中間市 -9:57-
三人……いや、四人を先導するディスクは素早く移動用のレールへと乗り込む。
少人数での使用を想定されていたため、五人で乗り込むとさすがに窮屈であったが、誰も文句を言わずにレールの上のカートに腰掛けた。
「………」
移動の最中、英人はじっと眠り続けている礼奈の顔を見つめていた。
「………」
「………っ」
そんな英人の様子を窺うように、武蔵と湊は彼の横顔を見つめていた。
声をかけようにも、彼の雰囲気がどうにも全てを拒絶しているように感じてしまった。
ディスクは、静かにレールが移動先に到着するのを待っていた。
「……時に、君はどうやって今まで生き延びてきたのかね?」
……が、不意にディスクはそんなことを英人に問いかけた。
学者としての性か、あるいは単純に気になったのだろう。
唐突なディスクの問いかけに、武蔵が眉根を寄せて不快感を露にした。
「……おい、ディスク」
あまりにも無遠慮な問いかけ。今すべき質問ではないし、気軽に聞いてよい話題でもない。
上はゾンビだらけの地獄のような状況だ。生き残るために、きっとなんでもしなければならなかっただろう。そう、人道に反するような……聞かれたくないような、そんな状況もありえるかもしれない。
ようやく命が助かった英人に、今これ以上の負担をかけさせる訳にはいかない。武蔵はそんな想いを込めて、ディスクを叱責する。
「今そんなことはどうだっていいじゃねぇか。英人の命はとりあえず助かったんだ。そんな話はもっと後でいいだろう」
「ふむ……まあ、そうだな」
頑、と音がしそうな口調の武蔵の言葉に、ディスクは曖昧に頷いた。
今後の行く末はともかくとして、時間が残っているのは確かだろう。話を聞くのはその後でも良いのは間違いない。
「――なんてことはない、さ」
だが、武蔵の気遣いも無視して、英人はポツリと呟き始める。
「近寄ってくる化け物を、目の前に立つ化け物を、襲い掛かってくる化け物を。片っ端からぶち殺してっただけだ」
「え、英人君……」
「死にたくないなら殺すしかない。そうだろ?」
捨て鉢な様子でディスクの問いに答える英人。
湊などは、彼に無理をさせまいと優しく声をかけて制止しようとするが、英人はそれも無視する。
英人が答えてくれたことを幸いとばかりに、ディスクは興味深そうに頷いた。
「ふむ、直接の脅威を排除できれば確かにその通りだな。合理的な判断といえるだろう」
「おい、ディスク」
褒めているとは言いがたいディスクの一言に武蔵が険のある視線を向けるが、英人が答えてしまったためあまり強くは出られない。
英人の回答に気を良くしたのか、ディスクはさらに一歩踏み込んで英人へと問いかける。
「君は何がしかの訓練を受けていたのかね? ゾンビは数がいるし、変異者……化け物も存在していたはずだ。それらを切り抜ける君の手腕に興味があるな」
「手腕なんて大層なもんじゃない。俺も化け物だってだけの話さ」
「なに?」
ディスクが首をかしげるのと同時に、英人は腕を晒してみせる。
中間高校で、怪鳥にか見つかれたときに出来た傷跡を。
「……化け物に噛まれて、化け物になった。ただ、それだけの話だよ」
「これは……」
ディスクは英人の腕に刻まれた傷跡を見て目を見開き、それから真剣な表情で彼にこう問いかけた。
「……この傷が……いや、化け物に噛まれたのはいつの話しかね?」
「昨日の話だ。俺の記憶が確かなら……十二時を少し回ったくらいだったと思う」
淡々とディスクの問いに答える英人。
ディスクは英人の腕に刻まれた傷跡をじっと見つめ、それから彼の顔を見つめる。
「………」
しばしの逡巡の後、ディスクは口を開けようとする。
だが、彼が何かを言うより早く、レールは目的地へと到着した。
「――っと。着いたのか?」
「……うむ」
ディスクは頷き、先にカートを降りる。
その後に礼奈を抱き上げた英人、武蔵、湊の順で続く。
「………」
「………」
ディスクのあとを追い、先ほどまでいた部屋の中へと戻る武蔵と湊は、終始無言のままであった。
英人が噛まれ、そして学校の外に放り出されてしまったときのことを思い出し……そして英人が自身を化け物と自称したのを聞いて愕然となってしまった。
外で逃げ回っている間、それほどまでに彼の心は傷つき、荒れてしまったのか。そうなってしまった原因は、やはり自分が見捨てられてしまったと思っているからなのだろうか。
彼らの胸中を駆け抜けているのは、そんな考えだった。
「………」
もし。黒沢に連れて行かれたときに一緒についていっていれば。
もし。委員長の制止も押さえ込み、英人を高校に置いておければ。
化け物などと自称するようにはならなかったのだろうか。
武蔵と湊の頭に、強い後悔が湧き上がってくる。
自分たちの親友が、自らを化け物などと称するようになっているなどとは思わなかった。
それだけ化け物の溢れる外は凄惨な環境であり、学校に閉じこもっていた自分たちは非常に恵まれていたというわけだ。
