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中間市 -20:57-

「………」

「 ヴ ァ ー … … 」


 痛いほど沈黙が降りる職員室の中と違い、外から響く音はまったく劣らぬ激しさであった。壁には今にもひびが入りそうであり、扉に至ってはもう亀裂が入り始めている。

 英人はしばらく春日を無言で見つめていたが、職員室の扉の悲鳴が変わったのを聞いてスコップを振り上げる。


「―――」


 そして無言で春日の首を断ち切った。

 バヅン!と音を立てて跳ね上がる春日の首。

 ゆかりの顔を掌で覆っていたその母親は、英人のその行動を非難する。


「あなたっ……! なにをするの!? いくら、その人に嘘を言われていたからって!!」


 短い間ではあったが、彼女にも春日が英人を騙していたらしいことは察することができた。

 だが、それにしたところで死人に鞭を打つような行為は看過できない。

 しかし英人は無表情のままスコップを血振りし、ゆかりの母親の言葉に答えた。


「……こうしておけばゾンビや化け物にはならないでしょう。この上、この人に襲われるなんてごめんだ」

「……っ! ……そう、ね」


 英人の言葉にゆかりの母親は一瞬目を見開き、それから痛ましげに俯いた。

 化け物に襲われた春日が、化け物にならないとは限らない。そもそもどういうプロセスを経てあんな化け物たちになるのかもよく分かっていないのだ。

 例え無慈悲でも……それを超えるような辱めを受けさせないためであれば、仕方がなかったのかもしれない。

 ゆかりの母親はしばし春日に黙祷を捧げ、それからゆかりを抱き上げながら立ち上がる。


「……それで、どうするの? このままじゃ……」

「どうもこうも――」


 英人は大股で職員室の外につながっている扉まで近づき、強引に蹴り破った。

 アルミでできていた扉は英人の蹴りを受け、しばしは耐えていたがその蹴りも二発三発と重なり、蝶番と鍵を吹き飛ばしながら外されてしまった。


「――家族がいないのであれば長い無用。とっとと出ましょう。今は中より、外のほうが安全のはずです」

「……そ、そうね。そうしましょうか……」


 無表情のまま振り返る英人の姿を見て、ゆかりの母親は怯えたように何度か頷く。

 春日の告白を受け、何かが振り切れたような様子であったが、それは鬼気迫るもののように彼女には感じた。

 仮面のような顔からは何も窺えないが……無理やり扉を蹴破った辺り、相当耐えかねる何かを感じているのだけは分かった。

 ゆかりの母親は英人の言葉に逆らうことなく、足早に外を目指して扉に近づく。






―イイイィィィィィィアアァァァァァァァァァァァァ!!!!―






 その時だ。サイレンのごとき甲高い悲鳴と共に、決壊を迎えた職員室の扉が吹き飛んだ。


「!?」

「………」


 幸い、扉から離れていたため英人にもゆかりの母親にも破片は当たらない。

 だが、破壊された壁の向こうでは怒り心頭の黒い女が鬼のような形相で立っていた。


―ウウウゥゥゥゥィィイイイイアァァァァァァァァ!!!!―


 黒い女は英人たちを指差し、さらに悲鳴を上げる。

 それに呼応するように、ゾンビたちは破壊された壁を乗り越え、英人たちへと迫っていった。


「……来たな。さあ、早く外へ」

「え、ええ!」


 英人に促され、ゆかりの母親は急いで外へと駆け出した。

 それを追い、英人も外に出る。

 冷たい夜霧をまとった校外は、一切変わらぬ無明の帳が広がっている。

 どちらを目指すべきか、その導さえ分からない。途方もない荒野に投げ出されたような感覚に陥り、前後不覚に陥りかけるゆかりの母親。


「あ、ああ……!?」

「こっちです。早く」


 だが英人が冷静に手を引いてくれたおかげで、何とか意識は繋ぎ止めた。

 英人に手を引かれながら、彼女は小さく礼を言う。


「あ、ありがとう……」

「気にしないでください。学校を出るまでは面倒見ますよ……」


 英人は彼女にそっけなく返しながら、これからの事を考える。


(……完全に、行き先を失った……。まさか、学校にたどり着いてないなんて……)


 あの留守電は、恐らく家を出る直前に吹き込まれたものだろう。その内容を家族が達成できていないということは……つまり、ここに来る途中で襲われてしまったということなのだろう。

 まだ、生きていてくれるなら希望もあるが……状況は絶望的だ。

 学校までそう時間がかかるわけではない……だというのにここまで到着できていないのだ。つまり、英人の家族は……。


(……父さんも母さんも……礼奈も、もういない……)


