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中間市 -21:04-

―イイィィギィィィ……!!―


 黒い女はゆかりの母親には一瞥もくれず、英人をじっと睨みつけていた。

 どうやら懐中電灯を当てたのがよほどお気に召さなかったようだ。後ろに控えていたゾンビからスチールデスクをもぎ取るように奪い、また放り投げてきた。

 英人はそれを大きく動きながら回避する。

 スチールデスクを回避しながら、英人は黒い女を睨み付ける。


―アアァァァヴェェェェェェェ!!―


 同じように睨みつけてくる黒い女と、視線が合った。

 やはり、先の一件からずっと、奴は英人を目の敵にしているようだ。


「化け物になっても感情はある……か……」


 スチールデスクを再び投擲しようとする黒い女を睨みながら、英人はポツリと呟く。

 あの黒い女は強い光に弱い……と言うより光を浴びると発狂するらしいと言うことははっきりしていた。

 だが今の奴の様子を見るに、反射行動の類ではなく、感情的な行動の一種だと推察できる。

 光を嫌い、光源を破壊する、あるいはそれから逃れるために暴れると言うのであればまだ生態として理解できるが、それをきっかけに一人の人間を追い続けると言うのは単なる生態とは言い難いだろう。

 つまり、黒い女には感情が存在し、それを元に行動できる。

 これは……化け物になっても、意思が残り続ける可能性があるということだ。


―アアァァアィィィィイイイ……!―

「………」


 再び落下してくるスチールデスク。

 それを横に飛びかわす英人を、黒い女は強い憎悪の篭った眼差しで睨みつけてくる。

 英人はそれを睨み返しながら、複雑な心境に陥った。

 あれが、恐らく自分が辿るであろう末路の一端なのだ。

 己に光を当てた英人を追いかけ睨み付けるその姿は、かすかに残った憎悪と言う感情に、必死に薪をくべ、燃え上がらせているかのようだ。

 もはや人間とは呼べぬような姿になっても……心を失えないでいるのだ。


―イギィィィィィィィィ!!―


 低めの弾道でスチールデスクを投げつけてくる、黒い女。不意打ちの一撃ならともかく、ゆっくりとした速度で飛んでくる重量級の物体程度であれば避けるのはたやすい。

 黒い女はまた攻撃を回避した英人の姿を見て、歯を剥き出しにしてうなり声を上げながら今一度スチールデスクを放り投げようとする――だが、後ろに控えているゾンビたちの手には、もうスチールデスクは存在していなかった。


―ギ……イイイィィィィィィィ!!―


 もう手元に投げられるものがないと知った黒い女は、不愉快な音色の歯軋りを立て、苛立ち紛れに控えていたゾンビたちの体を乱暴に引き裂き始めた。

 ……とりあえず、ゾンビを投げつけてくるようなことはなさそうだ。質量の軽い連中を次々に投擲されるほうが、避け辛くなりそうなので助かった。


「……よし」


 黒い女の八つ当たりに晒されるゾンビたちにかすかに同情しながらも、英人は素早く反転しゆかりの母親が向かったほうへと走る。

 人から堕してもかような目にあうのは哀れと言うより他はないが、あいにく英人も自分の命は惜しい。今は小鹿のように震え続ける小さな子供まで抱えている。迂闊にあんな爆心地に近づけるような蛮勇は、持ち合わせていなかった。


「………」

「……大丈夫だ。君のお母さんが、車を持ってるから、それで逃げられるよ」


 自身の服を握り締め、顔を押し付け続けているゆかりに、英人はなるたけやさしく聞こえるように声をかける。

 礼奈と比べて、一つか二つほど幼く見える。英人の服を握り締めるその両手は、真っ白になっており血の気がまったくない。ありったけの力を込め、英人の体から手を離さないようにしているのだろう。

 ゆかりの体がずり落ちないように抱えなおしながら、英人は暗い闇の向こうを見据える。


(早く合流しないとな……駐車場は、確かこっちか)


