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中間市 -21:26-

―ォォォォォォォォォォォォォ………―

「つっ!?」


 武蔵は不意に耳を押さえた。

 遠くからのサイレンが聞こえた途端、鼓膜が痛みを発したのだ。

 耳を抑えて痛みをこらえる武蔵は、信じられないような思いで窓の外を見た。


(なんだ、これ……!? こんな遠い音で、こんな……!)


 窓ガラスが震えているわけではない。そんな爆音など、発生していない。

 本当に遠くから聞こえてきている。鼓膜が痛みを発しなければ、サイレンが鳴っていることすら気が付かなかったかもしれない。

 使用されているスピーカーは一つだけだろうか。何故一つだけサイレンが鳴らされているのだろうか。

 まだ、誰か生きていてそれを知らせるために鳴らしているのかもしれない。もしそうであれば、喜ぶべきところだろうが、状況が最悪だ。

 鼓膜を襲う鋭い痛みが武蔵の動きを止め、前後の危機から意識を無理やりそらされてしまう。


「くっそ……こんなときに……!!」

「っ……ぅ……!!」


 湊も、武蔵の隣で両耳を押さえて膝を突いている。

 このままでは、ゾンビや化け物たちに殺されてしまう。

 武蔵は何とか痛みをこらえ、迫ってきている化け物たちに対処しようとする。

 こちらの事情などお構いなしに、連中は襲い掛かってくるだろう。


―ア……ア……?―

「………っ! ………っい!?」


 ……だが、化け物と化した秋山と委員長は、武蔵の予想に反して身悶えしていた。

 秋山は頭を揺らし、体を前後に振っている。先ほどまで赫怒にまみれていたその顔は、どこか茫然自失といった様子であった。

 委員長にいたっては、殺虫剤か何かを吹き掛けられた蜘蛛のごとく、全身を七転八倒させていた。赤黒くなった爪先で床を引っかき、全身の激痛を訴えるように触手と化した四肢を叩きつけている。


「イイィィィィぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!???」


 やがて、全身を襲う激痛に耐えられなくなったのか、委員長は体を大きく跳ね飛ばし、塞いだ窓枠ごと学校の外へと飛び出していった。


―アー……ェー……―

「……な、なんだ……?」


 さらに委員長の後を追うように、秋山もふらふらと壊された窓枠に歩み寄り、ずるりと擬音の付きそうな動きで外へと身を投げ出した。少なくとも、両足を使って跳躍した感じではない。そのまま、まっさかさまに地面に落下するような動きだった。

 しばし武蔵は呆然としていたが、すぐに後ろにいたはずのゾンビたちの存在を思い出す。

 隙を見せたままでは襲われてしまう……はずだが、気が付けばサイレンが止むのと共にゾンビたちのうめき声も聞こえてこなくなっていた。


「………」


 恐る恐る背後を振り返ってみると、ゾンビたちは全員床に倒れていた。

 床に広がった夥しい量の血液を見れば、すでに事切れているのは明白であった。


「………助かった、な………」


 状況の推移に釈然としないものを感じながら、武蔵は湊の肩に手を置く。


「湊……湊? 大丈夫か?」

「む、むさしくん……?」


 湊は耳を押さえたままであったが、武蔵が声をかけるとゆっくり声を上げて不安そうなまなざしで問いかけてきた。


「た、たすかったの……? 私たち……」

「……みたいだ。なにが、どうなってるのかさっぱりだけど……」


 武蔵は淡々と事実だけを告げ、湊の手を引く。


「立てるか?」

「う、うん……」


 湊はまだ震えていたが、何とか武蔵に手を引かれ立ち上がる。

 そのまま、武蔵の体にもたれ掛かりながら、ポロリと涙を流した。


「……私たち、だけ、助かったんだ……」

「……ああ、そうだな」


 武蔵はやさしく湊の背中を撫でながら、ゆっくりと彼女を導いて歩き始める。

 ここは、死体が多すぎる。せめて、血の色に染まっていない場所に行かないと、湊もゆっくり休めないだろう。

 階段に向かって歩いていると、涙を流す湊はぼそぼそと呟いた。


「わたし、たちだけ……また、また……助かっちゃった……」

「……そうだな」

「秋山さんも……委員長も………みんな、みんな………!」

「……そうだな」


 湊のすすり泣く声が、無人と化した学校の中に響き渡る。

 学校ならば安全だと思い、湊や委員長とともにここに残った。

 外にはゾンビや化け物が闊歩している。そんなところを歩いて逃げるなど、危険極まりないと思っていた。

 しかし、結果で言えば外であろうが中であろうが変わらなかった。原因は秋山の突然の変貌であったとはいえ、化け物に襲われ、皆が死んでしまったことには変わりない。


「う……うぅ……!」

「………」


 階段を下り、武蔵はそのまま保健室へと向かう。幸い、まだベッドは一台だけだが残っている。バリケード作成の際に下りたときも、綺麗なままだった。あそこならゆっくり休めるはずだ。


