中間市 -6:02-
――夜は、実に静かに明けていった。
霧に包まれた中間市には、もはや動くものがいないのではないかと錯覚させるほどの沈黙が横たわっていた。
車の騒音は一切無く、新聞配達に回っている人間すら動いていない。
代わりにいるのは、人からゾンビへと変わり果てたものたちや、あるいは人ではなくなった化け物ばかりであった。
あちらこちらに怪鳥が舞い飛び、巨人が緩やかに歩き、四つんばいの獣のような生き物が這いずる回っている。
ゾンビたちもまた、己が生者であるかのように振る舞っている。
家の中にあったゴミを出しに出たり、あるいはラジオ体操のような動きをしてみたり。
己の家の前でつたない仕草で掃き掃除の真似事をしている老婆もいた。
「 あ ー … … あ ー … … 」
ガクリと大きく首をかしげたまま、ガザリと箒にダメージの残りそうな掃き方で綺麗な道路の一点をひたすら掃いている老婆の背後から、一人の壮年男性が声をかける。
「 お ふ ー 、 く ろ ー … … 。 め ぇ ー し ぃ ー … … 」
「 は ぁ ー い ぃ … … 」
壮年男性の呼ばわる声に、老婆は箒から手を離し、家の中へと戻る。
道路に箒を捨てた老婆は壮年男性と向かい合わせに机につき、ぎこちない動作で手を合わせる。
「 い た ぁ だ ぁ 、 き ま ぁ ー す … … 」
「 い た だ ぁ 、 き ま ぁ ー す … … 」
そうして互いに礼をして、二人は目の前の朝食を……その辺りに転がっている死体から抜き取ったらしい臓物をぶちまけた皿と、炊いてすらいない米を咀嚼し始める。
「 ん ぐ ぃ … … 」
「 む ぁ あ … … 」
硬い米を無理やり飲み込み、生の肝臓や胃を頬張る二人。
どちらも、己の行動に一切の疑問を抱かず、平然と“朝食”を続けた。
そんな、当たり前であったはずの日常を繰り広げる二人の耳に、音が聞こえる。
― ォォォォォォォォォォォ……… ―
遠い、サイレンの音。
どこから響き渡っているのだろうか。さながら、地の奥から聞こえてくるような、低い響が、二人の体をかすかに揺らす。
そして、サイレンを聞いた途端、老婆と壮年男性の動きが止まった。
「―――」
「―――」
硬直は数瞬、二人は目の前にあるものを忘れたかのように立ち上がり、家の外を目指し始めた。
……いや、二人だけではなかった。
老婆と男性が外に出ると、同じように家の中に篭っていたであろうゾンビたちが、いっせいに外へと現れ始めたのだ。
「―――」
「―――」
「―――」
ゾンビたちはだらしなく口を開き、視線の先も定まっていないしまりの無い表情をしながら、緩やかに行く先を同じにし、誰も彼もが同じ場所を目指し始めた。
……老婆や男性がいた場所ばかりではない。
中間南商店街にいた者も。シロガネ屋にいた者も。中間北小学校にいた者たちも。
一様に、サイレンを合図に動き出し、皆同じ場所を目指して歩き始めた。
その上空を怪鳥たちがくるりと旋回し、巨人たちがじっと行く先を見つめている。
どちらもゾンビたちを襲う気配は無く、むしろその行軍を守ろうとしているかのような、穏やかな雰囲気さえ醸し出している。
四肢が触手と化した子供たちは、猫か何かのようにゾンビたちの行軍を追い、黒い女やビニール男は、行く先を指示するようにゾンビたちの行く先に立っている。
そうして彼らが進んだ先にあったのは、ぽっかりと口をあけた穴であった。
いや……穴というのは正しい表現ではないようだ。彼らの行く先の道路が唐突に沈下し、坂道のように地下に存在する建造物の出入り口と化しているのだ。
車を使った物資の搬入口だろうか? 無造作に開かれたその入り口に、ゾンビたちはゆらりと体を揺らしながら進入してゆく。
「―――」
「―――」
「―――」
大挙をなしていながらも、ゾンビの列は整然としており、まるで何者かによって導かれ――否、何者かによって統制されているかのようであった。
街中から集ったゾンビたちは長蛇の列となり、少しずつ中間市の地下へとその姿を消していった。
人であった化け物たちは、そんなゾンビたちの行軍をただ静かに見つめているばかりであった……。
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「……んん――」
かすかにうめきながら、武蔵はゆっくりと瞳を開ける。
もう日が明けたのか、目蓋を通して眩い光が瞳を刺激する。
煌々とした白色光を眩く見つめつつ、瞳をこすりながら武蔵はゆっくり立ち上がる。
そうしてまだすやすや眠っている湊の姿に安堵しながら、今は何時かと時計を探して辺りを見回す。
「―――え?」
そうして、気が付いた。
今、自分がいるのは、中間高校の保健室ではなかったのだ。
いや、部屋の内装に変わりは無い。
眠る以前に見た、中間高校の保健室の、少しだけ荒れた姿のままだった。
