてくれ。礼奈と湊をつれて、逃げてくれ」
突き入れられたクロサワの拳を、英人は掌で受け止める。
空間がはじけるような音が響き、一瞬通信機にノイズが走った。
耳元のそれが壊れる前に、英人は武蔵に向かって最期の言葉を告げる。
「悪いな、武蔵。でも、これでいいんだ。化け物は、この街で皆滅びるべきなんだ」
《馬鹿いうな英人!! お前は―――!!》
「湊に愛してるって伝えておいてくれ。……今更だけどな」
《そんなの自分で言えよ、英人ぉ!!》
血を吐く様な武蔵の叫びは、途中で掻き消える。
耳元を掠めたクロサワの拳が、通信機を完全に破壊してしまったからだ。
掠った拳の風圧で転がる英人。彼を睨みつけながら、クロサワが地響きを起こしたような声を上げる。
―ダレガシヌンダ、エイト……?―
「化け物が、さ」
―ダレガバケモノダ!! オレハシナナイ! シンデタマルカ!! コンナ、スガタノママ!!―
「心配するな、一人じゃないさ」
英人はゆっくり立ち上がり、クロサワと向かい合い、笑みを浮かべる。
「俺も、一緒だ」
―……ッ!?―
「一緒に死のうぜ? 一人で死ぬのは……寂しいからなぁ……」
ゆらりと、凄絶な笑みを浮かべる英人。
その奥底から覗くのはいかなる感情か。
憎悪? 悲しみ? 怒り? いや、それらにすら当たらぬ待ったく別の感情か?
クロサワにはわからない。
だが理解する間もなかった。
彼が瞬き一つした瞬間。
―オ……オアァァァァァァ!!!???―
彼の眼前に広がったのは、黒く、暗い、名状しがたい何かだったのだから。
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