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中間市 -9:18-

 最初の曲がり角へと戻りながらノイズの軌跡を手繰り、礼奈が捕らわれていそうな可能性のある場所を探る。

 礼奈はまだ化け物には変じていなかった。蟹岡医院で得た情報を考えれば、数日程度は猶予があると見るべきだろう。

 ならば探るべきはノイズの薄い場所……。


「……奥のほうか」


 英人は呟き、出口とは逆の方向を睨み付ける。

 枝葉が分かれるように散らばるノイズ。あたり一面に広がっているそれは、奥にいけばいくほど、その濃度が薄くなっている。

 距離にしてみれば十メートル前後。たったそれだけの距離で、感じられるノイズ量は半分以下になる。

 奥にいけばいくほど部屋の形がすぼまっているとも考えられるが……ここが地下であるならそんな形に部屋を作る意味はないだろう。

 いずれにせよ、いけばわかることだ。英人はそう考え、奥のほうへと向かう。


「奥に行く。ついて来い」

「わかったわ……」


 肩口を押さえながら少女は頷き、英人の背中を追いかける。

 ちらりと背後に振り返り、少女がまだ肩を抑えているのを見た英人は静かに問いかけた。


「……まだ痛むのか?」

「ええ。まるで、熱したナイフを突き刺したみたいよ」


 少女は肩口をよりいっそう強く抑えながら、強く顔をしかめた。


「血も止まらない……結構深く刺されたみたい」

「……そうか」


 英人は前へ向き直りながら、小さく頷いた。


(……さて、こいつはどうなる?)


 英人が噛まれたときは、一時間後にはすでに傷が治っていた。

 全身にウィルスが回ったタイミングはもう少し早いだろうが、それでも早い段階で傷は塞がっていたと思われる。

 ウィルスに感染し化け物へと変化するまでの時間には個人差があると思われるが、少なくとも少女は今すぐ変化するような気配は見せていない。

 ……どこまで正気を保っていられるだろうか。後ろの少女は。


(……死にたくないと言っていたが、実際に抗えるものなのかね)


 変わるときにはほとんど一気に変わるのではないだろうか。小学校で春日教師に聞いた話が本当なのであれば、変異が始まってから完了するまではおおよそ数秒程度だろう。

 たったそれだけしかない時間の間に、変異しようとする肉体と、体が変化してしまう事実に人間は耐えられるのだろうか。


(俺の場合は……気絶している間に変わっちまった)


 今思えば、英人は幸運だった。委員長に後頭部を殴られ、気絶している間に人とは違う体へと変異してしまっていた。

 姿も形も人と同じであると言うのに、傷は瞬く間に癒え、電流に耐えうるように皮膚がゴム化する。

 固めた拳はコンクリートを砕き、大地を蹴る足は人を超えた速さを英人に与える。

 これだけのものを得る代償がどれほどのものなのか。考えたくもない。

 あるいは何もなかったのかもしれないが……それはつまり、これからなにか起こるということだろう。今よりももっと酷い、なにかが。


「つっ……」


 少女が小さなうめき声を上げる。

 英人が振り返ると、少女は肩を抑えながら、顔に笑みを貼り付けた。


「だ、大丈夫! ちょっと、傷を強く抑えすぎただけだから……!」

「――そうか」


 彼女の言葉を信じ、英人は前へと進む。

 背後についてくる少女の気配を感じながら、英人は細心の注意を払う。


(今のところノイズを感じない。まだ、人間だな)


 ノイズを発するようになれば、少女もまた化け物と化すだろう。

 そうなれば、手を下すより他はない。化け物から人間へと戻るなど、体の中のウィルスを排除するよりも遥かに困難だろう。

 英人にしても、同行していると襲い掛かってくる可能性の高い化け物を連れ歩くなどごめんこうむる。

 彼女には悪いが、人でなくなった瞬間に手を下すべきだろう。例え死にたくないと泣き叫ばれようとも。


「―――」


 いずれ訪れるかもしれない結末について思案を巡らせていたら、いつの間にかノイズの薄い空間にまで歩みを進められていた。

 背後にあったはずの出入り口はもう見えない。かなり遠くまで来ているようだ。

 ここまで来ると曲がり角のようなものは一切見えず、ずらりと化け物を閉じ込めていたものと同じ鋼鉄の扉が並んでいた。


「……?」

「どうしたの?」

「いや……」


 だが、中からノイズを感じない。この施設は化け物を収容しておくための施設だと思っていたのだが、前提が外れていたのだろうか。

 あるいは、ここにも人間が閉じ込められているのだろうか?


