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中間市 -8:44-

 目の前に、生き延びるための手段がこれほどわかりやすく提示されている。だが、それは手を伸ばした瞬間にその手を食いちぎられかねないほど凶暴な化け物の体。今の武蔵と湊には、とても手が出せる代物ではない。

 諦めるしかない……だが、諦められるものでもない。


「……くそっ」

「どうしたら……」


 武蔵は舌打ちと共に足を踏み鳴らし、湊は頭を抱えるように悩み始める。

 どうにも出来ないと知りつつも、どうにかしなければならない。

 矛盾をはらんだ葛藤を抱く二人を前に、ディスクは小さく頷きかけ――。


「……ん?」


 遠くから聞こえてくるコール音に耳を済ませた。

 そういえば、二人の血液を分析器にかけていたのをすっかり忘れていた。


「結果がでたか……二人とも、すまないが待っていてくれ。君たちの容態が、これで判明する」

「……ああ、わかった」


 ディスクはそう言って、二人の傍から離れていった。

 武蔵と湊は研究室の奥に消えてゆくディスクの背中を見送りながら、静かにため息を突いた。


「ハァ……」

「…………」


 ディスクのおかげで、ごく僅かではあるが光明が見えた。今、体の中に存在しているCVと呼ばれるウィルス……それのみならず、ゾンビと化してしまうZVすら無効化できるワクチンの存在。それを知ることが出来ただけでも、かなり大きな収穫だ。

 ただ、同時に問題も露呈した。ワクチンを作る材料である化け物の親玉……適合者の存在もそうであるが、何よりタイムリミットが存在するかもしれないと言うこと。

 ZVだけではなく、CV単体でも変異者と呼ばれる化け物となってしまう可能性があるというのは、決して無視できない可能性だ。

 ディスクは統計上5%程度の確率で変じると言っていたが……低い可能性というのは一番最初に起こりうる可能性でもあるなどという言葉もある。決して無視できる確率ではないだろう。

 変異者へと変じてしまう前にワクチンを接種しなければならないが……ただCVに感染している状態であっても、適合者には近づくことが困難ときている。

 今は眠っているように見えるが……絶えず触手を使って集まってきたゾンビたちを捕食しているのを見るに、本当に眠っているのかどうか怪しいものだ。


「……何か、方法はないのかな」


 湊がポツリと呟いた。

 すがるような眼差しで見つめてくる湊に、武蔵は難しい顔つきで首を横に振って見せた。


「……わかんねぇ。俺たちがCVに感染してるとして、いつか変異者になっちまうんだとしたら……このまんまで中間市から出るわけにはいかねぇ。けど、あの適合者とやらに近づくのは……」


 武蔵は呟きながらちらりとモニターを見る。

 モニターの向こうでは、うねる触手が黙々とゾンビを絡め取っている。

 ……正直な話、それだけであれば特別恐怖に値はしない。脅威ではあるのだが。

 問題は、触手に絡め取られたゾンビたちが適合者の体に触れた瞬間、液状に融解してしまっている事だ。

 先のディスクの説明から、基本的にゾンビの体は通常人類とまったく同じと考えていいだろう。最大の違いは脳に思考が存在するかどうかと言うのが、ディスクの説明で得られたゾンビの知識だ。

 これはつまり、ただの人間では適合者に触れた瞬間、体をぐずぐずに融解されてしまうということである。

 ああして液状化することで、より効率的にゾンビたちの肉体を吸収しているものと思われるが、それが同時に鉄壁の守りとして機能するわけだ。

 ゾンビたちが元々着ている衣服や装飾品などは、融解した肉体諸共吸収された後、別の場所から纏めて放り出されるのを見るに、適合者の融解防御が機能するのは人間の体細胞のみであると考えられるが、恐らく何の解決にもならないだろう。

 ナイフか何かで切り取ることは出来ても、切り取った細胞が人間に触れる性質のものなのかどうかはわからないのだ。せっかく切り取った細胞を持って帰ることが出来ず、もたついている間に適合者本体に捕らわれてしまえば、それでおしまいなのだ。


「……はっきり言えば無理ゲーだろ。ディスクの奴に、何か妙案があれば別だけどよ」

「でも、あの人も適合者の体を手に入れるのは無理だ、見たいなこといってたじゃない!」

「……そうだよな」

「じゃあ、諦めるしかないの!? 私たち……このまま、ここで……化け物になるしかないの……!?」


 ぼろぼろと涙を流し始める湊。

 両目から絶え間なく雫を零す湊の顔をまっすぐ見られず、武蔵は視線を逸らす。

 湊の問いへの答えを返すことも出来ず、武蔵は黙り込んでしまった。


「………ッ!」


 ついに堪えきれなくなったように、湊はテーブルに上に突っ伏してしまう。押さえるようなくぐもった泣き声が武蔵の胸に突き刺さる。

 これから先のことなど、武蔵にはっきりと言えるわけがない。

 変異者へと変じる可能性はおおよそ5%。そして一週間以内に変異しなければ変異者とならない可能性は十分にありうる。

 だが、そもそもディスクが本当のことを言っていない可能性はある。嘘をついているかもしれない、CVの使用に関して全てを話しているとはいえないだろう。

 そもそも、CVやZVに関する話しすべてが真っ赤な偽物であると言う可能性もまだありうるのだ。……ここまできてその可能性を疑うのは、パラノイア以外の何者でもなさそうではあるが。

