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中間市 -10:21-

「―――なあ、武蔵に湊」

「っ!!」

「ぅお!? お、おう!!」


 英人が声をかけると、湊は身を縮ませ、武蔵は挙動不審になりながら返事を返す。

 そんな二人の様子に、英人は若干呆れた様子になる。


「おいおい……ビビりすぎだろう。どうかしたのか?」

「い、いや!! なんでもない、さ……!」


 英人に声をかけられるとは思っていなかった武蔵は、冷や汗を流しながら彼のほうへと向き直る。

 湊のほうは、体を縮ませたまま微かに震えている。

 彼女の様子を見て、英人は微かに目を細める。


「……お前らも、大変な目にあったんだな」


 英人は湊の体の振るえを、恐ろしい目にあったためのトラウマだと考えたようだ。

 ……武蔵にはなんとなく分かっていた。恐らく自分と同じことを考えていたであろうことは。

 だが、無理にそれを正す必要もない。武蔵は英人の言葉を肯定して見せた。


「あ、ああ……。いろいろ、あったんだ。その……お前がいなくなってからも……」

「……そうか」


 武蔵の言葉に一つ頷き。

 それから英人はおもむろにこう言った。


「……さっき、委員長と秋山に会った」

「っ!! あの二人にか!?」


 英人の言葉に、武蔵は目を剥く。

 昨晩、学校で化け物と化した二人。

 突然鳴り響いたサイレンと共に、目の前から姿を消したあの二人と、英人が出会った。

 驚愕を露にする武蔵の様子から、英人は二人の変貌を彼が知っていることを察する。


「……知ってるんだな。二人が、化け物になったのを」

「……さっき言った、いろいろのうちの一つ、だよ」


 武蔵は軽く首を振り、英人に尋ねる。


「……どうなった?」

「……化け物だけの世界を作るとか、ふざけたこと抜かしてたな」


 英人は瞳の中に険を宿しながら、彼らの最期を語る。


「うちの学校の連中、片っ端から捕まえて、化け物にしてやがった。胸糞の悪い」

「あの二人が……。そ、それで? どうしたんだ?」

「どうもこうも―――」


 英人は酷薄な笑みを浮かべる。


「消してやったよ」

「っ……」

「あんまりにもむかつく連中に成り下がってたからな」


 英人の笑みを見て、武蔵は背筋が凍るのを感じた。

 武蔵の知る英人が浮かべる表情ではなかった。

 ただの人殺しの笑みとも思えない。武蔵が生きてきた短い人生の中で、彼の笑みを適切に表現する情報や語彙は存在しなかった。

 一つ言えることがあるとするのであれば……武蔵は、英人の笑みに共感を覚えられなかった。

 笑顔というものは攻撃的なもの、なんて言葉があるが、その本質は喜びであり、多くの場合において人に伝播してゆく性質を持つものであるはずなのだ。

 周りが笑顔であれば、自分も自然と笑顔になれる。そうして、イベント会場は熱気に包まれる。

 笑っている人を見て、その理由が分からずとも喜んでいることくらいは分かる。

 無論、笑顔にも種類はある。その全てが喜びであるわけではない。

 しかし、それを差し引いたとしても……英人が今浮かべている笑みは、武蔵が知っている“笑顔”ではなかった。


「消した……のか……」

「ああ。塵も残さずに、な」


 英人は笑みを消し、小さく息を吐いた。


「化け物が化け物らしくあるのはかまわねぇが……それを人に押し付けるなって話だ。なぁ?」

「あ、ああ……そうだな」


 凍った背筋をそのままに、武蔵は何とか同意するように頷く。

 英人の顔は何を考えているか分からないような茫洋とした表情になったが、それでも背筋が冷え切ったままだ。

 何があったのかなどと、具体的に聞くのも憚られる。

 比喩表現であるとは思われるが……それでも塵も残さず、だ。化け物と化した二人がどうなったかなど、想像に難くない。

 武蔵は気を落ち着けるように、いつの間にかたまっていた生唾を飲み込む


「……よく、生きてられたよな。お互いに……」

「さっき、あのおっさんに言った通りさ。殺して殺して殺し尽くした。ただそれだけだ」


 軽く腕を組み、息を吐きながら英人は武蔵と湊の姿を眺める。


「そういうそっちは? どうだったんだ?」

「ど? ……どうって?」

「だから、どうやって生き延びたんだ? 怪我も特になさそうじゃないか」


 武蔵は言われて、自分の姿と湊の姿を見やる。

 今更ではあるが、どちらも目立った傷一つない。昨日からの惨状を考えれば奇跡といえるだろう。

 綺麗な肌をしている自らの腕を撫でながら、武蔵は唸り声を上げる。


「あー……。なんつーか、運が良かったんだよ……俺も、湊も」

「運が? 俺が出た後、お前らはどこにいたんだよ?」

「学校だよ……。外に出るって発想はなかった。残った連中とバリケード張って、教室の一つに立て篭もってたんだ」


 武蔵は言いながら、俯く。


「実際、かなり長いこと持ってたんだぜ? 少なくとも、昨日の夜中くらいまでは」

「へぇ……。やっぱり、学校は安全だったんだな」

「ああ。……けど、全部ひっくり返っちまったよ。秋山と……委員長が化け物になっちまって」


 二人が化け物と化したシーンが、武蔵の脳内でリフレインする。

 耳を劈く悲鳴。むせ返るような血の匂い。そして、絶命してゆく級友たち。

 かすかに顔が青くなるのを感じた武蔵は、ゆっくりと温めるように顔を撫でる。


「……今考えてみれば、本当によく生き残れたよ……。噛まれてもいない、秋山が化け物になるなんて思わなかったからさ」

「……やっぱり、噛まれなくても化け物にはなるんだな」

「ああ。……知ってたのか?」

「いや。外に出てる間に、そんな化け物もいくらか見ただけだ」


 英人は首を横に振り、武蔵に問いかける。


「お前は? どうやって知ったんだ?」

「ディスク……あのおっさんに聞いたんだ。ウィルスにゃ二種類あって、一つがゾンビになるウィルス……もう一つがゾンビじゃないわけの分からん化け物になるウィルスがあるってな」