 記憶だけを頼りに駐車場を探す英人。


「―――キャァァァァ!?」

「っ!」

「―――!」


 その耳に、甲高い悲鳴が聞こえてくる。

 方角は、今まさに向かおうとしていた駐車場があると思われる方。

 その声は、ゆかりの母親であるようだった。

 英人は聞こえてきた声に息を呑み、ゆかりも顔を上げる。恐怖に染まった瞳が、限界まで見開かれていた。

 英人は背後の確認も忘れ、一気に声の聞こえてきた方角に向けて駆け出した。


「くそっ……!? まだ別の場所にいたのか!?」


 てっきり、黒い女が引き連れていたゾンビたちで全部だと思っていたが、別の場所にもまだゾンビがいたらしい。

 完全に油断していた。黒い女のそばに全部いると思っていたからこそ、ゆかりの母親を先行させていたというのに。

 ゆかりの体が振り落とされかねない勢いで走っていると、眼前に一台の車ともみ合う二人の男女の姿が見える。

 半開きになったドアを閉じるように、男が女の体を車に押し付けた。


「あぅ……く……!?」

「 あ ぁ ー … … 」

「おおおぉぉぉぉぉ!!!」


 そのまま男――ゾンビが女――ゆかりの母親の首筋に噛み付こうとする寸前に、槍のように構えた英人のスコップがそのわき腹に突き刺さった。

 ゆかりを抱えたままであったため、胴体を切断するには至らなかったが、食い込んだ刃が腹を突き破り、臓物をはみ出させながらゾンビはもんどりを打って転んだ。


「 お あ ー … … 」

「くたばれぇ!!」


 倒れたゾンビはなおも起き上がろうとするが、英人はそれを許さず容赦なく顔面を踏み抜いた。

 水をぶちまける様な音共にゾンビの頭蓋は砕け、放射状に脳漿をぶちまけた。

 英人は二、三度ゾンビの頭があった場所を踏みにじり、それからゆかりの母親に振り返った。


「くそが……! お母さん、大丈夫ですか!?」

「え、ええ……いえ……」


 ゆかりの母親は英人の言葉に頷きかけ、それからすぐに首を横に振った。


「……もう、だめかもしれないわね……」

「なに、をっ!?」


 英人は彼女の言葉に檄を飛ばしかけるが、すぐに声を詰まらせる。

 彼女は肩を抑えていた。赤い雫を溢れ出させる、肩口を。

 彼女と別れたときには、その肩に傷などなかった。……先のゾンビにやられたか。


「………! お、れが……!」


 英人の顔が苦痛にゆがみ、その口から後悔の念が迸る。

 あの時、車を破壊される可能性を考慮してでも彼女についていくべきだった。

 そうすれば、身を挺して彼女を守ることもできたはずだ。もう化け物になっている自分には、今更ゾンビの噛み付き程度関係はないのだから。

 だが、そんな英人を見てゆかりの母親は優しく微笑んだ。


「もう……そんな風に言うものじゃないわ。私が、失敗しただけなんだから……」

「でも……! あなたは、もう……!」


 英人の言葉を聴かずとも、ゆかりの母親もゾンビに噛まれたものの末路は知っているようだ。

 その顔には諦念が浮かび始め、自嘲するように笑った。


「ひとりでも何とかなると思ってた……。ゆかりを生んだときもそうだった。旦那はいなくても、この子を育てられるって思ってた……」

「おかあさん……?」


 やさしく己の頬を撫でる母の声にゆかりが不安そうな声音を上げる。

 彼女も気付いたのだろう。母が、なにか良くないことを考えていると。


「……でも、だめねやっぱり。こういうときに、頼れる男手捕まえておくべきだった……」

―イイイィィィィィ………!!―


 鬱憤晴らしを終えた黒い女が、僅かに減ったゾンビたちを引き連れながらこちらに近づいてきている。

 このままでは、遠からず包囲されてしまうだろう。