「英人君……英人君……!」


 英人の名を呟きながらすすり泣く湊の背中を押して、武蔵は保健室の中へと入る。

 あれからかなり時間が経っているが、保健室の中は特段荒らされた様子もない。

 窓は閉じたままであり、薬品やベッドを持ち出す際に若干荒らしてしまったときのままだ。

 武蔵は一つだけ残っていたベッドに湊を連れて行き、その上に湊の体を横たえる。


「……今は休みなよ、湊。ゆっくりお休み……」

「う、うう……!」


 湊はされるがままに体を横にするが、歯を食いしばってすすり泣くばかりだ。

 武蔵は湊の体を横たえると、そのまま保健室の床に腰を下ろし、ベッドの足の一本に背中を預ける。


「……はぁ……」


 口からこぼれるため息が、酷く重たい。それは今日あった出来事の重さであるし、これからのことに関する重さでもある。

 一日で、湊と武蔵を除き、学校に残ったものたちはほぼ全員死亡してしまった。

 学校に篭っていてこんな調子では、外はもっと惨憺たる有様だろう。学校から逃げることに活路を見出した黒沢たちも、今頃はどこかに転がっているか、あるいは自分たちも化け物の仲間入りをしているかのどちらかだろう。


「………くそ」


 もはや学校も安全とは言い難い。ならどこかに行くべきなのか?

 だが、どこか別の場所に逃げるのであればゾンビや化け物が闊歩している外を歩かねばならない。

 恐れを知らないゾンビ。空を飛ぶ怪鳥。言葉通りに真っ黒い肌をした超人に、触手となった四肢を持つ怪物……。

 それ以外の化け物もいるかもしれない。ゲームであれば、ここから強化型やらボスキャラが出てくる頃合だろう。そろそろショットガンくらいは奮発して使っていかねば命が危ない。


「……そんなもんありゃ、悩まず済むよな……」


 銃があるなら、ゾンビを撃つか自分の頭を撃つかすれば全て解決する。

 だが、現代日本にそんなものがあるわけがない。あるいは、あるところにはあるのかもしれないが……そんなものを手に入れるツテが武蔵にはない。

 中間市には本当に何もない。山はあるが、狩猟に適しているわけでもない。

 本当に何もない街だったのだ……今日という日を迎えるまでは。


「……ああ、ちくしょう……」


 何度目になるかわからない悪態をつきながら、武蔵は瞳を閉じる。

 ここは一階。最悪ゾンビか化け物が入り込んできてしまうかもしれないが、武蔵はそれでも構わなかった。

 そうなれば、自分も湊もこれ以上苦しまずに済むだろう。

 死ねばみな肉塊。もう、それ以上何かを考える必要はないのだから――。






_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/






「ア……が、グォ………!!」


 顔を手で覆った英人は、苦悶の表情で呻き声を上げる。

 先ほど咆哮を上げた途端、脳内に響き渡るノイズがさらに強くなった。

 ザーザーと砂嵐のような音を立てていたはずが、気が付けばそれは人の声となっている。


―アア、イタイ イタイ …… カマレタアトガ、イタァイ ……―

―サムイ、ヨォ ママァ ママァ ドコニ、イルノォ ?―

―タベチャッタァ カワイイアノコ、タベチャッタァ ヤワラカクテェ、アマァイ ……―

―ナンジャ、ウデガウゴカン アシモウゴカン メモミエン ナンジャ ワシャ、シンダノカノゥ ……―

―セカイガァ、サカサマァ ワタシガァ、サカサマァ? ヤダナァ、クビガイタイナァ ……―

―アカリガ、マブシイノ アカリガイヤナノ ハヤクケシ、ケシ、ケシィィィィ !?―

―ウゴキタクネェー オトモキキタクネェー ア、ネズミ メシノ、ジカンダナァ !―

―ソラヲジユウニ、トベタンダァ デモトンデルト、ハラガスイテ ア、エモノガシタニイルネェ ……―


 四方八方、あらゆる場所から声が飛んでくる。


「ウウゥゥゥゥアアァァァァァァァァァ!!!!」


 耳を塞いでも、声を張り上げても、頭の中で声がする。

 頭のどこか、片隅で、誰かが呟く。


―……ああ、もう、終わったんだなァ―


 全てを諦めた。

 何もかも捨てた。

 もう、絶望してしまった。

 ……そんな声が、英人の脳裏に囁いた。


「―――ク、ハ………」


 小さな笑みが、英人の顔からこぼれる。

 両手がだらりと下を向き、ガクリと膝を突いた彼は天を仰ぎ見る。

 血塗られた顔の上を、一滴の涙がこぼれ、跡を残す。


「……ハ、ハハ……」


 乾いた笑みが上がる。

 英人の口の端は上がり、口角は笑みを形どる。


「ハハ、ハハハ……ハ、ハ……」


 壊れた人形のように、英人は笑う。

 なにがおかしいのか。何故笑えるのか。

 ……それすらも、どうでも良いのか。


「ハハハ……ハハ……ハハハ………」


 英人は笑い声を上げながら、ゆらりと立ち上がる。

 闇夜を見上げ、そのままふらふらと歩き出す。

 向かう先は、自分の家。もう、目と鼻の先まで来ていたのだ。


「ハハハ……アーハーハー……」


 もう、限界だった。

 心も、体も。何もかも、終わりに向かっていた。

 それでも、英人の何かは安息を求めてその足を己の生家へと向かわせる。

 もう、誰もいないはずの我が家。英人は一歩、その足を踏み入れた。




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