中間市 -20:28-
そして背中からリュックサックを下ろし、女性と一緒に床に腰を下ろしている春日へと手渡した。
「どうぞ。途中のコンビニとかで、適当に持ってきたものが入ってます」
「ああ、すまない」
春日は英人からザックを受け取り、中から缶ジュースとお菓子を取り出し女性へと手渡した。
「さあ、どうぞ。甘いものを食べて、落ち着いてください」
「あ、あ……」
女性は震えながらも何とかジュースとお菓子を受け取り、春日と英人を交互に見比べる。
そして口を震わせて何かを言おうとするが、言葉はまともに形にならない。
そんな女性に、春日は優しく声をかけた。
「無理をしないで。まずは、一服しましょう」
「あ、あ……!」
その言葉に女性は何度か頷き、それからようやくジュースとお菓子に口をつけ始めた。
英人は春日がそばにおいたザックの中から適当にパンとジュースを取り出し、自分も食事を取り始める。春日はじっと、女性が食事を終えるのを待った。
しばらくの間、無言のまま食事や休憩を取る三人。
「……あ、は……はぁ……」
口の中に押し込んだお菓子をジュースで流し込み、女性は一息つく。
しばし荒い呼吸を繰り返し、ゆっくりと女性は落ち着きを取り戻していった。
「……す、すみません……。助けていただいたのに、お礼の一つもまともにいえない有様で……」
「いえ……こんな状況です。あなたが無事で何よりです」
恥じ入るように頭を下げた女性の肩を、春日はやさしく叩く。
女性はしばらく俯いたまま震えていたが、ゆっくりと頭を挙げ今にも涙をこぼしそうな表情で春日にこう問いかけてきた。
「……本当はこんなことを言える立場でないのはわかっています……けれど、恥を忍んでお尋ねします。私の娘を、どこかで見ませんでしたでしょうか……?」
「娘……? あなたの、ですか?」
「はい……」
うなだれる女性を前にして、春日は申し訳なさそうに首を横に振った。
「申し訳ありませんが、あなたがようやく出会えた生存者の一人目なんです……」
「一人目……? あ、あの、そこの彼は……?」
春日の言葉に首をかしげ、女性は無言で食事を取る英人を遠慮がちに指差す。
確かに彼女から見れば、自分は二人目で英人が一人目に映るのだろう。
春日は自分の言葉足らずに気が付き、訂正するようにこう告げる。
「ああ、彼は外から我々を助けに来てくれた人物で……校内で出会えた生存者はあなたが初めてなんです」
「………」
本当は家族に会いに来ただけなのだが、英人は無理に訂正せずにジュースを飲み込む。
女性はかすかに目を見開いて、英人のほうへと向き直る。
「外から……? そ、外はどうなっているんでしょうか? 霧の中は、一体……」
「……外も校内とそんなに変わんないですよ。そこら中にゾンビがいるし、校内では見ないような化け物も歩いてる」
英人はゴミを適当な場所に放り投げ、女性の質問に答える。
「どっちがマシかって聞かれると返答に困るレベルです。どっちもまともじゃないんで……」
「そ、そんな……」
淡々とした英人の答えに、女性は絶望したようにうなだれる。
娘を見つけたら、学校から逃げ出すつもりであったのだろうか。ここに残るのとどちらが正しいのかはもはや英人には分からないが、それが偽りようのない事実だ。
春日は正直すぎる英人の回答を前に彼をにらみつけるが、英人は肩をすくめる。ここで適当な嘘を言って妙な希望を持たせるよりはましだろう。待っているのが絶望だけなら、なるたけ度合いが低いほうがいいはずだ。
春日もそれ自体は理解しているのかそれ以上英人を攻めることはせず、小さくため息をつきながら女性を慰める。
「彼……英人君の言うとおりの状況です。ですが、まだ諦めるには早いはずです。あなたの娘さんは、まだ校内のどこかに生きているのでしょう? でしたらあなたが諦めてはだめだ。あなたが諦めては、一体誰が娘さんを助けるんですか?」
「う、う……! ゆりかぁ……!」
