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中間市 -21:11-

「おかぁさん! おかぁさぁーん!!」

「…………」


 先の爆発のおかげで、学校にいたゾンビたちは全滅したのだろうか。少なくとも、母を呼び続けるゆかりの声に反応してやってくるゾンビたちはいない。

 英人はしばし自らの無力に歯を食いしばっていたが、やがて拳を握り締めながら立ち上がった。

 了承したわけではないが……幼子の命を預かってしまったのだ。結果的には命も救ってもらった。ならば彼女の最期の頼みは守らなければならないだろう。


「おかぁーさん!! おかぁ……きゃ!?」


 英人は必死に燃え盛る炎に向かって叫び続けるゆかりの体をやや乱暴に抱き上げる。


「やぁ、やめて! 離して!」

「………」


 先ほどまでと違い、抱き上げられた途端暴れ始めるゆかり。


「お母さん、お母さんのところに行くの! 離してぇ!」


 必死に英人の体を叩き、その腕から逃れようとする。母の姿を求め、きっと呼びかけに答えてくれると信じているのだろうか。

 ……恐らく、幼い彼女も分かってはいるのだろう。母が、どこか遠くへ旅立ってしまったことに。

 しかし、心は否定したいのだろう。母が、自分を置いてどこかへ行ってしまったことを。

 もっと一緒にいたいから……だからこそ、呼ぶのだ。自分の母を……家族を……。


「………」


 暴れる少女の体を、英人は簡単に確かめる。先ほどまではそんな余裕はなかったが……彼女もゾンビに噛まれていたりすると、いろいろとまずい。


「や……ぁ……!」

「………」


 くすぐったそうに身をよじるゆかりに構わず、英人は軽く彼女の全身を撫で回す。

 細い腕にも柔らかな足にも、目で見て分かる範囲には傷のような跡は見られない。

 着衣にも、乱暴に扱われたような後はない。彼女が母親と別れた後は、特に何もなかったと見てよいだろう。

 差し当たって、彼女は安全だと分かったところで、英人は体勢を変える。


「暴れるなよ」

「きゃっ!?」


 片腕で抱えるような形から、彼女の小さな体を背中に移す。

 手にしていたスコップを彼女の尻に当たるように持ち直し、なるたけゆかりの体にこれ以上手を触れないようにする。

 英人におぶさるような形になったゆかりは、英人の後ろ頭をぽかぽか叩き始めた。


「下ろして! おーろーしーてー! お母さんのところにいくの! お母さんが来てくれるのを待つの! はーなーしーてー!」

「どっちか一方にしておきなさい。欲張りな」


 英人は淡々とゆかりに返しながら、小学校を出るべく歩き始める。

 ……ここに、英人の家族はいない。襲い掛かってくる化け物の姿もない。脱出するなら、今のうちだろう。

 燃え盛る炎を横目に眺め、英人は軽く黙祷を捧げる。


「………」


 命を救ってくれた彼女と……人ならざる身となった者達の安らぎを祈り、英人は炎に背を向ける。


