中間市 -9:31-
「なんだその究極の暴論」
委員長の放った言葉に英人は思わず呆れ顔になる。
木を隠すなら森の中。すなわち彼は化け物になることで安全を確保し、安住の地を手に入れようと言うのだ。
……それがどれほど不可能なことだと考えているのだろうか、委員長は。
確かに一夜前後で一つの街を完全に崩壊させてしまった、今英人たちの体内に存在するウィルスは驚異的といわざるを得ない。極めて感染力が高く、恐らく特効薬も普通には存在していないのだろう。これが世界中にばら撒かれてしまったらと考えると、英人の背筋は凍りついたかのように寒くなる。
だが、世界の広さは中間市とは比べ物にもならない。それだけの広さを持つ世界にウィルスを全て蔓延させるなど、容易なことではないだろう。
最悪、中間市を中心に封鎖領域でもつくり、その内側を核ミサイルかなにかで完全に焼き払えばよかろう。
封鎖領域内は完全に人の住める環境ではなくなるだろうが、世界平和のためには背に腹を変えられまい。
「本当にうまくいくと思ってんのか? 寝言は寝て言えよ」
―オヤァ? ボクノイウコトヲシンジラレナイノカイ?―
「てめぇがどれだけ本気でことを為そうが、到底現実的じゃねぇって話だよ……。その、噂の彼女とやらが何をしでかすかはしらねぇが、止めておくんだな。化け物は淘汰される。それが、世の中の筋ってもんだろ?」
―ソウカナァ? タシカニニンゲンハボクラヲコロソウトスルカモシレナイケレド、ミンナガオナジナラコロシアイモナイダロウ?―
本気でそう思っているのか、委員長は軽く首をかしげた。
確かに化け物の体や能力は強靭だし強力だが、だからこそ人類は本気で抵抗するだろう。
自らを変異変質させようとする者たちの存在を、人類は決して許さないだろう。見た目や性質がどうのこうのという話ではない。人が人でなくなるなど……そんな倫理の崩壊する話を許せるわけがないだろう。
「……冗談じゃないわ」
英人の背後でおとなしく委員長の話を聞いていた少女もまた、彼の唱える理想に噛み付く。
「皆同じになればいい? 皆……皆、アンタみたいな化け物になればいい? ふざけんじゃないわよ!! アンタ、そんなことのために私を襲ったって言うの!?」
有頂天となった怒りのままに少女は前に出て、委員長に吼えた。
「化け物になれば死なないって、本気でそう考えてるの!? だから、ここに来るまでに閉じ込めた連中も化け物にしたっていうの!?」
―アア、ソウダヨ? ソレノナニガ―
「悪いに決まってるでしょうが!! 誰があんな、胸糞の悪い化け物に変えろって言ったのよ!? 確かに私、死にたくないわ。でも、化け物になってまで生きたくないわ!! もし仮にそうなったのなら、私は死にたいし、そうした奴は皆死ねばいいと思うわ!!」
―ナンデサ? コウナレバ、ミンナミンナシナナテクイイノニ……―
「頭おかしいんじゃないのアンタ!? 化け物になって、化け物にされて……そうして傷口の舐めあいでもしろっての!? そんなの一人でやってなさいよ!! おあつらえ向きに首やら手やらが長いんだからさぁ!!」
息を荒げ、声を張り、目に涙を浮かべ。
少女は全身で持って拒絶した。委員長の唱える理想とやらに対して。
それは、人として当たり前の姿だった。人でありたいと一心に願う、ごくありふれた姿だ。
英人にとってはもう手が届かぬ場所にある姿であり、今は眠っている妹にとどまり続けて欲しい領域だ。
「………」
英人は眩しそうに少女の背中を見つめた。
彼女の姿は純粋で、強く輝いているように英人には見えたのだ。
「私は嫌……! 私は、私は化け物になりたくない!!」
少女は叫ぶ。目の前の化け物に向けて、己が唯一持ちうる武器として、自分のありったけを叩きつける。