 だが、適合者の存在は事実であり、仮にあれが全てを解決に導く鍵のありかだとするのであれば、現状打つ手なしなのも事実なのだ。

 これから先どうするのが正しいのか……なんてことは、きっと誰にもわかりはしない。


「――君たち」

「っ! ……戻ってきてたのかよ」


 などと思考に没頭していたら、いつの間にか傍に近づいてきていたディスクの存在に気がつけなかった。

 ぼそりとした呟きを耳にした武蔵は驚きながら顔を上げる。

 すると、異様に青い顔をしたディスクと目が合ってしまった。先ほどまでは平静そのものと言える顔つきだったのに、一気に病人のような有様だ。


「……なんだよ、その顔。何かあったのか?」

「あったとも。信じがたいことがあったのだよ……」


 ディスクは武蔵にそう返しながら、先ほど言っていた血液検査の結果が書かれたらしい書類一式をテーブルの上に放り出した。

 ばさりと紙が投げ置かれる音に驚いたように、湊も顔を上げる。

 ディスクはそのまま手近な椅子を引き寄せ、体を投げ出すように腰掛ける。

 なんとも言えず捨て鉢な様子のディスクを見て、武蔵は怪訝そうに眉根を寄せた。


「………? なんだよ、一体何があったんだよ?」

「……グスッ。私たちの検査で何か……?」

「何かというか……ああ、クソ」


 ディスクはいささか乱暴に自身の頭をかきむしる。


「……こんな気分になったのは久しぶりだ。今までの自身の研究を丸ごと否定されたかのような気分だ……」

「だから、なんだよ? 一体、どういう検査結果になったんだよ」


 一向に話の進まないディスクの様子に業を煮やし、武蔵は結論を急かす。

 ディスクはしばらく気分を落ち着かせるように頭をかきむしっていたが、やがてため息と共に二人の血液検査の結果を話し始めた。


「……CVの感染度合いを確認するために、行なった検査の結果だが……」

「ああ」

「……まず第一に、君たちの体内には間違いなくCVが存在する。これは、先の検査ではっきりと判明したことだ」


 ディスクの言葉に、やはりと落胆する武蔵と湊。

 空気感染するウィルスであるならば、避け様はなかった。そんなものに対する対策など一切していなかったのだから。

 だが。


「……そして、君たちの体内に存在するCVは、そのすべてが休眠状態に入っていることが判明した」

「……はい?」


 続くディスクの言葉に、武蔵は目を丸くした。

 ウィルスが休眠状態に、とはどういうことか。


「なんだそれ……どういう意味だよ?」

「要するに、君たちの体の中にはCVが存在するが、その機能は全て封印されているということだよ……。何かきっかけがない限り、君たちは変異者にはならないし、たとえゾンビに噛まれたとしてもゾンビ化するのには一年の猶予が存在すると言うことだ」

「……え?」


 ディスクの説明に湊は絶望的な表情になって問いかける。


「それって……私たちも、適合者とか言うわけのわからない化け物だってことなんですか!?」

「それは違う。適合者の場合はCVとZVがより活性化する。決して休眠状態にはならない……」


 ディスクはそのまま頭を抱え、ぶつぶつと呟き始める。


「君たちの体内のCV含有率が低いと言うならまだ理解できる……だが、通常感染者量CVが存在していながら、そのすべてが完全に休眠しているなどとあり得るのか? ありえるのだとしたら要因はなんだ? 今までどのような実験においてもCVが休眠してしまうなどと言う結果は得られなかった。もしそんな結果が得られたのであれば、ワクチンも不要だ。いや、そもそもCVとは――」


 そのまま自分の世界に入り込んでしまうディスクは無視し、武蔵と湊は顔を見合わせる。

 二人の体内にあるCVは休眠状態である。ということは……。


「……無理に適合者の体を入手する必要はなくなった?」

「……ってことだよね?」


 思いがけない展開であった。

 CVに感染しているのは予想の範疇であったが、それが休眠状態になっているなどとは。

 一体どういう原理が働いているかはまったく持って不明であるが、これは朗報である。

 少なくとも、今すぐ危険を冒す必要はなくなったというわけだ。休眠しているCVが再び活動するまでの間は、比較的安全に過ごすことができるようにはなった。

 いつCVが活動し始めるかまったくわからないと言う別の危険が持ち上がったが、ディスクの様子を見る限りでは今日明日に活動をし始めるというわけではなさそうだ。


「………」

「………」


 一体何故?と言う疑問こそ残るが、そこは問題にはならない。重要なのは、CVの活動が一旦停止していると言う一点のみ。


「――なのだから、―――つまり――――」


 そしてCVに関して最も詳しいディスクは、今は自身の考えにひたすら没頭してしまっている。

 ……ひとまずは安全とわかり、一気に気が抜けてしまった武蔵は、軽く欠伸を掻いた。


「……さて、どうするかねぇ」


 ぶつぶつと呟き続けるディスクを横目に、武蔵は腕を組む。

 CVに関してはディスクの結論待ちだ。その結論がでたとき、どう行動すべきなのか。

 それを今から考えておく分には、問題にならないだろう。

 少しだけ気を緩めながら、武蔵はゆっくりと今後についての思案を巡らせ始めるのであった。






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