「あ!? どこにいくの!?」

「一度、うちに帰ろう……。今日はもう、疲れたよ……」

「おうち……」


 ゆかりは背後の炎と、英人の後頭部とを見比べ、それからおずおずと英人の背中に寄りかかる。


「……ゆかりのおうち、わかるの?」

「わからないな。だから、お兄ちゃんのおうちに行こう。お菓子くらいなら、用意してあげられるから」

「……うん」


 ゆかりは英人の言葉に小さく頷き、それから沈黙してしまう。

 破壊された北小の校門をゆっくりと出て、英人は左右を見回す。

 闇に沈んだ霧の向こうはまったくといいほど見通せなかったが、代わりに化け物たちの一切の気配も感じられない。

 先のゾンビたちの群れは、本当にここいら一体のものだったのだろうか。


「………」


 まあ、なんでもいい。今はゾンビや化け物の相手をできるような状況でも、コンディションでもない。

 荒事を避けられるというのであれば、連中が寝ていようがどこかでカーニバルしていようが関係ない。

 英人はゆっくりとした足取りで、ようやく帰宅の途に着いた。

 家を出て半日以上。決して心の休まる行軍ではなかったが、それでも家に帰れると考えたらほんの少しだけ心が軽くなった。

 帰る場所があるというのは、どんな状況でも安堵を生み出してくれるものだと英人は実感した。


「………」


 そしてすぐに陰鬱な思考へと陥った。家には帰れるかもしれないが、その家に家族はいないかもしれないのだ。いや、いないだろう。恐らく、まず間違いなく。

 小学校からの連絡網で北小へ向かうと礼奈は言っていた。ならば、留守電を吹き込んだすぐ後くらいに、家を出て北小へ向かったはずだ。

 家から北小まで、小学生の礼奈が歩いても十五分もかからない。実際に通っていた頃は近くて便利だとだけ考えていたが、今の状況で考えると最悪の距離だった。

 英人は、家と学校の距離が短かったからこそ、北小にまっすぐ向かった。小学生が歩いて十分程度の距離で、よもや化け物に襲われたりすることはないと考えていたのだ。

 だが、礼奈たちは北小には来ていなかった。歩いてたった十分程度の行程を、家族たちは踏破することができなかった。それは、すなわち。


「………」


 足が鉛のように重くなる。頭は家に帰らねばと考えているのに、心が拒否し、体がそれに従ってしまう。

 ……あるいは、家へと帰る道中に、家族がいるのかもしれない。生きてはおらず、一目見た程度ではわからないように、肉片や壁のシミと化しているかもしれないが。


「……っ」


 英人は奥歯をかみ締めた。悪い考えが、次から次へと湧き上がる。足が重くなるだけではなく、呼吸も少しずつ荒くなり始めた。

 ここまでの強行軍。学校での死闘。そして、家族が見つからなかったと言う事実。これらが積み重なり、今この瞬間に疲労という形で自身を蝕んでいるのだと英人はようやく自覚した。


(……傷は治るくせに、体は重くなるのか……)


