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中間市 -20:48-

「!? 英人君!?」


 春日は一瞬足を止め、そのまま英人に追い抜かれあわてて彼の背中を追いかける。


「ま、待ってくれ英人君! 残るって、どういうつもりだ!?」

「お二人……いや、三人の背中を守る必要があるでしょう? 抑えはあったほうがいいし……」


 英人はまっすぐに前を見据える。

 その瞳に写っているのは、目の前の光景ではない。


「それに、まだ家族に会えてないんです」


 今朝、家を出る前に見た朝食の風景。

 ごく当たり前の日常の中で、笑顔を浮かべる家族の姿。

 淡い幻視をまっすぐに見つめながら、英人はスコップの柄を握り締めた。


「父さんと母さんと……礼奈が、ここに来ているはずなんです。だからまだ……俺は、ここを出ません」

「英人君……!」


 春日は英人を追い、何とかその肩を掴もうとしながら叫ぶ。


「え、英人君……! ……じ、実は――!!」

「ゆかりぃ!! ゆかりぃぃぃ!!」


 だが、春日の言葉はゆかりの母親の叫びによってかき消される。

 ゾンビや化け物に居場所を知られたところで構うものかと言わんばかりに彼女は叫び、己の愛娘の姿を求めて右往左往している。


「ゆかりぃぃ!! 返事をしてぇぇぇ!!」

「先生! 今はゆかりちゃんを!」

「く……! ゆかりちゃーん!! どこだぁー!?」


 英人と春日もゆかりの母親に倣い、ゆかりの名を叫ぶ。

 中間北小学校はそこそこに広いが、先ほど声が聞こえてきた瞬間からそれほど時間が経っている訳ではない。きっと近くにいるはずだ。

 そんな三人の祈りは、しっかりとゆかりの下に届いてくれた。


「……おかあ、さん?」

「っ! ゆかり!!」


 ガラガラと小さな音を立てて、職員室の扉が開く。

 その中から出てきた小柄な影の声を聞き、ゆかりの母親はその名を呼びながら駆け寄り、少女の体をしっかりと抱きしめた。


「ゆかり……! ごめんね……! もう、離さないからね……!!」

「おかあさん……おかあさぁん!!」


 小さな少女……ゆかりは、己の体を抱きしめてくれる母のぬくもりを全身で感じ、安堵したように叫びながら涙を流す。

 恐らく、母と離れてからずっと、一人で頑張っていたのだろう。ゾンビや化け物たちに見つからなかったのは実に幸運だった。


「……良かったですね、先生」

「……ああ、そうだな」


 親子の再会を前に、英人は安堵の息を付く。

 少なくとも、目の前にあった問題の一つは解決した。

 あとは、この親子と春日を学校から脱出させれば――。


「……さあ、ゾンビどもは請け負います。先生は、二人を連れて脱出を」


 上階から迫るゾンビたちのうめき声を前に、英人は気合を入れなおすようにスコップを握り締める。

 さすがにこれ一本でゾンビを全滅させられるとは思えないが、多少なり数を減らせれば学校内を逃げ回るのも容易くなるだろう。


「――英人君」


 だが、春日はそんな英人の肩を掴み、無理やり自分のほうへと振り向かせる。


「何ですか先生? ゾンビが来ます。早く、二人を外に――」

「英人君っ!!」


 脱出を促そうとする英人の言葉をさえぎり、春日は大きな声で叫んだ。

 英人はその大声に、そしてその声に秘められた悲壮な響に、思わず言葉を飲み込んでしまう。


「―――っ!」

「……私の話を聞いて欲しい。いや、聞いてくれ」


 春日は真剣な表情で英人の顔を見つめる。

 頬はこわばり、瞳は揺れている。酷く、思いつめたような表情だ。

 自らの肩を掴む春日の腕が震えているのに気が付き、英人は黙り込む。

 ……一体、何だというのだろうか。

 何か、とんでもないことを言い出しかねない雰囲気だった。


「……英人君。私は、君に、ずっと黙っていた……」


 春日は、ゆっくりと口を開き、ぼそりぼそりと英人に語りかけ始める。

 不規則に揺れる瞳が英人の不安を煽り、ジワリと嫌な汗を掌の中に浮かばせる。

 上階からはゾンビたちが迫ってきている。早くしなければ脱出もおぼつかなくなるだろう。

 だが、春日はそんな状況も目に入らないかのようにまっすぐに英人を見つめ、唇を震わせながら、先を続けようとした。


「……実は……実は……!!」