「私を巻き込まないでよぉ!! バケモノォォォォォォォ!!!!」
強い懇願。鋭く胸に突き刺さるような少女の声を受けて、委員長はまだ首をかしげていた。
―ナンデ? ナンデソンナニイヤガルカナァ。ドウセミンナ、カノジョヲトメラレナイノニ……―
荒々しく息を吐く少女の顔を見上げ、首をかしげ……そして、委員長は何かを思いついたようにパッと顔に笑みを浮かべた。
―デモ、スグニワカルヨネ。イマノボクタチノスバラシサガ! ドウセモウキミモボクタチノナカマニナルンダ!!―
「ならない……! あんたたちの仲間になんて、絶対にならない……!」
委員長に傷つけられた肩口を押さえ、少女は叫ぶ。
委員長はそんな彼女を見上げ。
―ソウカナ? ジャア、スコシハヤメテミヨウカ?―
「え――?」
そんなことを、言ってのけた。
次の瞬間、少女の首筋に小さな血の跡が生まれる。
「っづ!?」
「!? まさか!!」
英人は一拍遅れ、状況を推察し、彼女の隣に向けて拳を振るう。
―ッバァ!?―
瞬間、大量の体液を吹き上げながら、頭の砕かれた肌が奇妙に白い人間の姿が現れる。
これが、ノイズも発さず姿も見えない化け物の正体だった。そして、その化け物の手には、小さな注射器のようなものが握られていた。
中身が半分ほど減っていた注射器は、そのまま勢いよく床に叩きつけられて粉々に砕け散った。
「………! 委員長! こいつはなんだ!!」
―カノジョノタイエキダヨ? ボクノタイエキヨリ、ズットズットツヨクキクンダ。キット、スグニデモカノジョハボクタチノナカマニナルヨ!―
英人の問いに嬉しそうに答える委員長。
彼の言葉に、少女は刺された首筋を押さえながら数歩下がった。
「い、いや―――」
彼の言葉を否定するように、首を振り、涙を流す少女。
……その変化は劇的だった。
彼女の体液とやらを注射された場所から、長く鋭い触手が飛び出したのだ。
「あ、ぐぁ!?」
「っ!」
傷を抑えていた己の手さえ貫いた触手はしばし宙を漂い、そして根を下ろすように床に突き刺さった。
首だけではない。肩。胸。腹。背中。太もも。頭……全身の至る所から、鋭い触手が飛び出し、床へと次々に突き刺さっていったのだ。
「ぎ、ぅあ、あぁぁ!?」
―フフハハハ! キミハカノジョニチカカッタミタイダネェ!!―
そのまま触手にゆっくりと体を持ち上げられる少女の姿を見上げ、委員長は愉快そうな声を上げた。
秋山は少女の変異など我冠せずといった様子で、ゆっくりと礼奈の頭を撫でている。
―イイコ、イイコ……―
―ハハハ! ウラヤマシイナァ! カノジョミタイニ、タネヲトバセルヨウニナルカモシレナイネェ! ソレハトテモエイヨナコトダヨ! ミンナノオカアサンニナルンダカラサァ!―
「い、やぁ……! イヤァァァ……!!」
ついに眼窩からも飛び出す触手。片方の視界を奪われ、少女は涙を流すすべを半分無くしてしまう。
だがどうにもならない。己の意思ではどうしようも出来ない。
もはや自身のコントロールを離れてしまった自分の体に絶望し、己の体から触手が生え出すというおぞましい感覚に涙を流し、残された人としての人生の中、少女は必死に声を振り絞る。
「ヤダァァァ……! タスケテェェ……!!」
―タスカルノハコレカラダヨ! キミハウマレカワルンダカラ!!アハ、アハハハハ!!―
耳障りな甲高い声で笑う委員長。
少女は己の姿を見て嗤う委員長を、残った目で睨み付ける。
そんな彼女をあざ笑うように、彼女の体からはさらに触手が飛び出し――。
「―――」
次の瞬間、その全てが断ち切られた。掌を手刀に構えた英人の手によって。
―………エ?―