 英人は忌々しげに嘆息した。面倒な部分の融通が利かない。傷が治るような感覚で、疲労も抜けて欲しいものだ――。


「……ねぇ、お兄ちゃん?」


 急勾配の坂を上るような気持ちで、平坦な道を歩く英人の耳に、ゆかりの声が聞こえてきた。


「………。……っ? ――あ、あー。な、なんだ?」


 まさかゆかりのほうから声をかけてきてくれるとは思わなかった英人は、数テンポ遅れてから返事を返す。

 すぐに返事を返さなかった英人に対してゆかりは特になにを言うでもなく、ぽつりと小さく問いかけた。


「お兄ちゃんの、お母さんって、どんな人?」

「俺の……」


 ゆかりの問いに、英人はしばし沈黙を返し、考える。

 ……思えば、自分の母のことなどまじめに考えたことはなかった。


「えーっと……まあ、どこにでもいる普通のおば……いや、普通のお母さんだよ。たぶん」

「うん」


 毎日顔を合わせるし、口を開けば小言ばかり。まともに褒めてもらった記憶がないのは何故なのだろうか。


「俺の成績のことをいつも気にしてて……もっと勉強しないと後悔するわよって、怒鳴ることもあったかな」

「そうなんだ」


 家に帰ればいつもいるから、どこかに行ってしまうなどと考えたこともない。


「家に帰れば大体いるから、あんまり考えたことないんだけど、うちはそんなにお金持ちじゃないから、外出て働いてるらしいんだよな」

「そうなんだ」


 英人が学校に行っている間にパートタイマーとして働いているのだが……その姿も見たことがない。


「そんなにお給料が良い訳じゃないらしいけど、職場の人たちは皆優しくて明るいから、働くのが楽しいって、前に言ってたよ」

「……うちのお母さんと、一緒だね」

「そっか、ゆかりちゃんちもそうだよな……」


 ずっと家にいて、家事をして食事を作ってくれ、家族みんなの家を待ってくれている。


「……こうして口にしてみると、思ってた以上に言葉が出てこないな……」


 ……それが、英人の母親だった。


「……言いたいことは、たくさんあるのにな……」


 ぽろりと、涙が一粒こぼれた。

 もう、会えないかも知れない。人知れず、母や父……そして礼奈は没しているかもしれない。

 仮に生きているのだとしても……もう英人のほうも時間切れが近いように思う。


「……頭ん中がぐちゃぐちゃで、もう言葉も浮かばねぇや……」


 ――ノイズが酷いのだ。さながら、混線したラジオのように。

 砂嵐のような音が脳内に響き、無数の人の声も聞こえるような気がする。

 さっき相対した黒い女が直接脳内に語りかけてきたときの感覚に似ている。

 恐らく、これは……化け物たちの、声なのだろう。


「……もっと、たくさん、一緒にいたかったのにな……」

「……お兄ちゃんも、かぁ」


 ゆかりはポツリと呟く。


「……ゆかりもね。お母さんにいいたこと、たくさんあるんだよ」

「……そっか」


 その一言に胸が痛む。こんな幼い少女と母親が引き離されてしまうなど、本来あってはならないはずなのに。


「お母さんにね。たくさん、たくさん、ありがとうって、言いたかったんだよ」

「……そうだね。言わなきゃ、駄目だったんだよね……」


 母の日にも、まともにお礼など言った覚えがない。

 照れくさかったからだろうか? もっと言えばよかったと……いまさら後悔しても遅すぎる。


「私、ちゃんと幸せだったって、言いたかったんだよ」

「そうだね。幸せだったんだね」


 ゆかりの母の最期の言葉を考えるに、恐らく母子家庭だったのだろう。もう、ゆかりに身寄りはいない可能性が高い。

 父親が雲隠れしたのか、それとも死んでいるのか……。どちらにしろ、ゆかりは孤独に生きねばならない。

 家族が生きていれば、櫛灘一家で引き取るのもありだったかもしれないが……それも、もう難しい。


「お母さんに、お話、お話、たくさん、あったん、だよ……」

「ああ、そうだね……」


 ゆかりの声が、かすれ始める。

 悲しみがそうさせるのだろうか、英人の肩に食い込む指の力も強くなっている。

 結果的にとはいえ、彼女の母親を、見殺しにしてしまった英人には、その言葉に同意することしかできない――。


「お母さん、と、おか あさんと 、い っし ょに 、ず っ と、ず っと、い たかっ た ん だ 、 よ ぉ … … ? 」


 ――ゆかりの声と、頭の中のナニカの声が重なって聞こえた。


「――ゆかり、ちゃん?」


 英人は振り返る。

 おぶった少女の、呆けたような表情が目に入った。

 涎がだらりとたれた口から、声がこぼれる。


「 ど う し 、 て 、 お か あ さ ん 、 い っ ち ゃ 、 、 だ 、 、 、 の ぉ … … ? 」


 ぎち、ぎち、と彼女の首が傾いてゆく。

 そうして見えた頭頂部には……歪な亀裂が入っていた。

 ノイズが、ひときわ強くなる。


「ゆかり――」


 英人がその名を呼ぼうとした瞬間、ゆかりの手足が一気に伸びた。


「ぎっ!?」


 赤黒い触手状に変化した彼女の手足が、英人の胴体と首を締め上げる。


「ぐ、ごっ……!?」

「 お が あ ざ ん 、 お が あ ざ ん … … お が あ ざ ん は 、ど ぉ ご ぉ … … ? 」


 うわごとのように呟きながら、ゆかりは英人の首を強く絞める。

 すでに光のない瞳は空を見上げ、頭頂部に現れた口がギチギチと牙を鳴らす。


(なん……で……!? 噛まれた跡は、なかっだ、は、ず……!!)