 だが、そんな春日の言葉を遮るように、ゆかりを抱きしめていた母親が叫んだ。


「――二人とも、上ぇ!!」


 その叫び声と共に、春日に肩にぺたりと赤い触手が触れた。

 餌付きかねないほどの血臭を漂わせた赤い触手を見て、英人も叫んだ。


「っ! 先生!!」


 だが、二人の叫びも空しく春日の肩が骨ごと抉られた。

 みぢり、と音を立てて消失する春日の左肩。

 勢いよく傷口から血が噴出し、辛うじてつながっているだけとなった左腕が力なく英人の方から外れた。


「あがぁ……!?」


 喉元まで出掛かっていた言葉が激痛で引っかかり、奇妙な悲鳴を上げる春日。

 そのままがくりと崩れ落ちる彼を、英人はあわてて支える。


「先生! しっかりして――!!」


 英人は春日に体を抱きしめ、何とか意識をつなごうとする。

 しかしそんな英人をあざ笑うように天井に張り付いていた化け物が、春日の背中に降りかかってきた。

 どんっ!と重たい音を立てて春日の背中に降り立つ化け物。

 逆さになったその化け物の顔を、英人は真正面から見た。


「―――っ!?」


 見てしまった。そして、理解した。

 初めてこの化け物を殺したとき……なぜ、春日が死体を見るのを止めたのか。


―キ、キ……―


 小さな泣き声を上げながら首をかしげる化け物の……その、顔は……どう見ても、子供のものにしか見えなかったからだ。

 筋肉がむき出しになり、間接すら消失した触手は小柄な胴体の四肢がつながっているはずの場所から生えている。

 他の化け物と違い、子供服のようなものを身にまとっている。見る影もなくぼろぼろになってしまってはいるが、花柄のイラストが描かれたかわいらしい物だ。

 どうやら少女だったらしい化け物の逆さになった頭には、きっと母親から送られたであろう小さな花の髪飾りが付いていた。


「う――ぁ……!!」

―キ、キキ……―


 だらだらと口から涎をたらしながら泣き声を上げていた子供は、後頭部に現れたもう一つの口を開き、勢いよく春日の背中に噛み付いた。


「ぐ、が、あぁぁぁぁぁ!!??」


 ぐしゃぐしゃと、春日の背中を貪る咀嚼音が耳に響き渡る。

 春日が悲鳴をあげ、顔に血飛沫がかかり、彼の爪が自身の腕に食い込み、ようやく英人は意識を取り戻す。

 あまりといえば、あまりな光景。ゆかりとそう歳の変わらないであろう小さな子供が……無残な姿と化し、今、恩師かもしれない男の背中を貪っているのだ――。


「ウ――オオオォォォォォアアアァァァァァァァ!!!!」


 英人は咆哮を上げ、春日の背中から化け物を払い落とす。

 無理やり腕を振るい、彼の背中に張り付いていた化け物を弾く。

 英人の腕に払われた化け物は、ぐしゃりと嫌な音を立てながら壁に激突し……そのままぺたりと触手を使って張り付いた。


―キ、キ―


 そして後頭部の口から鳴き声を発しながら壁を伝い、そのまま天井に戻ろうとする。

 だが英人はそれを許さず、春日の体を放り出し、スコップで化け物の背中を突いた。


「アアァァァァアァァァァァァッァ!!!!」


 小柄な体は実に柔らかく、驚くほど小さな感触だけを残し、化け物の体はスコップで真っ二つに両断された。


―ホギィィィィィィ!!??―


 小さな化け物は一瞬甲高い悲鳴を上げ、しかしすぐに絶命する。

 そのまま力なく床に落ちる化け物の体。


「ぐ……ぁ……!!」


 無残に裏返った子供の顔が、英人の目に映る。

 まだあどけなかったであろうその顔は、化け物になった影響か酷く皮が引きつり、いびつに歪んでしまっている。


「く、そ……! くそ……!」


 こんな小さな子供でさえ、この地獄を静かに去ることさえできないというのだろうか……。

 英人はしばらく荒々しく呼吸を繰り返していたが、すぐに春日の体を抱き上げる。


「先生! しっかり!!」

「ご ぼっ……」


 肩をえぐられ、背中を……いや、肺を骨ごと食いちぎられた春日は呼吸さえままならない様子で血の塊を吐き出した。


「………っ」


 春日の体が異様に重く感じる。だが、その顔からはほとんど血の気が引いている。

 もう、自分の体を支えるほどの力も残っていないのが分かった。


「……! 英人君! ゾンビたちが!!」


 ゆかりの母親が、階段の方を見て悲鳴を上げる。

 階段を降りきったゾンビの群れが、ゆらりとこちらに近づいてくるところであった。


