中間市 -20:12-
「さて、当面だが……まだ校内を逃げ回ってる人たちを助けて回りたいと思う」
「そうですね。悲鳴が外にも聞こえてきました。まだ、誰か生きていると思いますけど……」
スコップ片手に英人は春日の背中を追って教室を出る。
慎重に進路の先を窺う春日の背中に付きながら、英人は気になっていたことを尋ねることにした。
「ところで、先生。学校が暗いのは、先生が?」
「ああ、そうだ……。さっきの化け物対策に、な」
春日は英人の言葉に頷き、そして先に進みながら先ほど現れた女?のことを話し始めた。
「あの化け物は体育館に現れて以来、むちゃくちゃに周りの人間に襲い掛かり、体をばらばらにしたりあるいはゾンビに変えたりしていたんだが……日が落ちてから様子が一変したんだ」
「というと?」
「さっき見たとおりだよ。周りから明かりが消えたとたん、憑き物が落ちたように落ち着いたんだ。そして、学校内を徘徊し始めた。まるで縄張りを主張するように、な」
先を歩く春日は、かすかに体を震わせた。
「ようするに、光があると狂ったように暴れ周り、周りが暗いと静かになるってわけだ。明かりに関しては天井の電灯だろうが手元のライターだろうが関係ない。奴の視界に光が入ったが最後、奴は当たり一切かまわず暴れまわるんだ」
「なるほど……」
つまり、学校が暗いのはあの化け物が暴れて回らないようにするために、止む無く行なわれていたこと、というわけだ。
学校の電灯がリモコンか何かで遠隔操作できるのであれば全部を消す必要はなくなるかもしれないが、そんなことができるくらいならまだ初めから明かりを消しておいたほうが手間は少ないし、危険も低いだろう。
だがそれなら、部屋の明かりはどうだろうか? 各教室の窓からこぼれる明かりには反応するのか?
気になった英人は春日に尋ねた。
「……部屋の窓からこぼれる光は?」
「それにも反応した。避難者が集まっていた部屋の一つに突撃して……」
どうやらあの黒い女は徹底的に光を嫌う性質を持つらしい。面倒くさい女である。
「……幸い、明かりさえなければこっちを積極的に襲ったりしないし、発見されても逃げられる可能性が高い。あと問題になるのはゾンビと――」
春日は不意に言葉を切って、辺りを見回し始める。
「? ……先生?」
「シッ! 静かに……」
不意に春日は声を低くする。
そしてそのまま、辺りを窺い始めた。
英人もそれに習い、耳を澄ませる。
……ペタリ、ペタリ。
足音だろうか。粘着質な何かが付いたり剥がれたりするような、そんな音が聞こえてくる。
足音は小さく、感覚はそれなりに長い。足音だとするなら、ゆっくりとした歩調だ。
「………」
「………」
英人は静かに、春日と背中合わせになるように立つ。
ペタリ、ペタリ。
足音はゆっくりと、確実にこちらへと近づいてきている。
北小三階の廊下は月明かりも差さないほどに暗く、沈んでいる。こちらへと接近してくる何かがどこにいるのか、はっきり捉えることができない。
「………」
「………」
ペタリ、ペタリ。
足音が、はっきりと聞き取れるようになってきた。
粘着質な足音が、いつの間にか、英人たちの頭上で聞こえるように――。
「っ! 上!?」
英人はあわてて頭上を見上げる。
それと同時に、上から伸びてくる触手のような腕。
素早く屈み込んだ英人の肩を掴み損ねたその腕は、素早く標的を変えて春日の後ろ首を掴んだ。
「うぉ!? うあぁぁぁ!?」
「先生!」
春日は掴んできた腕を逆に掴み、悲鳴を上げながらその腕を振りほどこうとする。
だがぴったりと張り付いた腕は春日がいくら暴れても引き剥がされることなく、逆に春日の首を締め上げようとする。
「う、づあぁぁぁ!?」
後ろから掴まれているだけであるため、さすがに首が締まるようなことはなかった。
だが、遠慮のない力で後ろ首をつかまれ、春日はその痛みにさらに悲鳴を上げる。
さらに化け物は触手を引き、そのまま春日の体を天井へと吊り上げようとする。
「う、うぉあ――!?」
「おらぁぁぁぁぁ!!」
だが、その一瞬早く、英人は両手で掴んだスコップを力強く振るった。
鋭い剣先を持ったスコップの刃が、化け物の触手に叩き付けられる。
鈍い感触が英人の腕に伝わり、ぶつりと音を立てて千切れる化け物の触手。
「うぉ!?」
― !!??―
春日の悲鳴と共に声なき悲鳴が上がり、化け物の体が天井から落ちてくる。
長い触手のような手足を四本……今は英人にちぎられ三本であるが、ともあれ触手のような手足を備えた小柄な影だ。
ぼとりと落ちてきた化け物はしばしもたもたと触手をうごめかせながらも、何とかその場を脱出しようと残された三本の触手を駆使して壁を這い回ろうとする。
「逃がすかぁ!!」
だが、英人はそれを逃すことなく、斧のように化け物の体に向けてスコップを叩き付けた。
化け物の触手を裂いたスコップの刃は、十分な威力を持って化け物の体を叩き割ってくれた。
― !?―
