中間市 -9:51-
トロッコのような移動用のレールに乗って、三人は爆心地と思われる施設の入り口までやってきた。
手にした小銃の安全装置を外しながら、ディスクは後ろに立っている武蔵と湊に声をかける。
「今から入るのは簡易実験室。そこに変異者はいないはずだが、注意はしてくれ。なにかが目に映ったら、引き金を引くくらいで構わない」
「お、おう……」
「はい……」
それぞれにライフルと拳銃を構えながら、武蔵と湊が小さく頷く。
ここに来る道中でディスクに安全装置の外し方は教わっているが、いざ引き金を引くとなると、手にした鋼の重さがどうにも気になってくる。
人の命を奪う武器。その気になれば……いや、その気がなくとも、引き金を引くだけで相手の全てを奪ってしまうもの。
まかり間違ってしまえば、決して取り返しがつかなくなってしまうものが、今自分たちの手の中にある事実。二人は、手の中に重みを感じながらもそれを受け止めきれずにいた。
ディスクは、二人の様子が明らかにおかしいのを見て取り、目の前のドアに手をかけながら言葉を続けた。
「……無理であれば、引き金を引かずとも良い。ともかく、危険を感じたら逃げるといい」
「……そういうわけにも、いかねぇだろ」
武蔵は暗い顔をしながらも、ライフルを構えなおす。
瞳には微かな怯えが映り明らかに大丈夫そうではなかったが、気丈な声色で先を続けた。
「死ぬわけにも、死なすわけにもいかねぇよ。わかってんだろ? アンタも」
「……うむ、そうだな」
ディスクは武蔵の言葉に一つ頷き、改めてドアに手をかける。
武蔵はライフルの銃口をドアの先に向け、湊は祈るように拳銃を握り締め、まっすぐに前を見据えた。
「―――」
ゆっくりと。中にいるかもしれない何かを刺激しないようにドアが押し開けられる。
緊張のあまり、武蔵がごくりと生唾を飲み込む。
「―――ッ」
湊は思いがけず聞こえてきたその音に驚き、拳銃をギュッと強く握り締める。引き金に指がかかっていなかったのは幸いだろうか。
やがて、ドアは完全に開かれ、その向こう側の暗い室内を三人の目の前に晒す。
「………」
ディスクが先頭に立ち、ゆっくりと部屋の中に入る。武蔵は射線にディスクが入らないように動き、湊は二人の影に隠れるように走る。
「………?」
雑然とした室内。砕けた手術台のようなものが散乱し、辺りには化け物の体やら体液やらが飛び散っているのが見える。
壁や天井が抉れて見えるのは……錯覚ではないようだ。
「これは……なにがあったのだ?」
部屋の惨状を前に、ディスクが訝しげに呟く。
聞こえてきた爆音から、この部屋が粉々に砕けているくらいは覚悟していたのだが、結果はこの通り。少なくとも、部屋は原形を止めている。
あちらこちらにある爪痕のようなものから察するに、かなり巨大な生物が暴れた後のように見えるが、その生物の姿も見えない。
完全に予想を外され困惑するディスク。一歩前に出て、さらに部屋の中の様子を探ろうとする彼の耳に、聞きなれない声が聞こえてきた。
「――誰だ」
「ッ!」
部屋の奥。影になっている場所から、人の声が飛んできた。
反射的にディスクは小銃を構え、武蔵は銃口をそちらに向ける。
無言のまま、部屋の影を睨み付けるディスクに代わり、武蔵が震える声で思い切り叫んだ。
「そ、そっちこそなんだテメェ!! こっちには銃があるんだぞ!? お、おとなしく出てこいぃ!!」
「―――」
とても、脅しにすらなっていないような武蔵の叫び。
ともすれば火に油を注ぐだけのようなそれを受け、声の主は数瞬の沈黙の後、こう呟いた。
「……武蔵?」
「……!? な、何で俺の名前……!」
名乗りもしなかったのに自らの名を呼び当てられ、武蔵は一瞬怯む。
「……え、いや? 待ってくれ……?」
だが、すぐに違和感に気が付く。
いや、違和感というのは正しくないか。
武蔵は……聞こえてきた声に聞き覚えがあった。
湊の方を見やれば、信じられないように声のした方を見つめている。
武蔵は少しだけ迷い、己の疑問を確信に変えるべく一つの名前を呼んだ。
「―――英人、か?」
唯一無二の……見捨ててしまった親友の名を。
ディスクはそのやり取りで何かを察し、持ってきていたペンライトを声のした方へと向けた。
か細い明かりは闇を斬り裂き、その奥で座り込んでいた一人の少年の姿を照らし出した。
「―――!!」
「ぁ……!!」
途方にくれたような表情の、赤黒く汚れた中間高校の制服を着た少年……櫛灘英人の姿を。
「英人ぉ!!」
「英人君!!」
彼の姿を見た瞬間、手にしていた銃を放り出して武蔵と湊が彼の傍に駆け寄った。
呆然としたままの英人は、片手に抱きしめている礼奈が起きないように気をつけながら武蔵と湊の方へと体を向けた。
「お前たち、どうして……」
「どうしてはこっちのセリフだっつぅのぉ!!」
「生きてて……生きててくれて、本当に良かったよぉ……!」
お互いにとって、思いもしなかった再会。
武蔵と湊はその両目から涙を流し、英人は困惑した表情で二人に抱きしめられている。
ディスクは少し離れた場所から三人の様子を窺い、英人が二人に対して敵意を持っていないらしいことを確認してからゆっくりと近づいていった。