「………」
償い……などと傲慢なことを言うべきではないのかもしれない。だが、それでも考えずにはいられない。
英人の心を、少しでも癒すことは出来ないだろうか。
化け物などと自称……いや、自嘲しないくらいに、彼のことを持ち直してやることは出来ないだろうか。
今の武蔵と湊の頭の中には、そんな考えが浮かび上がる。だが、ディスクと、肝心の英人はそんな二人の思いに気が付くことなく話を進めていった。
「ひとまず、その子をここに寝かせてくれたまえ」
「ああ」
ディスクの指示の通り、彼が用意した簡易ベッドの上に礼奈の体を横たえる。
ディスクは簡単な触診を礼奈に施し、それからおもむろに小さな注射器を取り出す。
中身が空に見えるそれを見て、英人は怪訝そうな表情になった。
「……それは?」
「彼女の体内のウィルスの状態を見るのに一番簡単な、血液検査を行なう」
ディスクは簡潔に注げ、アルコールで素早く礼奈の腕を消毒し、手早く彼女の血液を少量採取する。
採取した血液を小型のアンプルの中に詰め直しながら、ディスクは英人のほうへと向き直った。
「――そうだな。君の体も検査させてもらっても?」
「俺の?」
「うむ。噛まれているというのであれば重篤。君の健康状態を調べておかねば、ここにいる全員が死んでしまう」
ディスクは注射器を取り出し、英人のほうへと向き直る。
「君の妹君を救うためだと思って、協力してもらえないかな?」
「……別にそういう言い方しなくても、血くらいいくらでも持っていけよ」
顔をしかめながら、英人は腕を差し出す。
妹をだしにされたせいか、いささか不機嫌に見える。
「すまんね。こういう物言いしか出来ん性分でな」
ディスクは小さく謝りながら、英人の腕から素早く血液を採取する。
そして採取した血を慎重にアンプルに移し、三人に背を向け研究室へと向かった。
「しばし時間をくれたまえ。程なく結果は分かるだろう」
「ああ。……礼奈に与えられるような、なにか薬はないのか?」
「今の時点では、不用意な投薬は危険だ。この検査の結果を待ってくれたまえ」
「……ああ」
ディスクの言葉に一つ頷き、英人は近くの椅子に腰掛けた。
ディスクはそのまま研究室の中に消えてしまう。
後に残された武蔵と湊は、英人にどう声をかけるべきか迷い、結局思いつかずに彼の傍の椅子に腰掛けるに留まる。
……しばし、嫌に重い沈黙が場を支配した。
「…………」
「…………」
「…………」
誰も、何も言わない。
言葉を発することなく、ただゆっくりと時間だけが過ぎてゆく。
「………」
武蔵は机の上を睨みつけ、手を組んだ体勢のまま動かない。
瞳の中には渦巻くほどの懊悩が感じ取れるが、それを口にすることはない。
いや、口にすることはできないと自らを縛り付けるかのように、硬く唇は引き結ばれていた。
「………」
湊は英人から視線を逸らすように、彼の背中を向けていた。
俯いた彼女の表情は血の気が引いており、普段の彼女から考えれば体調を崩したのかと不安を覚えるほどだ。
掌など、力を込めて握り締めすぎたせいで真っ白になっている。
「………」
英人は、手持ち無沙汰な様子でディスクの消えていった研究室の扉を見つめていた。
……礼奈を救うべく、捜し求めていたものがこうもあっけなく見つかってしまい、彼はいまだに信じられずにいる。
部屋の向こうでディスクが忽然と消えてしまっても、特に疑問を覚えそうにない。
――いや、腕に刺された注射器の傷みは本物だった。
英人は、微かに赤い点となっている注射跡をゆっくりと撫でる。
「………」
夢かどうか判断するのに痛みを頼るなど古典的だが、確実な方法だと英人は思った。
おかげで、怪しげなあの男の存在も辛うじて受け入れられている。
礼奈を救う為の手立てとして。
「………」
英人は胸ポケットを探る。
いつもであればそこに携帯電話を入れてあるのだが……その感触はなかった。
その後、無意識にズボンのポケットも弄り、英人は総合病院に入る前に化け物の一人に携帯電話を奪われたことをいまさらに思い出した。
「―――ああ、クソ」
自らの間抜けさを呪いつつ、英人は頭を掻き毟る。
あの男は検査にかかる時間を言っていなかった。専門的なことは一切分からないが、血液検査などそう単純なものではないはずだ。
最悪、一時間以上待たされるかもしれないことを考えると、このまま手持ち無沙汰というのも厳しい。
そこまで考えなにか暇つぶしはないかと辺りを見回すと、武蔵と湊の姿が目に入った。
「―――そういや、そうか」
そういえば、偶然にも武蔵と湊もあの男に救われていたようだったのだ。
たった一日、一人で逃げ回っていただけで、もう自分の周りには誰もいないかのような錯覚に陥っていたようだ。
英人はそんな自分の勘違いを反省するように、あるいは恥じ入るように手で顔をなで、それからおもむろに二人に声をかけた。