女性は娘のものらしい名前を囁き、静かに涙を流し始める。
「わ、私が……あの時、手を離さなければ……! 目を、離さなければ……!」
「そうであればと嘆くのも分かります。けれど、そうじゃないでしょう? 今も娘さんはあなたの助けを待っているんです!」
「う、うう……!」
春日は懸命に女性に声をかけ、彼女を奮い立たせようとする。
顔を覆い、涙を流す女性。囁くようであった彼女の泣き声は、次第に大きくなっていく。
「う、うあぁ……! ゆりかぁ!」
「涙を拭いて! ゆりかちゃんが、あなたを待っていますよ!」
「あ、ああ……! そう、そうですね……! ゆりかが、待っているんですよね……!」
女性は涙をとめどなく流しながらも顔を上げ、決意を込めた顔で春日を見上げる。
「ゆりかぁ……! ゆりかが、待ってる……!」
「さあ、その意気です! 私も及ばずながら力を貸しましょう! ゆりかちゃんを、助けるんです! 英人君! 君ももちろん協力してくれるだろう!?」
春日は勢いよく英人のほうへと振り返り、怖い顔つきで問いかけてくる。
英人の勢いに困惑しながらも、英人は小さく頷いてみせる。
「そりゃあ、ね。もちろんですよ」
英人としても、初めから否があるわけではない。できれば家族を探すことを優先したいが、だからといって娘を助けたいと叫ぶ女性を捨て置けるほど鬼にはなれない。
それに、件のゆりかちゃんとやらと家族が一緒にいる可能性だってあるわけだ。ゆりかちゃんを助けに行くことがまったくの無駄というわけではない。
英人はスコップを片手に、ゆっくりと立ち上がる。
「……じゃあ、そろそろ行きますか? あまり長いこと、同じ場所に固まっていてもやばいでしょう。ゾンビはもとより、例の黒い女も徘徊してるみたいですし」
「ああ、そうだな……。さあ、立てますか? ゆりかちゃんのお母さん?」
「え、ええ……」
春日に手を取られ、ゆかりの母親は何とか立ち上がる。手足に多数の傷が見えるが、動く分には問題なさそうだ。
英人は床に置かれたザックを手にし、肩に引っ掛け――。
― ミ ツ ケ タ ―
「………」
また、頭の中に違和感が走る。
声が聞こえたような気がするのだ。ただし、鼓膜を震わせてではない。頭の中に、直接叩き込まれたかのように。
「―――」
英人は慎重に周囲を見回す。自然と、手にしたスコップを握る力が強くなる。
今のが声で、さっき廊下で感じたのがただの違和感でないとすれば……少なくとも、この声の主は好意的な存在ではない。
強い、敵意を感じた。そこに悪意はない。ただ、外敵を排除しようとする強い意思を感じるのだ。
「英人君?」
「………?」
英人の雰囲気が変わったのを感じ、春日とゆりかの母親が不審そうな顔つきになる。
だが英人はそれにかまわず、先の声の主の姿を探す。
見つけた……と言っていた。ならば、もうこちらの姿を視界に捉えているはずだ。
「………」
今いるのはがらんとした小学校の教室の中心。だが部屋の中には英人たち三人以外にはいない。
他の存在がこちらを窺えるのだとしたら、外が見える窓か……。
「―――!」
廊下につながる、教室の扉の窓だ。
英人がそちらに目を向けると、教室の扉に着いた小窓からじっとこちらを見つめている黒い影が目に映った。
酷く濁った黄色い眼球が、暗闇の中でいやにぽっかり浮いているように見える。べったりと窓に張り付いてこちらを見据えるそいつの肌は、学校を覆う闇より暗く、底知れない沼のように見えた。
「チッ……!」
英人が舌打ちと共にスコップを構えるのと同時に、黒い女が張り付いていた教室の扉が轟音と共に吹き飛んだ。
「なっ!?」
「ひぃ!?」
突然響いた轟音に春日とゆりかの母親は慄き、体を寄せ合う。
だらりと両手を前に下ろした黒い女は黄色い眼球で英人を見据えながら、ゆっくりと教室の中へと入ってきた。
「ヴ…ヴ……ヴぁ………」
細かく痙攣し、うめき声を上げ、一歩、また一歩と踏み出してくる黒い女。
