中間市 -20:23-
春日は自らの行いに恥じ入るかのように小さな声で呟きながら、英人の後に続く。
慎重に階段下を覗き込みながら、英人は春日に尋ねた。
「悲鳴は上のほうから聞こえた気がしたんですけれど、屋上は?」
「屋上は……開いてない。そもそも、鍵も職員室にあるままだ。誰か鍵を見つけて上に逃げた可能性はあるかもしれないが、上に行っても逃げ場はないだろう?」
「……そうですね」
高校で屋上から怪鳥が現れたのを思い出し、英人は苦い顔になる。
あれが現れたせいで、英人は学校を追い出されることになってしまったのだ。
「空を飛ぶ化け物もいます。むしろ、屋上は危険でしょう」
「な……! 空を飛ぶのもいるのか!?」
「ええ。ここには現れませんでしたか?」
「いや、まったく見ていない。空まで飛ぶのか……」
春日が愕然とした声を上げている。嘘をついている様子はない。本当に現れていないのか。
……そうなると、やはり狼煙は悪手だったのだろう。あれのおかげで、化け物がよってきたのだ。
「……まあ、目印さえ上げなければ大丈夫でしょう。狼煙とか、発光信号とか」
「そんなものわざわざ上げる奴はいないだろう。化け物に来てくださいといってるようなものじゃないか?」
「……ええ、そうですね。そのとおりですね」
その馬鹿のせいで今自分がここにいることは黙っておこう。
そう心の中で決意しつつ、英人は階段を下ってみる。
「ともあれ下へ行ってみますか……。悲鳴を上げているって事は、逃げ回ってるって事でしょうし……。この階に、先生以外の人は?」
「俺も悲鳴を頼りにここまで来たんだが……入れ違いになってしまって……。あの黒い女の姿を見たから急いで教室に逃げ込んだんだ」
「そうなると下か……」
英人は呟きながら階段の踊り場からさらに下を窺う。
特にゾンビのうめき声も黒い女の姿も見当たらない。
先の女が歩いている可能性を考慮し、懐中電灯は使わず、春日の方を振り向いた。
「で、学校にはどれだけの人間が逃げ込んだんですか?」
「体育館に集まったのは百人前後だったんだが……すまない。化け物が現れてからの動向は完全に把握できてない。できれば、外に逃げていてくれればいいんだが……」
「……だといいんですけれどね。ゾンビは外にもいる」
この学校に集められた人たちがどれだけ現状を把握していたのかは分からないが、学校への召集が行なわれたのが礼奈からの留守電が入っていた時間だと考えると、その時点ではすでに街中にゾンビがいたはずだ。
よほど腕に自信があるか、あるいは自殺志願者でもなければ、わざわざ大量のゾンビがいる街へと逃げようとは思わないだろう。
逃げるのであれば、鍵がかかり頑丈な扉もありそうな、学校の中へと逃げるのではないだろうか?
「それに外にはゾンビだけじゃなく、先に話しました空を飛ぶ化け物や、身の丈がトラックよりも遥かにでかい巨人もいる。できればゾンビに見つからないように、じっとしていて欲しいところです」
「巨人までいるのか……どうなってしまったんだ、中間市は……」
「どうなってるんですかね、本当に……」
春日の先を行くように、英人は階段を下りてゆく。
春日はそれを追って階段を下り。
「―――キャァァァァァァァァ!!??」
「「っ!!」」
二人は絹を裂くような悲鳴を同時に聞いた。
一瞬顔を見合わせ、声が聞こえてきたほうに顔を向ける。
「今の声……!」
「近くだ!」
二人は同時に駆け出し、声の主の下へと向かう。
「イヤァ! イヤァァァ!!」
断続的に上がる悲鳴の元へと駆けつけると、暗闇の中で一人の女性が何者かに馬乗りにされているところであった。
「 ア ー 、 ウ ー … … 」
「やめてぇ!! 助けて、お願いぃぃ!!」
女性は必死に抵抗し、自らに馬乗りになっているゾンビを遠ざけようと腕を突っ張る。
だがゾンビは女性の抵抗など物の数ではないといわんばかりに腕を押し込み、悲鳴によって震える女性の喉に向かって己の牙を突き立てようとする。
「オラァァァァ!!」
だが女性の喉に牙が食い込む寸前、ゾンビの顔面を蹴り上げるように勢いよく英人は足を振るった。
重たい音を立てながらゾンビは仰け反り、勢いよく女性の体の上から吹き飛んでゆく。
ゾンビの体が女性の上から退いたのを確認し、春日が素早く女性を助け起こした。
「大丈夫ですか!?」
「あ、ああ……!」
春日に助け起こされた女性は、自分が助かったのが信じられないのか虚ろな表情で悲鳴を上げ、すがる様に春日の胸板に体を押し付ける。
その柔肌を包む着衣は引きずり倒されたかのようにぼろぼろになっており、痛ましい傷の付いた二の腕を春日はそっと撫でた。
「こんなになって……もう、大丈夫ですよ!」
「あ、あ……!」
「春日さん。その人をお願いします」
怯える女性を抱きしめる春日。
英人はそんな二人を背中にかばいながら、蹴り飛ばしたゾンビを睨みつける。
今のけりを受けて顔がへこんだようにも見えるゾンビはゆらりと立ち上がり、英人とその向こう側にいる二人の姿を見る。
「 あ 、 う ー … … 」
「………」
英人は無言でスコップを構える。