何が起きたのか理解できずに、呆然とした声を上げる委員長。
そんな彼に構わず、英人は下りてきた少女の体を受け止めた。
「っつぁ!? ……あ、あんた……」
「……大丈夫か?」
断ち切られても尚、懸命に活動を続ける少女の全身から映えた触手。
彼女の目から飛び出したそれを痛々しげに見つめながら、英人は彼女に声をかける。
「元々、化け物に変じたら止めを刺すつもりだった」
「……そう……なんだ……」
今だ全身に走る激痛のせいで声も絶え絶えな少女は、懸命に笑おうと唇を歪めた。
「……ありがと……」
「気にするな。結局、約束も何も守れなかったな」
英人は言いながら彼女の体を抱えたまま片膝立ての体勢になり、のたうつ触手や彼女の傷も構わずその体をギュッと抱きしめた。
「……すまない」
「あ……」
少女は己の体を抱きしめられ、かすかに目を見開き。
一滴、涙をこぼした。
それは、瞳の中に残っていた涙が、ちょっとした衝撃でこぼれたものだったのだろう。
だが少女には、頬を伝う熱いそれは違う意味を持っているように感じた。
「―――」
人でなくなった自分を、抱きしめてくれた少年。
彼の、不器用な優しさに。
「……ありが、とぉ……!」
彼女は、精一杯の感謝を返した。
最期まで、人として接してくれた彼に。
それしかもう、返すことが出来なかったから。
「―――」
英人は彼女の最期の言葉を聞き届け、その頭にそっと手を添え。
一瞬で、彼女の全身を砕いてしまった。
痛みを感じぬよう。苦しまぬよう。
己の全霊の慈悲を持って、彼女の人間性に応えた。
―ナニヲスルンダ、エイトクン! カノジョヲ、コロスナンテ!―
目の前で粉と砕けた少女の体を見て、ようやく己を取り戻した委員長が、耳障りな声で叫ぶ。
もはや再生さえ出来ないほど砕かれた少女の体。そしてその中からあふれ出した血を浴び、英人の全身はさらに赤く染まる。
「―――」
―キミハイマ! ヒトツノイノチヲコロシタゾ!! ソンナコトガ、ユルサレルワケガナイ! ユルサレテナルモノカヨ!!―
砕けた少女の体を抱きしめるように動かない英人に向けて、あらん限りの罵詈雑言を叩きつける委員長。
その四肢からは血管が浮かび上がり、ミチミチと音を立てながら膨れ上がる筋肉は彼がどれだけ怒りに駆られているかを表しているかのようだ。
―カノジョノユメヲ! リソウヲ! ジツゲンスルタメニボクハスベテヲササグトキメタ!! ジャマヲスルナラ、キミトテモウヨウシャハ!!―
「――容赦がなんだと?」
がなり立てる委員長の声にかき消されそうなほど小さな、英人の一言。
しかし不思議とよく通ったそれは、委員長の動きを止め、秋山の視線を彼に向けさせた。
―イッ!?―
―……!―
英人はゆらりと立ち上がる。
化け物たちの血で汚れたその全身を晒すように、立ち上がる。
すでに血は乾き始め、黒く変色し始めている。
「――もう、言葉は不要だ」
英人は瞳を上げる。
「――消え失せろ」
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「……ん……」
誰かの、叫び声を聞いた気がして、礼奈は重たい頭をゆっくりと持ち上げる。
全身は軋み上げ、力が欠片も入らない。
死にそうに感じるほどに寒いのに、頭の奥は酷く熱い。
そんな己の状況を夢現に感じつつ、礼奈は声のしたほうにゆらりと顔を向けた。
「―――ァ」
そして、後悔した。
見なければ良かったと、後悔した。
なぜなら、そこには。
「――キエウセロ」
全身が黒く変わり果ててしまった、人の形をした、鬼が立っていたのだから。
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