「……ひょっとして、誰かいるのか?」


 英人は怪訝に呟きながら、扉のうち一枚に近づく。

 ――と、その時だ。


「あ、あぁぁぁ、がぁぁ!!」

「っ!?」


 突然上がった悲鳴と共に、扉が轟音を立てて揺れる。

 とっさに飛びのいた英人が扉についた窓の向こうに見たのは、一人の少年の姿だった。


「お前……」

「い、いぃぃ、あぁぁぁ……!!」


 その中にいたのは、こちらに閉じ込められたとき、すがるように扉の場所に残っていた彼であった。

 少年は悲鳴を上げながら頭を握り締め、そのまま数歩が去る。


「い、ぎぃぃ……! く、はぁぁ……!!」

「な、なに? どうしたの?」


 聞こえてくる声から、部屋の中に閉じ込められている少年に気が付いた少女が、不安そうな声を上げる。

 それに答えることなく、少年は頭を振り回した。


「いだぁぁ……! いや、がぁぁ!? や、げぇぇ!!」

「―――」

「が、が、が……!!」


 少年は自らの頭を鷲づかみにし――自力で頭骨を割り、中身を吹き上げながら少年は叫んだ。


「イイィィィやぁぁぁぁぁぁだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」


 次の瞬間、少年の指が勢いよく自身の脳髄へとめり込む。

 肉を食い破る音共に、彼の体からいく本も触手が飛び出す。

 その触手は彼の骨であり、腸であり、血管であり……。


―IGIIIAAAAAAAAAAA!!―


 瞬く間に、少年は変わり果てた。全身から触手を飛び出すその姿は、さながらイソギンチャクのようだ。

 自らの体から飛び出した触手を暴れさせ、己の体を砕くかのように七転八倒する元少年。

 彼の姿を目にした英人の口からこぼれたのは、純粋な同情だった。


「……無残だな」

「っ……っ!!」


 少女は己の口から飛び出しそうになる嘔吐物を押さえ込みながら、少年より目を逸らす。

 今まで見てきた中でもトップクラスに悲惨な変異だ。少年であったものの皮は、今だ触手の中心で触手と共に蠢いている。


「……いくぞ。もたもたしてたら、次は自分の番だ」

「……! わ、わかった……!」


 英人はそれから目を離すと前へと進み始める。

 少女も何とか頷きながら、その背中を追う。

 そうして歩み始めたとき……また扉の向こうから悲鳴が聞こえる。


「いぃぃやぁぁぁぁぁぁぁ!!??」

「………」


 英人が悲鳴の聞こえてきたほうへと視線を向けると、中間高校の制服を着た少女が、必死に自らの腕を掻き毟っているところであった。


「やだ、やだぁ!! 出てこないで、こないでぇぇぇ!!」


 見れば、少女の腕からは大量の蛆が湧き出しているようだ。その足元には、ボタボタと蛆の死骸が落ちている。

 腕だけではない。彼女の足からも、胴体からも、肩からも……当然頭からも蛆は沸いている。


「あぎぃ!? ひ、ぎぃぃぃ!!」


 己の体から湧き上がる無数の蛆。少女はそれを必死に払い落としながら、金切り声を上げる。


「いやぁぁぁぁぁぁ!!?? なにこれ、なにこれぇぇぇぇぇぇ!!!」


 叫び声と共に体を振り回す少女。全身を走る激痛と怖気。それに耐えられなくなったように少女は床に倒れ伏す。


―AGIIIIIYAAAAAAAA!!??―


 そうして再び悲鳴を上げたとき、少女は人にあらざるものとなった。

 目であった部分からは巨大な蛆が這え、口から飛び出している舌も、丸々太った芋虫のようだ。