「……英人君。ゆかりのことを、お願いしてもいいかしら?」

「――駄目だ。そんな頼みは聞けない!」


 ゆかりの母親の言葉に、英人は声を荒げる。


「ゆかりちゃんはあんたの子だろう!! こんな、行きずりの……男で、しかも一介の高校生になんて預けて良い訳がないだろう!!」


 英人はそう言いながら、ゆかりの体をその母親に返そうとする。

 ゆかりは英人の声の調子に怯えたように彼の服を離そうとしないが、それでも何とか彼女の手にゆかりを渡そうとする英人。


「そうね、その通り……けどね」


 だが彼女は、ふっとやわらかく微笑み――。


「――もう、ここにはあなたしかいないのだから、あなたにしか頼めないの」


 ゆかりの母親は、半開きに開いた車のドアから催涙スプレーを取り出して、英人の顔に向けて噴霧した


「うぉ!?」

「ごめんなさいね。痛いのは、少しだけだから」


 突然顔を襲った激痛に仰け反る英人に詫びながら、彼女はゆかりの額にキスをする。


「ゆかり? いい子だから、お兄ちゃんの言うことをちゃんと聞くのよ?」

「おかあさん……?」

「――ごめんねゆかり。愛しているわ……私がどんな風になっても」


 ゆかりの母親はそれだけ告げると、素早く車の中に乗り込む。

 ゆかりは突然の刺激に己の体を抱え続けている英人の腕を外そうともがきながら、必死に己の母親を呼んだ。


「おかあさん! おかあさぁん!!」

「ぐ、く……! やめろ、行くなよ!? 子供を一人にするんじゃないよ!」


 いまだ開けぬ目をこすりながら、英人も必死に呼びかけるが、それに答えは返ってこなかった……。






「――――」


 ゆかりの母親は己を呼ぶ子供たちの声を黙殺し、車のキーを回す。

 イグニッションが動き、車が咆哮を上げる。

 ビームのようにライトが前方を照らし……黒い女とゾンビたちがその輝きに目を焼かれる。


―アアァァァイィィィィギィィィィィ!!??―

「……さあ、私の最期に付き合ってもらうわよ!」


 彼女は一声吼え、アクセルを一気に踏み込んだ。

 タイヤが軋み上げ、煙を吹きながら車がゾンビの群れに突進してゆく。

 鋼鉄の塊は急発進の勢いでゾンビたちの体にぶち当たり、そのことごとくを吹き飛ばしてゆく。

 そのままドリフトの要領で車体を回転させ、扇状にゾンビたちを跳ね飛ばしてゆく車。


―アギィィィィィィィ!!―


 黒い女は己に光を当てた鋼鉄の塊を睨みつけ、またサイレンのような声を上げる。

 それを聞き、ゾンビたちが黒い女を守るように、そして鋼鉄の塊を受け止めるようにその体を寄せ合う。

 だが鋼鉄の塊はそれらを無視するようにさらに加速する。


「いっけぇぇぇぇぇ!!」


 車のシートにすわり、咆哮を上げる彼女。

 アクセルを壊すかのように踏み続け、車はさらにエンジンの回転数を上げる。

 もはや一発の弾丸と化した車が、ゾンビの一団をさらに弾き飛ばした。


―ギィィィィィィ!!―


 怒りの咆哮を上げる黒い女が、辺りのゾンビにさらに指示を出したようだ。

 まっすぐに車を見据えたまま腕を振り、もう一度車を受け止めるようにゾンビたちの体を展開する。

 車を操る彼女は、黒い女がゾンビを操っているものだと確信する。


「なら、あいつを殺せば!!」


 恐らく、英人であればゆかりをつれてここを脱する事ができるだろう。

 道中で見てきた彼の力量であれば、不可能ではないはずだ。

 ハンドルを回し、狙いを定め、彼女はまっすぐに黒い女へと立ち向かう。


「うあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 途中に立っていたゾンビたちは木屑のように吹き飛び、臓物を当たりに撒き散らす。