「二つ……だから、礼奈の様子はおかしかったのか」

「だと思う。ゾンビになるウィルスは噛まれると感染するらしいんだが、もう一つのウィルスは空気感染らしくて……中間市にいる人間は、全員感染しちまってるらしい」

「ふぅん……。厄介だな」


 思い悩むように、英人は口を掌で覆う。


「化け物にならなくとも、体ん中にウィルスは残るのか……。あのおっさんは、ワクチンがあるみたいなことを言ってたが、そいつがあれば礼奈の体の中のウィルスをどうにかできるのか?」

「あ、ああ……俺は、そう聞いてる」


 ワクチン、の言葉に武蔵は跳ね上がった心臓を押さえるように、胸に手をやる。


「ただ……その、だな。ワクチンはあっても、今は物がないんだと。材料が希少だとかで……」

「そうなのか!? くそ、ここまできて……!」


 歪むほど力強くテーブルを叩く英人。その音に驚き、湊が体を跳ねさせた。


「……っ!?」

「お、落ち着けよ英人! ……っても、無理だよな……ごめん」


 武蔵は興奮しかける英人を落ち着かせようとするが、すぐに謝罪を口にした。

 彼のしてみれば、妹の命が助かるかどうかといった瀬戸際なのだ。心穏やかにいられるはずもない。


「……いや」


 英人は武蔵の謝罪、そして怯える湊の背中を見てすぐに気を落ち着かせる努力をした。

 ワクチンの存在を確認できただけでよしとしよう。そう考え、無理やり自分を落ち着かせようとする。


「―――なあ」


 だが、そこで一つ引っかかることがあった。


「お前らは……どうなんだ?」

「どう? って……」

「ワクチンだよ。お前らは、ワクチン接種してるのか?」


 今ここにいる二人に、ワクチンが投与されているのかどうか。そこが気になった。

 もう会うこともないだろうと考えていた親友二人。それが五体満足で生きていることは喜ばしい。だが、仮にこの先、ワクチンを入手する機会があり、そしてその数が限られていた場合……。


「……どうなんだ?」


 最悪、二人を見捨てるという選択肢が生まれる。ワクチンが一つであるならば、それを投与できるのは一人だけとなる。

 そうなったとき……英人は、礼奈を助けたい。二人を……見捨てなければならない。


(……できる、か? 俺に。そんな、こと……)


 そのことが、英人の心をどうしようもなくざわつかせる。

 ようやく助かったであろう、二人の親友を……自分の意思で、見殺しにしなければならなくなる。

 そんなことは……畜生にすら劣る、最悪の裏切りだ。

 だが……それを英人は選ぶ。そう、決めた。何を差し置こうとも、たった一人生き残った家族を助けると、そう決めたのだ。

 知らず知らずのうちに、血が出るほどに拳を握り締める英人。


「あー……いや、俺たちはどうもいらないみたい……感じでさ」


 だが、武蔵は英人の内なる葛藤に気が付くことなくあっけらかんとそう言った」


「……は? どういう意味だそれ」

「いや……俺も詳しく理解してるわけじゃないんだけど……どうも俺らの中にあるウィルスが、休眠?とかしてるらしくてさ。ひとまずは、ワクチンはいらないんだと」

「休眠……? 要するに、ウィルスはあるけど機能してないって事なのか?」

「そういうことでいいんじゃねぇかな? あのおっさんの反応見るに」

「そうか……よかったな」

「ああ、そうだな」


 英人はそう言って、胸を撫で下ろす。

 武蔵は英人の言葉に笑みを浮かべかけ、それから不安そうに眉を歪める。


「……でも、どうなるかなんてまだはっきりしないんだよな結局。休眠なんていってたけど、ウィルスが生きてるのには違いないんだ」


 ウィルスの休眠。それは、あくまで状況を回避し続けているだけであり、根本的な解決にはなっていない。

 いつの日か、その休眠が解かれるかもしれないことを考えれば、不安はしこりのように残り続ける。

 ……対面に座る武蔵の顔を見て、英人は瞳の中に強い光を宿す。


「そうだな……だからこそ、ワクチンは絶対にいるわけだ」


 己の考えを改める。

 ワクチンが足りないから見捨てるのではない。足りないならば、用意すればいい。


「材料が希少だとかなんとかって話だが……そんなのは関係ない。材料をきっちり揃えて……みんな無事に逃げ延びようぜ。ここまで生き延びたんだからよ」


 もう礼奈しかいないと思っていた。だから、全てを見捨てる覚悟を決めていた。

 しかし、二人は生きていた。湊と武蔵は、まだ生きているのだ。ならば、もう少し欲張りになるべきだろう。

 礼奈だけではなく……湊と武蔵も救う。そうすれば、礼奈がここを脱出した後も、礼奈は一人ぼっちにならずに済むだろう。


「………いや、あのな? 英人……」


 決意を改めて固める英人を見て、武蔵は遠慮がちに声をかける。

 ディスクの告げたワクチン。その、材料となるもの。

 それがなんなのか知らない英人に、どうそれを説明すべきか。なんというべきなのか。

 それを必死に考え、まとまらぬままに口を開こうとした武蔵の横から、ディスクが声をかけて来た。


「すまない。待たせたな」




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