だが、中間高校の壁は鋼鉄製ではないし、何より日の光だと感じていた明かりは人工の電灯であった。
「な……なんだ? なにが起こったんだよ!?」
辺りを見回し混乱する武蔵。
そんな彼の声が聞こえてきたのか、湊が目蓋を擦りながら体を起こした。
「ん……武蔵、くん? どうしたの……?」
「っ! 湊、起きろ!」
寝ぼけた様子の湊を慌てて引きずり起こし、武蔵は無理やり立たせる。
いささか以上に乱暴な武蔵の行動に、湊は非難の声を上げた。
「きゃ!? む、武蔵くん! ちょっと、乱暴だよ!」
「それどころじゃねぇよ! 一体、なにが起こったってんだよ……!?」
武蔵は湊の非難を無理やりねじ伏せると、彼女の手を引いて唯一存在する出入り口らしい場所を目指す。
その場所はハッチ上になっており、円形のハンドルを捻ることで扉が開くような仕組みになっているらしかった。
武蔵がハンドルを握り締め、力強く回している辺りでようやく周囲の光景の異様さに気が付いた湊が、目を見開いて辺りを見回す。
「な、なに……? 一体なにがあったの……?」
「わっかんねぇよ……! なんとかここを、抜け出さないと……!」
不安に怯える湊の言葉を背中に受けながら、武蔵はハッチを無理やり押し開ける。
分厚い鋼鉄でできたハッチは標準的な高校生である武蔵にはいささか以上に重たい代物であったが、何とか開くことができた。
「いよぃっ………しょぉぉー!!」
「武蔵くん、頑張って!」
「なんとか、あい、た、ぞ……?」
湊の声援と共に開ききるハッチ。その向こう側に広がっている光景は、目覚めたときを上回る衝撃であった。
「………」
「………なん、なの、これ………」
鋼鉄の壁に覆われた保健室の次は、無数のモニターで埋め尽くされた部屋であった。
壁という壁、いたるところに設置されたモニターの向こうに広がっているのは、霧に覆われた中間市。
そして霧の中では無数のゾンビが列をなしてどこかへ向かう光景が映し出されていた。
モニター郡に近づき、呆然とした表情でそれを眺める二人。
「これ、中間市、か……? ゾンビ、こんなにいるのかよ……」
「ひどい……。これ、みんな……」
もはや、中間子に暮らしていた全ての人間がゾンビ化してしまったかのような映像を前にしてしまった二人。
「――ふむ。目が覚めたかね」
「「っ!?」」
映像に見入っている二人に、不意に声がかけられた。
心臓が止まるかと思うほどに驚く二人に、声の主はさらにもう一声かけてきた。
「目覚めのコーヒーはいかがかな。濃い目に入れてある」
「だ、誰だ!?」
武蔵が声のほうへと振り返ると、そこには白衣をまとった男が立っていた。
両手に湯気を立てるコーヒーを持った男は、ゆっくりと二人に近づき手に持ったコーヒーを手渡してくる。
「あいにく、砂糖とミルクは無かったのでブラックだがね」
「あ、どうも……」
「………」
穏やかな物腰の男の様子に、先ほどまで怯えていた湊は毒気を抜かれたように頷いてコーヒーを受け取った。
武蔵も同じようにコーヒーを受け取るが、油断なく男の様子を睨みつけていた。
白衣の男はそのまま踵を返し、無数のモニターが設置された部屋の中で異彩を放っている一台のコーヒーサイフォンへと近づいていった。
背丈は武蔵たちとそうは変わらない。年齢は恐らく武蔵たちよりも上なのだろうが、どの程度なのかが見た目の印象ではっきりしない。三十代程度といわれればそうともいえるだろうし、五十を超えているといわれても納得できそうだ。
見た目はアジア系人なのだが、日本人かといわれると首をかしげる。見た目から国籍を図るのは恐らく不可能だろう。日本語をしゃべっているが、なまりを感じられないのも余計に国籍を判別しづらくしている。
白衣を着ていることから医者か研究者の類なのだろうが……。
「……なあ、あんた」
「なにかね」
背を向けて自分のためらしいコーヒーを入れている男に、武蔵は意を決して声をかける。
「……あんた、何者なんだ?」
口から出た問いは、無難な疑問。いろいろ聞きたいことはあったが、結局目の前の存在が何者なのかが気になった。
出来上がったコーヒーを口に含みつつ、男は静かに答えた。
「……ふむ。私は“機関”と呼ばれる組織に所属する主任研究員。周りからはディスクなどと呼ばれているよ」
「ディスク……?」
「コードネームのようなものだ。“機関”では、個人名は意味をなさんのでな。所属名でいえば主任研究員No.61がそうなる」
「“機関”……? 一体何なんですか、それは?」
白衣の男……ディスクの言葉に困惑したように返す湊。
彼の言っていることがほとんど理解できていない様子だ。もちろん、武蔵にも理解できない。
ディスクはそばにあった椅子に腰掛ける。
「一から説明するとそれなりに煩雑ではあるが……まあ、時間はあるか。君たちもかけたまえ」
「……はい」
「………」
ディスクに促され、湊と武蔵は彼に向かい合うように椅子に腰掛けた。