 絶えず全身から虫を湧き出しながら少女は声を上げる。……そして周囲に沸いた蛆たちは、瞬く間に成虫へと変異していた。


「………」


 美しい羽色を持ったその虫は、蛾に似ていた。今だのたうち、暴れまわる少女をよそに、彼女から生まれた美しい蛾たちは部屋の中を優雅に飛び回る。

 ……そして、さらに先の部屋からも悲鳴が上がる。


「ああああああああああ!!!!」

「……またか」

「こ、今度は……!?」


 やや早足に駆け抜けた二人は、部屋の中で背を向けて叫ぶ少年の姿を見る。

 中間高校の制服を着た少年は、頭を抱えたまま悲鳴を上げた。


「あ、ああ!? なんだろう、なんかスースーするよぉ!?」

「なんだそりゃ」


 思わず反射的に突っ込みを入れる英人。

 そんな彼に向かって、少年は振り返った。


―ネェ!? ナンダロウ!! ナンダロウネェ!!―

「っ!」


 ……少年の顔には、無数の穴が開いていた。

 黒い虚のように見える大小無数の穴。

 顔面に開いたそれを英人に向けながら、少年がこちらへと駆け寄ってくる。


―ネェナンデ!? ナンデボクハスースースルノォ!?―

「近寄んじゃねぇよ、蓮コラ野郎」

―ハヒィ!?―


 力強く扉を蹴ってやると、その音と衝撃にびっくりしたように少年は一歩下がる。


―アヒィ! ナンデ!? ナンデ!? ナンデ!?―


 どこからひねり出しているか分からない叫び声を上げ、少年は頭に両手をやった。


―ナァァンデェェェェェェェ!!??―


 同時に、顔面に開いた穴から大量の液体を噴出す少年。

 暗いため色は分からないが……床に降り注いだそれは強烈な音と匂いを発しながら床を溶かしてゆく。


「………」

―ア、アギ!? クサイ、コンドハクサイヨォォォォ!!??―


 自らが出した消化液の匂いにもんどりを打つ少年を無視しながら、英人は先へと進む。


「あああぁぁぁぁぁぁぁ!!?? 私の肌、おはだがぁぁぁぁ!! ドロドロノグズグズニィィィィィ!!!」

「いだいぃぃぃぃ!! からだが、いだいよぉぉぉぉぉ!! からだのなかかかか、ららら、ナニガァァァァァァァ!!??」

「おぶ、ぐえぇぇぇぇぇ!! 何、腹から、なにか……ナニガァァァァァァァ!!!??」


 なにかが腐り落ち、醗酵する音。無数の刃に食い破られる、人間の皮膚の音。あふれ出る体液に溺れ、苦しむ人間の呼吸音。

 二人が先へ進むごとに、酸鼻極まる変異者たちの悲鳴が彼らを出迎える。


「イイイィィィィィエェェェェェェェェ!!??」

「ひぎ、ひぎぃぃぃぃぃぃ!!??」

「………」

「っ、っ……!」


 もはや顔を上げることも叶わず、英人の背中に顔を押し付けている少女。

 英人は叫び声の上がる扉の中を覗き込み、その一つ一つが化け物と化し、ノイズが生まれるのを確認してゆく。やはり、どんな姿であっても化け物であればノイズを生むようだ。

 ……そして、この道でノイズを生み出している者たちは全員が中間高校の生徒のようだ。襤褸切れと化した制服で身を包む、蜘蛛のような姿の少女を見ながら、英人は目を細めた。


「……まさか、ここの連中の目的は……」


 先ほど聞いた触肢人間の声を思い出しながら、英人は一つの解を得る。

 自らの脳裏に浮かんだ、荒唐無稽なそれを否定したくて、英人はようやくたどり着いた地下室の最奥の扉をゆっくりと押し開けた。




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