「友人かね。君たちの」
「はい……! はい……!」
「俺たちの……俺たちが……!」
英人が生きていた。そのことに対して言い表せぬほどに溢れた感情を御せず、声を上げることもままならない武蔵と湊。
二人にされるがままに抱きしめられながら、英人は胡乱げな眼差しでディスクを見上げた。
「……そういうあんたは?」
「私はディスク。“組織”と呼ばれる研究機関の人間だ」
「そしき……」
ディスクの告げたその名を復唱し、それから英人は彼の目を見上げた。
「……なら、中間市の惨状に関係が?」
「ありていに言えば、原因の一つだ」
「っ! オイ、ディスク!!」
あまりにもあっけらかんと告げるディスクに、武蔵が思わず制止の声を上げる。
「あまり変なこと言うなよ!!」
「だが、事実だ」
「だからって、お前……!!」
武蔵は英人の様子を窺いながら、ディスクの言葉をどう言い繕うか考える。
どんな経緯でここまでたどり着いたのかは分からないが、ディスクがこの原因を生み出した人間たちの一人などと迂闊なことを言って、英人の心象を悪くする必要はない。
現状、彼だけが自分たちの感染しているウィルスを如何にかする術を持っているのだ。
化け物にならなかった英人にあえたのは僥倖だ。彼は一度噛まれている。まだ化け物と化していないなら、まだ間に合うはずなのだ。
ここで英人の心象を悪くして、ディスクとの関係を拗れさせるわけにはいかない。
そう考え必死に考える武蔵だったが、英人が次に口にした言葉は彼の想像していなかったものだった。
「渡りに船とはこのことなのか……」
「……ん? 渡り?」
英人の言葉に武蔵は思わず首をかしげる。
だが、英人はそれを無視し、湊をやさしく押しのけながら前に出る。
「なら……あんたなら、分かるか。俺の妹が…礼奈が、どうなっているのか!」
「なに?」
必死に訴えながら、礼奈の体をディスクの前に晒す英人。
礼奈は気絶し、微かな呼吸を繰り返している。
そんな彼女の様子を見て、軽く屈みこんでディスクは触診を始める。
「………」
「………」
無言のまま、英人はディスクのやることを見つめている。
手早く診察を終えたディスクは、英人を見やる。
「……状態は悪くない。彼女が変異しきるまでには、まだ時間がかかるはずだ」
「本当か!?」
「……そういうの、分かるのか?」
ディスクの言葉に顔を輝かせる英人。
その背中から顔を出した武蔵は、小首をかしげながら問いかける。
礼奈の体に噛み傷は見えず、ゾンビ化もしていないことからZVには感染していないはずだが、CVには感染しているはずだ。
だが、変異者になるかどうかなど外見上から判断できるのか?と問う武蔵にディスクは簡単に告げる。
「この年頃の少年少女が変異者になる際に、こうした風邪の諸症状に近い症状を発生させるのは実験によって確認済みだ。こうなった場合、ニ、三日の後に感染者は変異者へと変わる。この子が、こうなってからどの程度だ?」
「見つけてからなら、一日も経ってない。昨日の朝には、こんな状態じゃなかった」
「そうか。ならば時間はあるはずだ。変異者と化す前に、ワクチンを作れれば、だが」
「ワクチンが!? あるのか……いや、作れるんだな!!」
「ああ。材料さえ、揃えばだが……」
言いながら、立ち上がるディスク。
それに続いて、英人も立ち上がり、礼奈を抱きしめながらディスクへと食い下がる。
「なんだ、何が足りない!? 俺が揃える! 何をしてでも揃えてやる! だから、教えてくれ! 一体何が―――!!」
「え、英人! 待て、待ってくれ!!」
興奮した英人を止めるように、武蔵は彼にすがりつく。
「なんだ武蔵! 止めるな! 礼奈を助けるためなら、俺は……!」
「その話は後にしようぜ! ここに、また危険な化け物が戻ってこないとも限らないだろう!? な!!」
武蔵は慌てて、英人を移動用のレールのあるほうへと押す。
口にしている言葉も考えているが、それ以上にワクチンの話を今するのはまずい。
こんなところで、英人に絶望されてはかなわない。下手すれば、湊を抱きしめたまま自殺しかねない。
せっかくまた生きて会えたというのに……そんな風になってしまっては困るのだ。
「こいつ…ディスクの組織が作った部屋がある! そこなら暖かい飯とか、飲み物もあるし、落ち着いて話もできるんだ! だからまずは休もうぜ! 疲れただろう! 礼奈だって、柔らかい布団の上で寝かせてやろうぜ!?」
「武蔵……? お前……」
英人は武蔵の様子に不審を覚えた。あまりにもわざとらし過ぎる。
何かを隠している。そう直感的に彼は感じたが。
「英人君! 向こうのほうから、なにか聞こえてくるの……! だから、武蔵君の言うとおりに……!」
怯えたように、扉を指差す湊の言葉に、口を閉じる。
彼女が指差しているのは、彼が通ってきた扉。その向こうには、元同級生たちの残骸がいるはずだ。
迷ったのは数瞬。英人はおとなしく、武蔵の言葉に頷いた。
「……わかった。先導してくれ、ディスクさん」
「うむ」
ディスクは一つ頷き、英人を導くように先を行く。
英人は礼奈を改めて抱きかかえると、彼の背中を追いかけた。




