中間市 -7:02-
「………」
「………」
無言のまま、目の前にある軽食のセットをつつく武蔵と湊。ディスクに用意してもらったものであるが、彼が先ほど継げた言葉もあってか、二人の箸はほとんど進んでいなかった。
あの後、ディスクは二人を連れて別の場所に移動した。
彼が言うには、二人が入ったあの場所は単なるモニタールームのひとつであり、長い説明をするには不向きだとのことだ。彼の保有する研究室であれば、簡単な食事などが振舞えるとのことであった。
さらに、彼は二人の血液を調べたいとも申し出た。いわく、体内に侵入しているウィルスの進行具合を確認するためであると。
なんとも胡散臭い申し出であったが、武蔵と湊にはディスクの言葉の是非を問うことができない。おとなしく、彼の言葉に従う以外の選択肢は無かった。
無理やり彼の言葉を無視して外に逃げ出したとしても……本当にウィルスに感染しているのであれば、無駄に死にに行くようなものだ。
だが、彼のことを完全に信用できるわけでもない。彼の言葉が全て本当のことなのであれば、彼は“組織”の一員であり、中間市を地獄に突き落とした元凶の一人なのだ。どうしたところで、信用できようはずも無い。
……しかし、いくら考えたところで彼に従っているという現状は変わらないし、従わざるをえないという状況も変わりはしない。
武蔵はそんな今の状況と己のふがいなさに鬱屈した感情を抱く。見捨ててしまった英人の代わりに湊を守ると誓ったはずなのに……。
「……ねぇ、武蔵君……」
「……ん?」
鬱々としながら目の前の目玉焼きをつつく武蔵に向かって、不意に湊が声をかけてきた。
食事に触れるどころか箸にもフォークにも手を触れていない湊は、欠片も減っていない軽食セットをじっと見つめつつポツリと呟いた。
「英人君もここにいたら……どうなってたかな……」
「っ! ……どうだろうな……」
英人の名前に一瞬息を詰まらせながら、武蔵は軽く首を横に振る。
「……噛まれた英人が無事だったとして……まあ、あのおっさんがぼこぼこになるまで殴ったりするんじゃないかね……。突発的に切れんのって、英人の持ち芸だし」
「その言い方酷いよ……。でも、私もそう思う……」
湊は武蔵の言葉に力なく笑う。
「英人君……きっとあの人を許さないと思うし……英人君なら、そうするよね……」
「で、湊が涙流しながら止めて、俺が引きずる。それがいつものパターンだよな」
「うん……そうだよね……」
湊はポツリポツリと呟き、それから一粒だけ涙を流す。
「……英人君が、ここにいたら……英人君も……助けられたのかなぁ……?」
「………わかんねぇ」
かすかに搾り出した、すがるような湊の言葉に武蔵は首を横に振ることしかできない。
化け物に噛まれてしまい、ウィルスに感染してしまったとみなされ、学校の外に連れ出されてしまった英人。
結局、その後、彼からの音沙汰は一切無い。死んでいるかもしれないし、生きているかもしれない。……生きているとして、人間であるかどうかもわからない。いまさら携帯電話を使って連絡をするのも憚られる。どんな面を下げて彼に連絡すればよいのやら。
仮に噛まれても彼が学校に残り、そして今この場に居合わせることができたとして……彼を救うことができたのだろうか?
ディスクは危険性と対策、と言った。危険性はともかく、今武蔵たちの体内にも潜んでいるらしいウィルスに対し、何らかの対策を講じることができると彼は言った。
治療ではなく対策と言う点が引っかかるが……その対策で、英人を救うこともできたかもしれない。少なくとも、あんな別れ方をせずに済んだかもしれない。
それ以上湊にかける言葉が見つからず、黙り込む武蔵。
湊も言葉を失い、沈黙してしまう。
重苦しい雰囲気に包まれ始めた二人の空気を払うように、研究室の奥で作業をしていたディスクが戻ってきた。
「すまない。待たせた」
「……いや……」
嵌めていたゴム手袋を外してゴミ箱に捨てるディスクに小さく返しながら、武蔵は彼の次の言葉を待った。
湊も顔を挙げ、ディスクの姿を見つめている。
ディスクは消毒用アルコールで簡単に手を拭ってから、二人と向き合うように椅子に腰掛けた。
「さて……検査結果が出るにはいささか時間がかかる。その間に、君たちが感染しているウィルスの危険性を話しておこう」
「……っていうけどさ。俺たち、どっちもゾンビにも化け物にも噛まれてないんだけど?」
武蔵はそう言いながら、腕を上げる。
ひらひらと手のひらを返す彼の腕は、確かに傷一つ刻まれていない綺麗なものであった。
ギュッと膝の上で手を握りしめている湊の腕にも、当然傷一つ存在していなかった。
「だってのに、ウィルスに感染してる……ってのはどういうことだよ? ゾンビになるウィルスは空気感染もするのかよ?」
「いや。ゾンビ化を促すウィルスは粘膜感染しかしない。よって基本的に噛まれさえしなければゾンビ化はしないと言い切れる」
ディスクの断言に、武蔵は鼻にしわを寄せた。
彼の言葉は矛盾している。その矛盾を、武蔵は思いっきり突いた。
