中間市 -8:32-
「…………あなた、一体何なの?」
二階に存在していた化け物を全員始末した後、約束どおり開放された少女は廊下の惨憺たる有様を前にし、青い顔のまま英人へと問いかけた。
四肢と言わず全身に血と臓物を浴びた英人は、顔に付着した肉片を不愉快そうに拭いながら、少女にそっけなく返した。
「言ったろう? ただの化け物さ」
「……………そう」
長い沈黙の後、納得したように頷く少女。
目の前の光景と、英人の姿。両方見せ付けられては納得せざるを得ないだろう。
英人は手の肉片も払い落としながら、少女に問いかける。
「で? 化け物につかまって、ずっと閉じ込められてたっていってたが……そりゃどういうことだ?」
「……知らないし、わからないわよ」
少女は英人に近づかないようにしながら、首を横に振る。
「昨日、適当な空家の中で寝てたら、いきなり手足の長い化け物に襲われて……気が付いたら、病室の中。外に出ようとしたけど、そしたら今度は全身刃物みたいな殻くっつけた人間に追い立てられて……部屋の中には入ってこなかったから、ずっと病室の中に閉じこもってたの」
「ふぅん……」
英人は少女の話を聞いて、理解する。
先ほど病室内にノイズを感知できなかったのは、化け物ではなく人間がいたからなのだ、と。
何故化け物が人間を病室に捕らえているかはわからないが、他の病室にも人間がとらわれている可能性はありそうだ。
彼女は知らなさそうだが、一応理由も聞いてみることにする。
「何で化け物どもがあんたを襲わないのか、心当たりは?」
「知らないわよ、そんなの……。外歩いてたゾンビとかは、こっちを襲ってくるのに、ここにいる連中は何もしないし……わけわかんない」
少女はぶるりと身を震わせる。彼女も不気味に思っているのだろう。意図不明な、化け物たちによる監禁に。
「私を食料にするって言うならまだ、わかるけどさ……でも、そういう風でもないのよね。なんていうか……腫れ物に触れるみたいな感じで、こっちと積極的に関わろうとしてこないしさ」
「そうか。そりゃ、妙な話だ」
少女の話に相槌を打ちつつ、英人は考える。
仮にここにいる連中の目的が生存者の拉致監禁だとすれば、ひとまず礼奈の身柄は安全かもしれない。今も元気に悪態をついている少女を見れば通り、ここの連中は生存者に手を出していないようだし。
問題はその目的がいまいち見えてこないという点だろうか。生存者を集めて閉じ込める以上、そこに何か目的があるのだとは思うのだが。
「……ねえ、ちょっと」
「………ん? なんだよ」
思案に没頭しかけていた英人の体を、少女がやや乱暴に突く。
それに気付いて振り返った彼に、少女は少しふてくされたように問いかけた。
「……あなたは、私の敵? それとも味方?」
「……化け物ではあるが、あんたを喰おうとは思わない。しばらくそれで満足してくれ」
少女の問いに対し、英人は明言を避ける。
敵と言うわけではないが、積極的に彼女を助けようとも思わない。外に出したのは、何らかの情報が得られるかと思ったからだ。
そこから先、彼女が死のうが生きようが英人の知った話しではない。それに、味方といってへんに頼られても困る。今の英人の目的は、礼奈の救出なのだから。
彼の返事に含まれる意図を察し、少女は目に見えて不機嫌になった。
「か弱い女一人守る気概がないの? ……せめて安全な場所までエスコートして欲しいんだけれど?」
「なら、今出てきた部屋におとなしく戻るんだな。間違いなくそこが、今この町で一番安全な場所だ」
そういって英人は少女に背中を向けて次の病室に向かう。
「外には相変わらず化け物どもがうろついている。そいつらは、こっちの事情無視で襲ってくる凶暴な奴らだ。それに比べりゃ、この病院にいる奴らはナンボか紳士的だと思うぞ」
「そういう問題じゃないわよ」