引くだけの知能があればよし。さもなければ、殺すだけだ。
英人が武器を構えたのを見て、ゾンビは首をかしげた。
「 … … ふ え 、 た ? あ ー … … 」
ゾンビはそのまま上を見上げ、ぶつぶつと何かを呟き始める。
「 ふ え た 、 ふ え ま し た 。 ど う し ま し ょ う ? ど うし ま し ょ う … … 」
「………?」
誰かに対し、指示を仰いでいるかのような呟きに、英人は眉をひそめる。
今までのゾンビにない行動だった。こちらを探したり、誰かと会話をしたりといったことはあったが……これでは電波を拾っているようではないか。
「 … … わ か り ま し た 、 ふ や し ま す 、 ふ や し ま す… … 」
ゾンビはそう呟くと英人を……いや、英人の背後の二人を見据え、そのまま一気に前進してきた。
英人を無視し、一気に背後の二人を襲おうとするかのような動きだ。
「させるかよ!!」
だが、さすがにそれを無視してはやれない。英人は吼えるのと同時にスコップを横薙ぎに振るった。
スコップの刃をゾンビの腹にめり込ませ、そのまま一気にゾンビの腹を薙ぎ払う。
「っらぁ!!」
鈍い感触と共に、ゾンビの腹から赤い血液が噴出す。
さすがに、内臓がこぼれるほどの傷ができるわけはなかったが、それでも十分深い傷がゾンビの腹に刻まれる。
「 あ 、 あ … … 」
ゾンビは薙がれた勢いで後退し、腹を押さえ痛みにうめき声を上げる。
ゾンビの腹に横一文字に刻まれた傷から、血が毀れ、傷を抑える指の間から赤い雫がパタパタ落ちる。
「 あ 、 あ ー … … 」
ゾンビはしばし固まっていた。
だが、すぐに顔を挙げ、春日と女性の姿を見つめ。
「――っしぃ!!」
即座に振るわれたスコップの腹に顔面を強打されそのまま後ろにひっくり返った。
一度ならず二度までも顔面を叩き潰され、いよいよ顔の形が変わり始めたゾンビは、手足をばたつかせて立ち上がろうとする。
だが、英人はそれを許さずにゾンビの心臓にスコップの刃を突き立て。
「フンッ!!」
そのまま、地面にスコップを突き立てる要領で刃をゾンビの心臓に押し込んだ。
「―――っ!!」
びくりと。ゾンビの体が一度大きく跳ねる。
つぶれた顔の目は大きく見開かれ、開いた口から血液があふれ出す。
背が仰け反り、手足がピーンと張り詰める。
――そして、そのままゾンビの全身から力が抜ける。
くたりと体を横たえたゾンビの体が動かなくなったことを確認し、英人は無造作にその胸板からスコップを抜く。
ブシュッ、と音を立てて傷口から血が噴出した。まだゾンビが生きているとでも主張したいのだろうか。
「……フン」
英人は小さく鼻を鳴らし、軽く肩越しに春日の方を振り返った。
「終わりましたよ。そちらは?」
「あ……ああ。こちらは大丈夫だ」
あっけなくゾンビを殺して見せた英人を見て春日は唖然としていたようだが、すぐに気を取り直したように何度か頷いた。
春日の腕の中にいる女性は、怯えたように顔を春日の胸に押し付け、震えている。
英人はスコップの先に付いた血を払うようにスコップを振りながら、改めて春日のほうへと振り返った。
「とりあえず、一人ですかね」
「そうだな……歩けますか? 大丈夫ですか?」
春日は女性の肩を抱きながら、なるたけやさしく彼女へと声をかける。
「う…う……!」
春日の問いかけに答えることができず、女性は引付を起こしたように体を震わせるばかりであった。
そんな女性の様子を見て、英人はすぐそばの教室の扉を示す。
「とりあえず、中に入りませんか? 立ち話もなんですし」
「ああ、そうだね……。英人君、まだ、飲み物は持っているか? もし持っていたら、彼女にも分けてあげて欲しいんだけれど」
春日は教室の扉に手をかけながら英人にそう問いかけてくる。
肩にスコップを担ぎながら、英人は答えを返した。
「ええ、まだ持ってますよ。何なら、甘いお菓子も――」
― コ ロ シ タ 、 ナ … … ―
「―――ッ」
背筋がゾクリと震える。
脳髄の奥底に何かを叩き込まれ、英人はあわてて振り返った。
「………」
月明かりも差さぬ暗闇の中、どこまでも続いていそうな廊下の奥。
……そこには何もいなかった。少なくとも、誰かがいる気配はしなかった。
「………」
「英人君? どうかしたのか?」
英人の様子に異変を覚えた春日が、不安そうに問いかけてくる。
英人は春日の方を見て、逆に問いかけた。
「……先生は、今……」
「今……? どうか、したのか?」
春日は不思議そうに首を傾げるばかりで、英人の言葉の意味がわからないようだ。
……英人はしばし沈黙した後、首を振った。
「……いえ、なんでもないです。歩き通しのせいで、疲れたのかもしれません」
「そうか……なら、少し休もう。さあ、こっちです」
「う、う……」
春日はそういって、女性と一緒に教室の中に入る。
英人はそれを追って教室の中に入り、扉を閉める前に廊下の左右を睨みつける。
奥のほうから声もせず、何かがこちらにやってくる気配もしない。
「………気のせいか」
自分を納得させるように小さく呟いて、英人は教室の扉と鍵を閉めた。