 朦朧とする意識の中で思うのは、どうしてこうなったかと言うこと。

 ゆかりに噛み傷はなかった。少なくともゾンビや化け物に襲われているわけではないはずなのに。

 しかし、それ以上考える余裕をゆかりはくれない。さらに力を強め、英人を絞め殺そうとする。


「ごぶっ!?」

「 お が あ ざ ん … … お が あ ざ ん を … … がえぜぇぇぇぇぇぇ!!!!」


 瞬間、咆哮を上げた牙が英人に迫る。

 その鋭い刃が顔面に突き刺さる直前。


「――っだぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 残った力を振り絞り、英人は固めた拳をゆかりの後頭部に叩き込んだ。

 無理やり突き上げたような形になった拳は、しかしゆかりの頭を的確に捉え、鈍い轟音を辺りに響かせる。


「 い だ ぁ … … 」


 瞬間、ほんの僅かにゆかりの拘束が解ける。

 英人はその一瞬で触手の縛を解き、逆に握り締めたゆかりの手足を持って、容赦なく彼女の体を傍にあったコンクリートの壁に叩きつけた。


「っらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

「 あ ぎ 」


 べしゃぁ!とみずみずしい音を立てて張り付くゆかりの体。

 仰向けに張り付いた彼女の、どこか遠くを見つめつ顔が英人の目に入る――。


「っああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 そして、英人は。

 固めた拳を振り上げ。

 一直線に――。






 ゆかりの顔面へと叩き込んだ。






 辺りに、コンクリートの割れる凄まじい音が響き渡る。


「―――っはぁ! はぁ、はぁ、はぁ……!」


 寸前まで止めていた息を吹き返し、英人は荒い呼吸を繰り返す。

 砕けたコンクリートの壁に突き刺さった拳から、 ず る り と ゆかりの体が滑り落ちる。

 もはや力の入らぬ四肢がべしゃりと、力なく地面に垂れ下がる。


「はっ……はぁ……はぁ……」


 壁から拳を引き抜き、英人は二、三歩後ろに下がる。

 そして、己の手を見る。

 真っ赤な血に濡れている、己の拳を。


「はぁ……はぁ……」


 コンクリートに叩きつけたせいで、拳の表面は裂けていた。

 だが、それ以上に汚れていた。

 人間の皮、骨。その中に詰まっていた脳髄。そして、まだ若々しい髪の毛……。

 先ほどまで生きていたはずの、自分が背負っていた小さな少女であったものの、欠片がこびり付いた手を英人は見下ろす。


「……あ、ああ……」


 彼女の母はこういった。


“……英人君。ゆかりのことを、お願いしてもいいかしら?”

「い、あ………!!」


 果たせなかった。彼女の最期の頼みを。

 そして。


“私、ちゃんと幸せだったって、言いたかったんだよ”

「あぎ、い………!!」


 奪ってしまった。

 小さな少女の、かすかな、しかし輝いていたはずだった未来を。


「うぉ、ぎ、いぃ………!!」


 英人の鼻に、酷い血臭が漂う。

 血塗れた腕で、顔を覆ってしまったのだ。

 だが、その程度ではすまない。


「あ、ああ、あああ………!!」


 ぎちりと、自分の頭に爪を立てる。

 皮も肉も骨もその奥にあるものも、全て引き剥がしそこら中にぶちまけようとした。

 だが、できない。食い込んだ爪は、そこから一ミリも動いてくれない。

 ……そして、痛みすら感じられない。


「ああああああああ……………!!」


 心は叫ぶ。体は動かぬ。もはや己が身が自由にならぬ。


「――――!!!」


 英人は、張り裂けそうな己を解き放つように空に向かって咆哮を上げる。






―ウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!―






 ……さながらサイレンのように聞こえる、遠い遠い、咆哮を……。





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