「じゃあ、一体何のウィルスに感染してるんだよ? 危険性っていうからには、ヤバいウィルスなんだろ?」
「その通り。君たちに感染しているのはCV……Career Virusと呼ばれているものだ」
噛みつくような武蔵の言葉に対する返答に湊は小さく首を傾げた。
「キャリアウィルス?」
聞いたこともない名前だ。名称からどのような性質を持つかもわからない。
「ああ。一方、ゾンビたちが感染し、ゾンビ化している原因となっているのはZV……Zombie Virusというものだ」
だがディスクはCVの説明しないまま、次のウィルスの名前を出した。次のウィルスは分かりやすい。というよりそのままの名前だ。
「……そのまま、なんですね。そちらは」
呆れたような湊のつぶやきに同意するように、ディスクは頷いてみせた。
「安直かもしれんが、他の名称案は出なかったしわかりやすいということで採用された」
「ふーん……」
武蔵はつまらなさそうに呟く。実際、ネーミングに関してはどうでもいい。ウィルスの名前にどんな由来があろうが関係ない。問題は、そのウィルスがどんな性質を持っているかなのだ。
ゆっくり顎の下で手を組んだディスクは、ようやく本題へと入り始める。
「さて、ZVの特性だが、人間に関わらず哺乳類の脳内に侵入し、脳内の一部領域を破壊。そのまま生きる屍のような有様に変え、宿主に対して、仲間たちと粘膜接触を図るように仕向ける。平たく言えば、同種族に噛みつくように仕向けるのだ」
その説明に、武蔵と湊は訝しげに眉根を寄せた。
それではまるで、ZVは生き物のようではないか。自己の増殖を積極的に図るなど……。
「……なんで、そんなウィルスが……?」
「なんかの実験で生まれたのかよ?」
「いや、ZVは実験で生まれたものではない。地球上のとある地域にのみ存在していた、極めて特殊なウィルス……レトロウィルスと呼ばれるものの一種だ」
「レトロ……?」
耳慣れない単語に首を傾げる湊。
ディスクはそんな彼女に対して言葉を選びながら説明し始めた。
「詳しい概要の説明は避けるが……そうだな、君たちには天然のナノマシンといった方が伝わるかもしれん。ざっくりいうなら、生物内の遺伝子情報を弄ることのできるウィルスだ。身近……と言えるかどうかはわからんが、白血病を引き起こすウィルスが、レトロウィルスの一種になる」
聞いたことのある病気の名前に、武蔵と湊が目を見開く。
「白血病……!」
「つまりゾンビ病ってわけかよ……!」
「そうとも言えるかもしれん。白血病と大きく異なるのは、脳を損傷させるという点と、宿主を利用して自己の増殖を図ろうとする点だ。ZVは自らの生殖をおこなうように宿主に他者への感染を強要し、その版図を広げようとするのだ」
恐るべき性質だ。普通、ウィルスは自分から感染拡大しようとしたりしない。結果的に感染拡大したとしても、その原因は感染している生物が移動するためだ。
言ってしまえば、偶然だ。ウィルスは、偶然に頼らなければ己の版図を広げることはできない。
だがZVは感染した者を操る性質があるという。そんなウィルスが仮に市街にばらまかれてしまえば……今の中間市のような有様になるのは明白だ。
「そんな……! そんなウィルス、一体どこに!?」
「先にも言ったように、地球上の一部地域だ。未だ人の手の入らぬ秘境の一つにZVは存在していた。……安心したまえ。そこに人類が入植などは行えぬ。到底、人が住まうに適さぬ場所なのでな」
などとディスクは嘯くが……本当かどうか怪しいものだ。
その入植できぬ場所から問題のZVを引っこ抜いてきたのは他ならぬ“組織”……つまりディスクたちなのだから。
武蔵は懐疑的な視線でディスクは睨みつけた。
「本当なのかよ……?」
「そこは信じてもらうよりほかはないが……そこはひとまず置いておく。このZVの特性は先に話した通りだが、もう一つ特徴があってな。感染してからの潜伏期間が存在するのだ」
「えっ? 潜伏期間……って」
「ウィルスって、ようは病気なんだろ? だったら、潜伏期間があるのは当たり前じゃないのかよ」
インフルエンザなど、ウィルスが引き起こす病気は白血病以外にもあるが、武蔵や湊はそうした病気には潜伏期間があるものだと思っていた。
だが、ディスクはそんな二人の考えていた常識を否定する。
「いや、通常のレトロウィルスが引き起こす病症には潜伏期間はない。レトロウィルスが体に異常を引き起こす原因は、突然変異による細胞の癌化なのだ。レトロウィルスによって遺伝子を変異させられてしまったために細胞の一部が癌化し、白血病を始めとする病状が表面化する……故に、レトロウィルスが関わった病症には潜伏期間は存在しない……いや、潜伏できないというべきか」
癌とは細胞の突然変異。ある日突然細胞が変化してしまい、それが悪影響を及ぼすのが癌だ。症状を自覚するには時間がかかることはあるだろうが、言われてみれば確かに細胞の変化自体はある日突然のはずだ。
だからこそZVには潜伏期間があるという。湊はそんなZVの性質に対し、素朴な疑問を抱き、それを口にした