 英人の目から小さな雫がこぼれた。

 家族に別れを告げることさえ、許されないというのだろうか。自分が、一体なにをしたのだろうか……。

 人ならざる身に落とされ、他人の命を手にかけ、さらに守ろうとしていた人間から騙されていた。

 なにをすれば、こんな仕打ちを受けるのだろう。どうすれば、赦されるのだろう。

 なぜ、こんなにも自分が苦しまねばならないのだろう――。


「……あなた……」


 英人の瞳からこぼれた一粒の涙を見て、ゆかりの母親が小さく呟く。

 だがそれを指摘するより早く、背後からけたたましい悲鳴が聞こえてくる。


―ウウウイイイィィィィィィィィヤァァァァァァァァァァァ!!!!!―


 サイレンにも似た響を持つそれが聞こえてきた瞬間、英人たちの前方で大きな破壊音が聞こえてきた。


「っ!?」

「な、なに!?」


 聞こえてきた音に目を凝らすと、破壊された正門を越えて大量のゾンビたちがこちらに向かってくるのが見えた。

 手前には、体の間接が妙な方向に曲がっているゾンビの死体があった。どうやら、あれが体当たりか何かをして無理やり正門を打ち破ったらしい。

 ……相応に頑丈なはずの正門を打ち破るとは、一体どれだけの力でぶち当たったのだろうか。正門破壊だけで力を使い果たしたゾンビは、無残にも後から付いてきたゾンビたちが踏みつけ、そのまま原型をなくしてしまったが……。


「くそっ……! 正門は無理か!」


 職員室の位置と幼い頃の記憶から目指していた脱出ルートを塞がれ、英人は悪態をつく。

 頑丈な正門が後ろのゾンビたちを防いでくれるかもしれないという期待もあったが、あの様子では無理そうだ。

 だが、立ち止まっている暇はない。次の脱出ルートを探さなければ……。

 そう考えた英人の手を、ゆかりの母親が引いた。


「こっちよ!」

「!?」


 そのまま体育館の方向へ走り始めたゆかりの母親。

 彼女に手を引かれながら、英人はその方向になにがあるのか尋ねる。


「ど、どうしたんですか!?」

「こっちに駐車場があるの! 私とゆかりは車で来たから、それに乗れば……!」

「車、なるほど……」


 英人は彼女の言葉に、感心したように頷いた。確か、体育館のすぐそばが駐車場になっていたはずだ。車に乗れないため考えてすらいなかったが、車は案外良い案かもしれない。

 車であれば、確かにゾンビたちの足から逃げるのはたやすいだろう。

 シロガネ屋でであった巨人に対してどこまで効果を発揮してくれるかは謎だが、恐らくそれ以外のゾンビや化け物には十分な効果を発揮してくれるだろう。

 ――と。

 わずかな希望に向かって走る英人とゆかりの母親の目の前に、教職員用のスチールデスクが降ってきた。


「っ!?」

「きゃぁ!!」


 轟音と共に地面と激突した瞬間、中身をぶちまけるスチールデスク。

 一体どれだけ熱心な教師が使っていたのか、引き出しという引き出しに紙が詰まっていた。恐らく、授業で使う予定であったプリントの試作か何かだったのだろう。紙面にはびっしりと文字や数字が書き込まれていた。これだけのもの、大人二人でも持ち上げられるかどうか……。


「な、なんでこんな……!?」

「―――!」


 目の前に突如降ってきたスチールデスクを見て困惑するゆかりの母親。

 英人は素早く上を見上げ、何もないことを確認し後ろを振り向く。


―イギィィィ……ァァアィィィィ……!!―


 ……やはりというべきか、こちらを追いかけてきた黒い女。その両手、そして背後に控えるゾンビたちの手に職員室に並んでいたスチールデスクがあった。

 ゾンビたちは頭上に持ち上げるように逆さにしたスチールデスクを持っている。さすがに重量の問題で複数人が一緒になって持ち上げているようであった。

 だが、黒い女はそのか細い両腕に一つずつスチールデスクを握り、引きずるようにこちらへと向かってきていた。

 その足取りは両手に何も持っていないかのように軽い。黒い女の歩幅はそんなに広くないため速度はたいしたことないが――。


―ィィィ……アアァァァァァ!!!―


 黒い女は空き缶でも投げるかのような動作で、大きなスチールデスクを放り投げた。


「っ! くそ!!」

「きゃっ!?」


 英人はすかさず怯えて震え続けているゆかりとその母親の体を抱え、横へと飛ぶ。

 その直後、彼女たちが立っていた場所にスチールデスクが降り注いだ。

 あの黒い女、職員室の壁を破壊した一件と合わせて考えても、見た目以上に厄介な存在のようだ。


「あぶねぇ……! 立ってください! 急ぎましょう!」

「え、ええ……ありがとう!」


 英人は慌てて二人を助け起こす。

 スチールデスクが車に直撃しようものなら、恐らく一発でお釈迦だろう。そうなる前に車に乗り込み、脱出しなければ。

 黒い女とゾンビたちが抱えている分合わせて四台のスチールデスクが残っている。それが車にぶつかる前にとなると……。


「……お母さん! ゆかりちゃんを! 俺が預かりますから、先に車に!」

「――ええ、わかったわ!」


 ゆかりの母親は英人の言葉に頷き、幼い我が子を彼に預ける。

 異常な状況を前に声も出ない少女の頭を撫で、彼女は優しい声で語りかける。


「――ゆかり、少しの間、お兄ちゃんと一緒にいてね?」

「………!!」


 ゆかりはカクカクと何度も頷き、英人の服をギュッと握り締める。

 英人は左手でゆかりを、右手でスコップを抱えながら、黒い女の方を睨みつける。

 黒い女は、もう片方の手に持っていたスチールデスクを、また放り投げた。


「では、お願いします!」

「ええ!」


 二人は同時に動き、スチールデスクを回避する。

 ゆかりの母親はそのまま自分の車がある場所を目指し、英人は黒い女の動向を観察しながら彼女の後を追う。




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