少女は語気に苛立ちを含ませながら、英人の後を追った。
彼の意図がどうあれ、頼る先が他にないからだろう。
英人は好きにさせてやりながら、隣の病室の扉を開ける。
鍵はかかっておらず、中に人の気配もない。
「……ハズレだな」
そのまま次の病室へと近づく。
なんとなく英人の意図を察した少女は、少し駆け足になりながら彼に声をかける。
「私、先の病室見てくるわね」
「……ああ、そうしてくれ」
少なくとも、今いる階にノイズは感じない。ほうっておいても問題はないだろう。
英人は扉を開け、中を確認する。
やはり人の気配はないが……誰かがいた形跡はある。
ベッドは乱れ、中にある小さな椅子や丸机などが乱暴に倒されていた。
ここに監禁されていた誰かは、相当暴れていたらしい。
「………ここにも誰もいない、」
英人は扉を閉め、次の病室に向かう。
「ここにも誰もいないわ!」
「こっちもだ……」
そのまま少女と二人で二階の病室を確認して言ったが、結局発見できた生存者は彼女だけであった。
ただ、誰もいなかったわけではなさそうなのはわかった。ベッドの上に誰かが寝ていた形跡があったり、あるいは食べかけのお菓子の袋が落ちていたり。
そういった、誰かがいた痕跡はいくつか発見できた。
「どこにいったんだ、ここにいた連中は」
「さあ……知らないわよ」
少女は二階の探索途中で見つけた未開封だったチョコレート菓子を頬張りながら肩をすくめる。
「私が気付いたときには、どれだけ騒いでも返事なかったし……皆、逃げちゃったんじゃない?」
「にしちゃ、部屋の中の荒れ方がな。なんか、激しく抵抗して見せたみたいな感じだった」
英人はポツリと呟く。
いくつかの部屋を見て回るうちに気が付いたのだが、部屋の中のパイプ椅子やら何かはまるで投げつけられたかのようにへこんでいたのだ。
自身に迫る化け物に向かって、手当たり次第にものを投げつけた……と考えるのが筋なのだろうが、それにしては血の汚れた後などは見られなかった。
見て回った部屋のどれにも、死体や肉片などは見つけられなかったし、当然掃除した後もなかった。つまり、部屋に監禁した人間を化け物は生きたまま連れ出したということになるわけなのだが。
「……そんなことしてなんになる? 化け物が、人間を、生かしたまま連れ歩いてどうなるってんだ」
英人の理解を超えた行動だった。何ゆえ化け物が人間を生かしたまま連れてゆく必要があるというのか。
……情報が足りない。圧倒的に。
「……次の階に行くか」
化け物が病室に人を捕らえているというなら、上の階にも生存者がいるかもしれない。
そう考え、英人は階段へと向かった。
少女はそんな彼の背中を追いかけ、慌てたように声をかける。
「え、ちょ!? どこ行くのよ!?」
「上だ。お前以外の生きてる人間を探す。それで、なんかの情報が手に入ったら儲けものだろう」
「そりゃそうだけど……私は、どうしたらいいのよ?」
不安そうに問いかけてくる少女。
……か細い手足を備えた、ただの少女だ。化け物と対峙して、生き残れるかどうかすら不安を覚える。
英人はそんな彼女を一瞥し、一言だけ返した。
「……死にたくなきゃじっとしてろ」
「……わかった」
英人が方針を変えるつもりがないと悟り、少女は肩を落としながら頷いた。
そのまま二人は階段を上り、三階へと向かう。
先ほどとは異なり、今度は慎重に三階の様子を窺う英人に、少し離れた場所から少女は問いかける。
「……ど、どう?」
「見回りの化け物がいるな」
触肢人間が、ゆらりと体を揺らしながら歩いている。その向こう側には、三人組のゾンビの姿もあった
英人はそれを睨みながら、少女に作戦を伝える。
「……とりあえず近くの病室に篭ってろ。その間に化け物を始末する」
「わ、わかった」
病室内の人間に手を出さないなら、そこに入ればいい。そう考えての作戦だ。