「 う ぉ ー … … 」

「 み ぃ ー … … 」

「くっ……!?」


 英人は春日の体を引きずり、ゾンビの群れから逃げた。。

 春日の血で手がすべり、スコップを取り落としそうになるが何とか職員室の中へと春日と共に逃げ込むことができた。


「ゆかりっ! あっちの扉を閉めてらっしゃい!」

「うん!」


 英人たちが職員室に滑り込むと同時に、ゆかりの母が目の前の扉を閉め、我が子に反対側の扉を閉めるように命じる。

 彼女が職員室の扉を閉め、鍵をかけた瞬間、向こう側にいるゾンビたちがいっせいに職員室の扉と壁を叩き始めた。


「ひっ!?」

「 あ ー … … 」

「 げ ぇ ー … … 」


 不協和音が木霊し、職員室の壁や扉が悲鳴を上げる。

 辛うじてゆかりの鍵は間に合ったが、そう長い時間もちそうにはなかった。


「くそっ……!」

「あが……っ」


 英人は春日の体を廊下に横たえながら、スコップを握り締める。

 春日の背中からはまだ大量の血が流れ、口からは食道を逆流した血液が溢れる。

 もはや、生きていることが不思議なほどの重傷を負いながら、春日は必死に声を絞り出した。


「……え、えいとくん……!」

「先生! しゃべらないでください!!」


 自分を呼ばわる春日へ、英人はやや乱暴に返事を返した。

 肺をやられたせいでまともな呼吸もできない状態だ。もう、一言しゃべることさえダメージになってしまっているだろう。


「そのまましゃべっていたら、すぐに死にますよ!? じっとしていてください!!」


 こんな状況では、医者もいないだろうし……そもそも即死しなかったのが奇跡なほどだ。放っておいても、春日は逝ってしまうだろう。

 それが分かっていても、英人は言わずにはおれなかった。例え死ぬのだとしても、その最期は穏やかであってほしかったから……。


「きみの、ごかぞくは……きていない……!」

「―――」


 だが、春日の口からこぼれた一言が、英人の脳裏を白く染める。


「きていない……んだ……! ここに……きみの、かぞくは……!」

「――どういうことですか」


 ゾンビたちが叩く扉を見据えたまま、英人は春日に問いかける。

 その視線はもう、目の前を捉えていない。全神経を耳に集中し、春日の言葉を聞き漏らさないように勤める。


「がっこうにきた……ごかぞくは……ごほっ……。……ぜんいん……なまえを、かぐっ……っんした……っづ、が……ぎ、みのごか、ぞっ……は、いな、っ……あ゛……!!」


 限界が近いのか、春日の言葉はもう形さえなしていない。

 だが、その内容を英人は理解できた。

 避難してきた人間を名簿で確認していたが、その中に英人の家族は……櫛灘家の人間はいなかったという。


「………」


 英人は、ゆらりとゆかりの母親を見やる。

 英人の表情を見た彼女は一瞬怯え、カクカクと壊れた人形のように首を縦に振った。


「か、彼の言うとおりです……! 一度、私たちも、名簿で……!」

「………」


 英人はゆっくりと春日のほうへと振り返る。

 もはや体をピクリとも動かすことができないでいる春日であったが、光を失った瞳はかすかに震え、しっかりと英人を見つめていた。


「………」

「………」


 しばし、無言で見つめあう両者。

 英人は、問い詰めたかった。なぜ、黙っていたのかと。

 なぜ、家族がここにいないことを黙っていたのかと。

 ……冷静な理性はそれを理解している。ようは、人手が欲しかったのだろう。

 家族を探しに来た人間に、ここに目的の人間がいないことを告げればすぐに離れられると思ったのだろう。

 こんな状況だ。一箇所にとどまり続けるのは得策ではない。目的が果たせないのであれば、早急に離れるべきだろう。

 だからこそ、春日は黙っていたのだ。英人が、学校を離れないように。

 ――その推測に対する答えは、春日の瞳にありありと浮かんでいた。

 力を、光を失いながらも強く浮かび上がる……謝罪と後悔の念。

 言葉を交わすことなく、英人はそれを理解した。春日がこちらに向ける念を。


「―――」


 そして、春日は静かに逝った。

 一方的に英人に謝罪し、事実を告げ……無責任にこの世を去った。




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