ゆらりと近づいてくる黒い女は英人にだけ集中し、敵意を向けてきている。これならば、御すのは容易い……。
そう、考えた英人の希望を砕くように、女の背後からゆらりとゾンビが現れた。
「……っ!?」
「 あ ー … … 」
「 う ぁ ー 」
間延びした声と表情を晒しながら、ゆらりと現れたゾンビ……その数は、一体や二体どころではない。
「 う ー … … 」
「 ぼ ぁ ー … … 」
「 あ あ ー … … 」
「なん……!? 一体どれだけ!?」
ぞろぞろと……本当にどれだけいるのかと叫びたくなるほどのゾンビが黒い女の後ろから現れる。
その数、二十人くらいはいるだろうか……。扉の向こうから聞こえてくるうめき声から考えると、恐らく見えるだけではない。それこそ、校内全てのゾンビがこちらに向かって集結してきているかのようだ。
さらに来ているのはゾンビだけではない。天井や壁、さらには床にまで、ペタリペタリと何かが張り付く音が聞こえてきたのだ。
「な、なに……!? なにがいるの!?」
「く、あいつらか……!!」
先ほど奇襲を仕掛けてきた、触手持ちの化け物の気配である。こちらの数は圧倒的に少ないようだ。聞こえてくる足音から五体程度……だろうか。天井に張り付いている数のほうが多いため、楽観視できるような数ではなかったが。
「ひ、ひ……!」
「く、くそ……!?」
目の前の惨状にゆかりの母親は引付を起こしたように震え、春日は懸命に彼女を守ろうとするが全身ががたがたと震え、まともに力が入っていないようだ。
「―――」
そして英人は……妙に頭の中がすっきりしているのを感じていた。
目の前には正体不明の黒い女。さらに背後には二十人超のゾンビ。天井には、長い触手を持つ化け物……。
中間高校を襲来した怪鳥や、シロガネ屋で出会った巨人……奴らを前にしたときのような、絶望感を何故か抱かなかった。
これが場慣れというやつなのだろうか、と英人はぼんやりと頭の片隅で考えながら黒い女をにらみつける。
「…ヴ、ヴ……」
黒い女は全身を痙攣させながら、黄色い眼球で英人を睨みつけている。その瞳の中に窺えるのは、先に感じた強い敵意だった。
……ゾンビを、化け物を殺したことに対して怒りを覚えているのだろうか?
だとすれば、興味深い発見かもしれない。他の化け物たちには見られなかった仲間意識のようなものが、目の前の黒い女にはあるかもしれないということだ。
ならば、この状況にもある程度納得がいくだろうか。あの黒い女が周囲のゾンビや化け物たちを従え、連れてきたのだろう。どんな方法で従えているのかは、はっきりとわから――。
― ユ ル サ 、 ナ イ … … ユ ル 、 サ ナ ァ イ … … ―
「 あ 、 あ ぁ ー … … ! 」
「 う ぉ ぉ ー … … ! ! 」
「ひぃ!?」
「く、くそ……!」
――再び聞こえてくる、謎の声。やはり空気の振動ではない。その証拠に、後ろで怯えている二人は何も聞こえていないようで、目の前の化け物たちを凝視して怯えているようだった。
英人はなんとなく、目の前の黒い女が放ったテレパシー的なものなのではないかと直感した。
聞こえてきた声に合わせて、辺りのゾンビたちが怒りの声のようなものを上げ、腕を振り上げたからというのもあるが……。
「………」
英人は怪鳥に噛み付かれた腕を意識する。あの瞬間の激痛が、脳裏に蘇った。
……恐らく、化け物化が進行しているのだろう。どうやら、英人のゾンビ化、あるいは化け物化は非常にゆっくりとしたもののようだ。怪鳥に噛まれてから六時間以上経ち、ようやく自覚症状のようなものが現れたのだから。
「――ハッ」
英人は小さく笑みを浮かべる。
いよいよ、時間がなくなってきたということか。人としていられる時間が。
そう考えると、人を殺したという罪悪感が薄いのも納得できるような気がする。それはそうだろう。化け物が人を殺すのに、罪悪感も何もないだろう。化け物とはきっとそういうものだ。
「……先生」