少女はおとなしく英人の提案に同意し、軽く身構える。
「……い、いつでもどうぞ?」
「わかった。ついて来い」
「ちょっ」
少女の言葉に英人は頷き一つ返し、そのまま駆け出した。
あまりにも早すぎる行動に少女は戸惑いながらも、何とか英人の背中を追いかける。
そのまま駆け抜けた英人は、触肢人間が気付く前に、飛び上がって上から襲い掛かる。
「っらぁ!!」
―!?―
真上から踏み抜かれ、肋骨ごと背骨を叩きおられる触肢人間。
その物々しい音にびくりとしたゾンビたちが英人のほうへと振り返る。
「―――え? え!? だ、誰だい!?」
近くの病室から少年の声がした。
その声に顔を明るくした少女は、急いで扉に飛びついた。
「ね、ねえ! 私も人間なの! ここを開けて! 中に入れて頂戴!!」
「え、ええ!? い、いきなり誰なんだよ!?」
「誰でもいいだろ、とっとと入れてやれ。化け物が集まってきたぞ」
ゾンビたちを蹴倒しながら英人は言い放つ。
先ほどと同じように、結構な量のノイズがこちらに近づいてくるのがわかる。外にいたら、少女はミンチにされかねないだろう。
化け物、の一言に少年は一瞬黙り込んだものの、すぐに扉の鍵を開けた。
「……さ、さあ入って!」
「ありがと! じゃあ、あとよろしく!」
「ああ」
素早く中に入り込む少女の声援を受けつつ、英人は軽く拳を構える。
やってくるのはゾンビを中心とした物量編成。触肢人間と甲殻人間の姿も見えるが、数はそう多くない。
「……楽そうだな。おい、部屋の中の」
「は、はい!?」
余裕を持って当たれそうだと確信し、化け物を潰しながら部屋の中の少年に問いかけを行なうことにした英人。
真っ先に接近してきたゾンビの首を手刀で跳ね飛ばしながら、質問を始めた。
「この階に他の生存者はいるか!?」
「え、と! ……多分います! 叫び声とか、泣き声とかたまに……」
返す刀で隣のゾンビの首をへし折り、反対の手を突き入れてもう一匹の顔面を打ち砕く。
背後から迫ってきたゾンビがそのまま英人の肩口に噛み付くが、それに構わず英人は体を反転させる。
「そりゃ最近のことか!?」
「はい、ついさっきも……」
肩に噛み付いているゾンビをその勢いで振りほどき、反対側から迫ってきた甲殻人間を蹴り砕く。甲殻ごと臓腑を砕かれ、甲殻人間はくの字に折れ曲がる。
背後に振りほどかれたゾンビは別のゾンビを巻き込みながらもんどりを打ち、それを乗り越えてきた触肢人間が英人へと飛び掛ってくる。
「ならまだ何人か残ってるか……! っつ!」
触肢人間の伸ばした鋭い爪先が、片肺に穴を開けるように突き刺さる。
拳を固め、英人は触肢人間の頭蓋へと振り下ろす。
鈍い音と共に粉砕された頭蓋が廊下をベシャリと汚し、触肢人間が沈黙する。
胸から触肢人間の指を引き抜いていると、前後からゾンビたちが波状攻撃をかけるように襲い掛かってきた。
「チッ……!」
「――ねえ、貴方!」
「ああ!? なんだ声をかけるな今忙しい!!」
群がるゾンビを殴り砕きながら、英人は少女に返事を返す。
外から聞こえてくる物々しすぎる音に少女も状況は把握したようだが、それでも声を張り上げた。
「ここに捕まってるの、ひょっとして中間高校の生徒だけなんじゃないかしら!?」
「――あん!?」
少女の叫びに、英人の動きが一瞬止まる。
その隙に飛び込んできたゾンビが英人の太ももに噛み付いてきてしまい、痛みに顔をしかめながら英人はそいつの頭蓋を踏み砕く。
「どういうことだ!?」
「ここにいるこいつも中間高校の制服着てて、連れてこられたのもそうだったって!」
「一度だけですけど、ドアの隙間から見たんです! あれは確かにうちの制服でした!」
「………どういうことだ?」
同じ言葉を二度呟く英人。
だが二度目の問いに答える声はなく、ゾンビのうめき声と化け物たちの鳴き声だけが唯一返されてきた。