化け物はそのまま力なく廊下に落ち、しばし痛みに苦しんでいるかのようにうごめいていたが、しばらくするとぱたりと動きを止めた。
小さいおかげか、体力はないようだ。大の大人を吊り上げるパワーと、天井だろうと這い回るその移動は警戒すべきだろうが。
「ちっ。一体なんだこいつは……」
英人は吐き捨てるように呟きながら、消していたい懐中電灯をつけようとする。
明かりで照らして、目の前の化け物の正体を拝んでやろうと思ったのだ。
だがそれは、春日によって止められてしまう。
後ろから伸びてきた春日の腕が、懐中電灯を持っている英人の手首を握り締めた。
「――待ってくれ、英人君」
「? 先生?」
「明かりは、付けないで欲しい」
真剣な表情でそう頼み込んでくる春日。
彼の様子に、英人は不審を覚える。
明かりを付けることに警戒しているのであれば納得がいかないでもないが、あの黒い女はさっき下の階へと向かった。ならばそのまま、下の階を徘徊しているだろう。
もちろん、あの黒い女の気が変わって上の階に戻ってくることもあるだろうから、春日の不安も正しいのではあるが。
「頼む、英人君」
「………」
だが、春日の頼み方は、どうもそういうのとは違うように感じる。
なんというか、目の前にあるものを見て欲しくない……いや、見たくない。目に入れたくない。そういう風に英人は感じた。
一体なにが春日をそうさせるのかは英人には分からなかったが……。
「……わかりました」
英人は春日の言葉に素直に従った。
ここで無理を通すだけの理由などないし、それが原因で春日の不興を買って仲間割れもごめんだ。
……ようやく出会えた普通の人間なのだ。しばらく行動を共にしてくれるとも言うし、彼の言うことを無碍にするのも良くはないだろう。
英人が懐中電灯を下ろしたのを見て、春日はほっと息を付き、彼の手を引いてその場所を離れた。
「さあ、こっちだ。……今の奴が、問題なるもう一匹だ」
「天井を這って動いていたようでした。体も小さいし、奇襲されるとまずいですね」
「まさにそれだよ。ただのゾンビや黒い女と違って、連中は天井や壁を這って移動できる。おかげで、一般的なバリケードなんかも意味を為さない。体も小さく、手足も長いおかげで狭い隙間や学校の外壁なんかも登ってくるからね」
春日は硬い声で呟く。
「……だがそれ以上に……俺はあれらの存在自体が恐ろしい……」
「……?」
「……ああなってしまったのは、俺たちのせいだと……俺たちが過ちを犯したせいだと……そう、責めて来るんだ。だから、俺は……」
しばらく、春日は英人に聞こえない声でぶつぶつと何かを呟き始める。
「許してくれ」だの「しかたなかった」だのと、時折声を拾うことができる。酷く、何かを悔やんでいるようだ。
英人にはその悩みの意味は分からなかったが、あの化け物に関して分かることはある。
「……少なくとも、そこまで頑丈というわけではないようです。遭遇しないに越したことはありませんけど、仮に遭遇できても対象は容易だと思います。いくら触手が強かろうが、頭か腹でもつぶしてやればそれで終わりです」
奇襲が得意である反面、肉体的には脆弱であるということだ。
正面切っての戦いが不得手だからこそ、奇襲に特化したのだろうか? ともあれ、それさえはっきりしていればやりようなどいくらでもあるだろう。
「化け物も生きている。なら、殺すことも容易で――」
「君はっ!!」
「っ!?」
不意に、春日が大声を張り上げた。
英人のほうへと振り返った春日は、必死の形相で彼を睨みつけてくる。
「君は、君が!! そんなことを、言ってはならない!!」
「? 一体どうしたんですか、先生!」
「君が、君みたいな、子供が!」
いきなりの春日の豹変に戸惑う英人。
殺すだの何だのと、そんなことを口走ったのが原因だろうか?
英人は何とか落ち着いてもらうべく、春日の両肩を掴んで揺さぶった。
「落ち着いてください、先生! 会わなければ、襲ってこなければ何もしません!」
「だ、だが……!」
「会えばその限りではありませんが、俺は死にたくないんです! 元は人間だとか、そんなことを言ってる状況じゃないでしょう!?」
「死、死ぬ……そ、そうだな……」
英人の言葉に春日はしばし戸惑っていたが、すぐに冷静さを取り戻したようだった。
少し頭を振り、顔を手で覆いながら謝罪してきた。
「――す、すまない……取り乱して、しまった……」
「いえ……状況が状況です。誰も、こうなるなんて思わなかった」
こんな、ゾンビや化け物があふれ、人の臓物が辺りに散らばるような惨劇が起こるなどと、誰が想像しただろうか。
春日も、きっと疲れているのだ。過激な言葉に過敏反応してしまうほどに、春日の心もささくれているのだろう。
そう思い、英人は春日の先に立つように歩き始める。
「だからこそ、迷わずいきましょう、先生。まだ、生きている人たちがいるんです。彼らを助けに行きましょう」
「ああ、そうだな……。生きている者たちを、助けなければ……」