 限界まで加速した車は、もはや一発の弾丸となって黒い女の迫る。

 彼女の咆哮とエンジンの唸りが一体と化し、辺りに木霊する――。


―イィィギィィィアァァァァァァァ!!!!―


 ……そして、黒い女は怒りの声と共に振り上げた両腕を車のバンパーに叩きつけた。

 到底人類に止められるはずのない、時速八十キロを超えようかという鋼鉄の塊はあっさりひしゃげ、強烈な破砕音と共に地面に沈む。


「あぐぅ!?」


 すさまじい衝撃を受け、跳ねる車体。

 ハンドルから飛び出したエアバックに顔面を強打し、彼女は一瞬意識を手放しかける。

 黒い女は跳ねた車体を掴み、そのまま問答無用で投げ飛ばした。


―ウイィィィィィィ!!!―


 黒い女に投げられた車は中を軽々と舞い、フロント側から落下し、そのまま天井から倒れこんでいった。

 その衝撃で、タンクからガソリンがあふれ出し、さらに運転席から彼女の体も放り出されてしまう。


―キィィィィィィ!!!―


 黒い女は咆哮を上げ、車に突き進む。辺りに残存していた生き残りのゾンビたちと共に。


「うぐ……く……!」


 彼女は……ゆかりの母親は朦朧とする意識の中、車の中にあったバッグから百円ライターを引っ張り出す。

 自身はタバコを吸わないが、催涙スプレーと合わせて簡易火炎放射器になるかと、家の近くのコンビニから持ってきたものだ。

 激痛を訴える体を引きずり、あふれ出したガソリンの元に這い寄りながら、彼女はかすかに微笑む。


(……なんで、あの子にゆかりを託しちゃったかなー)


 迫り来る黒い女とゾンビたちの群れ。恐らく数瞬で挽肉にされてしまうだろう。

 さらにゾンビに噛まれた肩からは血がまだ溢れている。目の前でゾンビに噛まれたものがゾンビ化したのも見た。自分はもう助からない。

 だからこそ、愛娘を彼に預けたわけだが……そうなる前は?

 なぜ、ゆかりと共に車に向かい、彼を置いて逃げなかったのか? そうする選択肢は、当然あった。

 所詮、行きずりの人間だ。見捨てたところで、何の問題もなかった。


(……けど、やっぱり)

―アアアァァァァァァァ!!!!―


 もう、耳元まで黒い女の咆哮が聞こえてくる。

 鼻を突くガソリンの刺激臭を前にして笑いながら、彼女はポツリと一人ごちた。

 その脳裏に、彼が流しだ涙の雫を思い出しながら。


「泣いてる子供は、見捨てちゃ駄目だよね……」


 小さな呟きと共に、ライターの火をつける。

 それと同時に、彼女の頭を黒い女が叩き潰し、群がったゾンビたちがその体を貪ってゆく―――。






 気化したガソリンが何かに引火し、群がった黒い女やゾンビたちと一緒に車が爆発する。


「―――!!」


 ようやく痛みに慣れてきた目を見開き、英人は吹き上げる紅蓮の炎を見上げる。

 初めから、こうするつもりだったのだろうか。彼女は……ゆかりの母親には一切の迷いが見られなかった。

 車から放り出された彼女は迷うことなく……黒い女たちを道連れに、自爆してしまった。


「………くそ」


 ゆかりの体から手を離し、力なく項垂れる英人。

 ゆかりは彼から離れ、燃え上がる炎を見つめ、大きく叫んだ。


「―――おかぁさぁーん!!!!」


 紅蓮の炎の中に果てた、たった一人の家族のことを。

 幼い少女は、暗い闇の中で叫んだ……。






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